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【五 忍び寄る謎】

 自他共に認めるシャーロキアン霧島 春美(きりしま・はるみ)にとっては、バッキンガム内のこの状況というものは、ある意味、天国に近しいものであったかも知れない。
 勿論、得体の知れない影が艦内に潜んでいるという不確定要素は、春美自身にも相当な危険をもたらす可能性が高いことは、重々承知している。
 にも関わらず、春美がどうにもはやる心を抑えられないのは矢張り、バッキンガム艦内で起きている謎の数々が、探偵としての彼女の意欲を大いに刺激しているからに他ならない。
「ワトソン君。ここはどうやら、地道な調査が求められている局面のようだ! ひとつこのマジカルホームズと共に、謎の解明に当たろうではないか!」
「アイアイサー♪」
 パートナーのディオネア・マスキプラ(でぃおねあ・ますきぷら)も、やる気満々に敬礼を返す。
 ちょっと今回は微妙にキャラが違うようだが、しかし春美はそんなことを気にする性格ではない。
 目線より上を春美が、足元や狭い箇所をディオネアが担当し、どんな小さな変化も見逃さぬという勢いで、ふたり揃って艦内をくまなく調査してゆく――筈であったが、実際には立ち入り禁止区域が結構あるなど、思うように調査がはかどっていないのが実情であった。
「それにしても、この期に及んで立ち入り禁止とか何なんでしょうね。あからさまに怪しいですね。きっと黒い影とやらは、立ち入り禁止のどこかに潜んでいるに違いない☆」
「う〜ん、それはどうかな……」
 ほとんど推理も何も無く決めつけてしまっている春美に、ディオネアは至極常識的な判断で、軽いツッコミを入れた。
 そもそも、バッキンガムは艦内で行方不明者が出ているとはいえ、事故に遭った訳でもなく、また異常事態宣言が出された訳でもない。
 勿論、乗組員が立て続けに神隠しに遭うこと自体は異常事態なのだが、その異常事態を宣言すべき艦長が、既に行方が知れないのである。つまり、宣言を出す者が居ない為、建前上は何ひとつ問題が発生していないことになっているのである。
「あー、居た居た。春美さん達、もうこんなところまで来てたのねん」
 同じく艦内を調査して廻っている五十嵐 理沙(いがらし・りさ)が、セレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)と共に反対側の通路から合流する形で、春美とディオネアの前に姿を現した。
 理沙とセレスティアの場合、ただ単に艦内調査の行動を起こしているだけではなく、時折自慢の歌声を響かせて、わざと大きな音を立ててみたりもしていた。
 自分達の歌声が海中を通して、救助隊のソナー手に伝わってくれれば、脱出の可能性が跳ね上がる筈だ――この発想は、決して悪くはない。
 但し、謎の影を呼び寄せてしまう危険性を孕んでいる、という問題も、在るには在った。
 そんな危惧を、しかし理沙は敢えて無視した。
 コントラクターであり、且つアイドルユニット『ワイヴァーンドールズ』として、乗組員に余裕たっぷりの自分達の姿を見せつけることで、希望を持って貰いたいという思いが遥かに強かった。
 また、彼女達の歌声によって本当に謎の影が出現したのなら、それはそれでひとつの収穫でもある。
 敵の正体が分からないままでは、手の打ちようがない。それならばいっそ、敢えて目立つ音を立て続けることで謎の影をおびき寄せ、その正体を探るというのも、作戦としては間違っていなかった。
 だが、今のところは芳しい成果は出せていない。
 謎の影は理沙とセレスティアの歌声には、現時点では関心が無いように思われる。
「理沙さん、セレスティアんさん、お疲れ様です。何か、めぼしいものは見つかりましたか?」
「残念ながら、今のところは不審な点は見つかっていませんわ」
 春美の問いかけに、セレスティアが心底残念そうな面持ちで、かぶりを振った。
 そうですか、と残念そうに溜息を漏らす春美だったが、しかしこの程度でいちいち気落ちする彼女ではなかった。
「何の、まだまだこれからです。艦内調査はまだ、半分も終わってませんからね。ここから先、真相に迫っていけば良いのです!」
「そうそう。きっと何とかなるっしょ。謎の影とやらも、私達の手にかかったらちょちょいのちょいってね」
 驚く程に楽観的な春美と理沙だが、ふたりとも不安が無い訳ではない。
 だがここで無闇矢鱈と不安がってみたところで、詮無い話である。
 であれば、空元気でも良いから笑顔と威勢の良い姿勢を維持することで、艦内に漂いつつある、暗くて鬱屈した空気を払拭出来れば、との思いがあった。
 一見して何も考えてなさそうに見える彼女達だが、実は深い部分で相当、頭を使っていたのである。

「そんな……ここまで徹底的に拒否されるなんて、どういうことなんでしょう?」
