シャンバラ教導団へ

百合園女学院

校長室

薔薇の学舎へ

誰がために百合は咲く 前編

リアクション公開中!

誰がために百合は咲く 前編

リアクション



 第5章 ヴァイシャリーと日本。そして地球。


 太陽が中天にかかり、甲板を強い日差しが照らし出す。くっきりとした影が幾何学模様を作り出していた。
 気分を変えようとラズィーヤに誘われ、甲板のオープンテラスにしつらえられたカフェに出たアダモフと秘書は、思わず目を細め──それから、目を、開いた。
 ちりんちりん。涼しげな音がどこかから響いてくる。
 音は、パラソルに吊り下げられたそれから聞こえていた。ガラスでできた、鈴にも、軽い鐘にも似た音と形の見慣れぬ物体に二人はしばし見とれる。
 あちらではガラスに描かれた朝顔が風にそよぎ、こちらでは金魚が泳ぐ様が何ともいえない風情だ。
「これが何か知っておるか?」
「いえ、浅学ですので……」
「──こちらは、風鈴といいます」
 答えたのは、イルミンスールの制服からメイド服に着替えた関谷 未憂(せきや・みゆう)だった。他校生として、パートナー達と社会勉強兼百合園生を応援に来た。
「描かれているのは、日本の夏の風物詩です。他にもカッティングしたものや、金属製などがあるのですが……、耳と目で涼を取るものです」
「日本の夏は、湿度が高くて蒸し暑いんですよー。でも、見てるだけでもキレイですよねっ♪」
 風鈴を吊るした本人──リン・リーファ(りん・りーふぁ)が、蒸した熱いおしぼりと、氷術で冷やした冷たいおしぼりを持って現れる。
 席に着くアダモフと秘書、それにラズィーヤにおしぼりを渡した。心なしかご機嫌なのは、先輩からの暑中見舞いメールがさっき届いたからだ。
 リンの後からはプリム・フラアリー(ぷりむ・ふらありー)が、ハーブティー、緑茶。それにお皿に盛りだくさんのお菓子を乗せてついてくる。
 空京に店舗を出した、カリスマショコラティエの高級チョコレートから、動物ビスケットまで。
 プリムが頭を軽く下げると、無口な彼女に代わってリンが説明する。
「こちらはルクオールの特産、シャンバラ山羊のミルクを使用した“シャンバラ山羊のミルクアイス”です。このビスケットは、シャンバラでよく食べられているおやつで、パラミタに生息する動物の形をしています。そしてこちらは、雲海の雲をイメージした“雲海わたあめ”です」
「……」
 こくり、とプリムが頷く。
 なお、未憂が持ち込んだパン三種──あんパン、メロンパン、ドーナツ──は、スタッフ用のおやつになっていた。
 そしてその説明と、来賓がシャンバラの生物について話をしている間に、未憂は氷出しのお茶を用意していた。氷出しは、ちょっと時間がかかるけれど、冷たくてそれだけ甘くなるという。
 ワゴンの上に、二つの無色透明なガラスのポットが置いてある。
 一つは緑茶。これは時間がかかるので、既にできたものを。
 一つは烏龍茶。ポットに茶葉と熱湯を注ぎ、少し蒸らす。そこに氷を投入し、ゆっくりと抽出。
 からからと残る氷の小気味よい音を聞きながら、冷たいお茶を、小ぶりのグラスに注ぎいれる様もまた涼しげだ。
「こちらの氷出しも、日本での飲み方の一つです」
 未憂がお茶を配膳する間に、リンが手際よくおしぼりを交換をする。
「あら、素敵ですわね。わたくしも初めていただきますわ」
 ラズィーヤは緑茶を受け取ると、グラスをそっと傾けて口を付ける。
「ラズィーヤ様は、日本の女生徒の姿に大変感銘を受けて百合園を設立した、と伺っておりますが……それも分かりますね」
 秘書が(事実と若干違うが)言うと、何故かしら、とラズィーヤは微笑んだ。
「相手をもてなすために労を惜しまない姿勢は尊敬に値します」
「お褒めいただき嬉しいですわ。……でも、まだ早いですわよ」
「と、いうと」
「ご覧くださいな」
 ラズィーヤの視線の先には、置き畳と赤い傘で演出された和風のスペースがあった。
 姫宮 みこと(ひめみや・みこと)が柚子皮を乗せた羊羹と、抹茶を提供している。
「まずは羊羹をどうぞ。そしてお口の中に羊羹が残っているうちに抹茶をいただきます。抹茶と羊羹がであったときの風味がまた格別です」
 みことは今、来賓の商人にお茶を点てているところだ。
「茶と菓子は別々でないと、と作法ではいいますが、こういういただき方もあるんですよ」
 清良川 エリス(きよらかわ・えりす)もまた、お手製の和菓子をふるまっている。
 そして、崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)マリカ・メリュジーヌ(まりか・めりゅじーぬ)も、夏の着物を着こなし、日本茶と和菓子を提供している。
 亜璃珠はやがておもてなしをマリカに任せ、龍鱗扇──京都の職人の手になる、一見レース柄の、その実龍の鱗でできた──を手に舞を披露し始めた。
 おお、と、感歎の声が湧き上がった。
 視線が彼女たちに集中する中、ラズィーヤは扇の裏で微笑んだ。
「……皆さんには、期待以上のものを見せていただきましたわね」
 その声は、二人のスタッフに向けられたものだ。
 一人は、こちらも和服に身を包んだ朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)。一人は、彼女のパートナーでありメイドイルマ・レスト(いるま・れすと)
「それに、珍しいものも見せていただいたわ」
 ラズィーヤが、きっちり足を揃えている千歳を見て、くすりと笑う。
「あの、本当は警備をするつもりだったのですが……こ、これは、形から入ろうと思い……は、入ろうかしら、と、ですね」
(……女の子らしく……おんなのこらしく、だな)
 どぎまぎする千歳。いつもは厳しそうな外見のせいか、スカートをはいていても仁王立ちや“休め”の姿勢が似合う男前である。
(実はこの前母から、「あなたももう年頃なのですから、もう少し言葉遣いや立ち居振る舞いに気を使いなさい」と小言を言われてしまったしな……)
「お任せください……ませ、今日はちゃんとメイドを務めます」
「うふふ、お願いしますわね」
 イルマを見習って慣れないメイドに奮闘する姿に、ラズィーヤはSッ気を刺激されたのか、楽しそうだ。
 一方イルマの方はと言えば、ちょっと違う方向を頑張っているパートナーの姿よりも、お茶会と生徒達の様子に満足そうなラズィーヤを見て、満足していた。
「ラズィーヤ様、先程小耳に挟んだのですけれど……」
 イルマは彼女自身と、千歳から聞いた情報をラズィーヤだけに聞こえるように呟いた。
「ハーララさんの獣人の部族ですが、その“先”との取引があるようです。シャンバラ製のものをそこにも届けるかどうか、というお話をヤーナさんとされていました」
「“先”ですの? でしたら、海の中央にある海域のことではないかしら?」
「ご存じなのですか?」
 詳しくは知らないのですけれど……、と、ラズィーヤは言った。
“原色の海(プライマリー・シー)”──シャンバラの東、カナンの北東。エリュシオンとシボラの間……、そう呼ばれる海域がありますの」
 ハーララ達の獣人は、カナンより西、シャンバラの近くに住む種族だ。だが、人との交流よりも海の種族同士の交流が深いという。
「そこは、大国と言われるどの国にも属していませんわ。三つの部族が島、海底、そして樹上に住み、平和に暮らしていると聞いていますわ。ハーララさんは、その一つと取引があると伺っていますわ」
 そこから三つの部族との交易ルートを持ちたい、というのが、ラズィーヤの狙いの一つでもあるらしい。
「もしそちらのことを伺えるなら……嬉しいですわね?」

