校長室
雪花滾々。
リアクション公開中!
15 高務 野々(たかつかさ・のの)は、久しく人形工房に顔を出していない。 思い出されるのは、花見の席や見舞いの時に起こしてしまった自らの失態。経過しすぎてしまった時間が、いっそうそれを引き立てる。 「…………」 というわけで。 人形工房のドアの前まで来たものの、ノックできずに立ち止まっていた。 ドアの横に並んでいる雪だるまの数々を見て、時間を潰す。 ――これはクロエさんが作ったのでしょうか。よく出来ていますね。 ――……褒めたい。褒めて撫でて可愛がりたい。 しかし、目の前には壁がある。ドアという名の越えられない壁だ。どうしよう。 開けるべきか否かで悩んでいたら、 「雪だるまいっぱい作ったんだ」 「うん! たくさんよ!」 「すごいすごい。あとで俺も見に行こう」 「ほめられた!」 「…………」 中から楽しそうな声が聞こえてきた。 ――私だってクロエさんのこと、褒めたかったのに。 なんて考えた瞬間、 「話は全て聞かせてもらいました! レイスさんは爆発する!」 勢いよく、ドアを開けていた。 「あ。久しぶり」 「お久しぶりです。息災のようでなによりです。ところで何のリアクションもないと微妙に間が取りづらいので何か一言」 「どかーん」 「爆発ですか。爆発のつもりですか。少し見ない間にボケ殺しを習得していたのですね。手強い……。 ……と、そんな話より先に年始の挨拶ですよ。明けましておめでとうございます」 「おめでとう。もう二月だけどね」 ちょっぴり懐かしい軽口合戦を叩いていると、クロエがおかしそうに笑った。 「なかよしね!」 「私としてはクロエさんとの友情を育みたいのですけれど」 「わたしとなかよし? うれしい!」 「私もです」 むぎゅー、と抱き締める。クロエの身体は、微妙にひんやりしていた。これは大変だ。何か温かいものを用意しなくては。 「というわけで、お汁粉と豚汁、どちらがお好みですか?」 「また唐突で脈絡のない」 「まあ聞くまでもなくお汁粉一択なのでしょうねわかってますよ」 「しかも人の話聞かない。別に豚汁でもいいのに。高務、甘いもの得意じゃないでしょ」 そんな細かなこと、覚えていたのか。変なところで相手に対して律儀というか、真摯というか。引きこもりで人との関わりを避けてるように見えるのに。 「日本では、古来より雪の日といえばお汁粉か豚汁、と相場が決まっているのです」 「初耳」 「異論は認めませんが、何か?」 「何も」 「ちなみに、甘さ控えめなお汁粉は甘いものが嫌いな私にも密かに大人気なのです。ですので、心配ご無用です」 「うん。で、話が見えない」 「察しが悪いですねぇ。 こう寒い日の前日にですね、雪が降りそうだなぁと思ったら、好みに合わせて両方作り、魔法瓶に入れて常備して」 いそいそと、野々はポシェットから二本の魔法瓶を取り出した。 「こうやって、いつでも取り出せるようにしておく。これが至れり尽くせるメイドの嗜みなのです」 そして、胸を張って言ってのける。 お見事、と賞賛の拍手が送られた。リンスのはともかく、クロエが驚いた顔で手をちぱちぱやっているのが非常に可愛いので抱き締めておく。 「それで。レイスさんはどちらがお好きですか?」 「あ、ここで話が戻る?」 「ちなみに、片方はクロエさんに差し上げるので選択肢を間違うと大変なことになりますよ!」 「大変って。片方の味が突飛なことになってそうな言い草」 「それはありません。たぶん」 「たぶんってついた」 「まあ、お勧めは半分こですね。どちらも味わえます」 「最初からそう言えばいいのに」 「人間考える葦と言いますので。