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リアクション
「ふー、結構忙しいね」
外の気温は暑い。
額にじんわりと汗の玉を浮かべて戻って来た歌菜を、持っていた扇子でぱたぱたと扇ぎながらキアラが店の奥から顔を出した。歌菜の担当していた場所は次はキアラが担当だったのだが、その姿が見えた途端、客の男性達が俄にざわつき出す。
今日はアルバイトということでキアラの化粧は控えめで、そうなると彼女がやや童顔の愛らしい顔立ちに豊満な体形という、一部の男性にはめっぽう受ける部分が露になっていたのだ。
何時ものバイト先とは違った空気に、コーヒーショップでは表彰される程百戦錬磨の店員キアラも怖じ気づいてしまう。そもそも彼女は男性嫌いなのだ。
そんな空気を察したのか、店先の物販コーナーを衛と交代したばかりの羽純はキアラにアドヴァイスする。
「無理な時は俺を呼べ。
水着って言っても、やる事はいつも通りだ……後、男は全員、南瓜とでも思ってろ」
「カボチャ…………カボチャ……」
言われたままに繰り返し繰り返し、キアラは戦場へ赴くよりも重い空気を纏って仕事へ向かっていった。
「いらっしゃいませカボ……」
「こんにちはー☆」
相当な覚悟で出迎えた一組目の客だったが、知った顔――小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)とコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)でキアラは拍子抜けしてしまう。
「なぁんだ、美羽ちゃんとコハク君かぁ……」
「なぁんだって……何? あ、かき氷のイチゴとメロンお願いします」
「はーい、イチゴとメロンっスねー」
「はい、新しい氷。セット終わったわよ」
エレノアが店内から運んで来たかき氷機にセットし終わると、その間にミリツァが会計を終えた。スイッチを入れたマシーンが氷を砕く音を勢いよく立てている間、美羽がそれに負けないように大きな声で問い直した。
「で、どうしたのさっき?」
「あー……実はちょっと緊張してて…………」
「緊張? キアラが?」
美羽は目を丸くしてキアラの手元を見つめる。慣れない仕事であるにも関わらず、キアラの手は迷いなく仕事を続けているというのに、そこに緊張があるのだろうか。
「水着が……嫌…………な訳でもないけど、恥ずかしいんスよね」
氷の山の上にシロップ『の』の字を書いているキアラの姿に、美羽は何か特別な感覚を覚えた。
「分からないでも無いのだわ。
女将さんの「お客様が着てないのに、店員が着たら駄目」という話も良く分からないもの。水着に抵抗がある訳ではないけれど、意味が分からないという事に抵抗はあるわね」
ミリツァまでもが同意する。
(『魔法少女の師匠』として尊敬してるキアラ……。それに何事にも凛とした態度で臨むミリツァ……。
そんな二人が水着で恥ずかしがったり抵抗があるだなんて…………これは……これはもしかして!!?)
妻が頬を赤らめて何かに興奮している様子に気付いているのかいないのか、コハクは二人から商品を受け取って爽やかに微笑んだ。
「すごく似合っていて素敵だよ。
だから、そんなに恥ずかしがらずに、自信を持ってもいいんじゃないかな」
皿の補充中にそんなやり取りを聞いて、姫星はこうアドヴァイスする。
「心配しなくても大丈夫ですよ。
お客さんも水着の人が多いですから、こちらだけ恥ずかしがることもないですよ。
もし不埒な輩がいたら私がコテンパンにしますから安心してください。
むしろそれ以上に、薄着ゆえ怪我に注意ですよ」
仕事慣れた彼女の言葉と笑顔に、キアラ達の心が自然と安らいで行く――。
一方店内では――
「キアラちゃん、心配です……」
心の底からそうに呟く歌菜に、しかしジゼルは笑顔だ。
「大丈夫よ歌菜。羽純や太壱達が居てくれるし、何かあったらツェツァがきてくれるって言っていたわ。
あと迷彩効果で全然分からないんだけど、実はプラヴダの兵士さんも居るのよ。全然分からないけど」
音響兵器セイレーンを保護する――という名目のもと実際は旅団長の妻というか軍のアイドルを警護する――目的で店の客に匹敵する人数が居る事は、彼女も知らない事実だ。
「俺もいますよ。頼りないかもしれませんが」
意外に手際よくヤキソバを鉄板の上で混ぜながら、ツライッツがにこりと笑う。ハインリヒ自身が何か言った訳でもないのに、大事な恋人が(あらゆる意味で)危険な目にあったら死神少佐が覚醒するかもしれない……と、これまた数名が警護についているのは、矢張り彼も知らない。
歌菜の心配は、プラヴダの兵士達も同じく共有していたらしい。暇でもないだろうに常に暇人のような事をしている軍隊である。
「そうですよね、うん!」
気を取り直した歌菜は、ふとキアラに向いていた視線を此方へ向けた。
「そういえば今日はアレクさんとハインツさんは来ないんですか?」
「今日は二人とも普通に仕事よー。……そうよね、ツライッツ」
反射で二人とも、と言ってしまったもののハインリヒの予定をイマイチ把握していないジゼルが、ツライッツの近くに焼きそばの盛りつけの為の皿を並べ彼を見上げた。
「ええ、歌菜さん達とご一緒すると言ったら、ご挨拶出来ない事を残念がってましたよ。それから他にも色々言ってましたね」
「色々……?」
歌菜が問い直すと、ツライッツは菜箸の動きを僅かに止め、小首を傾げる。
「俺は泳がないって言ったんですけど……パーカーを着て、出来るだけ脱がないで欲しいとか、ご飯に釣られちゃだめだとか……子供じゃないんですから」
「子供じゃないから逆に心配なんですよね」
「そうね。きっとそう。ハインツ、そうだもの」
「……?」
二人に揃って言われても本人はいまいち良く判っていないようで、ツライッツは動かす手は止めないままでもう一度首を傾げた。
「そっかぁ、お仕事じゃ仕方ないですよね。でも…………」
(きっときますよね、来ないわけないですよ)
ジゼルとツライッツの姿を上から下まで見つめ、歌菜は一人頷いた。
(もしきたら二人にも一緒に過ごして楽しめるように、留守番頑張らなきゃ!
