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四季の彩り・冬~X’mas遊戯~

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四季の彩り・冬~X’mas遊戯~
四季の彩り・冬~X’mas遊戯~ 四季の彩り・冬~X’mas遊戯~

リアクション

 25−8−2

「えーと、モーナさんは……」
 それとほぼ同じ頃、優斗は残りのプレゼントを持ってモーナの姿を探していた。工房を見回してみるが、誰が居なくとも居る筈なのに見当たらない。ついでに、テレサとミアの姿もない――
「「あっ!」」
「……優斗」
 と思った矢先、テレサとミア、灯姫の声が聞こえた。彼女達と、そして片手に紙袋を持ったモーナが2階から降りてくる。
「やっぱりまだ来てなかったんだね。テレサ達が家じゅう君を探してたよ」
「そ、そうですか……すみません。あ、これ、クリスマスプレゼントです。テレサ達にも」
「ありがとうございます、ところで優斗さん、昨日はどこへナンパに行ってたんですか?」
「ありがとうお兄ちゃん、それで、昨日は誰をナンパしてたの!?」
「ありがとう優斗。しかし、なぜ軟派などという行為に走ったのだ? きちんと説明をしてもらいたい」
 視界に入った手帳をがしっと掴みながらも、目は一切優斗から離さずに彼女達は迫ってくる。
「あ、あの……ですから……」
 どうして全てナンパが前提になっているのか。優斗はそう内心でツッコむが、何も言わないで逃亡した結果がこうなるのは薄々分かっていたわけで。
 3人の――特に灯姫以外の表情から、一手間違えればゲームオーバーになることは確実だ。背に冷たいものが流れるのを感じる。
「優斗、このパーティーが終わったら……今夜は私が事情聴取を行う。覚悟しておくように」
「い、いえ……そんなことをしなくても……」
 灯姫は本気で心配しているらしい。そこで、優斗はやっとまともに釈明する機会を得た。
「イブは、お世話になった孤児院に行っていたんです」
「孤児院?」
「孤児院ですか?」
 ミアとテレサの目から毒気が抜かれる。安全ゾーンに入ったことに緊張をほっと緩め、優斗は言った。
「はい。子供達へプレゼントを配りに行っていたんです。立派に仕事を果たしました」
 イブを2人きりで過ごしたかったであろうテレサ達からの逃亡、という側の動機はおくびにも出さず、余裕を取り戻してにこにこと笑む。
「そうですか、子供達にプレゼントを……でもそれなら、私も一緒に行ってお手伝いできたと思いますよ。どうして言ってくれなかったんですか?」
「えっ、それは……き、昨日は先日、シスター・ユラに絞られた時に罰として申し付けられたもので……色々と約束していたので仕方なかったというか……」
 テレサは優斗と同じく孤児院で育っている。彼の昨日の行動はいわば里帰りのようなもので、テレサが疑問に思うのも当然だ。テレサ達が再び疑いの色を濃くしていくのを見て、優斗はたどたどしく言い訳をする。
「……どうして焦っているんだ?」
「本当かな? 後で由良さんに確認してみようよテレサお姉ちゃん!」
「ええ、そうしましょうミアちゃん」
 3人は口々にそう言って、何やら結束を固めている。
「そ、そんな過ぎたことよりですね……」
 優斗は焦りを残しながらもプレゼント袋からラッピングされた指輪の箱を2つ取り出す。
「テレサと灯姫は今日、誕生日でしたよね。これはクリスマスとは別に、誕生日プレゼントです。2人とも、おめでとうございます」
 逃亡ばかりしている彼だが、流石に家族の誕生日をお祝いしないというのはありえない。今日は彼女達にきちんとプレゼントを贈りたくて、優斗はファーシーにパートナー達の招待をお願いしたのだ。
「誕生日……覚えててくれたのか」