 ソナールームに向かう途中、制御盤からシステムへの接続を試みていた富永 佐那(とみなが・さな)は、全くといって良い程に接続が叶わぬ現状に、ただただ驚愕していた。
 今回の試験航海に、システムエンジニア研修として参加していた佐那は、自身のアカウントをバッキンガムの中央管制システムに登録しておいた筈であったが、そのアカウントへのログインですらことごとく拒否されるという事態に、ある種の危機感を覚えるようになっていた。
「こっちも同じだ。何ひとつアクセス出来ねぇ。これじゃあ、バラストタンクの状態を調べることも出来ねぇじゃねぇか」
 同じく中央管制システムへのアクセスにトライしていた柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)も、全く腑に落ちないといった様子で振り返り、何度もかぶりを振った。
 魚雷発射管やSLCMに対する操作は、中央管制システムを介さない為、問題無く実施出来る。
 しかし航法管理デバイスは中央管制システムと直結している為、例えば恭也がぼやいたように、バラストタンクのステータス確認などは、この中央管制システムを通さないことには、何ひとつ分からないのである。
 ロサンゼルス級をモデルにしたバッキンガムだが、継承しているのはあくまでも全体の設計思想だけであり、内部の詳細な機能構築は全くの別物である。
 その典型ともいうべき存在が、佐那と恭也のアクセスを完璧に拒否している中央管制システムであった。
 中央管制システムに対して強力なアクセス権限を持っているのは行方不明となっている艦長と航海長のふたりだが、この両名は行方不明となっている為、事実上、中央管制システムへのアクセスは不可能となってしまっていた。
「誰かが中央管制システムを乗っ取った、って訳か?」
 恭也は自問するように呟いたが、しかしそれも何となく違うように思われた。
 佐那とふたりでシステムの外郭部を色々調べてみたが、何者かがOSを破壊したり、外部から侵入を試みたような形跡は、一切見られなかったのだ。
 ということは、この中央監視システムが本来の機能として、佐那と恭也のアクセスを拒否しているようにも思えるのだが、では何故、システムがふたりを拒むのか、については全く見当がつかなかった。
「このままでは……埒があきませんね。ひとまず予定通り、ソナールームでピンを打つことにしましょう」
「……だな。葛西少佐も、機関用オイルを海上にばら撒いてみるってことにはそれなりに乗り気だったみたいだから、多分三船中尉辺りにやらせるんじゃねぇかと思う」
 海上にオイルを噴き出させてこちらの位置を大雑把ながら知らせようという案を出したのは、佐那だった。
 とにかくバッキンガムの現在地を知らせる方法は何でも試してみるべきだという思想での立案だったが、佐那は更に、アクティブ・ソナーによる音響効果でこちらの位置を外部に知らしめようという計画も立てていた。
 いうなれば、敬一達と同じく、攻めの姿勢で救助を待ち続けようという者のひとりだった。
「まさか、ソナーシステムまで使えなくなってる……なんてこたぁ、ねぇよなぁ?」
「さぁ、それは……でも確か、シリウスさんがこれまでに何度もピンを打っている、というようなお話をされていたかと思いますので、きっと大丈夫でしょう」
 しかし今は、そのシリウスがソナールームには向かっていない。葛西少佐に捕まってしまい、垂直式弾頭発射管の操作方法を無理矢理叩き込まれている真っ最中であった。
「けど、解せないといえば、解せない部分も多いよな。例の謎の影とやらは、主要施設を占拠するとか、そういう攻撃的な行動に出てくる訳でもなく、ただ艦内をうろついて、乗組員を拉致ってるってだけなんだよな」
「その拉致しているという話も、推測に過ぎませんしね……」
 佐那自身は、謎の影が神隠しの犯人であろうと目星をつけているものの、決定的な証拠が無い為に、そういわざるを得なかった。
 事実だけを判断材料にしなければならない――憶測で下手に動けば、必ずやしっぺ返しを食う、という危機感を、佐那は抱いている。
 それはコントラクターとして行動してきた者だけが持ち得る、野生の勘のようなものでもあった。
「最初の四日のうちに、せめて機晶エンジンの操作方法ぐらいは覚えておくべきだったぜ」
 見習い機関員として試験航海に臨んでいた恭也は、少なからず後悔していた。
 機晶式潜水艦の中枢である機晶エンジンを扱えるかどうかは、局面を左右する程の決定力を持っていた。
 だが試験航海の開始直後は、まさかこのような事態が出来するとは思っても見なかった為、呑気に構えていたのも仕方のない話であった。
「ま、今更ぼやいても仕方ねぇか……さっさとピン打ってこようぜ」
 恭也は気を取り直して、佐那に振り向きかけた。
 佐那は尚も中央管制システムへのアクセスに挑戦しようかという姿勢を見せていたが、恭也が早々に見切りをつけた為、彼女としても、いつまでもこの場に居座る訳にはいかなかった。