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悪魔の鏡

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悪魔の鏡
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その7:スタイリッシュ御用だ!



 町中に散らばった『悪魔の鏡』の影響は如実に現れていた。
 関係者たちにしてみれば、極秘裏に事件を解決して醜態を闇に葬りたいところであったのだが、徐々に騒ぎが表面に現れて大きくなっていた。すでに創造者であるバビッチ・佐野の手を離れ収拾がつかなくなりつつあったのだ。
「さあ、諸君! 闘争を始めるでありますよ!」
 フリーテロリストを自負する葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)は、悪魔の鏡の入手に全力で奔走し、手に入れた物を同志達に手渡していた。無差別な増殖が多くの混乱を引き起こす。
「リア充爆発しろ!」
 吹雪の呪いの声に従い、工房の外で誰かがばたばたと走り回る音がかすかに聞こえる。戦いは始まっていた。
 鏡でコピーを作り出された当人たちは必死なのだろう。だが、彼にとっては関係なかった。鏡が何枚放出されたかも数えていなかった。
「……さて、寝るか」
 バビッチ・佐野は、事件の解決を早々と投げ出し昼間からベッドに潜り込む。いや、元より混乱を収めるつもりなどない。彼は成すべきことは全て成した。もう何もすることはない。
「私は悪くない。人間の欲望が悪夢を引き起こすのだ。悪魔とは、人の心の中にあり……ふふふ……」
 目覚めた頃には、事態は好転しているだろう。後は彼らに任せよう。
 今夜はいい夢が見れそうだ……。
「ZZZZZZZ……」
 彼の安眠は長くは続かなかった。時をおかずに来訪者がやってくる。
「……起きてください」
 バビッチ・佐野の目を覚まさせたのは、御神楽 舞花(みかぐら・まいか)だった。
 彼女は、鏡を手に入れた後個人的に効果を検証し、改めて彼の元を訪れたのだった。何度呼んでも出てこなかった上に扉の鍵が開きっぱなしだったのでこの工房に勝手に入ってきたのだが、この際問題はなかった。
「……隣に住む幼馴染の女の子に起こしてもらうのが、私の幼少の頃からの夢だったのだ」
 傍らに佇み微笑む舞花を見て、バビッチ・佐野は気持ち良さそうに二度寝を始める。
「起こしたかったら、目覚めのキスしてくれ……。むにゃむにゃ……」
「……」
 さすがの舞花もちょっとイラっとした。彼女は優しげ笑みを浮かべたまま一旦バビッチの工房を出ると、隣人宅を訪れバビッチ・佐野に好意を抱く幼馴染にお越しいただくことにした。マッチョでゲイの頼りになりそうなお兄さんだった。
「ん〜〜、可愛い寝顔ね。ポクどきどきしちゃう……」
 マッチョでゲイのお兄さんがバビッチ・佐野に目覚めのキスをする直前。
「……!」
 本能的に危機感を覚えたのか、バビッチ・佐野は飛び起きた。明らかに全身に冷や汗をかいている。
「おはようございます。良いお目覚めで何よりです」
 バビッチ・佐野の貞操を狙うお兄さんにはここでお引取り頂いて、舞花は改めて挨拶した。彼は、舞花を恐ろしげな目で見つめていたが、観念したようにもそもそとベッドから起きだしてきた。
「なんだ……? アワビなら食べ飽きたし、砥石は置いていないぞ?」
「設計図の閲覧と、製作手法の教示をお願いしに来ました。……人類の、明るい未来のために」
 舞花は真顔で言う。この鏡の噂を聞き、本当の意味で有効活用しようと考えていたのは彼女だけだった。例えば……、貧窮する村に援助する際に2倍の物量を提供できるし、貴重な芸術品のバックアップも可能だ。そんな考えで彼女は悪魔の鏡を手に入れたのだった。
「あなたの協力で多くの方々が救われるかもしれません。よろしくお願いします」
「……もういい、興味を失った」
 バビッチ・佐野は短く言った。ここ数日彼の元を訪れる人たちばかり応対してきたが、散々だった。もう悪魔の鏡のことは忘れて、新たな研究に取り掛かりたかった。
「失礼ですが……。貧しかったから、でしょう?」
 舞花は遠慮しつつもはっきりと言った。
「あなたが、この鏡を作り出した理由……。欲しいものが自由に手に入る。そんな未来に憧れたから、でしょう?」
 舞花は、バビッチ・佐野が生まれつき裕福な彼女とは正反対の人生を歩んできたことを悟っていた。彼はただ欲しかった。作り出した多くの裕福に埋もれて遊びたかっただけなのだ。名前と性格が残念なため誤解されやすいが、悪い人物ではないのだ。と好意的に判断することにしていた。
「砂を噛み泥を舐め貧困と屈辱の中で育った環境は私にはとうてい想像も出来ません。ですが、苦境をばねに独学でここまで様々な研究を重ね道具を作り上げた努力と志は感服します。まだまだ、そんな人たちが多いのですよ。あなたの力が必要なのです」
「……」
「皆が幸せになれればいい、と考えているのは私もなのですよ」
 舞花は静かに微笑む。その素直な表情に衒いはなかった。欲望と混乱の狭間から生まれ出でた女神のようだった。
「悪いが、大人になるとひねくれてな。お嬢さんのように純粋な気持ちはありはしない」
 バビッチ・佐野はしばらく考えていたが、にやりと笑うと奥の部屋からダンボール一杯に詰め込まれた紙束を運んできた。悪魔の鏡の仕様が描かれたものだ。
「だがまあ、捨てようと思っていたところだ。設計図は勝手に持っていくといい。作り方は、アワビ職人か女体化男にでも聞いてくれ。彼らには製作を手伝ってもらったから、手順くらいは覚えているだろう。私は面倒くさいのでもう一度寝る。隣のマッチョなお兄さんによろしく言っておいてくれ」
「……騒ぎが大きくなっていますね。あなた軍隊はお好きですか?」
 舞花は、工房の外から聞こえてくる物音に耳を澄ましながら言った。
「教導団の憲兵隊や大勢の協力者があなたを探しています。金鋭峰さんは……もちろん人格者で悪い人ではないのですが……あなたをヒラニプラにお迎えする心積もりのようですよ。……格子のついたワンルームと銃剣を装備した屈強な警備員があなたをお待ちかねです。軍に協力するか、何がしかの処分を甘んじて受けるか……。上手く立ち回り取り入れば軍属研究員になれるかもしれませんが」
「両方断る。私は軍隊が嫌いでね。国軍の犬になるくらいなら、工房を爆破してもろとも消し飛んでくれるわ」
「……では逃げるしかありませんね」
 舞花は、ここだけの話、と悪戯っぽく囁く。
「よろしかったら手引きいたしますよ。あなたは軍に利用され権力にくみするより貧しい村に移り住み人々を助けながら研究を続けた方がいいです。……これは、あくまでそのお礼、なのでしょうか……」
 舞花はあくまでも静かにバビッチ・佐野の行く末を導く。
 金鋭峰が、捕獲命令を出していることは知っていた。逃亡の手引きをすればあまり好ましからぬ待遇が待っている。だが、彼女ならさらりとかわすだろう。あの団長と対決するつもりは毛頭ないが、やり過ごすくらいの機転と度胸とそしてバックボーンは舞花には備わっていた。
「困っている人たちのために、ね……」
 彼女は微笑む。
「……」
 ああ、もっと若い頃にこんな女の子に出会いたかった……。バビッチ・佐野はそんなことを考えていた。