「ありがとうございます、優斗さん」
 指輪を渡された2人は、先の話は一旦置いて素直に喜んだ。テレサはラッピングを解いて、当然のようにそれを左手薬指に嵌める。それを見て、灯姫も同じく左手薬指に嵌める。灯姫の方には他意は無く、テレサに倣っただけであったりする。
「あの、テレサに灯姫、その指輪は薬指に嵌めるものではなくて……」
 優斗は恐る恐るというように2人に突っ込みを入れる。だが、その言葉の意味が灯姫に伝わる前にテレサが一歩前に出た。貰ったばかりの手帳を開き、ここぞとばかりに優斗に言う。
「優斗さん、ではここに書き込めるように、早速結婚式の日取りを決めましょう!」
 指に嵌めたアクセサリーがきらりと光る。優斗は怯んだ。
「僕も今すぐ書き込みたいな。テレサお姉ちゃん達の誕生日はアクセサリーでお祝い……じゃあお兄ちゃん、僕の誕生日にはデートしようよ。絶対だよ!」
 ミアもそう言って手帳の9月のページに書き込みを入れていく。問答無用だ。これで当日にすっぽかそうものなら何をされるか分からない。否、大体分かるからこそ恐ろしい。
「あ、あの……」
「そうだな、やはり貰ったものは活用しなければ。優斗、マホロバに帰省する日取りはいつがいい? 話し合った上で決めたいのだが」
 続いて、灯姫も手帳を開きペンを構える。テレサも全く引く気配がない。
「優斗さん、結婚式は……」
「いえ、ほら、来年の事を言うと鬼が笑うと言いますから……この場で色々と話し合うのはちょっと……」
「じゃあ、来年式を挙げてくれるんですね!?」
「えっ!?」
 視界一杯にテレサの瞳が迫り、優斗は驚愕と共に数歩後退った。確かに、文脈だけを見るとそういうことになる。テレサはどこまでも真剣で、明らかに嬉しそうだ。
「分かりました。では後でじっくりと日取りを話し合いましょう! 灯姫さん、里帰りには私も付き合います。日は一緒に決めましょう」
「うむ。それでは後で……」
「いえ、さっきの言葉は後で話し合おうという意味ではなくて……式を挙げるというのも勘違……」
「その後は2人っきりで過ごしましょう。昨日の分まで」
「ちょっと待ってよ! 優斗お兄ちゃんは昨日の分まで僕と2人きりで過ごすんだよ! 第一、結婚式なんて認めないよ!」
「私と2人きりで過ごすんです!」
「僕とだよ!」
 テレサとミアは2人で火花を散らせる。どちらも譲る気ゼロパーセントだ。優斗が決断を求められるのも時間の問題だろう。
(うう、どうすれば……)
 昨日の時点で想像していた通りの展開が目の前で起こっている。優斗は何とか穏便に事態を済ませようと、助けを求めて周囲を見回した。1番頼りになりそうなのはアクアだが――
(そうだ! もう既にアクアさんとの予定が入っていることにしてしまえば良いんじゃないか?)
 閃いたとばかりに、優斗はアクアに助けを求めてアイコンタクトを送った。アクアは空いたグラスを持ち、鳳明にお酌して貰っていた。彼の視線に訝しげな目をした彼女は、意図を全く汲み取らぬままにいつもの表情になって言い放つ。
「ご結婚おめでとうございます」
「ええっ!?」
 まさかの祝辞に、優斗は悲鳴に近い声を上げた。半泣きの心境で、優斗は次にテレパシーで話しかける。
(アクアさん、助けてくださ〜い)
 頭に直接届いた声に、アクアは一瞬、びくっとした。多少の動揺と共に、信じられないというように優斗を見る。
(僕です。テレパシーを使ってるんです。アクアさん、今夜は僕と予定があるからとテレサ達に言ってくれませんか。お願いします〜)
「…………」
 事態を理解し、眉を顰めて請われた事について考える。そして意味を咀嚼して把握した時、紅潮した顔でアクアは彼を凝視した。顔が熱いのはワインの所為なのか別の心的要因の所為なのか、判らなくて混乱する。もっとも、判らないのは本人だけで、一目瞭然な変化だったのだが。
(……アクアさん?)
