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春が来て、花が咲いたら。

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春が来て、花が咲いたら。
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リアクション



26


 茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)は桜を見て、今日までのことを思い出していた。
 ――春、かぁ。
 ――リンスと知り合ってから、もう半年以上経つのね。
 知り合ったのは、月見の日。9月のことだ。そして今は4月。長い付き合いとはいえないが、短いわけでもないし、また思い出も作ってきた。その思い出が蘇る。
 雇ってもらった日のこと。
 朱里のお見舞いついでに見舞ったこと。
 ハロウィンの日に課題を言い渡されたことや。
 その課題を褒めてもらって、泣――安堵したこと。
 盗撮騒ぎの日の出来事や、うっかり想いを口走ってしまった2月14日。
 そしてその翌日、初めて名前で呼んでもらった日。
 嬉しくて、フィルに話しに行ったのがひと月ほど前か。
 ――いろいろあったなぁ。
 見て、聞いて、行動して。
 自分の中で、様々なものが変わっっていった。そんな日々。
 ――これが充実してるってことなのかもね?
 くすくす、笑みが零れる。
「何笑ってるの」
「わっ」
 その瞬間、リンスに声をかけられた。
 また、気持ちが顔に出ていた瞬間を見られてしまったらしい。
「な、何でもないわよ!」
「あっそ」
 照れ隠しに声を荒げてしまっても、むっとすることもなくいつも通りで、自然に隣に座る人。
 そんなリンスを見て、改めて思った。
 ――私が変わるきっかけは、
 ――私にとって一番の事件は、
 全部、リンスに出会ったことから始まった。
「……ありがとう」
 自分でも驚くほど、素直に言葉が口から出てきた。
「何が? 酔ってる?」
「素面よ、失礼ね。
 ……言わせてよね、お礼くらい」
 きっと、何のことか本人はわかっていないだろうけど。
 従業員として工房においてくれて、ありがとう。
 スランプ脱出のきっかけを作ってくれて、ありがとう。
 目標でいてくれて、ありがとう。
 色々な気持ちのこもったありがとう。
 どう受け取ったのかしら。
 どう思ってくれたのかしら。
 そんなのはわからないけど。
「……本当、ありがとう」
 今自分がどんな顔をしているのかは、わかる。
 きっと、心からの笑顔だ。
「……?」
 まあ、反応は案の定のきょとん顔だけど。
「だから、何でもないのよ」
 リンスに限って突っ込んで聞いてくることはないと思いつつ、
「クロエ!」
 誤魔化すためにクロエを呼んだ。
「なあに? えりすおねぇちゃん」
「お月見の時のダンスの続きしよっか?」
「する!」
「なぁなぁ、自分も混ざってえぇ?」
「いいわよ、リョシカ。
 そうそう、新しいうちの子の紹介もしなくちゃね。こっちがクローリーで、こっちがエディンバラ。よろしくね」
 紹介を済ませたら、衿栖は四体の人形を操る。月見の時は二体が限界だったけど、今では四体も軽い。
 人形に合わせてクロエとリョシカも踊り、桜の花びらが舞う。
 ちらり、リンスを見る。
 楽しそうに、見守っていてくれた。


「…………」
 写真を撮る紺侍の姿を、翡翠はじっと見つめる。
 誰かと話したりすることもなく、ただ写真を撮る姿。
 ――案外、真面目な顔をしていれば見れた顔ですねぇ。
 ノリや口調が軽く、いつもへらへらとしているから忘れてしまうが、わりと顔立ちは整っている男だ。
 感想を浮かべながら静かに見守っていると、
「花見、しないんスか?」
 撮影を終えた紺侍に話しかけられた。
「お前こそ。写真はもういいのか」
「えェ、まァ。充分撮れたし」
 楽しそうに紺侍が笑った。撮影者がこの様子なら、撮った写真も良いものだろう。
 翡翠は、ここに来る前に紺侍を呼び付け、写真撮影を依頼していた。
 内容は冒険屋ギルドの面々で行う花見の撮影。
 ついでに紺侍自身も花見を楽しんでくれれば、と思ったのだが、案外依頼に忠実で真面目だった。
「そろそろ花より団子でもいっかなーと思うんスけど、どうでしょ?」
 前言撤回。そこそこ不真面目でもある。依頼主に確認を取りに来るあたりは、やっぱり真面目だとも思うけれど。
「あっちに自分が作った弁当がある」
「マジすか。ちょ行ってきます」
「待て」
 向かおうとした紺侍に呼びかけて、止める。
「何スか。え、おあずけ?」
「それも面白いがな。
 ほら、これやる」
 投げて渡したのは小さな箱。
「何スか、これ」
「誕生日プレゼント」
 中身はピアスである。紺侍の誕生日である4月1日の誕生石、パイライトを使用した星型のピアスだ。
 面喰っている紺侍を放っておいて、さっさと仲間たちの許へ戻ろうかと思ったが、別れ際紺侍の髪に桜の花びらがついていることに気付いた。近付いて、手を伸ばす。
「翡翠さん?」
「花びら。ついてたぞ。……それにしても背が高くなったな」
「成長期っスから。まだ伸びますよ。じゃ、伸びるための栄養摂ってきますね」
 花梨の座るシートへと、紺侍が歩いていった。途中一度振り返り、
「プレゼント! 大事にします!」
 嬉しそうに、笑った。
 ――背が伸びても、中身は子供ですねぇ。
 その顔を見て、翡翠も小さく微笑んだ。


