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消えゆく花のように

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消えゆく花のように
消えゆく花のように 消えゆく花のように

リアクション


●ランディング

 場面は、デルタが送って来た映像データを再生した直後へと移る。

 デルタが名指しした契約者のリストに、クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)の名はあった。
 デルタが自分の名を口にしたとき、クローラの心をよぎったのは不安ではなく安堵だった。
 ――これで、ユマだけを行かせずに済む。
 どうして妻一人、罠が待っていると知っている死地へと赴かせられよう。
 それに、リュシュトマ少佐はクローラにとって単なる上官である以上に師であり恩人だ。彼の存在がなければ、ユマとこうして結ばれることはなかったかもしれない。
 もし名前が漏れていたら、鋭峰に直訴してでもメンバーに加えてもらうつもりだった。それだけにクローラはそっと溜息を漏らしたのである。
「良かったね。……歓迎すべき事態じゃないけれど、少なくとも、もっと悪い事態はありえた」
 クローラの肩にセリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)の手が置かれていた。温かい手だった。
「いいかいクローラ。君は冷静で効率的に物事を処理するけど、自分の命も駒に使ってはダメだからね。もう君一人の命じゃないんだから」
 セリオスはクローラの手を取った。
「ユマも無事、君も無事、少佐も無事で戻ってくること、約束だよ」
 そうしてセリオスは、クローラの結婚指輪を触媒に『幸運のおまじない』をかけたのだった。
 クローラの胸は詰まった。たくさんの言葉が溢れだしそうになる。だが彼はそれを抑えて短く返答した。
「わかった。約束する」
「あと、これ」
「……!」
 セリオスが渡したものを見てクローラは小さく息を吐いた。
 追加の小型爆弾だった。
「違うよ、自決用じゃない。使わず戻ってくる約束用だよ」
 それだけ言うと有無を言わせず、セリオスはクローラの背を押した。
「さあ、ユマが待ってる」

 コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)には予想できたことだった。
 できてはいたが、いざその場面が来るとコハクは、唇を噛みしめていた。
 デルタは小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)を指名した。
 コハクは黒い髪に指を入れた。軽く引っ張って、出かけた言葉を呑み込んだ。
 僕が行くよ――その言葉を。
 できることなら替わりたい。しかし妻……つまり美羽は、その提案を却下するだろう。
 ならばコハクは、できることをするだけだ。
 その一つは、信じること。美羽たちなら絶対に勝つと信じる。もう一つは笑顔になること。
「気をつけて」
 彼は美羽にそう告げた。
「ありがとう」
 美羽はそれ以上言わない。彼女も、コハクの気持ちはわかっているのだ。葛藤を抑えて自分を送り出すことを選んだ夫に感謝したい。
「それから、ローラ……」
 続けてコハクは、ローラ・ブラウアヒメルに声をかけたのである。
「よかったら、使ってくれないかな」
 コハクが両手で差し出したのは、彼が愛用している怪力の籠手だった。

 金鋭峰の側近として、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)はずっとそのそばに控えている。
 他のメンバーが去っても、ただ一人そこに侍していた。羅英照すらこの場にはいない。(恐らく出撃に必要な乗り物等の手配に行っているのだろう)
「金……団長」
 ルカは、『金(ジン)』の部分に力をこめ、そっと彼を呼んだ。
「お察しします。リュシュトマ少佐は最古参の将校の一人……育ての親的な存在でもありますものね……。公人としてのお立場と、助けたいという意志……その狭間で悩まれるのは仕方がないことだと思います」
 ――むしろそうした人間らしさを残しているあなただから、私は心から忠誠を誓っているのです……ジン。
 鋭峰は口を開かなかった。
 その沈黙こそが、回答といってよかった。
「でも、あなたのそばには私がいます。そして現地には、ダリルが行く」
 信じましょう、そう言ってルカは、現在ダリル・ガイザックの見ている光景を鋭峰のタブレットPCに投影するのだった。