 平静を失った彼女の様子を不思議に思い、優斗は声に出さずに呼びかける。返ってきたのは猜疑心に満ちた、多少の怒気を孕んだ問いだった。だが、攻撃的な声色の中には僅かな戸惑いも混じっている。
「それは……私を誘っているんですか? 私と今夜、2人きりで過ごしたいと?」
「「「「えっ?」」」」
 4つの声が重なった。内容はもとより、優斗はテレパシーではなくそれが直接耳に届いたことに。テレサとミアはその内容に。最後に、話が聞こえたルイは反射的に。顔を上げたルイが驚いた顔をアクアに向ける中、テレサ達が彼女に詰め寄って行く。
「アクアさん、それはどういう事ですか!? 詳しく説明してください!」
「アクアちゃん、今のはどういう事!? お兄ちゃん、何も言ってなかったよね!」
「それは……今、テレパシーで……」
「「テレパシー!?」」
 今度は明確に戸惑いを露わにし、アクアは2人にありのままを話して聞かせる。それは傍から見ると、告白を受けた女子が友達に相談するような、そんな光景だったのだが勿論本人達に自覚はない。
 全てを聞いたテレサ達は、当然の如く激昂した。
「優斗さん、隠れてそんなことしてたんですか!?」
「そんなにナンパしなきゃいられないんだ!? テレサお姉ちゃん、お兄ちゃんの性格を矯正するよ!」
「ま、待ってください、ナンパとかじゃなくて、僕は……、あれ……?」
 言い訳が出来ない。
「あーーーーーーーー……」
 それに気付いた優斗は顔を真っ青にして、テレサ達に連行されていく。
「…………。やはり、絞る必要があるのだろうか……」
 灯姫も考え考え、3人の後を追ってパーティー会場から辞していった。4人がいなくなった後、アクアはグラスを持ったまま目を伏せて立ち尽くしていた。やがてふらふらと皆の間を抜けて壁際にどかされていたソファにぽすんと座る。そこでは鳳明がこくこくと船を漕いでいて、彼女の隣で茫としながら、室内で展開されている伝言ゲームを無心で眺める。一度も罰ゲームに発展しないまま佳境に入ったようで、わいわいと賑やかなままに朝斗が1人目として引っ張り出されている。
 半ば時が止まったようにゲームの進行を目に映すアクアの前で、変わらず時が過ぎていく。そんな彼女の意識を引き戻したのは膝上に感じた柔らかな重さだった。
「…………」
 視線を落とすと、鳳明が揃えた太ももの上に頭を預け、気持ち良さそうに眠っていた。口元をむにょもにょと動かして幸せそうだ。
「仕方ないですね……」
 今日まで忙しかったと言っていたし、疲れも残っていたのだろう。一度髪を撫でて、パーティーの様子に目を戻す。優斗達が出て行った方向を見ていることも、本人は意識していない。
(……何だか、よく分かりません……)
 常なら迷わず突っぱねてしまうのに、先程はそれが出来なかった。
 咄嗟に、頭が混乱してしまって。
 何故、ああも思わせぶりな発言を繰り返すのか。バレンタインの時は、あまつさえ自分の彼氏だと周りに宣言し、クリスマスの今日は、他の誰にも聞こえない方法で夜を過ごさないかと誘ってきた。からかっているのだろうし、本気にしてはいけないと自分を戒めてきた。テレサ達の言うように女を誘う癖があるだけなのだろう。そう、思うのだけれど。
 でも――
 アクアに妄言を吐いてくる時の優斗の表情は、いつも裏があるようには見えなくて。ただ、その時に思ったことを言っているだけのように見えて。時には優しさ――親切心すら感じられて。
 度重なる告白めいた行動に、時たま、あれは彼なりの気持ちの伝え方なのかと思ってしまう。
 ――きっと、錯覚に違いないのに。
 人は決して信じてはならない存在なのだと思っていて。それが、信じてもいい他人もいるのだと少しだけ思えるようになって。
 そう思えるようになった切欠に彼も入っていた気がするのだけど。
「…………」
 ふと、対角線上先のソファに座っているルイと目が合った。中央でゲームに興じる皆の間から垣間見えた彼は、その瞬間にこにことした笑みを彼女に向ける。何故かばつが悪くなり、アクアはふいと目を逸らした。うざい位のスマイルを見せられないと、逆にどうすればいいか分からなくなる。