シンキングタイムを設けてみました」 「さすが至れり尽くせるメイドさんは違うね。お心遣い感謝します」 「それはどうも」 とにっこり笑い、野々はまた別の魔法瓶を取り出した。 「それは?」 「これは紅茶ですけれど、何か? ……はっ、まさか私からこれも奪うおつもりですか! この鬼! 悪魔!」 「何も言ってないでしょ。……と、いうわけでクロエ。高務の差し入れ、いただこうか?」 「うん!」 元気よくクロエが頷いたので、席に着いて。 みんなでそろって、「いただきます」。 久しぶりだったけれど。 「こんな感じでしたね」 「? 何」 「クロエさんが可愛いという話ですよ。何でもありません」 *...***...* 西宮 幽綺子(にしみや・ゆきこ)が人形工房に遊びに来たら、ちょうどクロエが雪だるまを作っているところだった。 「こんにちは、クロエちゃん」 「ゆきこおねぇちゃん。こんにちは!」 クロエの隣にしゃがみ込み、完成間近の雪だるまを見る。それから、くるりと周囲も見回し。 「たくさん作ったのねぇ」 あたりにいくつも並んでいる雪だるまを見て、呟く。 「うん! ゆき、すごかったから。いっぱいつくれたの」 「そっかぁ。クロエちゃん、雪、好き?」 「すきよ。たのしいもの。みんな、さむいっていうけど」 「雪が降るときはね、寒いもの。この子たちも、ちょっと寒そうかな?」 言って、幽綺子は鞄の中から毛糸の手袋を取り出した。 「これ。着けてあげましょうね」 「ゆきこおねぇちゃん、やさしい!」 「全員分はないけどね」 まさかクロエがこんなに作っているとは思わなかったから。 「クロエちゃんも冷えちゃってるんじゃない? これ、あげるわね」 昨日、雪を見ながら編んだマフラーをクロエの首にかけてやる。白いマフラーが、よく似合っていた。 「ありがとう!」 「あとね、これもあげる」 「?」 ラッピングされた箱に、クロエが首を傾げる。 「これ、なぁに?」 「バレンタインのチョコ。ちょっと遅くなっちゃったけど。受け取ってくれる?」 「うん! ありがとう!」 「おうちに帰ったら、リンスくんと二人で召し上がれ。彼、甘いもの大丈夫?」 「リンス、チョコレートすきよ。きっとよろこぶわ」 「よかった」 リンスが喜ぶのなら、クロエも喜ぶだろうし。 クロエが喜ぶのなら、幽綺子も嬉しい。 「それね。リンスくんとクロエちゃんが仲良く手を繋いでいる姿を想像して作ってみたの」 いつまでも、二人の間に笑顔がありますように。 いつまでも、仲良く暮らせますように。 そんな、願いを込めて。 「だから、きっと甘いわよ」 「そうね。すっごくあまいんだわ」 クロエと顔を見合わせて。 おかしそうに、くすくす笑った。 *...***...* 人形工房に立ち寄るのは、去年の盆にクロエを送り返しに来た時以来か。 リンスの正面に座り、彼の指先が人形を作り出すのを七誌乃 刹貴(ななしの・さつき)はぼんやりと見ていた。 ――『お前、人形制作に興味あったん?』 不意に、七枷 陣(ななかせ・じん)の声がした。刹貴が憑依していても意識の残っている彼は、たまにこうして話しかけてくる。 ――そうでもないけどさ。 ――『のわりにじっと見てるやん』 ――たまにはこうやって無為に時を過ごすのも悪くはないかなってね。 単なる暇潰しかい、と陣が言った。その通り。でも、それができるようになった。それもいいなと思えるように。 ただ、黙って作業を見る。 あらかた一段落したところで、 「そういうさ」 刹貴は話しかけてみた。 「人形作りの何が楽しいんだ?」 「何って」 唐突な問いに、リンスは言葉を失くしていた。