「ご指名いただいて光栄ね」
 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
 鋭峰から招集を受けたときはまだ、半信半疑な気持ちであったが、デルタが「セレンフィリティ・シャーレット」と名前を呼んだ事実を目の当たりにして疑いは消え去った。
 これまでセレンはクランジ関係の事件にはあまり関与してこなかった。
 にもかかわらず、デルタに指名された。
 これがデルタの気まぐれかどうかなのかはわからない。単にゲームの相手として、楽しめると思って指名しただけなのかもしれない。だったら相手にしなくてもいいはずだ。
 それにセレンには断る自由があった。これは正規の命令ではないのだから。なによりセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)と結婚してまだ三カ月程しか経っていない。死の罠にわざわざ立ち向かう必要はないだろう。
 しかしそれでも、セレンはこれを受けた。
「いいの? ……なんて訊いたりしないわ」
 準備のため一時帰宅したとき、それまで無言を守っていたセレアナがようやく口を開いた。
「ただ、『負けないで』と言わせてもらう」
「セレアナ……」
「セレンはいつだって本気、ゲーム感覚で命をもてあそぶああいった手合いが許せない……そのことは知っているもの」
 セレアナの視線はやわらかい。けれどそこには、核心をつかむ強い力がこもっていた。
 恩人、恋人にして配偶者、魂の片割れ……そのどの言葉を使っても言い表せないのが、セレンにとってのセレアナである。
 セレアナは知っている。
 はたから見ればいい加減・大雑把・気分屋のセレンだが、本当はその胸の奥には、拭いきれぬ暗い過去と癒やしきれぬ深い傷があるということを。
 それだけに、表面上はともかく、真の姿は常に本気であるということを。
 そのセレアナをまっすぐに見つめて、セレンは首を縦に振った。
「ありがとう。さすがはセレアナね」
「つきあい長いから」
「ふふっ、そうかもね」
 長いどころではない。セレンにとっては、セレアナと出会ってからが本当の意味での人生といってよかった。
 かつて、地の底にいたセレンを救ったのはセレアナだった。
 このときセレンは絶望の中で、もう一度だけなにかを信じようと思った。
 元々は自殺志願で選んだ教導団だった。しかし今のセレンは違う。
 セレアナという信じるべき存在を得て、守るべき世界を知った今のセレンは、あるときこう誓ったことがある。
「私は国軍の軍人として、また、一個人として、愛する者を守り、またこの大陸に住む者すべての想いと絆を護るための盾となり、剣となることを誓います」
 と。
 その気持ちは今なお揺るがない。いや、一層強固になったといっていい。
 ならばデルタの姿勢を認めるわけにはいかない。看過できるはずがない!
 しかしその怒りは燃え上がる炎ではなく、静かで力強い意志力へと結実していた。
「それじゃ」
 行くわ、と言いかけてセレンはセレアナを抱き寄せていた。
 セレアナは抗わず、むしろそれを待っていたように身を寄せた。
 情熱的なキスを交わす。
「続きは今夜、ベッドの上よ」
 言い残してセレンは部屋を出た。
 部屋にはセレアナと、一台のモニターだけが残されている。
 ここに戦闘の状況が映し出されるのだという。


***********************


 短い夜が明けた。
 二十人は数隻のボートに分乗してこの地に到達した。
 ボートから最初に降り立ったのは朝霧 垂(あさぎり・しづり)だ。
 波に洗われ赤茶けた岩礁を踏み、垂は行く手に目を凝らした。
 昨日からの風は強さを増せども、決して衰えることはない。垂が羽織った上着の左袖がはたはたとはためいていた。
「デルタの言った鍾乳洞地帯ってのはあれかよ」
 へっ、と笑うように垂は言った。
「随分と歓迎されたもんだ」
 まだ周囲は薄暗いが、蛍光塗料でも塗っているのか、周囲のあちこちにギリシャ文字がぼうっと浮かび上がって見える。
 それはいずれも、洞窟の入口を指すものであった。
 『Φ、Υ、Τ』と刻まれた入口があった。
 『Ο、Ξ』と刻まれた入口もあった。他には、
 『Π、Ρ』
 『Η、Ι』
 『Κ、Μ』
 墓標のような――という気味の悪い感覚を抱いた垂だが、すぐにそれを打ち消し、振り向いて告げた。
「それで……誰がどの洞窟に入るかは、事前に決めた通りでいいよな?」
「僕らに変更はないよ」
 イオリ・ウルズアイ(いおり・うるずあい)は率先して『Η、Ι』の洞窟に歩き始め、
「不退転の覚悟で進ませてもらいます」
 ユマ・ユウヅキ(ゆま・ゆうづき)は『Φ、Υ、Τ』の洞窟へ顔を向けた。
「ワタシたち、あそこに行くね」
「また会いましょ。願わくば、すべてが無事終わった後に」
 ローラ・ブラウアヒメルクランジ ロー(くらんじ・ろー))とパティ・ブラウアヒメルクランジ パイ(くらんじ・ぱい))は『Π、Ρ』の洞窟へ進むと決めていた。
 カーネリアン・パークス(かーねりあん・ぱーくす)はブーツの踵で岩を踏みつけていた。存在を確かめるように何度か踏みしめて、
「自分は……貴様たちに友情を感じたことはない。少なくともそのつもりだった」
 と言った。
 カーネリアンの半月型の目は『Κ、Μ』の洞窟を見ている。
「だが数時間、いや、もっと短いかもしれないな……デルタの言う『ゲーム』が終わったとき、ここにいる全員と無事再会したいと思っている。奇妙な感情だ」
「おいおい」
 パン、とカーネリアンの肩を叩いたのはシリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)である。肩を組んで言う。
「それを『友情』って言うんじゃないのか?」
「知らん」
 相変わらず無感動にカーネリアンは言って、するりとシリウスの腕から逃れて歩き出す。ただ、その足取りはなんとなく早足に見えた。
「おい待てって、俺も一緒に行く、って決めただろ?」
 炎のような赤毛をなびかせてシリウスはカーネリアンを追う。
 去り際、シリウスは振り返ってダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)にVサインを見せた。
「じゃ、また会おうぜ」
「そう願おう」
 ダリルは短く答えた。常に計算で動き確実な結果を出していくダリルが『願う』という希望的観測を口に出したことに隠された意味、それを読み取れるのはシリウスのような旧友だけだろう。
 最後に、
「で、俺たちはあそこか」
 七枷 陣(ななかせ・じん)は最後に残る一番遠い洞窟を見上げた。
 そこには『Ο、Ξ』と書かれた文字が光っていた。