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誰がために百合は咲く 前編

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誰がために百合は咲く 前編

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第8章 ヤーナの恋


「……気にかかることでもおありですか?」
 ふと、何度目かの小さな小さなため息を耳にして。
 十六夜 朔夜(いざよい・さくや)はヤーナ──イルカ獣人の族長・ハーララの娘──に声をかけた。
 話疲れたのか、今彼女は一人でテラスの、隅っこの席に座っている。パーティの開始から、付かず離れず彼女を見守っていた、執事服に身を包んだ朔夜ひとりを覗いては。
「ご不便なこと、何か至らないところがあれば、遠慮なくお申し付け下さい。今日の私は、あなた専属の執事ですから」
「あの、先程倒れられた帝国の方は、大丈夫でしょうか……」
「ご心配ありがとうございます。持病があったと伺っていますが、軍医の診察を受けられ、薬も服まれて、今は落ち着いているそうです」
「そうですか……」
「私には、理由はそれだけではないように見えますが」
「あの…………いえ、何でもありません」
 朔夜は、気分の慰めになるようにと、黒薔薇を慇懃にささげた。男装の麗人といった風が倒錯的で、様になっていた。彼女は、百合園生徒の有志で運営されている<カフェ・ホワイトリリィ>でも、女性客に人気を誇っている。
「……あ、ありがとうございます」
 黒薔薇を両手で受け取りながら、ヤーナは畏まって、ほんのりと頬を染めた。
 都会のお嬢様というよりは、田舎の少女だった。──だが、揺れる青い髪と瞳が静かな波間を思わせるかと思えば、時折発する言葉からは、奔放さも伺わせる。イルカの獣人だからだろうか、海の精のような少女だった。
「シャンバラにはこんなに綺麗で不思議な花が咲くんですね。どこか妖しい香りがします……」
「この花はタシガンの黒薔薇の森に咲く特別なものです。ですが、私たちにとってもイルカの獣人の方は、珍しいお客様ですよ。今日は何故参加されたのですか?」
「……父の身の回りの世話と、手伝いを少々。私には、交易の話は正直なところ難しいのですが、交易の今後は私たちにとっても大事なことです。それと、交易とは別に、ヴァイシャリーに興味がありました」
「──おお、あんたがヤーナさん、じゃな」
 話に入って来たのは、赤羽 傘(あかばね・さん)だった。パートナーの冬蔦 日奈々(ふゆつた・ひなな)が彼女の背後でぺこりとお辞儀をする。
「傘ねえも……イルカの獣人……なんです……。お話、してもいいですか……?」
「どうぞ」
 ヤーナに席を勧められ、傘と日奈々が同じテーブルに着く。傘は腰を下ろすや否や、立て板に水としゃべりだした。
「まさかこんな所で同じイルカの獣人とと会うことになるとはのう。いやいや、あたいはもっと別の場所の出身じゃが……獣人というといっぱいいるように思えるが、イルカやクジラの種族は少ないけん。同種族のよしみで何でも聞いてつかぁさい」
「まぁ、あなたもイルカなんですか」
「悩みとかあったら相談してくれてもいいんじゃよ。誰かに話すだけでも楽になったりすることもあるけぇ。おっと、せっかく来てくれたんじゃからな、今まであたいが学んだヴァイシャリーについて説明するけん。なんとまぁ、ヴァイシャリーでは水の上に住んじょってな──」
 生来のお喋り好きのためか、傘はヴァイシャリーに来てから驚いたことを次々にヤーナに話した。ヴァイシャリーという都市が湖の上につくられていること、車が通れる道よりも、水路の方が広くて多いこと、入り組んでまるで迷路のように思えたこと、魚が美味しいこと……。
「海水……と……淡水……で、違い……ます、けど……お水が沢山で……きっと……気に入りますよ」
 日奈々は彼女の説明にところどころ捕捉を加える。
 ヤーナは傘に親近感を覚えたのか、話が盛り上がった。
「私たちの部族は、群島──本当に小さな島の集まりで暮らしています。家も木造の簡素なもので、人間に比べれば、発達した文明と呼べるようなものはないですけど……とても綺麗なところですよ。イルカですから、陸上と海で暮らしている時間は同じくらいでしょうか」
「魚を捕ったりして暮らしておると聞いたが」
「自給自足の一環ですが、他部族との交易が多少あり、そちらにも売っています。長らく主産業でしたが、ここ十年ほどは日用品や装飾品などの需要が増えたので、そちらも生産していますね。多くが手作りですよ」
 ヤーナはそこまで明るく言ってから、急に声の調子を落とした。
「……でも、ここに来たのは、……交易というより、いえ、交易を通してでもありますが、今、何か得られるものがあるのではないかと思ったからです」
 俯き、手を握りしめる。
「ヴァイシャリーの海はどのようなものかと、そして、出来れば湖の上でどのように人が暮らしているか……見たかったんです」

