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スパークリング・スプリング

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スパークリング・スプリング
スパークリング・スプリング スパークリング・スプリング

リアクション

 真夏のツァンダの街。
 その日のツァンダで吹いていたのは、季節外れの春の風。
 陽気な風にあてられて、人々の心が少しふわりと移ろいだ。

 春の風は吹いて弾けて跳ねて、あらゆるものを乗せて吹き荒れた。
 むちむちに弾けたボディ。
 カップルさんの恋心。
 モテない男の嫉妬心。
 なぜか獣人、花妖精、地祇に英霊その他もろもろ。

 そして、ウサギ耳の少女。
 春色のふわふわした、可愛い洋服を身に纏ったウサギ耳の少女――スプリング・スプリングは呟いた。


「はぁ……なんかもう――つまんないな」


 弾まないのは、心だけ。



『スパークリング・スプリング』



第1章


「……なんだ、この感じ……」


 自身を突然襲った感情に、ラルク・アントゥルース(らるく・あんとぅるーす)は軽い眩暈を覚えた。
 街の様子を見ると、季節に似合わない暖かい風が吹いていて、妙に太ったと騒いでいる人間が多い。

「また何か起こったな……しかしこれ……妙に……なんつーかその……」


 いちゃいちゃしてぇ。


「……!!」
 突然襲ってきた感情の揺らぎに、ラルクは首を振った。
 原因は分からないが、自分の感情に何らかの変調が起こったのは確実だ。
 狂おしいほどに湧き上がる甘酸っぱい感情。そして今この場にその相手はいないという現実に対する絶望感。
「あー……なんだこれ……周りの奴らも似たようなもんか……ち、相手がすぐにいる奴らはいいよな、リア充どもめ……」
 そしてここぞとばかりにイチャつくカップルを眺める自分の視線が、危険な鋭さを帯びていることにすぐに気付く。
「ヤベェな……このままじゃ欲求不満でその辺のカップルに八つ当たりしかねねぇ……」
 日頃から己の肉体を鍛えることに余念がないラルクが、うっかりその辺のカップルなどに八つ当たりなどしようものならうっかり人殺しをしかねない。
 もちろん、自分だってそんなアホな理由で殺人者になるのはゴメンだ。

「しょーがねぇ……その辺をランニングでもして発散するか……」
 さすがに修行慣れしているラルク、精神面でも自分の欲求をある程度コントロールする術を心得ているのだろう。
 水分補給用のドリンクなどを軽く用意して、準備運動をしてから走り出した。

「くそっ……俺だってこの場に相手がいればこんなこと……リア充どもめ……爆発しろ……いやむしろくたばれ……」

 こうして、街中のカップルたちを呪い殺さんばかりの視線で睨みつけながら、ラルクの長いランニングは始まったのである。


 健全なのか、不健全なのか。


                    ☆


「やれやれ……二人とも、元気だな」
 久しぶりにツァンダの街に揃って買い物に来ていた樹月 刀真(きづき・とうま)は呟く。
 その横にはパートナーの一人、玉藻 前(たまもの・まえ)が立っている。
「うん? まあいいではないか……こちらは少しのんびりしても。何しろ、せっかくの休日なのだからな」
 玉藻は刀真の右腕に自身の腕を絡めて、ゆっくりと歩いた。
 刀真の他のパートナー、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)封印の巫女 白花(ふういんのみこ・びゃっか)は二人で内緒の買い物があるからと、先に行ってしまったのだ。

 その月夜と白花は一足先に、ちょっとお気に入りのランジェリーショップで買い物である。
「さ〜て、どんなのがいいかな……刀真に着て見せるには……っと」
 ショップに飾られた色とりどりの下着を前にした月夜の問題発言に、白花は目を丸くする。

「え、買った下着を着て見せるんですかっ!?」

 その驚きを無視するかのように、月夜は平然と答えた。
「そりゃそうよ……そのくらいしなきゃ刀真は反応しないんだから……まぁ、逆に照れちゃって感想も聞き出せないかもしれないけど……。
 でもほら、うまくうけばそのまま手を出してくれるかもしれないしね?」
「え、ええ……? 手を出すって、その……?」
 言いよどむ白花に、月夜はさらに言葉を投げた。
「だってねぇ、そういう反応は私達を意識してなきゃ引き出せないワケだし……。
 刀真は意気地なしだからこれぐらいでちょうどいいのよ!!
 まったく……あんなんだからいつまでたっても刀真はどうて」
「月夜さん!! ……その、声、が」
 あわてて白花が月夜の口を塞いだ。
 気付くと、いつの間にか月夜はちょっと大きな声で力説してしまっていたようだ。
「あ……」
 買い物客は自分たちではない。ショップの店員や他の女性客が微妙な苦笑いを浮かべてこちらを見ている。
 うら若き乙女が大声で白昼堂々と口にすべきではない単語が飛び出してくるのを、かろうじて白花は止めたのである。

