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【ニルヴァーナへの道】奈落の底の底(前編)

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【ニルヴァーナへの道】奈落の底の底(前編)

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第7章 金曜日はカレー

「やっぱり、長旅には環境面も大事だと思うわけだ」
 イコンを格納できる程なのだから、飛空艦は巨大である。
 それに長期間乗り続けて危険なナラカを行くのだから、メンタル面の充実も重要なのでは、と瀬島 壮太(せじま・そうた)は思い、清掃員として乗り込むことにした。
 プライベートな部分はノータッチだが、廊下や風呂場、食堂などを掃除する。
 中は広く狭く、複雑で、掃除する場所には事欠かなかった。
「じゃ、僕は、洗濯係になるね」
 パートナーの守護天使、ミミ・マリー(みみ・まりー)が言った。

 鼻歌を歌いながら廊下にモップをかけていると、長曽禰少佐が歩いているのが見えた。
 自室から艦橋に向かうところらしい。
 自室にいたということは、仮眠を取っていたのだろうか、それにしては疲労を滲ませた顔色をしているような気がする。
「少佐!」
 壮太は長曽禰少佐を呼び止めた。
 この機会に、訊きたいことがあったのだ。
「何だ?」
 一瞬見えた疲労が嘘のようないつもの顔で、長曽禰少佐は立ち止まる。
「あの、訊きたかったんだが。
 ナラカに到着した後は、どこへ向かうかは決まってんのか? 帝国は策があるみてえだけど」
 みたいというか、エリュシオンは良雄頼みである。
 長曽禰少佐は肩を竦めた。
「……実は秘密兵器がある」
「えっ!?」
「というのは嘘だが。
 まあ、ぶっつけ本番のテスト無しだし、無いよりはマシ、という程度だな。
 説明すると長くなるが、簡単に言うと、ナラカでの混沌予測システム、みたいな」
「……それ、機密か?」
「いや、特にそういうわけじゃない。
 使う時までは話すほどでもなかっただけで」
 じゃあ、仲間達に教えてやらなければ、と壮太は思う。
「もういいか?」
 艦橋に戻らないと、と言う長曽禰少佐に、
「ああ、呼び止めて悪かった」
と礼を言った。


 用意された船室は、一言で言って狭かった。
 部屋の半分以上を二段ベッドが占め、床の部分は一人分が歩くスペースしかない。
 しかし2人部屋、という時点でこの例はまだいい方で、本来スイートルームクラスだったと思われる広い客室には、装飾の全てを取り払ってベッドを入るだけ運び込み、20人部屋、と化しているところもあった。
 そういった環境に慣れていないと思われる国軍兵以外の傭兵達は、いわば破格の扱いではある。
 東條 カガチ(とうじょう・かがち)とパートナーのマホロバ人である東條 葵(とうじょう・あおい)椎名 真(しいな・まこと)、瀬島壮太は4人部屋だった。
 今はそこに、ミミ・マリーが訪れている。
 真には、奈落人のパートナー、椎葉 諒(しいば・りょう)が憑依していた。

 航海士のように、常に周囲の状況の変動に注意しつつ情報を統括する真と、国軍の料理人達に混じり、助っ人として食堂に入ったカガチ、清掃夫として艦内を掃除しまくっている壮太が、互いに1日の報告をし合った。
「こっちは、特に何も無いねえ。
 ゆっくり味わってる時間も無いし、皆黙々と食べてるよ」
 カガチが溜め息を吐いた。
 危険な旅なら、せめて食事は楽しく食べて欲しいものだが。
「せめてメニューで退屈させないようにしようと思ってね。
 俺が立てた1ヶ月分のメニュー、採用されたから、楽しみにしてて。
 目下、葵ちゃんのつまみ食いだけが警戒の対象かなあ」
「カガチ、いくら僕でも味見くらいは加減する……」
 葵がむっつりと口を挟む。
「あ、あと、何か猫着ぐるみも慰労で食堂の手伝いに来てて、葵ちゃんと縄張り争いで火花散らして配膳してることかなぁ」
「余計なことは言わなくていい」
 葵はますますむっつりと眉を寄せる。

「……これ毎日献立違うのに金曜日だけカレーなんだが」
 メニューを覗き込んだ壮太に言われ、カガチは笑った。
「金曜日はカレーに決まってるんさね」
「……?」
「昼も夜もないようなところでは、日付感覚が狂うだろう」
 葵に言われて成程と思った。
 カレーが出る日は金曜日だと思えばいいのだ。軍隊豆知識である。

「こちらも、特に報告するほどのことはありませんかな」
 真の中に入っている諒が言った。
「今の所、敵は特に強敵でもないようで。
 しかし、深く降りるに従って、ヤバいのが出てくるでしょうな」
 次に壮太が長曽禰少佐から聞いた話を伝えて、情報交換は終わった。