 みことがふと顔を上げると、そこにはアナスタシアがいた。今は取り巻きはおらず、一人だ。
「アナスタシアさん……ですね」
 お茶をアナスタシアに点てて渡しながら、みことは、疑問を投げかける。
「サロンを開いて力を付けられているようですが……そうして得た力で、貴方は何を為すおつもりですか?」
 羊羹を竹の楊枝で、少し不器用に、慣れないながら口に運ぶアナスタシア。
 みことは彼女を見守りながら話を続ける。
「マナーというのは──力というのは、しょせん手段にすぎません」
 みことには、お茶会の作法、お点前の作法。それから外れた供し方をしている自覚がある。
「それにこだわってばかりいると、かえって本質を見失ってしまうこともあるのですよ」
「成したいことは、ただ、新しいマナーやレディの創造ですわ──私たちの文化を受け入れていただきたいだけ。今までの守旧派もそうではなくて?」
 慣れない抹茶の味に複雑そうな顔をしてから、アナスタシアは言った。
「パラミタに来ながら、地球の、日本の百合園の伝統に拘る──いくらラズィーヤ様がここに美徳を見出したとはいえ、現生徒会には歩み寄りが足りないと常々思っていましたの。
 何度か話し合いの場を設けたことがありますけれど……地球中、パラミタ中から人が集まってきているのに、それはあまりにもかたくなではなくて? もし生徒に日本人が多いから日本を大事にするという意味なら、逆もありうるはずですわよね?」
 それに誤解していますわ、と、続けた。
「無理やり誰かを引き入れたことなどありませんわよ。皆さん私の声に耳を傾け、賛同してくださった、それだけですわ」