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一会→十会 —鍛錬の儀—

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一会→十会 —鍛錬の儀—

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【豊浦宮】

「讃良ちゃん、朝ですよー。起きてくださいー」
 ある日の朝、いつものように豊美ちゃんが讃良ちゃんを起こしに部屋を訪れた。扉をスッ、と開けた豊美ちゃんの目にまず飛び込んできたのは、無造作に開け放たれた窓だった。
「……!」
 それまでのほわんとした雰囲気から一転、表情を引き締めた豊美ちゃんが讃良ちゃんの所在を確認するも、讃良ちゃんの気配はその部屋にはなかった。
「ウマヤド!」
 豊美ちゃんにしては珍しく、鋭い声が廊下を駆けた。その尋常でない声に急かされるように、馬宿が豊美ちゃんの下へ駆け寄る。豊美ちゃんに示されて讃良ちゃんの部屋を一目した馬宿も、事態に気付いたようだった。
「……ウマヤド、何か聞こえますか?」
「…………。ほんの僅かではありますが、聞き覚えのある音が。これは……」
 じっと耳をすませた馬宿が、感じ取った音の正体を豊美ちゃんへ告げた。
「……そうですか」
 それだけを呟き、口を閉じた豊美ちゃんは怒っている――讃良ちゃんを誘拐していった者へ、そして何より、それを防げなかった自分に対して――。
「後の手筈は私が。……必ず讃良様を助け出しましょう」
 そう口にして一礼し、馬宿はこれから為すべきことを頭の中で組み立てながらその場を後にした。
 窓から吹いてくる風が、豊美ちゃんの髪を大きく揺らしていた――。


 * * * 



【大荒野】

 荒れ果てた地にひっそりと佇む孤児院、『系譜』。
 快晴の午後、それは、突然の出来事だった。
 外遊びをしていた子供達の前に現れたのは、『君臨する者』が一人、【融解する力】のサヴァス・カザンザキスが率いる闇の軍勢だった。
「捕らえなさい」
 その一声に平穏な日常は一変し、子供達の悲鳴がそこかしこで上がる。
 いつもの様に食堂の窓から子供達の遊ぶ様子を眺めていた破名は、異変に気付いて即座に駆けつけるも、適切な応対をするには至らなかった。
 本当に突然だったのだ、足が動かずとも無理も無い。それに、命じられて動く事に慣れている破名だからこそ、こういう時には何も出来なくなってしまうのだろう。
 状況を確認する事で精一杯で、微動だに出来ないままの彼の背中に、ぴしゃりと、まるで頬を張る様な声が飛んだ。
「動きなさい!!」
 それはミリツァ・ミロシェヴィッチ(みりつぁ・みろしぇゔぃっち)のものだった。彼女は系譜で最年長の子供、シェリー・ディエーチィ(しぇりー・でぃえーちぃ)の友人である。
 今日もシェリーのもとを訪れ、二人話に花を咲かせていたようだったと破名は記憶していた。が、そんな穏やかな時間に事件が舞い込んでも、彼女はてきぱきと動ける上に周りにまで目が届くらしい。流石に兄があれとあってか、胆が座っていると破名は妙に感心してしまい、頭が冷えてきた。
 ふと視界を広げてみれば、すでに破名の後ろから別の位置へ移動していたミリツァは、シェリーからリレーするように、最少年の獣人のフェオルを抱き建物の方へ踵と返した所だった。
「ミリツァ、家に入って! マザーと一緒に中の皆をお願い!」
 荒野に子供達の悲鳴はまだ聞こえているが、手引書キリハ・リセンも動いていたお陰か、殆どが避難を完了している。建物とて完全に安全とは言い切れ無いが、いざとなれば破名が纏めて『転移』を出来ると知っているミリツァは、一安心して友人を振り返った。
「シェリーは?」
 まだ建物へ逃げないのかと問うミリツァに、シェリーは笑顔を返した。
「私は大丈夫。クロフォードも急いで! ヴェラが泣いているわッ」



 事件発生から暫く……。
「……連れ去られたのはシェリーだけか」
 改めて確認する声に、破名は青い顔を硬直させながらこくりと頷いた。
 空京にある『プラヴダ』基地内のオフィス(office、執務室)で横並びにされた二脚の片方に縮こまる破名。机を挟んだ向こうでは、アレクがいつも通りの何を考えているのか分からない能面のまま、こちらの話を静かに聞いていた。

