シャンバラ教導団へ

百合園女学院

校長室

薔薇の学舎へ

【ニルヴァーナへの道】奈落の底の底(前編)

リアクション公開中!

【ニルヴァーナへの道】奈落の底の底(前編)

リアクション

 
第8章 輝ける盾の騎士

「ギャ――ッ!!」

 艦隊の規模の更に数倍、丸ごと飲み込めてしまえそうな虚無霊が出現し、またも良雄は混乱した。
 まるで生きた戦艦。そんな外見である。
「あっ、あっ、あっちに! 逃げるっス――!!!」
 テンパった挙句に半ば白目を剥いた良雄が、びし! とどうでもいい方向を指差すが、その意識が御座船の進行に強制介入して、無理矢理その方向に軌道修正された。
 一気に左140度旋回する。中に乗る者は皆転がった。
 そしてそのまま一気に突き進む。
「シャンバラの艦隊に連絡を……!」
「追ってきています!」
「きゃー! 良雄くん、前!」
「ッぎゃあああああああ!!」
 突如前方に、ヌオッと現れた、黒い影。
 巨大な、山のような、影の塊のような虚無霊だった。
 漆黒の塊の中にただ、仮面を取り付けたような顔のみがある。
「回避……!」
「間に合いません!!」
 御座船は飛空艦諸共、虚無霊の中に突っ込んだ。


「何だ、あれも虚無霊なのか!?」
 飛空艦の方でも、突如出現した闇の山に驚愕していた。
 突然の方向転換には、素早く反応して後を追うことができたものの、このままでは突っ込む。
「レーダーには映ってないぞ!?」
 ダリル・ガイザックが叫んだ。

「……??」
 長曽禰少佐は、咄嗟に閉じた目を空けた。暗いが、視界は利く。
「……何これ、どうなったの?」
 ルカルカが周囲を見渡す。
 艦橋の外は、真っ暗な闇が広がるだけだ。不気味なほど静かだった。
「機関室のカルキ……カルキノスから通信。何があったのかと」
 ルカルカのパートナー、ドラゴニュートのカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)は機関室に待機している。
 外に通じる窓のない場所なので、何が起きたのかまでは判断することができないのだろう。
「虚無霊の中に突撃したのよね?」
「……多分、この虚無霊は、実体化してないんじゃないか?」
 ダリルが口を開く。
「奈落人が、パラミタでは誰かに憑依しなくては存在していられないように、この虚無霊も、ここに存在はしていても、実体化はできないんじゃ……」
「なるほど、ナラカからは遠いこの辺の上層世界では、こいつレベルの強大な奴は、存在を保っていられないのか」
 長曽禰少佐も頷く。
 恐らく、ダリルの仮説は正解だろう。
「だが、具現化できなくても存在はしている。
 だから、屍龍達はここまで追ってはこれない」
「奈落人にとっては、同じ世界で存在してるから?」
 ルカルカが言って、ダリルは頷いた。
「このでかい山は、どれ位下まであるんだ?」
 長曽禰少佐の問いに、ダリルは改めてレーダーを見る。
 しかしレーダーには何も映っていない。
 再びルカルカが長曽禰少佐を見た。
「今、御座船の方から連絡が来て、現状の下降速度であと一時間くらい、今の状態が続くそうです」
「よし、戦闘部隊を呼び戻せ。休ませる」
「了解」
 ルカルカは全艦に現状を伝達する。
「そうすると、ナラカの空気が濃くなる下層世界に行くまでは、こいつが現れたら休めるわけか。
 やれやれ、大帝さまさまだな」
 溜め息を吐いた長曽禰少佐達は、その頃、御座船では、虚無霊突入時の精神的ショックで、良雄が泡を吹いて気絶しているなど、露ほども思わないのだった。


◇ ◇ ◇


 五月葉終夏の奏でる、ヴァイオリンの音が流れている。
 色々と予測することはあるが、ブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)はとにかくダイヤモンドの騎士に話を聞いてみることにした。
 護衛の為に良雄の周りを契約者達が囲み、友人達との再会に本人も楽しそうなので、気を利かせて少し離れようとしている彼を呼び止める。
「少し訊いてもいいかな?」
 ダイヤモンドの騎士は足を止めた。
 そんな彼を見て、ブルタのパートナーの悪魔、ステンノーラ・グライアイ(すてんのーら・ぐらいあい)は、この名が比喩でなく、本当にダイヤモンド並に硬いのなら、イコンの武器にして振り回せばいいのに……と内心で考えていたりする。
「いきなりだけど、君が来たのは、師であるケクロプスに会うためかい?」
 カマをかけてみた。
 ひょっとしたら、ダイヤモンドの騎士の正体は、元第七龍騎士団団長、セリヌンティウスなのではと思ったのだ。
 彼はシャンバラの戦いで首を刎ねられ、本体である胴体は、新たな頭を半ば強制的に装着されて幼稚園の先生になっている、という話ではあるが。
 その問いに、ダイヤモンドの騎士は首を傾げた。
『何の話か?』
「うーん、ハズレかな?」
 全身鎧のダイヤモンドの騎士の表情を読むことは難しい。
 ブルタは肩を竦めて、
「じゃあもうひとつ。
 ケクロプスがもし生きて良雄を認めなかった場合、それこそ帝国が2つに分かれちゃうんじゃないかなって思うんだけど。
 それでも、ケクロプスを助けるの?」
『……厳密に言えば、大帝の……我々の目的はケクロプス殿ではなく、“ブライド・オブ・シックル”を手に入れることだ。
私はその為に、大帝を全力で護るのみ』
「でも、良雄が全ての選帝神の支持を得られてるとは思えないんだけどなあ。
 良雄の帝国内の支持ってどれくらいなの?」
『アスコルド大帝は、7人の選帝神全員の支持を受けた稀有な例だが、そもそもエリュシオン皇帝には、選帝神全員の認知が必要なわけではない。
 彼が今、大帝として在ることに、特に大きな問題は生じていない』
「ふぅん……」
 ブルタは、じっとダイヤモンドの騎士を見たが、
「わかった。ありがと」
と礼を言って彼から離れた。