面食らっているらしい。 「飽きたりしないの」 「それはないね。なんだろ、物心ついてからずっと作ったりしてるから。日常生活の一部っていうか」 「流れ作業」 「そういう漫然としたものじゃない」 「これは失礼」 なんだろうね。茫っとした声で、リンスが言った。 「好きでやってる。それが楽しい。のかな」 「好き、か」 「うん」 そう思えるものがあるなら、いいな、とほんの少しだけ思った。 再び、場に沈黙が流れ出し。 不意に、刹貴は思いついた。 「あの餓鬼」 「がき?」 「クロエ、の成り立ちって?」 「クロエは、元々俺が別件で作った人形に迷い込んだ魂だよ。 その子が、還ったと思ったら別の人形に入り込んで、そのままここに居ついてる」 「ふうん……」 人形に魂を宿らせる。 その経緯と、リンスの持つ特性。 応用できれば、刹貴たち奈落人にも同様のことが出来るかもしれない。 出来そうでは、あるけれど。 ――リンスの製作する人形に憑依できるか? なんとなく、無理な気がする。なんとなくだ。勘だ。やってみて損はないかもしれないけれど。 ――無理っぽい。 「何。黙っちゃって」 「ちょっとした考え事を。 ……あのさ、俺の外見を模した人形って作れる?」 「出来るよ。等身大?」 「できれば」 陣の身体を借りることに、不満があるわけではない。 あくまで、刹貴は、だ。 「場合によっちゃ、メイドやちみっこ一号がうるさいからね」 「?」 「予備があるに越したことはないんだ」 「何の話」 「こっちの話」 ふうん、とさほど興味なさそうにリンスは流した。そうしてもらえると楽でいい。 単独で動ける身体があれば。 ――宿主サマ自身のリスクなしに、突っ込んでくこともできるし。 ――『いやいやいや。仮に単独行動できたとしても、勝手なマネはさせんよ? マジで』 思った瞬間、陣が制止の声を上げた。 ――何だ。宿主サマ、聞いてたの。 ――『当たり前やん。阿呆か』 ――まあまあ。単なる与太話だから流しておいてよ。 ――『いやー流せねぇだろー。お前やりかねんし』 ははは、と笑い飛ばしておく。 ――でも、単独で動けたらさ。あの餓鬼をいぢり倒すにも都合が良いだろうね。 まぁ、そっちはあくまでついでだけど。 ――『えっと……変則的なツンデレ乙?』 ――ツンデレ? どこが? ――『大概やなぁ。……まぁええわ。ちょっと外出よか』 ――外? なぜ、と窓から外を見た。クロエが走り回っている。いや、あれは雪玉を転がしている。 雪だるまを作っている、らしい。 ――『手伝いに行こうや』 ――…………。 殺人鬼が手袋はめて、ゆーきやこんこ? 降りしきる雪の中で、子供と一緒に雪だるま作り? ――B級展開はご勘弁願いたいんだけど? ――『B級上等やろう? 悪い気するわけでもないしさ』 ――そもそも面倒くさい。 ――『そう言わず。「いぢり倒せば」ええやん』 ――『殺人鬼なお前を否定するわけやないけど。ほのぼーとしたお前が新しく生まれて、クロエちゃんやみんなと遊ぶのもまた一興やろ?』 殺人鬼じゃない自分なんて、想像もできない。 まぁ。 悪い気がしない、というところには、同意してもいいか。 もっとも、言葉にする気は毛頭ないけれど。 ――『ほらほら、はよ外!』 ――……はぁ。はいはい、わかったよ。 ひとつ大きなため息を吐いて、外に出た。 「餓鬼。手伝ってあげるよ」 「わたし、がきじゃないわ。クロエよ」 「呼び方なんて何でもいいんだよ」 「そんなこというと、さつきおにぃちゃんのこと『さっちゃん』ってよぶわよ!」 「…………」 実に減らない口である。閉口する刹貴の中で、陣が愉快そうに笑っていた。