 ――かつて、私が明確な害を与えた存在。にも関わらず、離れていかずに気が付くと私の近くに居る。よりによって、命すら奪っていたかもしれない2人が。
 その内の1人はまだ目の前に居て、近付こうと思えばそれは容易く実現可能で。
「……あ、」
 内にある何かが高まり、無意識に腰を浮かして膝の重みを思い出して座り直す。思わず出た声には多分、「そうだった」という内的な呟き以外に他者への呼びかけとしての意味も混じっていて、動けないという事実はもどかしさと安心感という相反した感情をアクアに与える。別の関心に流される前に答えに近付きたいという訴求心を、これ以上踏み込まなくていいという安心感が上回って力が抜けた。
 そうだ。そもそも。
 何を訊ねたいのか、それすらも把握出来ていないというのに。
「アクアちゃん」
 前触れなくピノが話しかけてきたのは、その時だった。いつの間に傍まで来ていたのか、混じりけのない瞳が、真っ直ぐにアクアを見つめている。いつもはアクアが見下ろす格好になるのに、今はこちらが座っている為に目線の位置はほぼ同じだ。
「アクアちゃん、優斗さんはアクアちゃんを誘おうとしたんじゃないと思うよ」
「……? どういうことですか?」
 胸の内側で、何かが跳ねた気がした。いつ頃から話を聞いていたのか、迷いを見透かされたかのような一言に反射的に問い返す。
「優斗さんはテレサちゃん達と2人きりになりたくないから、理由を作ろうとしただけなんだよ! それも多分、男子女子でっていう意味じゃなくて、友達としてっていうのを想像してたんだと思うな」
「あ……」
 目から鱗が落ちる思いだった。確かに、そう考えれば、納得いかない気もしない。どうして、一角度からしか見られなかったのだろうか――というよりも、いつからか“そういう”風にしか考えられなくなっていた。
「でも、女の子がクリスマスに男の子に誘われたら友達として、とは思わないよね。特に、アクアちゃんみたいな大人の人だったらさ」
「…………」
 しかし、生まれた疑問はピノの台詞で解を得たような気になった。心が安寧を取り戻して行く。私は特殊なのではなく、彼の言葉の意味に気付いたピノは――そうだ、ピノはまだ誰もを友達と捉える年齢だから判ったのだろう。むしろ、誘われたことで戸惑うアクアや怒り出すテレサ達を不思議に思ったのかもしれない。
「そ……そうですね。その通りです」
 友人としてということ、子供ではないからということ。両方に対してアクアは肯定の意を示した。その上で。
「ですがピノ、そんなことは私も分かっていましたよ」
 そう言わずにはいられなかった。難しい表情で意地を張る彼女をピノは「……?」と首を傾げて見つめ、言葉を続ける。
「そうだよね。優斗さんはきっと、アクアちゃん達が勘違いするなんて思ってなかったんだよ。でも、それって、アクアちゃんを意識してないから言えることじゃないかな」
 真顔で、瞬き1つせず、ただ率直に、思ったことを伝えてくる。だからだろうか。ピノの言うことには、何か妙な説得感があった。
「アクアちゃんにその気が無いって思ってるからかもしれないけど」
「……。私の、影響ですか?」
 アクアの瞳が微妙に揺らぐ。それを感じ取ったのか、ピノはそこで初めて、大きく瞬きをした。
「だからね、アクアちゃんは自分が好きだと思う人について考えればいいと思うんだ。他のことまで考えたってしょうがないよ」
「…………」
 言いたいことを全て言い切ったのか、ピノはアクアから目を逸らさないままに口を閉ざした。2人の間に沈黙が落ちる。彼女達の背後では皆の雑談の声が止むこともなく、小さな静寂は誰の気に止まることもなく流れて行く。
 やがて、少し冷めた声音でアクアは言った。
「私に『好きな人』なんて出来るのでしょうか……」
 人を好きになるということがどういうことなのか、それすら未だに、よく判らないのに。自嘲混じりのその言葉に、ピノはだが迷わずに頷いた。真顔だった表情が、笑顔になる。
「出来るよ! そうだね、例えば、そこで聞き耳立ててるおにいちゃんとか」
「は!? 何気色悪いこと言ってんだピノ、こいつが俺を好きになるわけねーだろが」
「……ほら見なさい。私が好かれるなどあることではな……。…………」
「…………」
