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誰がために百合は咲く 前編

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誰がために百合は咲く 前編

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 他の生徒会役員候補もまた、来賓との話を弾ませていた。
 レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)はパートナーとそんな彼女たち──革新派も守旧派も中立も──を見ていた。
(ボクは保守派とか革新派とか興味がない。古き良き物は確かに引き継いで行かなければならないけど、現状維持では何も変わらない)
 皆それぞれに工夫してお客様をもてなそうとする姿は、いつもの百合園生のものだ。レキはそんな姿に少し安心する。
(根をきちんと抑えさえすれば、風に枝葉が揺らされても幹は揺るがないものでしょ。ボクは新しい風も必要だと思ってるよ)
 立候補者ではないレキがスタッフを引き受けたのは、彼女たちの姿を見ておきたかったから。
 そして、自分たちの姿を同時に、来賓に知って欲しかったから。
 レキがハーララに出していたお茶は、そんな想いを込めたものだった。
(一杯目は、ヴァイシャリーのラベンダーだった。だから……)
「──これは?」
 見慣れぬ花を浮かべたお茶……お湯に、ハーララが疑問の声をあげた。
「桜茶といいます。百合園女学院の本校がある日本では、慶事に飲まれるお茶です」
「そうか、慶事にね」
「日本ではこの桜という花はとても愛されているんですよ。春になると満開に咲いて空が桜色に染まって……すぐに散ってしまうんですけど、その間に朝から晩まで、桜の下で花見をするんですよ。
 これはその花を塩漬けにしたもので、お湯を注いでいただくんです」
 レキが校長に用意してもらった、彼お気に入りの塩漬けの桜は、ハーララの前でふんわり開いていく。
 薄いピンクの花の色は珊瑚礁のように。ほんのり塩味は、海のように。
 そこまでの意図を頭でハーララは理解しなかったけれど。感覚で、何となく分かったようだった。
「何故だろうか……遠い異国のものなのに、どこか懐かしいな」
 中年の、一見厳つく見えるイルカ獣人の族長は、ほうと感歎のため息を吐いた。
「それに美しい花だ。……とても。塩味の茶は珍しいが、よく飲むのかな?」
「塩は桜の保存のためで、一般的なお茶は塩味はしません。でも、日本もハーララさんの故郷のように海に囲まれているんです。料理は勿論、神様にお供えしたり、魔を払ったり……色々なところで使われてます」
「ありがとう、とても珍しいものを飲ませてもらった」
「お茶にはこちらをどうぞ」
 ハーララの隣に座っていた橘 舞(たちばな・まい)が、スイーツの盛り合わせを差し出す。
 日本のもの、ヴァイシャリーのもの、シャンバラのもの。それにエリュシオン帝国や獣人に好まれるというお菓子がそれぞれ乗っていた。
(か、カエルパイがない……! カ、カエルパイ駄目なの)
 隣のテーブルからチラ見しながら、ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)が愕然とする。
「どうしたんじゃ、アホぶり」
 ブリジットの隣で、舞のもう一人のパートナー、金 仙姫(きむ・そに)がお茶をすすりながら聞いた。
「カエルパイ、なんで駄目なのよ」
「今回はなしで、と言い渡されておったろう」
「ヴァイシャリーの銘菓として売り出すビックチャンスなのに……。アナスタシアは大丈夫そうだったし、帝国でも売れると思うんだけど……」
「せっかく持ってきたのに……」
「あれなら、舞が休憩室でスタッフの皆さんに、って箱を開けておったぞ」
 仙姫にあっさり言われて、ブリジットはぶつぶつ言いながらも、パウエル商会謹製ケロッPカエルパイの普及はひとまず諦めたようだ。
 まぁ確かに、大事な初めての交渉相手に、カエル粉末入りお菓子は危険がある、という舞の判断はリスク回避の意味で正しいのだろう。
「ところで、茶会というから来てみたが、音楽もないとは……。余興に、舞の一つでも披露した方がいいのかのう」
「大事なのはその舞じゃなくてこっちの舞よ、舞」
「まったく、聞いておらぬ。……歌でも伽耶琴でもいいのじゃが」
「だから舞なんだって」
 ブリジットのじれったそうな視線は、さっきから舞に注がれている。
 彼女が注目するのには、理由があった。いつも万事控えめな舞は、生徒会長に立候補していたのだ。革新派寄りの中立、が、舞のスタンス。
(舞が妙にやる気になっちゃって……言い出したのは私だけど)
「そんなにパートナーが気になるのかのう?」
「ち、違うわよ。お菓子すすめてお話だけって、なんか地味すぎない? あれじゃ負けちゃうわよ……何かしらの交渉して成功させた方がポイント高いんじゃないかしら」
 なのに、それはもっと相応しい人がいるから大丈夫、だなんてのんびりすぎやしないか。
「だったらそなたが行けばいいであろう?」
「これ試験なのよ。それに……私はプロ野球の公式戦あって忙しいし、ドリルに顎で使われるのはまっぴらだけど、アナスタシアや桜子が生徒会長じゃ不安だわ」
 ちなみに、ドリルとはラズィーヤのことだ。
「やはり応援しておるのだな」
「……いや、舞なら安心かといわれると微妙だけど」
 ブリジットの横顔を見て、仙姫は心の中で呟く。
(本当は嬉しいくせに、何時もながら素直じゃないやつじゃ)
 でも。ブリジットの心配とは裏腹に、舞は舞で一生懸命だったのだ。
 ハーララには、薄いパイシートの間に、彼らの群島で採れるというナッツとシナモンをふんだんに閉じ込めたものを。
 同席するヴァイシャリーの商人達には、話の邪魔にならないよう、軽く摘まめるチョコレートやメレンゲなどを……。
 それからアダモフにも、体調と長旅を考えて、あっさりした、冷たすぎないスイーツ──帝国産のフルーツをたっぷりつかったフルーツゼリーに、生フルーツを添えてサーブ。
 勿論、それぞれたっぷり用意してあるから、興味があれば誰でも食べられる。
「これはうちの地方で採れるミルクを使っているんですね」
「いや是非、家内にも食べさせてやりたいですな」
(お茶には美味しいお菓子がつきものですよね)
 それぞれの国の特産品は、舞の思惑通り商人たちの話のきっかけになっていく。
(会長になった以上は全力を尽くすつもりです。でも、生徒会だけが張り切る必要なんてないんだと思います。百合園には優秀な方がたくさんいますから、その人たちが活動しやすい環境を作ることが大事だと思います。こんな風に……)
 そして、未来の生徒会室もこんなティータイムをしに、どんな生徒でも気軽に生徒達が集まれる場所だったらいいな、と彼女は微笑した。
(そんな生徒会にできるといいですね)


