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【九 そこに、沈んでいた】

 ブロワーズ提督とギーラス中佐の初回の会談が終わろうとしていた矢先、ノイシュヴァンシュタインとヴェルサイユの双方に対して、ほぼ同時に、緊急の連絡が舞い込んでいた。
 ノイシュヴァンシュタインを発着する空中偵察用の中型飛空艇から、海面のとある一角に、異常な量の油がどこかから流出し、その一帯を覆い尽くしているとの連絡が飛び込んできたのである。
 バッキンガムから流れ出した機関用潤滑油である可能性が高いと判断したブロワーズ提督は、両艦に対して即座に命令を下し、汚染海域へと急行する指示を出した。
 ギーラス中佐も慌ててヴェルサイユへと引き換えし、指定海域に向けて全速力での潜航をクルーに指示。
 ソナーを最大限に活用しながら、一気に件の海域へと走りに走った。
「あの大量の油……大尉は、どう思うかね?」
 事前に事故遭難の可能性は40%程度だと推測していたローザマリアは、ブロワーズ提督に水を向けられ、どう答えて良いものかと少し迷った。
 事故による機関用潤滑油漏出なのか、それともバッキンガムの乗組員が自分達の居場所を知らせる為に、わざと流出させたのか――そのいずれにも可能性が見出せる為、安易に答えられなかったのだ。
 だが、ローザマリアはひとつだけ、確信していることがあった。即ち、件の汚染海域のほぼ直下に、バッキンガムが沈んでいるであろうということである。
 彼女は海図上に定規とコンパスを走らせ、バッキンガムの試験航行予定海域と十日前の最後の交信ポイントから汚染海域までの距離を測り、バッキンガムが着底していそうな海底構造であるとすぐに判断を下した。
「事故にしろ故意にしろ……あの海域の真下にバッキンガムが居るということは、間違いないと思われます」
「貴官も、そう思うか。では、ヴェルサイユに電信」
 ブロワーズ提督の言葉を、ローザマリアは手早くメモを取り出して、その場で書き留めてゆく。
 そこにはヴェルサイユに対して、同海域での海底探索を即座に開始するようにとの内容が記された。
 一方、海上側では流出した機関用潤滑油の他に、バッキンガムから放出されたものが無いかを確認する為の捜索も進められる運びとなった。
 この海上捜索にはザカコ、エース、クマラ、メシエ、エオリアといった面々が投入される。
 いずれも、海上捜索の為の装備を事前に用意してきており、捜索用ボートを繰り出す水兵達と連携して、任務に当たることとなった。
 この時ザカコが、ふと思い立ってエースにある提案を投げかけてみた。
「一応、三点計測はやってみますか。より確度の高い情報を得る為にも、ね」
「じゃあ、その旨をヴェルサイユのルカルカ達にも伝えて貰えるよう、俺から連絡しておくよ。ザカコは先に、三点計測の準備に入っててくれるかな」
 エースの応えを受けて、ザカコはひと足先に、問題の汚染海域へと向かった。
 クマラ、メシエ、エオリアの三人もザカコに続いたが、エースだけは一旦引き返し、指揮所に詰めるブロワーズ提督のもとへ走った。
「三点計測、か……良いよ、掛け合ってみる」
 応対に出たローザマリアがエースの提案を、そのままブロワーズ提督に進言してみた。
 これに対してブロワーズ提督は特に問題無しとして、その場で許可を下した。
「ヴェルサイユにはこちらから連絡を入れておくわ。そっちは先に、計測を開始して頂戴」
 ローザマリアからの言葉を受けて、エースは即座にクマラと連絡を取り、OKの半田が出たことを告げる。
 問題の海域では既に、ザカコが最初の計測に入ろうとしているということだった。
『ところでさ、例の汚染海域なんだけど……大きな酒瓶みたいなのが浮いてたよ。中には、文書が詰められてるみたい』
 クマラからの報告に、指揮所内ではにわかに緊張が走った。
 矢張り、あの油はバッキンガムから放出されたものなのかという思いが、誰の顔にも張りついている。
「中身は読めるかい?」
『えぇっと、ちょっと待って……一枚は、海図だね。んでもう一枚は……バッキンガム艦内の状況を記したメモだね。記載者名は、三船中尉らしいよ』
 クマラからの応答で、ほぼ全てが確定した。
 敬一がバッキンガムの試験航行に参加していることは、名簿の写しを精読していたローザマリアがはっきりと記憶していた。
 矢張り、間違いない――あの汚染海域の直下には、バッキンガムが沈んでいる。