「……ゴメン……店、変えよっか……」
「……はい」
 真っ赤になった月夜と白花はすごすごとショップを退散していくのだった。


 そんなことになっているとはまったく想像していない刀真と玉藻は、ツァンダの街をゆるやかに散策していた。

「ツァンダの街も確かに久しぶりだなぁ……ところで……玉藻……その」
 歩きながら、腕と共に押し付けられてくる玉藻の胸を少しだけ気にしている刀真。
 もちろん玉藻はワザとやっているの、単に刀真の反応をじっくりと楽しんでいるのだ。
「ん、どうした刀真?」
 いつもは月夜や白花が刀真を独占しているのだから、と玉藻はこのショッピングを最大限に楽しむつもりだった。

「さ、刀真……まずはどこから行くとするかな?」
 いつものことではあるが大きく着崩した着物の胸元を意識的に視界から排除し、刀真はそれでも玉藻の腕を払うことはせずに、散策を開始した。

「そうだなぁ……まずは……」
 その時、二人の間を一陣の風が吹きぬけた。
「――わっ?」
 強い風に思わず目を瞑り、目の周りの埃を落とす刀真。
「何だ、今の風……玉藻は大丈夫か――玉藻?」
「うむ……問題ない……しかしその……強い風だな――刀真?」
 互いに名を呼び合って、視線を合わせる。

 ――ドクン、と。
 たったそれだけで、何故か心臓が高鳴った。

 そしてその同時刻。


 月夜と白花が激しくデブっていた。


「にゃっ!? もう、ヤな風……あれ、白花? 白花どこ行ったの?」
「やん、スカートが……月夜さん? 月夜さんこそ、というかコレ……?」


 強い風が吹いて目を瞑った次の瞬間、隣を歩いていたはずの人間が消えていた。
 いや違う。正確には一瞬で変わり果ててしまった互いの姿を認識できなかった。
 その次の瞬間には、目の前のデブがついさっきまで会話をしていた相手であることに気付く。
 もちろん、その次には自分の番である。
 ショーウィンドウに映り込んだ自分達の姿を確認した二人の悲鳴が、ツァンダの街に響き渡った。


「何、何なにコレ!? 何が起こったのーーーっ!?」
「え、え、えええーーーっ!?」


                    ☆


 街中でショッピングを楽しんでいた四葉 恋歌もまた例外ではなく、激しくデブっていた。
 そしてそれと同様、気持ちの激しい揺れ動きを体験しているところである。
 恋歌には、特定の恋人がいない。
 どうやら学園やコントラクターの中にも気になる相手はいるようだが、この機会に突撃するわけにもいかないだろう。


 何しろ、今の彼女の体重は従来の36倍なのだから。


「うう……それにしても……いったい何が起こったっていうの……私だけじゃなくってたくさんの街の人が太ってるし……」

 ショーウィンドウに映り込んだ自分の姿に絶望するそんな恋歌の後ろを、誰かを探しているような女性の姿がある。
 飛鳥 菊(あすか・きく)である。
 ちなみにデブではない。

「あーもう、なんだよアイツ……!! せっかく一緒に買出しに行こうと思ってたのによ……!!」

 彼女が探しているのはパートナーのエミリオ・ザナッティ(えみりお・ざなってぃ)
 最近パートナーが増えて二人だけで過ごす時間というのも減ってきた。
「何かと理由つけて誘うのも大変なんだよ……。だいたいアイツは……、でもいつも使用人扱いしてる俺も悪いんだよな……」
 どことなく、二人の関係性を改めて考えることが多くなった菊。ふと空を見上げると、一人の少女が空から降ってきた。

「――え?」
 空から降ってきたウサギ耳の少女――スプリングは、菊の背後に着地する。まさか突然空から少女が降ってくるとは思っていなかった菊は、驚きに振り向いて、スプリングと目を合わせた。

「――悩んでるの?」
 スプリングの静かな声が菊の耳に響く。
 その途端、一陣の風が菊の心を吹き抜けた。
 ざわりと。心の中に溜まった澱を掻き出すように。ちょっとだけ居心地の悪い気持ち悪さを伴って。
「――!!」
 次の瞬間、菊は一目散に走り出していた。
 スプリングの春の嵐に吹かれた菊の心には迷いはない。相手はパートナーだ、居場所くらい本当はなんとなく分かる。