 あの時。闇の軍勢の勢いに圧されながらも、何とか子供達を建物に避難させることが出来た。そこで破名が転移で逃げ切ろうと目を銀に輝かせた能力発動の刹那、直接前に出てきたサヴァスの手によりシェリーが捕まってしまった。

「貴方が私達の仲間に加わっていただけるのなら、お嬢様をお返ししますよ」

 誘う声を残して、騒ぎ等まるでなかったかのように、荒野の景色に溶けていったサヴァス。
 ――その気があるなら直接来い。無いなら娘が死ぬだけ。
 そんな直接的な言葉を使わなかったからこそ、その脅しは本気であると伝わる。だから破名は状況を反芻すると、罠だと思いつつも、すぐにシェリーのもとへ飛ぼうとした。
 それを引き止めたのが、ミリツァだった。行ってはいけないと、冷静な言葉で諭されたのだ。
 破名という人物は、一見、何かに強制的に隷属させられているかのように見える。だが、命令に従うのもまた彼の意志なのだ。そう“しなければならない”機械とは訳が違う。この悪魔は今迄全てと言っていいほど、自分が“こうしたい”と思う行動をしてきた。思うままに生きてきた。
 だから誰かに行動を止められるという経験自体少なく、ミリツァの言葉に感情がざわついた。頭の中いっぱいに広がった混乱に、何かを判断する余裕も無く、反射的に口を開こうとした矢先、彼女の毅然とした表情が目に入った。
 思わず出しかけた声を飲み込むと、俄に柔らかな感覚を覚える。
 ミリツァが破名の手を掴んでいた。
 そこで彼は漸く、息を吐き出す事が出来たのだ。

 話の間中、兄の目が男と繋がれた手を見ているのに気がついて、ミリツァは嘆息と共に説明する。
「こうでもしないと、この人はすぐに飛んで行ってしまうのだわ。どうか今だけは何も言わないで頂戴」
「怒らないよミリツァ。よくやった、兄として誇りに思う」
 能面がとても柔らかな笑みに変わったのに、妹は頬を紅潮させて、煌めいた瞳で兄を見つめる。誰かが居れば的確な突っ込みでもしてくれたかもしれないが、残念ながら此処に居るのは白い朴念仁だけだった。
「ミリツァが、アレクなら良い『提案』をしてくれるだろうと……」
「俺の『命令』に従うんだな?」
 破名の言葉をわざわざ言い直したアレクの瞳は、まだ笑みを称えている。ただし、先程とは全く別の種類のそれだ。
 破名がそろりと承諾してみせたのに、アレクは満足げに頷いて、今一度先程の話へ戻った。
「サヴァス・カザンザキスは、お前にシェリーの居場所を言わなかったのか」
 念を押す様な言葉に、破名とミリツァはあっ! と顔を見合わせる。
 居場所を言わなかったというのはつまり、敵が“破名ならば、シェリーの場所が分かる”と知っているからだ。
 転移の能力も、その為のマーカーも、系譜の子供との繋がりも……。敵は破名・クロフォードという存在を、端から端まで知ってしまったようだ。
 これでは、八方塞がりではないか。
 破名は眉を寄せ、ともすれば縋る様な言葉を彼へ投げた。
「俺はどうすればいい?」
 じっと見つめてくる紫の瞳に、アレクは大した間も置かずに口を開いてこう言った。
「Stay(*待て)」
 まるで、犬に出す命令だ。しかし今の破名に反論をする余裕は無い。
 沈黙の中でアレクは徐に立ち上がり、二三歩歩くと、今だ繋がれたままの手を一瞥して、破名の頭に拳を落した。


