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【十二 DSRV】

 ヴェルサイユで起きている異常事態については、バッキンガム側には何ひとつ知らされていない。
 まさかミイラ取りがミイラになりかかっているなどとは、捜索している側にしてみれば、口が裂けてもいえないであろう。
 尤も、仮にそのような情報が伝えられたとしても、今のバッキンガム艦内にはそのようなことを気にしていられる余裕がある者など、皆無であった。
 というのも、ヴェルサイユが間近にまで接近している旨の情報が外部からもたらされた直後、バッキンガム艦内には例の謎の影があからさまに出没するようになっていたのである。
 とてもではないが、他所の艦で起きている事象に気を廻せる剛の者など、ここには居なかっただろう。
「ちょっと、一体どうなってんのよ! 今までコントラクターには見向きもしなかった連中が、今度はこっちばっかりに狙いを定めてきたって訳ぇ!?」
 セレンフィリティが弾丸を撃ち尽くした拳銃のカートリッジを交換しながら、激しい口調で謎の影を罵る。
 隣ではセレアナが艦内通路の物陰を利用し、通路反対側からゆっくりと迫り来ようとしている謎の巨躯に向けて、ほとんどセミオートに近い勢いで弾丸を連射している。
 しかし、セレアナの放った弾丸は全て、謎の敵の体を貫通していくばかりであり、打撃らしい打撃を与えているようには到底見えない。
 逆に謎の影が放つ衝撃波のような攻撃は、艦内通路を反射して、容赦なくセレンフィリティとセレアナに襲いかかってくる。
 敵の能力や特徴を掴み切れないままでの戦闘は、矢張りコントラクターの側に極めて不利な状況を作り出そうとしていた。
「孫子の兵法にもありますけど、敵を知り、己を知ればってやつでしょうね!」
 拳銃の連射音で聴覚がいかれないようにと両耳を塞いでいる為、牡丹はついつい、大声で話しかける格好となってしまっている。
 それは何も、牡丹だけの話ではなく、レナリィやセレンフィリティも、同じようなものであった。
「でも何でいきなり、矛先をこっちに向けてきたんだろうねぇ! 何か向こうさんに、事情の変化でもあったのかなぁ!?」
「んなもん知る訳ゃないでしょうが!」
 レナリィの疑問に、セレンフィリティはあからさまに苛立った調子で応えた。
 それもそうか、と納得したのかしていないのか、自分でもよく分かっていないレナリィだったが、とにかく今は敵が襲ってきている以上、応戦するしか手は無かった。
 そしてこの状況は、バッキンガム艦内のそこかしこで発生している。
 理沙、セレスティア、春美、ディオネアの前にも、セレンフィリティ達が相手にしているのと同様の黒い影が襲いかかってきていた。
「ちょっとこれは、状況が拙いのではないでしょうか?」
 こちらの攻撃が一切通用せず、逆に相手の攻撃は恐ろしい程の破壊力を発揮しているという絶望的な状況を前にして、春美が極々冷静に、応戦に当たっている理沙とセレスティアに後退を決断するよう声をかけた。
 理沙とセレスティアも同様の考えを抱いていたらしく、春美の呼びかけをきっかけに、一旦退く決意を漸く固めた。
「こんなところで無駄死にする訳にはいかないもんね」
「それに、もうすぐDSRVが到着するとのことですし……三十六計逃げるにしかず、というのも、悪くありませんわね」
 セレスティアがいうように、外部からの連絡で、DSRVがもう間もなく到着して、バッキンガムの脱出用ハッチに接艦する手筈となっている。
 ここで無駄に戦い続けて脱出の機を逸するよりも、早々に退散して脱出ハッチを死守する方が、より賢明であったろう。
「脱出ハッチまでのルートに、敵はいるのかしら?」
「それは、大丈夫っぽいよ。さっき鈴のお姉さんが確保したよーって叫んで廻ってたから」
 ディオネアの応えを受けて、理沙とセレスティアは一斉に後退へと転じた。
 ふたりに隙が生じる間は、春美が援護してなるべく敵の出足を遅らせる――とはいうものの、こちらの攻撃はほとんど意味を為していないから、本当にただの気休め程度に過ぎないのであるが。
「それじゃあ、とっととずらかるわよ! こんなところで野垂れ死になんて、アイドルには似合わないわ!」
「理沙……もうちょっと、こう、表現っていうものがあるでしょ?」