「何だろう、なんかどうでもいいことで悩んでた!!
 今なら普段はできないことも出来る気がする!!」
 
 あっという間に見えなくなってしまった菊を見送って、スプリングはまた遥か上空へと跳ね上がった。

「春は不安定な季節だね――ふわふわするよ」

 その様子を見ていた恋歌は、周囲の様子と自分の姿を見比べる。
「あ……なんか太ってる人だけじゃないんだ……あの娘のせい……なのかな」
 スプリングが跳ねて行った方向へと見当をつけて恋歌は走り出した。
 太った身体をどすんどすんと揺すりながら。

 苦労しつつもスプリングを追う恋歌だが、やはり突然太ってしまった身体では走りにくい。
「――きゃっ!!」
 歩いていた二人組の女性とすれ違う際、自分の横幅を認識しきれずにぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
 二人組のうち、ぶつからなかった方の女性――ウルフィオナ・ガルム(うるふぃおな・がるむ)は反射的に前に出て、恋歌に告げた。
「ん――大丈夫だけど、道を走る時は気をつけてな」
 ぶつかってしまった方の女性は無言。怒らせてしまっただろうかと思いつつも、事態中心人物と思しきスプリングを見失わないようにと恋歌は再び走り出した。
「本当にごめんなさい!!」

「――何、急いでるんだろ――なぁ、大丈夫か?」
 ウルフィオナは並んで歩いていたパートナー、レイナ・ミルトリア(れいな・みるとりあ)を気遣った。とはいえ、一般人の恋歌と道でぶつかった程度でコントラクターである彼女達がどうにかなるとも思えない。
 しかし。
「――えぇ、大丈夫よ。『私』はね」
「!?」
 ウルフィオナは思わずレイナの顔を覗き込んだ。
「えっ……お前、『裏』の方……!? 何で!?」
 レイナ本人はあまり自覚していないが、彼女は実は二重人格だ。無自覚なストレスやトラウマなどが作用して生まれた裏人格は、時折姿を現してはパートナーたちを翻弄する。
 しかし、今は特に人格が入れ替わるようなショックやストレスがあったとは思えない。

「……そうね、今は特に『あの子』がストレスを感じたワケでもないでしょうに……ああ……なるほど……」
 一人納得した風情の裏レイナは、ウルフィオナの腕に自分の腕をするりと絡めて、微笑んだ。
「何一人で納得してるんだよ……説明しろって。何もなくて裏のあんたが出てくるはずねぇだろ」
 事態をいまひとつ理解していないウルフィオナは、絡められた裏レイナの腕を気にしながらも様子を伺う。
「ふふ……やぁね、ノワールって呼んでよ……。気付かない? この風」
「……風……? そういや、妙に生あったかいな……なんか、微妙に変な気分だ……」

 その風はスプリングが無自覚に巻き起こしている『春の嵐』。その風に当てられた者の心を不安定な気持ちにさせる作用がある。

「ふふ……まぁいいわ。ねぇウルさん? 『あの子』との買い物は終わったんでしょう? 今度は私に付き合って……くれない?」
 ぐいっと絡めた腕を引いて、裏レイナ――ノワールはウルフィオナと共に歩き出す。
「ああ……ま、まあいいけどよ。ところで、その……腕……」
「――あら、嫌?」
「いやその……嫌、というほどじゃねぇけどよ……女同士で……おかしくねぇ……か?」
 ウルフィオナの反応に気を良くしたノワールは、さらに密着させて腕を引いた。
「あら、細かいことを気にするのね。もっと大らかな心を持たなきゃ」
「いや気にするってーの! こーいうのは好きな男とやるもんだろー?」
「あーら、意外とお古いのね……腕組む程度、恋人じゃなくってもするわよ、ねぇ?
 それに、街中だとこうしてないと変な虫が寄って来て鬱陶しいのよ。
 私、あーいうのだいっきらいだから……あんまりしつっこいとサクっと殺っちゃいたくなるのよね」
 ウルフィオナ自身も春の嵐の影響で、妙に人恋しい気分にさせられている。ノワールの物言いの内容にも問題があるが、積極的に腕を振りほどこうという気分でもない。
「ふ、古いっ? コレ古いのかっ!? いやでも間違ってないハズ――」
 別にウルフィオナもノワールに悪意を持っているわけではない。腕を組んで嬉しそうな横顔を見ると、反論するのもどうでもよくなってくる。
「――まあ、いいか」
「――そういうこと。さ、行きましょ?」

 そうして、なし崩し的に二人は街中のショッピングの続きを楽しむのだった。

 組んだ腕の下のドキドキは、まだちょっと無自覚のベールに隠されている。
 いやいやあたしはノーマルだから、とウルフィオナは心中で呟くのだが。