 明らかにしまったという顔をするラスを、アクアは今更気付いたというように愕然とした顔で見返した。白い頬が、怒りと恥ずかしさで見る間に赤くなっていく。
「……。いつから……いえ、何処から聞いていたんです?」
「何処からって……、いや……」
 多分ほぼ全部ですとは言い難く、ラスは言葉に詰まった。この答えだけは逃さず聞こうと、アクアは恨みがましさ満点で睨んでくる。テレサ達が居た頃は何となく、ピノがアクアに近付いてからは純粋に会話の内容が――ピノが何を言っているのかが気になって。
 そして結局口から出たのは、答えを回避する為の適当な悪態だった。
「聞かれたくないならこんな公の場で色恋の話なんかしてんじゃねーよ。嫌でも耳に入ってくるだろうが」
「な……! それなら耳栓でも持ってくればいいでしょう! それとも、今この場で両耳斬り落としてあげましょうか?」
「出来るもんならやってみろ。その場から動く非情さがお前に残ってるならの話だがな。って……」
 勝ち誇ったように言われて、一瞬息を詰めて上目で睨む。膝の上の重みは相変わらずで、少しでも動かした瞬間に彼女が目を覚ますような気がして仕方なくて。立ち上がるのが憚られて。その時点で彼女の敗北だった。売り言葉に買い言葉で、思いついた事を何の考えもなく言うものではない――
「……? 貴方……」
 驚いたような表情で周囲に視線を巡らしていたラスがこちらに目を戻した。胸の辺りからどくん、と音が聞こえる。不意に生まれてきた妙としか言えない感情に戸惑った矢先のその音に一気に頭が混乱する。
「……!」
 直後、慌てた顔をしたラスに頭を押さえつけられた。鳳明の耳たぶに唇が触れたところで訳が解らずに対抗心で元の姿勢に戻ろうと首を上げる。
「ばっ……、顔上げんな!」
 だが、すぐに先程より強い力で押さえつけられて強制的に下を向かせられる。怒りとは呼べない別の感情で顔が熱くなる。気のせいか、ラスも赤くなっているように見えて。
 心の何処かがどくどくと脈打っている。それは意味も無く破裂しそうで、身体の中をめまぐるしく何かが巡っていて。その中で頭に乗った手の冷たさがやけに心地よくて嬉しくて。自覚した感情を否定するかのように思い切り頭を上げる。
「や、やめてください!」
「…………っ!」
 目を合わせたラスの顔がのぼせたように一気に火照る。その反応の意味を悟ってアクアが目を見開くと、怯んだのか彼は1、2歩下がって視線を逃がした。サンタ服の袖で顔の大半を隠すと苦々しさの混じった声でひとりごちた。
「だから、顔を見たくなかったんだ……」
 その目の先――工房内では、明らかな異変が起こっていた。恋人同士は大体恋人同士で、それ以外でも近しい関係同士――多分、つい今まで会話をしていた同士で愛を紡ぎ合い伝え合っている。突然少女漫画的な初々しさを見せていたりいきなり襲ってしばかれていたり……更衣室代わりの部屋に消えていったり――彼等彼女等はそれぞれ既に自分達の世界に入ってしまっていた。ファーシーや子供達が置いていかれたようにそれを眺めていて、「み、皆、目を瞑りましょう。は、早く」「えーと、電気のスイッチはどこだ? と、とにかくこれが見えないように……」と、遅ればせながら事態に気付いたエオリアやエースがイケナイものを目にしてしまった子供達をフォローしようと動き出している。
「私達だけじゃない……? ど、どういうことなんですか、いきなり……」
「ホレグスリだ」
「……! ほ、ホレグスリって、あ、あの、筋肉の……!?」
「そう、あの筋肉の。ていうか、お前もう喋るなよ。声だけでもう、なんつーか……」
 アクアの方を極力見ないようにしながら、ラスは何度か首を振った。極力別のことを考えようと工房内を見回してみる。ホレグスリが通常1人にしか効果を発揮しないのは幸いだった。アクアの存在を気にしないように努めればギリギリ理性を保つことが出来る。
「酔いつぶれた奴と寝てる奴、素面の奴とガキ以外は大体やられてるな。てことは、酒、か……ったく、誰だよ混ぜ込んだアホは……」
 ホレグスリは、確か半日は効果が切れなかった筈だ。まったくもって、厄介なものを持ち込まれたものだ。この場から逃げ出して半日どこかに閉じこもっていればいいのかもしれないが、普段は欠片も感じない女子力がアクアから溢れていて、彼女を1人置き去りにすることに強烈な抵抗があってどうしても踏み切れない。まるで、彼女と見えない糸で繋がってしまったかのように。