「……それにしても、この雰囲気」
 ふふっ、とカガチは笑う。
「こう、何だかひそひそ話がしたい感じだねえ」
「ヒソヒソ話?」
「そうだねえ、コイバナとか?」
「――いいだろう、とっておきの話を聞かせてやろう」
 葵が受けて立つ。
 壮太とミミは聞き専だったが、
「修学旅行かよ」
と諒はそしらぬ風で、ベッドの上でプリンを食べている。
 プリンおいしそう……とミミは羨ましげだ。
「一人で別世界にいんなっこっち来いよっ」
 と壮太が枕を投げ付けたのがきっかけで、枕投げ合戦が始まった。
 とはいえ、この狭さだ。枕投げというよりは、枕を使った殴り合いである。

 ――そしてこの日、5人は一睡も出来ずに交替時間を迎えたのだった。



「おーっほっほっほ!
 みんなのアイドル、キャンティちゃんですわよ〜!
 って、そこの君! 食べ終わったお皿はこっちですぅ!」
 と、猫型ゆる族のキャンティ・シャノワール(きゃんてぃ・しゃのわーる)が食堂で片付けを仕切りつつ、若い男性を心の中で物色し、
 食堂の隅にはちゃっかりと、経営する温泉神殿のパンフレットなどを置かせてもらっているその頃、
 パートナーの聖・レッドヘリング(ひじり・れっどへりんぐ)は長曽禰少佐の執務室でお茶を出していた。
「悪いな」
 と一口飲んで、長曽禰少佐はまたパソコン画面の報告書に目を通す。
 執務室で座っていられる時間は少ない。
 敵は、常に襲撃を仕掛けてくるのだ。

「……以前、教導団の別の研究者の方にもこうしてお茶をご用意させていただいたことがございます。
 少々懐かしいですね」
 話しかけるのは気が引けたが、疲れている長曽禰少佐を少しでも気分転換させてやれたら、と声をかける。
「別の研究者?」
「ええ、カリーナ様ですが」
「……ああ」
 その名を聞いて、長曽禰少佐の表情が、苦々しく変わった。
 カリーナ・イェルネ。
 別名、というか正体は、鏖殺博士、と呼ばれる人物だった。
 教導団は、長い間、鏖殺寺院のスパイを懐深い場所に入れていたのだ。
 その上まんまと逃げられて、大失態もいいところだった。
 専門は全く違うとはいえ、同じ技術畑に居た人間としても、更に長曽禰少佐には、忌々しく感じる。
 カリーナに対しても、自分に対しても。
「……申し訳ございません」
 不快にさせたと知って、聖は謝った。
「いや、お前のせいじゃない、悪かった」
 ご馳走様、と長曽禰少佐は立ち上がる。
「艦橋にお戻りですか」
「ああ。気になって仕方ないんでな」
 執務室を出て行く長曽禰少佐を見送って、聖は小さな溜め息を吐いた。
「……ティータイムの導入、申請できませんでしたね……」


 いつものように、テンション高く騒ぐのは、さすがに空気が読めていないと察して、屋良 黎明華(やら・れめか)は静かにテオフィロスを探した。
 フラフラ艦内を歩いていて、気になる噂を聞いたのである。
 艦橋で、都築少佐の横で戦況を見守るテオフィロスを見付け、背後からつんつんと腕を突つく。
 振り返るテオフィロスを見て黎明華はびっくりし、それを見てテオフィロスもきょとんとした。

「男の人だったのだ!」
 とりあえず廊下に促し、2人で廊下に出てから、黎明華は驚きの声を上げた。
「……見ての通りだが」
「上司カサンドロスさんに会うために、ナラカ行きを決意するテオフィロスさん……何てロマンチック! 何て純愛!
 この愛を成就させてあげなきゃ……! 応援しなきゃ!! て思ったのに〜なのだ。
 あれっ、それともカサンドロスさんが男装の麗人なのだ?」
 純愛……。
 テオフィロスは絶句する。
 ちなみにカサンドロスは、厳つい表情の屈強な、見かけ中年男性だ。
 純愛の言葉に当てはめるには程遠い。
「んーどっちでもいいのだ!
 とにかく、こんなところでぐずぐずしてたら駄目なのだ!
 カサンドロスさんに会いに行かないと!
 思い立ったらすぐ行動!
 居場所なんて、お互いの気持ちが通じ合えば、きっと見つかるのだ!」
 結局ハイテンションを突き抜けている黎明華に、テオフィロスは話し掛けるタイミングを失って呆然と立ち竦む。
「さあ! 捜索の旅に出るのだ! 黎明華も付き合うのだ。
 大丈夫、少佐には、ちょっと行って来る、って言えば」
と腕を引かれて、
「いや」
と、押し留めた。
「……そもそも、探しに行くのであれば、まずナラカに降りる必要があるのではないか?」
「………………あり?」
 根本的なところをいくつも間違えていたことに気付き、黎明華の動きが止まる。
「気持ちは有り難いが、私は、都築達の邪魔をするつもりはないし、契約した以上は、有事の際には望むように動くつもりでいる」
「そうなのだ……」
 勝手に艦を離れることはできない。
 そう言うと、思惑が外れた黎明華は、勢いを失い、しょぼーん、と項垂れる。
 テオフィロスは苦笑した。
「だが、礼を言う。
 私のことを気に掛ける者がいるとは思わなかった」
 敵地ではないが、自陣でもない。そう思っていたのに。