     * * *


 ノイシュヴァンシュタインに先行する形で現場海域の海底付近に到達したヴェルサイユは、具体的な捜索に着手しようとしていた。
「深海探査筒、でありますか」
 その聞きなれない響きに、ルカルカは思わず聞き返した。
「そうだ。魚雷発射管から射出される小型の探査艇だと思えば良い。一定時間、深海を探索する能力が具わっているが、本艦に帰還する為の機能は用意されていない。時間一杯まで探索したら、バラストを排水して浮上し、海上のノイシュヴァンシュタインに拾って貰う、というのが基本作戦となる」
 その深海探査筒はご丁寧なことに、捜索協力員としてヴェルサイユに乗艦しているコントラクターの人数分、用意されているとの話であった。
 ギーラス中佐の用意周到さには苦笑を禁じ得ないルカルカであったが、こうして直々に役割を求められたからには、受諾しなければ女が廃るというものであった。
「勿論、お引き受けさせて頂きます。しかし何かあった時の為に、数名のコントラクターは残していきたいと考えているのですが、宜しいでしょうか」
「構わんさ。そこは貴官の判断に任せよう」
 ギーラス中佐から人選に関する権限を任されたルカルカは、すぐに白竜のもとへと走り、探索作戦についての概要を簡単に説明した。
 白竜は感心すると同時に、幾分呆れる思いでもあった。
「ギーラス中佐も、なかなか食えない人物のようですね。とはいえ、こちらを信頼してくれて、仕事を廻してくれるというのは有り難い話ですけど」
「ま、今回はこちらに華を持たせてくれるって思えば、良いんじゃない?」
 軽い調子で応じたルカルカだが、しかし彼女は、白竜が手にした資料に時折視線を落とし、渋い表情を浮かべていることに不審の念を持った。
 既にバッキンガムの位置がほぼ特定されようという時に及んで、白竜は一体、何を懸念しているというのだろうか。
 ルカルカがその点について突っ込んでみると、白竜は依然として渋い表情のまま、手にした資料の一部を指し示し、小さな溜息を漏らした。
「ほら、ここですよ……事前にウィシャワー中将に申し渡されたあの情報と、ここが見事に符合するんですよ。裏椿少尉に調べさせた結果なのですが、矢張り、という言葉しか浮かんできませんね」
 白竜が指摘するその文面に、ルカルカは一瞬だけ、ぎょっとした表情を浮かべた。
「マーヴェラス・デベロップメント社……嫌〜な名前を、久々に見たわね」
 やれやれと小さくかぶりを振りながら、ルカルカはしかし、今は深海探査筒に乗り込む人選を急ぐのが先だということで、この件に関してはそこで一旦、話題を止めた。
 ルカルカと白竜が捜索協力員としてヴェルサイユに乗り込んでいるコントラクターの名簿に次々と印を打っていき、深海探査筒に乗り込む人員がものの数分で決定した。
 ふたりが選んだのは羅儀、カルキノス、淵、唯斗、美羽、コハク、アキラ、ルシェイメア、アリスといった顔ぶれであった。
 白竜は早速艦内通信を用いて、選ばれた九人を魚雷発射管操作室へと集めさせた。
 呼び集められた最初、何が始まるのかと首を捻りながら集合場所へと馳せ参じてきたのだdが、ルカルカの口から深海探査筒の説明が為されると、どの顔にも苦笑に似た色が浮かぶようになっていた。
「やっぱりこういう時のコントラクター、ってな訳ですか。まぁ、こういう役割が一番御誂え向きだといわれれば、それまでなんでしょうが」
 唯斗の自嘲気味な台詞に、羅儀もやれやれと小さく肩を竦める。
 捜索要員といえば聞こえは良いが、要はただの人足であった。
 その一方で、アキラは何だか面白そうだと妙にわくわくした少年のような顔つきを見せている。それは、単身での海中捜索という冒険に選ばれたとの意識が強い淵も、同様であった。
「でも武装が全然用意されてないってのが、不安といえば不安だよね……敵が居たら、逃げるしかないかな」
「確かに危険が全く無いという訳じゃないけど……でも今は、やれるだけのことをやるしかないよ。僕達はその為に、捜索に参加しているんだからね」
 美羽の不安げな呟きに、コハクが元気づけるような口調で応じた。
 何の為に自分達が呼び集められたのかという辺りを考えれば、コハクのいうように、出来ることをやる、或いは与えられた仕事に全力を尽くす以外、術は無いのである。
「それじゃあ第一弾、お先に活かせて頂きや〜す」
「んじゃ、次は俺な」
 最初にアキラが、次いでカルキノスが、深海探査筒へと乗り込んでゆく。
 この時、カルキノスは擬人化薬をひと飲みし、更に数本を懐に忍ばせて深海探査筒へと乗り込んだ。というのも、この深海探査筒の内部は恐ろしい程に狭い為、カルキノスの本来の慎重では収まり切らないのである。
「やれやれ……ガタイがデカすぎるってのも、何かにつけて問題だわなぁ」
 などとぼやいてみせたが、大きいものは仕方がない。
 ともあれ、第一陣でアキラとカルキノスが海中に射出されてゆくと、第二陣として美羽とコハク、その後に唯斗や羅儀が続くといった按排であった。