「ハンニバッ、ハンニバッッ!」
 くしゃみを連発し、ずびびっと鼻をすする。自分で持っていたティッシュは、すでに使い切ってしまった。クドは地面に突き刺さっているから面倒を見させることもできないし。
「まったく、使えない野郎なのだ。ずびっ」
 鼻をすすり、ザミエルが取った出前や翡翠が作ってきてくれたお弁当を食べる。が、鼻づまりのせいで味が感じられない。
 うぅ、と顔をしかめると、
「あららー、ヘン顔しちゃって。嫌いなモンでもありました?」
 紺侍に笑われた。
「コンきち!」
 久し振りに会った相手に、思わず低空突撃。それでも揺らがない安定の体幹になかなかやるなと思いつつ。
「コンきちも来たのか?」
「ハイ。さっきまで撮影してましたけど、これからは花より団子っスよー」
 さァ食うぞーと紺侍がシートに座る。
「紙皿と割り箸をくれてやるのだ」
「どもー。ってェか豪華。翡翠さんやるゥ」
「美味なのか?」
「とっても。え? ハンニバルさん、食べてないんスか?」
「鼻がつまっ――ハンニバッ、ハンニバッ!!」
 再びの連発くしゃみ。
「変わったくしゃみの声っスね。てェか風邪スか?」
「風邪でも花粉症でもないのだ。断じてないのだ」
 ――ていうか、悪化してるってクド公にバレたら強制帰宅なのだ。
 それはこの、楽しい宴席からの退場ということで。
 なんとしても避けたいところなのである。
「あーァ。鼻水出てるじゃないスか。ほらちーんして」
「…………」
「? 何スか。ロリコンとかそーゆーのじゃねェから安心してください」
「クド公も同じことしてたのだ。友達って似るものなのだな。ちーん」
 ハンニバルの評価に、
「いやいやいや。オレじゃクドさんの足元にも及びませんからね? 主に変態の部分で」
 即座に否定する紺侍。
「まあクド公の変態加減に対抗できるのは切さんとか鬼羅さんくらいだからな。うむ、鼻がすっとしたのだ! これで美味しくご飯が食べられるのだ!」
 と、いうわけで。
「コンきち! 大食い勝負なのだー!」
「よっしゃ任せとけ! 成長期男子の胃袋を甘く見ちゃいけねェっスよ!」


「食べすぎた……」
 ハンニバル相手にムキになって、かなりの量を食べてしまった。
 食べることは好きだし美味しかったのだけど、現在少々胃が重い。
 食休めということで、桜の木の下に腰掛けて。
 夜桜や、夜桜を見る人を眺める。
 ――平和だなァ。
 なんて思いながら。
 桜の木の影に、重なるように影が落ちる。
 誰か来た? と振り返ると、
『やぁ、一ヶ月半ぶり』
 ホワイトボードを持った藤谷 天樹(ふじたに・あまぎ)が立っていた。
「えェ。お久しぶりっスね」
 バレンタインの日、以来か。
 あの日、結局この彼が誰だったのかと考えたけれど、どうしても思い出せないでいた。見覚えが、ないわけではない。だけどそれは、彼を見たというより、彼の中に誰かを見ているというか。
 ――よくわかんねェけど。
 今のこの人は、知らない。
 紺侍の心中を察してか、ホワイトボードに新しい一文を書き加えた。
『まだボクのことは思い出せてないか』
 決まり悪そうに頭を下げると、大丈夫、とでも言うように掌を向けられた。申し訳ない気分になる。
 本当に、誰なのだろう。前も思ったが、記憶力にはそれなりに自信があるのだ。
「天樹くん、ちょっとこっちきてー」
 誰かが呼ぶ声が聞こえた。ホワイトボードに何か書こうとしていた天樹が、振り返る。
 ――あまぎ?
 聞き覚えのある響きだった。記憶の海へダイブ。目的のものを探しだす。
 少し前のこと。パラミタに来た当初のこと。
 家がなく、途方に暮れていた紺侍を招き入れてくれた人がいた。
 その後、蒼空学園に入学し、寮生活を始めるまで同棲していた相手。
 家主の名前は、藤谷天樹。
「……あまぎ、って、ふじたにあまぎ、さん?」
 探るような問い掛け。天樹はふっと口元に薄い笑みを浮かべる。
『思い出した?』
 まっさらなホワイトボードに、ただその一文。
 いきなりの展開に、なんと答えればいいのかわからなくなった。何も言えないでいると、天樹がホワイトボードにペンを走らせる。
『またね』
 くるり、身を翻して離れていく。
 記憶の中の天樹と、今この目で見ている天樹の違い。
 ――どォしちまったってンだ。
 ただ、混乱する。