「うーん、ねーねー、歩ねーちゃん」
 つんつん。
 七瀬 巡(ななせ・めぐる)が、七瀬 歩(ななせ・あゆむ)の肩をつついた。
「あそこの偉そうなねーちゃん、ずっと俯いてて気持ち悪いんじゃないかなー?」
「え?」
 歩はパートナーの伊東 武明(いとう・たけあき)が、キッチンから運んできた新しい食器類を、丁度受け取ったところだった。
 巡を見て、視線の先を見て、もう一度武明を振り返れば、彼は同意するように頷く。
「そのようですな。僕は裏方に徹する心算、どうかお任せになり、歩殿は巡殿とあちらへ」
 今日の歩はただのスタッフとしてだけでなく、生徒会の庶務に立候補したという試験を課されている。スタンスは中立。
 武明にもただのスタッフとしてだけでなく、歩を支えるという役目もあった。
「ありがと。ここはお願いね!」
 武明に食器を返すと、歩は巡と一緒に、ヤーナたちの席へと歩いて行った。
「どうかしたんですかー?」
「……歩さん……。……ヤーナさん、と……お話……して、たん……ですけどぅ……」
 日奈々が知り合いの声に、これまでの経緯を説明する。
「あ、ボクは七瀬巡っていうんだ。えっと、元気なさそうだけど大丈夫ー? 休むなら案内するよー?」
 巡が俯いたままのヤーナを気遣うように言うと、彼女は首を横に振って、顔を上げた。
「済みません、大丈夫です。具合が悪いのではなくて……」
「何か悩み事があるなら話してみてよ。歩ねーちゃんがよく言ってるけど、悩みは誰かに聞いてもらえるだけで楽になれるものだって言うし」
 巡の率直な言葉に、歩も頷く。
 ヤーナは周囲を見回して、その場の全員が親身になってくれていることが分かったのだろう、
「済みません、ここではちょっと……」
「じゃあ、医務室……は大事ですね。休憩所に行きましょう。それとも個室の方が……あ、お邪魔ですか?」
「いえ。あの、でも父が……」
「大丈夫ですよ」
 朔夜が安心させるように言うと、商談を続けるハーララの元へと向かった。
 ヤーナが化粧直しに行くので席を外す、と告げると、商談で忙しいハーララは、その言葉を疑いもしなかったようだ。
「これで大丈夫ですよ。話している相手には生徒会長もいます。何かあっても、上手く取り繕ってくれるでしょう」
「済みません」
「──それじゃ皆さん、行きましょう〜」
 一緒では目立つから、ヤーナと朔夜、日奈々と傘、歩と巡。一組ずつお茶会の会場をそっと抜け出して。
 全員で、ヤーナの個室へと移動する。