(……そろそろ、かな)
 鳥丘 ヨル(とりおか・よる)は、壁掛け時計を確認した。
 部屋の雰囲気に合わせた、木製で重厚なそれは、ヨルがフェルナン・シャントルイユ(ふぇるなん・しゃんとるいゆ)に手配してもらったものだった。
「……いや、こちらの方が美味しいですよ」
「いやいやそんなことは……」
「これはそちらの特産物ではないですか?」
 ハーララの着くテーブルでは、現在、彼とヴァイシャリーの商人たちの間での商談が進んでいた。
 ハーララが提供できるのは、魚などの海産物はもとより、貝や宝石などの加工品だ。
 ヴァイシャリーの商人はそれだけではなく、海の他の資源や、安全な航路についての情報を彼から聞き出している。なんといってもイルカの獣人、海の中のことには詳しい。
 これから始めるのは海上交易、航路や海の最新の情報について知ることは重要だ。
 が、この話題を始めて三十分……そろそろ集中力が切れる時間だ。商人同士の謙遜のしあいが余りにも進みすぎそうだったので、ヨルは、彼らに声をかけた。
「議論が白熱されているところ申し訳ありません。皆様、お茶で咽喉を潤しては如何でしょうか?」
 ヨルが、綺麗な紙に印字されたドリンクメニューを差し出す。
「シャンバラ各地のお飲み物を取り揃えました。私のお勧めはタシガンコーヒーです」
「では、それをいただこうかな」
 ハーララが言うと、他の商人達も追従した。
  ヨルが淹れたてのコーヒーを配る。
 ──薔薇の学舎で飲まれているという、素晴らしい香りのコーヒーを、ヴァイシャリー家御用達の最高級のカップとソーサーで。
 それは、シャンバラが誇れる二つのものだった。合わせて、ヨルもちょっと久しぶりの丁寧語。
 一緒に楽しむチョコレートも配りながら、商人たちが舌鼓を打つ間、ヨルはハーララにそっと声をかけた。
「私が見たところ、ハーララ様方の特産品は世界一です。それに見合う金額や品との取り引き以外は受けたらダメですよ。アダモフさんは珊瑚も狙ってるかもしれません。
 珊瑚礁は一度破壊すると再生に長い時間が必要だから、荒らされたらハーララさん達の生活も壊されちゃいますよ。踏み込ませちゃダメです」
 ヨルが見たところ、アダモフはその才覚で財を成した帝国の……都会の商人だ。しかし聞くところ、ハーララの部族の人数は多くとも5000にも満たないらしい。ヴァイシャリーの方がずっと人口が多いくらいだ。武力だって、財力だって、政治だって、多分、かなわないだろう。
「海賊問題は海軍を信じてる態度でいてくださいね。末永くお互いの利益になった方がいいでしょう」
 不自然にならないように、そっと彼の横を離れようとするヨルを、だが、ハーララは呼び止めた。
「何か思い当るところがあるのかね」
「私は良く似た話を、聞いたことがあります」
 それは、地球で。地球の環境問題を知っているヨルからすれば、ハーララたちは、今ちょっと危ういところにいるように見えたのだ。
「──後で、詳しく聞かせてくれないかな。君の忠告には興味がある」
「かしこまりました」
 ヨルは、ハーララと商人の話がいったん終わる頃にもう一度、と言って、空いたカップを持ってその場を下がった。
(お互いにとってうまくいくといいな。それで、できたらこれからも、ヴァイシャリーとボクのためにも)
 彼女もまた、生徒会役員……副会長の選挙に挑戦する一人なのだった。
(あ、そろそろ休憩時間だっけ。メールもチェックしておこうっと)
 ヨルは裏に回ってから、ポケットから電源を切っておいた携帯電話を取り出した。そして受信したメールは……。
「すごい暑中見舞いだね」
 ヨルは小声で笑って、携帯を閉じて、にんまりして。
「うん、お土産話、楽しみにしようっと」