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消えゆく花のように

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消えゆく花のように
消えゆく花のように 消えゆく花のように

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●Prologue
 
 目覚めても朝を実感できない朝というものがある。
 薄暗く気温は思ったより低く、まだ夜半かと疑ってしまうような朝だ。
 それが今朝だった。
 実際、夜明け直後ではあったものの、厚いカーテンのように垂れ込めた雲の下には肌寒い強風が吹いていた。重苦しい空気に雨の匂いが混じっている。
 窓の外を眺めてフィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)は溜息をついた。
 しかしすぐに、そんな己を恥じるように口元を覆う。
 笑顔でいなければ、もうじき、夫が帰ってくるのだから。
「お帰りなさい」
 やがてフィリシアはドアを開け、ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)を迎えた。
 立ち上がるともう、腹部のふくらみが見えるようになってきたフィリシアだ。もともとスレンダーな体型なので、ぽっこりと出ている部分は目に付く。
 フィリシアは妊娠と同時に事務職に回り、本日は非番だった。いずれ産前産後休暇、そのまま育児休暇に入る予定である。あと数カ月せぬうち、この家にもう一人家族が増えることになるのだ。
 今日は帰還したジェイコブとともに近い未来の日々について想いを馳せ、残り少なくなった二人きりの時間を過ごす予定だった。
 ところがジェイコブは、やや言いにくそうに告げたのである。
「戻ってきたばかりですまないんだが……」
 すぐにまた出て行かなければならないのだという。
「急な出張だ。大した用事じゃないが、人手が足りないんでな、俺が呼び出された」
 フィリシアには、すぐに嘘とわかった。
 男は嘘をつくのが下手だ。
 これはジェイコブとの生活で学んだことだった。顔に出る。口ぶりにも、出る。
 だけどフィリシアは、そんな彼を責めるつもりはなかった。
 止めようが責めようがジェイコブは行くだろう。
 たとえそれが命を賭けた決戦であろうと、何気ない風を装って出立するだろう。
 ――悪い予感が当たった。
 ふとそんな考えが頭をかすめたが、それを言葉にしてどうなるものでもない。
 だったら彼の芝居に乗るまでだ。
 仕方ないわね、と言うようにフィリシアは微笑んだ。
「行ってらっしゃい。でも朝食くらい、食べるでしょ?」
 その言葉に救われたような顔をして、ああ、とジェイコブはうなずいた。
「本当に下手なんだから……」
「なにか言ったか?」
「いいえ。すぐ終わればいいのにね」
「……すぐ終わらせる」
 その言葉が、妻である自分に向けられたものを装いつつも、その実ジェイコブ自身に言い聞かせているものであることもフィリシアは見抜いていた。
 四半時もせぬうちにジェイコブはフィリシアに見送られ、教導団本部へと道を急いでいた。
 すでにジェイコブの頬は引き締まり、目には鋼鉄のように鈍色で、動かぬ決意がある。

 彼が作戦司令室で金 鋭峰(じん・るいふぉん)からクランジΔ(デルタ)の映像を見ることになったのはそれから間もなくのことであった。
「明日まで帰れない」
 ごく短く、ジェイコブはフィリシアに連絡を入れた。
「待ってる」
 これが彼女からの返事だ。