 * * * 



【カナン】

 東カナン首都アガデにある領主の城は、その日、とてもにぎやかだった。
「ついにこれでおまえも子持ちというわけだな! バァル!」
 東カナン領主バァル・ハダド(ばぁる・はだど)の手をとり、肩をたたいてわははと笑う。ウヌグの西カナン領主ドン・マルドゥーク(どん・まるどぅーく)の声はよくとおり、城の隅々まで届いているのではないかと思わせるほどホールじゅうに反響している。
 壁の方に控えている騎士たちの何人かは影にまぎれて眉をしかめるなどの所作を見せたが、しかし一番間近でそれを受けているバァルとその妻アナト=ユテ・ハダドはほほ笑みを浮かべているだけだ。
「しかも娘と息子、いっぺんにか! 運のいいやつだ!」
「ありがとう、マルドゥーク。あなたにはいろいろと聞かせてほしいことがある」
「うむうむ。そうだろう。かわいい娘を持つ父親の苦労というものをだな、今夜はじっくり話してやるぞ」
 こそっと言うように手囲いをしていたが、やはり周囲に丸分かりである。後ろで娘のメートゥの手を握った妻のザルバが、まるで「しようのない人」と言いたげにクスクス楽しげに笑った。
 マルドゥークの目が、ひと足先に着いて部屋に落ち着いてから戻ってきた南カナン領主シャムス・ニヌア(しゃむす・にぬあ)とその婚約者で東カナン12騎士のセテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)に気づいてそちらへと移る。
「おお、めでたい2人がここにもいたな! じきにおまえたちも仲間入りだ! 子どもはいいぞ! 特に娘はな!」
「そればかりは天の采配によりますから分かりませんが、おれとしては、しばらくは妻と2人の生活を満喫したいですね」
 今来たばかりで話の流れは掴めなかったものの、セテカが即座に対処した。2人は、あと1カ月もすれば南カナンで挙式の予定だった。セテカはすでに南カナンに居を移し、執事ロベルダからいろいろと学んでいる最中だ。
「ただ、シャムスに似た娘は、望むところです」
 セテカと違い、まだまだこういう会話には慣れてないシャムスはカッとほおを染めて「人前で何を言うか」とばかりに後ろ手でセテカの腕をひねり上げる。
 それを知っているのは後ろについていたエンヘドゥ・ニヌア(えんへどぅ・にぬあ)だけだが、エンヘドゥの浮かべた微笑は揺らがない。
 マルドゥークが「そうかそうか」と、またもや豪快な笑い声を響かせたときだった。

「国家神イナンナさまのご到着です!」

 玄関から現れた騎士がかかとを合わせて一礼し、イナンナ・ワルプルギス(いなんな・わるぷるぎす)の来着を告げた。
 横付けされた馬車に向かい、東カナン12騎士と将軍たちが左右に並ぶ前階段をバァルとアナトを先頭に全員が下りて行く。そして神官 ニンフ(しんかん・にんふ)の手を借りて下りてきたイナンナに向かい、深々と礼をとった。
「女神さま。わたしどものために遠方よりご足労いただきまして、まことにありがとうございます」
 その言葉にイナンナが返事をしようと口を開いたときだ。
「あれは……何でしょう?」
 変事に、真っ先に気づいたのはニンフだった。
 城の背景の空がやけにキラキラと虹色に輝いている。それは城だけでなく、見渡す限りの空で、そのキラキラと輝く虹色の何かは急速に下から上へ上っていっていた。
 まるで急激な寒波を受けて凍りつく湖のように。
 透明な何か、蜂の巣のようなものがアガデを覆い尽くそうとしている。
 全員がその不思議な光景に目を奪われ、見渡していると、空から一条のまばゆい光がほとばしり、イナンナを撃った。
「女神さま!!」
 わずかに遅れてきた強風に吹き飛ばされないまでも体勢を崩した彼らの前、イナンナとニンフは空を見上げた姿のまま、光輝く彫像へと変わる。
 まるで今アガデを覆おうとしている何かのような……。
「これは一体……石化刑とは違うようだが」
 困惑する彼らの頭上から、このとき、盛大な笑い声が降ってきた。

「はっはァーッ!! これはいい! 思っていた以上の出来栄えだ!!」

 振り仰いだ先に、筋肉隆々の赤毛の男が浮いていた。その身に宿す力が強大なのはあきらかで、まるで手で触れられるかのような波動が全身から放出されている。
「これはきさまの仕業か!!」
「俺ぁヴァルデマール様が配下、君臨する者が1人、イシドール・ラドゥカン
 北と西と南はすでに押さえた!! 残るこの東を落とし、カナン国を征服する!!」
 その瞬間、イシドールの背後、宙空の頂点で最後の一片が埋まり、アガデは金剛石によるドームに覆い尽くされたのだった。