 こんな局面に於いてもセレスティアは、理沙のハシタナイ部分に注意を与えるのを忘れない。
 しかし春美の眼からすれば、どっちもどっちだった。

 脱出ハッチ前で簡易な砦を築いていた吹雪とコルセアは、イングラハムが未だに帰ってこないのを然程気にもしていなかったが、リカインとシルフィスティ、そしてシーサイドムーンの三人がイングラハムの蛸っぽい外観を三人で抱えてやってきた時には、何故か腹の底で舌打ちを漏らしていた。
 つくづく、イングラハムという人物(というか蛸)は、扱いが酷過ぎる。
 どうやらリカインとシルフィスティはイングラハムを助けようという気は然程に起きなかったらしいのだが、同じ軟体生物っぽい外観ということで、シーサイドムーンがイングラハムを助けてやろうといい出したのが真相らしい。
 後でイングラハムは、シーサイドムーンにお礼を言わなければならない筈なのだが、それもちゃんと出来ているのかどうか、いささか疑わしい。
「別に放っておいても良かったのでありますが」
「あら、そうなの? まぁ折角連れて来たんだし、最後まで面倒見るわよ」
 吹雪はイングラハムがどうなろうと全くお構いなしだったが、逆に赤の他人であるリカインの方が、イングラハムに好意的だった。
 最早ここまでくると、不憫などという表現では済まないかも知れない。
 コルセアもやれやれと小さく肩を竦めるばかりであったが、その時、頭上で大きな音が響いた。
 次いで、脱出用ハッチが外部から引き上げられるような、軋む音が続いた。
 一同の面に、喜色が浮かぶ。
 やがて脱出ハッチが外側に向かって開かれ、その向こう側にDSRVの接艦用通路が続いているのが、視界に飛び込んできた。
 この接艦用通路でバッキンガムの脱出ハッチを外側から開いたのは、ローザマリアの指示でDSRVに乗艦していたホレーショであった。
「随分とお待たせして、申し訳ない。騎兵隊の参上だ」
「た、助かったであります」
 吹雪が我先にとDSRVへと乗り込んでゆき、次いでコルセアが、そしてリカイン達という順番で脱出ハッチの外側へと身を滑り込ませる。
 その間、DSRVからバッキンガム艦内側へと移動したシルヴィアとエシクが、吹雪が築いた簡易砦を防護壁として、脱出ハッチの防衛に当たっている。
 一方でホレーショが艦内放送を使用し、脱出ハッチに移動するようにと呼びかけた。
 流石に全員を一気に収容することは出来ない為、DSRVは何度かの往復を要求される。
 だがその間に、この脱出ハッチ前の空間が謎の敵に制圧されてしまっては、お話にならない。バッキンガムの乗組員と試験航行に参加していたコントラクター達は、総力を結集して、この脱出ハッチ前の空間を何が何でも守り切らねばならなかった。
 だがこの後、コントラクター達は幾分、首を捻らざるを得なかった。
 つい先程まで苛烈な攻撃を仕掛けてきていた謎の影の集団が、その襲撃の手を、ぴたりと止めてしまったのである。
 これだけ大勢の守備勢力を前にして、手出しが出来なくなったのか――という解釈も出来なくはなかったが、しかし一切の物理攻撃や魔法攻撃を受け付けない無類の強さを誇っていたことを考えると、どうにも釈然としないものが残る。
「何だか……裏があるような気がしてなりませんね」
 久々に動く艇内に移動するということで、早くも船酔い気分が復活しかかっている鈴だったが、それでも今のこの不気味な静けさを冷静に分析するだけの理性は残されている。
 同じく佐那とシリウスも、未だに中央管制システムが謎の防壁を張り巡らせている事実に、幾つもの疑問を投げかけざるを得ない。
「もし敵が、中央管制システムを完全に掌握しているのなら……DSRVの接艦を阻止することだって、出来た筈ですよね……それをしなかったのは、一体、何故?」
「何だか、何もかもが出来過ぎって気がするよな」
 佐那とシリウスの渋い表情を、シルヴィアとエシクは何ともいえない顔つきで眺めている。
 今回、ここに結集している人員を全てDSRVで脱出させることに成功したとしても、まだ謎の影に取り込まれてしまった艦長や航海長といった面々の救出が残っているのである。
 しかもバッキンガムの中央管制システムは依然として何者かに乗っ取られたままだから、下手にサルベージ船を動かす訳にもいかない。
 まだまだ、この事件は幕を引くことは出来ないのだ。