 来賓であるヤーナに用意された個室は、海を思わせる青の壁紙と、貝殻のような白で統一された上品な部屋だった。
 椅子が足りないからとヤーナはベッドに、後はそれぞれ椅子をひっぱり出してきて、車座になって座る。全員年頃の女の子ということもあって、今にも恋バナが始まりそうな雰囲気だ。
 備え付けの水差しに注がれた水を一口飲んでから、彼女は語り始める。
「何からお話しましょうか……これはもうご存知かもしれませんけれど──」
 彼らイルカ獣人の部族が住むのは、ヴァイシャリー近海の群島。
 周囲を岩場や珊瑚礁に囲まれ、干満が激しい。干潮時に仕掛けた網で、満潮時にかかった魚を捕るという漁で長らく生計を立てていた。
 なお、ここ十年ほどはそれに加えて様々な加工品を売ることもあったが、おおよそ手工業の域を出ないと言っていい。まだまだ漁業は大事な産業のひとつだった。
 だが、最近は満潮時に水が島の海岸を侵すことが多くなった。
「年々続く海面上昇に、この島に住めなくなるのではという不安を、多くの獣人が抱いています。部族内からも民族移動をすべきだという声が大きくなり……、そう主張する彼らは、本島を──一番大きな島で、多くの住民が住んでいる島を出て、別の、海抜が最も高い島に住むようになりました。
 彼らは、族長には従えないと言い、独自の生活を始め、今後の移住先の選定に入っているそうです。
 同時に、族長には求心力・部族をまとめる力がないと、本島の住民たちからも声が上がっているのです。
 このヴァイシャリーとの交易は、私たちにとって、部族を一つにまとめると同時に、資金を得て、今後の進退を決めるための交渉でもあるのです」
「ヴァイシャリーの海が見たいって言うのは、こっちに移住するっていうこと?」
「私が父についてきた目的の一つは、こちらの海の状況が知りたかったからです。もし移住するなら全員で、と考えていました。それからもう一つ。水の上で暮らすというヴァイシャリーの技術を、私たちの島にも取り入れることはできないか、と……。今まで通り住めれば、互いにとって一番いいことですから」
「……うーん、移住かぁ。難しいなぁ。どっちの主張が間違っているとか正しいとかじゃないよね。でも喧嘩別れなんて寂しいし……」
 歩は首をひねった。
「ちょっとフェルナンさんに相談してみようかな……あ、フェルナンさんっていうのはあたしの友達で、商工会議所の人。秘密は守ってくれる人だから、安心して」
 歩は携帯電話を開くと、メールを打った。商談の区切りがつき次第、との返答がすぐに帰ってきた。
 ちなみに、その前には、別の友人からの暑中見舞いも届いていた。
「海のことですが……先ほどから窓の外を気にされていたようですが、それと何か関係があるのでしょうか?」
 朔夜の一言に、ヤーナは顔をさっと赤らめた。
「あ、あの……」
「そういえば、船に紛れ込んで追い出された男の人がいるって……」
 巡がぽんと手を打ち、ヤーナは俯いた。
「もしかして、恋人……だったりします?」
 歩の追撃に、ヤーナは耳まで真っ赤になって──、
「その首飾りのことなのですが……」
 再びの朔夜の言葉に。
「あ、あのあの、ですからもうやめてください……っ!!」
 彼女は両手に顔を埋めて、叫んだ。
 ──その後の彼女の話を要約すると、こうなる。
 彼女には恋人がいた。だが、彼の父こそが、移住派のリーダーなのだという。彼らが勝手に別の島に移住をしてしまってから、それまで交際に口を挟まなかったヤーナの父が、付き合いを反対し始めたのだ。住む場所も離れた上、それぞれの派閥の目を盗んでは会うこともままならなくなってしまった。
「父の立場は分かります。でも、父の言いつけに従うつもりはありません。彼もその気持ちは一緒だと、最後に会った時に。……きっと今日追いかけてきたのは、このことで私と父に何か伝えたいことがあったんだと思います」
 ヤーナは銀の鎖に青い宝石が配されたネックレスを指先でなぞった。
「今では特産品ですが、元々これは私たちの部族の風習の一つなんです。女性が装飾品を作る時に、男性が宝石を海底から採って贈ると、その人をずっと守護してくれるというおまじないです」
 言ってから、また耳まで赤くなる。
「そっか……追い返されちゃったのかー。心配だねー、円ねーちゃんとかと会えてれば良いけど」
 巡の言葉から新しい登場人物が出てきて、ヤーナは名を繰り返した。
「円ねーちゃん……さん?」
「友達なんだよー。なんか追い出された人がいるっていうから、探しに行ってきてくれてるんだ」
「皆さん、いい方たちなんですね」
「……あ、来た来た。フェルナンさん」
 失礼します、との声があって、返答を受けてややあって、扉から姿を現したのはフェルナン・シャントルイユ(ふぇるなん・しゃんとるいゆ)だった。豪華な布地と糸を用いた、ヴァイシャリーの伝統衣装に礼装に身を包んでいる。古来の伝統を忠実に踏襲して作られた逸品だが、デザイナーは彼の姉だ。
 フェルナンは賓客の部屋に百合園の女性ばかり集まっているのを見て一瞬躊躇したが、態度には出さなかった。
「男である私が入って、失礼にならなければ良いのですが……」
「大丈夫ですよ、真面目なお話です。ちょっと恋愛もありますけど」
 それでは……と、それでも一番扉に近いところに席を取ってフェルナンが座る。実は女性が苦手なのだ。歩はじめ何人か見知った顔がいなかったら、理由を付けてお暇したに違いない。
「もし、今回の交渉が上手くいったらですけど、文化交流って形で人を何名か交換してみるって出来ないですか? 移住するにしても、リスク少ないと思いますし、あと、こっちの漁の方法試してみて魚獲れたら出て行かなくていいかもしれないし……」
 一通りの事情を歩から聞いたフェルナンは、
「できるかと思います。まずは原因や漁法についてなど、詳しく現地で調査させていただけたらと思いますが、族長の許可が必要ですね。ただ、部族が割れているところに行く前に、仲直りができれば、もっと良いのですが」
「ヤーナさんの恋人さんですけど、ここまで来たのは、何か大事なことを知らせに来たんだと思います。会えませんか?」
「お手伝いさせていただくにやぶさかではありません。ですが、船でお会いになることは避けていただきたいですね。警備の面でもですし、万が一ハーララ氏の知るところとなったら、ヴァイシャリーの信用問題になります」
「じゃあ、どうしたらいいでしょう?」
「桐生さんとは連絡が取れるのですね。では──丁度日も柔らいできました。視察を兼ねて港を散歩、というのは如何でしょうか?」