 ホレグスリが効き始めた時の事を思い出す。アクアがこの世の誰よりも綺麗に見えて、こんなに綺麗だったのかと初めて感じて、愛しさと共に彼女の全てを自分のものにしたいと強く思って。
 ――後ろから、ほっとしたような息が聞こえてくる。
「じゃあ、これは本当の感情じゃないんですね……」
「……そんな安心した声出すなよ。何か、傷つくし……今限定で」
「す、すみません……って、どうして私が謝らないといけないんですか。大体、いつも一方的に、貴方の方が……」
 これまでにどんな目を向けられてきてどんな言葉を投げられてきたのか、それを思い出してアクアの目頭が熱くなる。
「そんな、自分勝手な事が……それに今限定って、私だって、傷……。っ!」
 普段は嫌われていても何ともない。暗にそう言われたのが思った以上にショックで、頭の中がぐちゃぐちゃになっていって、コントロールが出来ない。彼女にとって、それは初めての感情で。
「あ、そうだよな……悪い、そんな顔させるつもりじゃ……」
 うろたえて顔を隠した袖を外して、ラスはアクアを見下ろした。ばっちりと目が合い、彼はしまったという顔をする。自分を明らかに女性として認識していて、隙あらば言葉の攻撃をしてくるのに、いつもとは魔逆に傷つけることを恐れている。その表情が――否、彼の全てが今のアクアには光の粒子を放っているかのように特別に見えて、胸の高まりは大きくなっていくばかりで、もう、どうしようもない。
 認めるしかない。私はこの男を愛しく思っている。
 これが、人を好きになる、という感情なのだ。この感覚が――
 ホレグスリの効果だと解っていても。効果が切れる気が全然しなくて、いつまでも……たとえ彼が自分を嫌っていても憎んでいても、好きでいたいと思ってしまう。
 工房の電気がふっ、と消える。それでも、ツリーの電飾は明るく光り続けていて、ラスの顔を淡く照らす。どくんどくん、と体内から音が聞こえる。駄目だ。このまま座っていたら……私はどうにかなってしまうかもしれない。機晶石が働き過ぎて壊れてしまうかもしれない。この音を落ち着かせないと――
「好きな人は出来るよ。だって……」
 アクアの気持ちを読み取ったのか感じ取ったのか、きょとんとしてこれまで黙っていたピノが、口を開いた。ちらりと後ろを振り返る。彼女が誰を見たのか、それは暗くて判らなかったけれど――どちらにしろ、彼女の視線を追うまでが限界だった。
「その人から嫌われてたって、好きになることは自由だよね?」
 強いエフェクトが掛かったように、ピノの言葉がぼやけて響く。何故だろうか。自分に向けられているというよりは偶々自分にも届いただけというか。
 彼女は誰に向けて、言っているのでしょう…………。
 本能に抗うのを止めて、意思を保つのを放棄して、アクアは流れるような動作で眠る友人をソファに寝かせて立ち上がった。背伸びをしてラスの顔を引き寄せてキスをする。
「……! アクア……」
「対症療法です。こうすれば治まるのですよね?」
 彼の手を自分の胸元に引き寄せて、心音を感じさせる。私には心臓は無い。けれど、似たようなものならあるから。体内で聞こえるこの音は、きっと彼にも伝わる筈だ。
「……いいんだな?」
 服の上からでもその胸の柔らかさを感じ取って、ラスは理性とかいう下らないものを捨て去った。もっとも、キスをされた時点で自我は殆ど振り切れていたのだが。
 心音だとかそんなものは全くもって伝わっていない。そして、伝わっていないことがアクアに伝わっていなかったが、多分、それはもう些細なことだった。元に戻った時のことも――
 熱い瞳で、アクアは頷いた。遂にはツリーの光も消え、月灯だけのほぼ何も見えない暗闇で、階段を昇る複数の足音を聞きながら、「アクアさん!」と自分を呼ぶ声を幻聴のように感じながら、囁くように言う。
「あの……ピノのこと、すみませんでした……、私……」
「…………いいんだ、もう、昔の事だ……」
 言うと同時、ラスはアクアをゆっくりと床に押し倒した。彼女の背が、彼女の羽が傷つかないように、ゆっくりと。