折角の水着だしね♪
その代わり、私と羽純くんも後で休憩頂きますし♪)
*
「きゃー! 本当に浮いてる!! アディ、見て見て!」
青い湖にプカプカと浮きながら、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)の興奮しきった黄色い声に、アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)は「もう」と嗜めつつも、微笑んで答える。
「ちゃんと見てますわよさゆみ」
「SAYUMIN、幾ら浮くって言ってもそんなに暴れたら危ないですよ!」
殆ど無言のまま撮影役に徹していたロヴェルト・ノヴァクが、思わず声をかけてしまった程のはしゃぎっぷりだ。
「だってこんな事生まれて初めてだし!」
さゆみの笑顔が、陽光にきらきらと輝く――。
さゆみとアデリーヌ。
ロヴェルトのようなアイドルおたくは勿論のこと、近頃は一般的にも知れ渡って来たコスプレアイドルユニット『シニフィアン・メイデン』の二人は、この夏も精力的にアイドル活動に勤しんでいた。
仕事柄水着を着る機会も少なく無い――つい先日もビーチでのサマーライブや写真集撮影で数着着たばかりだ――が、あくまで仕事は仕事だった。
これではプライベートで購入した新品のビキニがお蔵入りになるのでは……、と思っていた矢先、さゆみがこのイベントの話を聞きつけたのである。上手い事オフ日とも重なってくれた。
知った土地であっても見慣れない光景なのだから、立派なヴァカンスになるだろう……と、嬉々として遊びに来たのだ。
「仕事とは無縁で水着が着られるなんて、本当久しぶりよね……。
この水着も、ちゃんとこういうかたちで着てあげられて、ほっとしてるわ」
花柄のビキニの黒いストラップを弾くと、彼女の健康的な若い肌に吸い付いていた水が弾けとんでいく。仕事では見せない無防備な表情に、カメラマンとして連れて来られたロヴェルトも、シャッターをきる手が止まらない。
ただ何時ものアイドルの二人を見ている時の楽しい興奮とは違う、そこには微笑ましいものを見守る気持ちがかなり混ざり合っていた。
「死海って本当に浮くのかな?!」
アデリーヌの手をとったまま恐る恐る水に入り、
「本当に浮いた!」
死海ではお馴染みの新聞を片手に、女子高生のような悲鳴をあげてはしゃぐさゆみは、どこか幼さを感じさせるからだ。
(SAYUMIN、アデリーヌちゃんと一緒に遊びにくるの、本当に楽しみにしていたんですね……)
写真として残せば、いつか見た時に思い出に浸り、今の気分へ立ち返る事が出来るだろう。
そうして明日からの忙しい日々を乗り切ってもらえればと、ロヴェルトは思う。
そうして暫く――。
興奮がおさまり騒ぎ疲れて来たのか、さゆみも静かに水に漂う。
「……六月……だったわね」
「――え?」
「結婚式をあげてから。もう二ヶ月経ったのよねー……」
ぽつりと呟かれたさゆみの言葉に、アデリーヌは顔だけでさゆみへ向き直った。
さっきまであれだけ楽しそうにしていたさゆみの表情が、どこか曇って見えるのは気のせいでは無い。アデリーヌはその理由も分かっている。
(既に千年以上生きている吸血鬼のわたくしと、人間のさゆみ……。
さゆみはどんなに長生き出来ても百年前後が精々ですわね……)
吸血鬼のパートナーになったものは、下位の吸血鬼になる事なのだと言うが、自分がパートナーになったことで、さゆみの命にどの程度の影響に与えられたのかは定かでは無い。
だから不安はどこまでもつきまとい、二人の間に渦を巻いて溝を開けようとする。
だが――
(いつか必ず訪れる別離の日……でも、そんなことは忘れてほしいんですの)
アデリーヌの伸ばした指先は、水に沈みかけたさゆみの手を捕まえる。
ぎゅっと握りしめて、永遠で無くても良いから、一緒に居られるように。
(このままずっと湖に浮かんで……いつまでもこうしていたい)
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