「……ブルタ?」
 2人きりになったところで、ステンノーラが呟く。
「うん、ちょっと予想外だったなあ」
 ケクロプスがひょっとして、ニルヴァーナへの道に詳しいかもしれない、という密かな予測も外れているのだろう。
 エリュシオンは、必ずしもケクロプスの救出を優先させたいと思っているわけではなかったのだ。
 そして。
「そうすると、あの騎士の正体は誰なんだろう……」



「帝国の盾。
 つまりぬりかべってわけか」
 うん、と南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)は一人呟き、ダイヤモンドの騎士の正体を大胆に予測した。
 実は先に、良雄に熱い視線を送ったのだが、何らかの脅威に気付いたのか、その視線を遮断する、ぬりかべ級の妨害に遭いむかついた。
 ターゲット変更はそれが理由、ではない。決して。
 しかしこの男を攻略できれば、つまりは帝国を攻略したことと同義なのでは! と光一郎は奮い立ったのだった。
 色々なところが。
「その固い意志、硬い身持ち、選帝神カンテミールを薔薇的に攻略した俺様の、次の攻略対象は、ぬりかべに決定だッ!」
 無論、カンテミール攻略は虚偽に近い過大申告である。
「で、正体は?」
 パートナーのドラゴニュート、自称薔薇学の青い薔薇、他称白い鯉、オットー・ハーマン(おっとー・はーまん)が訊ねる。
「フッ。それも既に解明済だよワトソン君。
『選帝神』『10年前』キーワードはこの2つ。
 帝国では実は10年前から一人の選帝神が不在だった。確か、ミュケナイ地方だ。
 10年前、ミュケナイの選帝神は家臣の反逆にあって殺されたという。
 しかし! 実は彼は生きていたのだ! ダイヤモンドの騎士として!!
 ……何故ミュケナイの事情を知っているかと?
 フッ、エロいヤルガードの情報網を舐めないで貰おう。
 い、今適当にでっち上げたわけじゃねーぞ! 本当だぞ!」
「おおっ……光一郎よ、帝国相手に、パラミタの奥底を密かに流れるやましい紳士と淑女のコーラルネットワーク、エロいヤルガードの存在を陽のもとに明かしてしまうとは!」
 オットーは、目を瞠って愕然と叫んだ。
「いくらエリュシオンとシャンバラの蟠りを解く為とはいえ、思い切ったもの」
『違う』
「えっ、違う?」
 オットーはきょとんとしたが、口を開いたのは、今迄黙って2人の漫才を前にしていたダイヤモンドの騎士だった。
『私はミュケナイの選帝神ではない』
 確かに、ミュケナイの前選帝神が死んだのは、10年前だった。
 ちなみに現在の選帝神が就いたのはつい最近で、前ミュケナイ選帝神の最後の仕事が、アスコルド大帝の認定、そして現ミュケナイ選帝神の最初の仕事が、良雄の認定である。
 だがそれは、偶然の一致に過ぎなかった。
「な、な、な、何だと――!!!? マジかよ……ッ」
 はっきりと否定され、敗北感に、光一郎はがっくりと跪いた。



 色々と悶着を起こした身としては、エリュシオンの船に乗るのも躊躇われるが、それでも、シャンバラの船に乗るよりはマシ。
 そう判断して、白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)は、エリュシオンの御座船に乗り込んだ。
「ま、本命はナラカだしな。暫くは暇だろうし……」
 アスコルド大帝が昔のままなら、会ってみたいとも思ったが、今はチンピラと成り果てているというし、興味もない。
 興味があるとすれば、と思ったところで、ダイヤモンドの騎士の姿を見付けて、にやりと笑った。

「よう、キラキラ豪勢なナリだな。
 それが“帝国の盾”の由来かい?」
 話しかけると、彼は立ち止まる。
『……好きなように思ってくれればいい』
「フン。実際どれほど強いんだ。戦場で確かめたいもんだが」
『今は、無駄な争いをしている時ではないと思うが』
「ま、船を放り出されたくはねえしな。
 大人しくしてるさ。だが、いずれはな。
 個人的には、そんな鎧を取っ払った時の実力に興味があるぜ」
『…………』
 ダイヤモンドの騎士は答えない。竜造はにたりと笑った。
「正体がどうこう言ってんじゃねえ。ただお互い全力で殺りあいたいだけさ」
『……その機会が、もしもあるのなら』
 踵を返し、ダイヤモンドの騎士は歩いて行く。
 竜造は、その背中に声をかけた。
「ああ、そうそう、てめえの正体には興味はねえが、10年前に突然現れた、ってのには興味があるな。
 その前は何をしてたんだ?」
 ダイヤモンドの騎士は、ぴくりと反応したようだが、それに答えることはなかった。