百合園女学院へ

薔薇の学舎

校長室

波羅蜜多実業高等学校へ

地球に帰らせていただきますっ!

リアクション公開中!

地球に帰らせていただきますっ!
地球に帰らせていただきますっ! 地球に帰らせていただきますっ!

リアクション

 
 
 バイロイト音楽祭 
 
 
 ドイツ連邦バイエルン州の小都市バイロイト。
 ここで毎年夏に開催されるバイロイト音楽祭は、ドイツのみならず世界中の音楽家や声楽家、名士たちの集う伝統な音楽祭だ。
 チケットの入手が難しいことでも有名だが、それが取れたからとヘルマン・シュミッツから音楽祭に誘われ、クレーメック・ジーベック(くれーめっく・じーべっく)は{SFL0001893#クリストバル ヴァルナ}を伴ってやってきた。
 子供の頃に家庭教師をしてくれていたヘルマンとは今でも時折手紙のやり取りはしているけれど、こうして直接会うのは久しぶりだ。
「元気そうだね」
 クレーメックを見てるヘルマンの表情は柔らかい。代々軍人を輩出している一族に生まれ、軍の幼年学校から教導団へという道を辿ったクレーメックにとって、ヘルマンは軍人の匂いの染み付いていない唯一の親しい人間でもあった。
「まだ時間はあるから、もうしばらくは前庭にいようか。何しろここの劇場は暑い上にロビーもないときているからね」
 冷房の設備がない劇場内はかなりな室温になる。その為、開演を待つこの時間、きれいに整えられた花壇のあるこの前庭付近には、彼ら同様、談笑を楽しむ人々が集っていた。
 ドレスコードはないけれど、男性のほとんどはタキシード、女性はイヴニングドレス姿が大半だ。その中に各国の民族衣装で正装している人々がいるのが、この音楽祭が広く世界に親しまれていることを思わせる。
 クレーメックもまた、いつもの軍服ではなくタキシードを着用していた。慣れぬ服装と雰囲気に少し緊張していたが、ヘルマンが相変わらずの気配りと巧みな話術でそれを和らげてくれる。
「今年のジークフリートは格別なんだ。彼にジークフリートをやらせたら世界一だというのが私の持論でね、是非、君にも聴いてもらいたくて連絡したんだ。シャンバラでもオーケストラの演奏等は行われているのかな?」
「なかなかゆっくり演奏を楽しむ時間がないのが残念ですが、シャンバラにも素晴らしい音楽はあります」
 音楽や芸術に造詣の深いヘルマンに、クレーメックはシャンバラの歌や音楽についての話を弾ませた。会話する際には政治や軍隊の話は避け、出逢った人々、訪れた場所、遭遇した出来事のうち、ヘルマンが興味を持ちそうなものを選ぶように気をつけた。
 今後、東西に分裂したシャンバラ王国の関係次第によっては、こうして地球に一時帰郷することも困難になる可能性もある。だからこそ、先生との穏やかな時間がかけがえなく大切なものに思われた。
(ジーベック様……?)
 1秒1秒を惜しむようにヘルマンとの会話を楽しむクレーメックの様子に、ヴァルナは驚いていた。教導団にいる時には、自分の前ですらほとんど見せることのないくつろいだ顔をしている。それほどまでにこの先生に心を開いているのかと、つい笑い皺の刻まれた顔に見入っていると、その視線に気づいたのだろう。ヘルマンがヴァルナに目を向けた。
「どうかしましたか?」
 包みこむようなその目に誘われるように、ヴァルナはヘルマンに尋ねてみた。
「シュミッツ様はジーベック様の家庭教師をなさっていたんですのよね。その頃のジーベック様はどんな子供だったのでしょうか?」
 ヴァルナの目に宿る興味に気づくと、ヘルマンは微笑した。
 ヘルマンにはパートナー契約というものはよく分からない。けれど、ヴァルナはどうやら、クレーメックのことを単なる契約相手としてだけ思っているのではないようだ。
 これはひとつ応援してやろうかと、ヘルマンはヴァルナの質問に答えてやることにした。
「今から見ると嘘のようだが、幼い頃はかなりのヤンチャ坊主でね。躾には苦労したものだよ」
「シュミッツ先生……」
 困った表情のクレーメックには気づかぬふりをして、その後もヘルマンはヴァルナの問いに答えてゆく。
「軍人の家系だとお聞きしてるのですけれど、そのこともご存知なのでしょうか?」
「それほど詳しいことを知っているのではないがね。古くはフリードリヒ大王の時代から、彼の家は代々軍人を輩出し続けている一族でね。欧州のみならず、世界各地に分家もある……というくらいかな」
「ご家族のことは……?」
「ご両親と姉と妹、の5人家族だね。お姉さんは近々結婚して、家を出る予定になっているそうだよ」
 質問ぜめにしてくるヴァルナに、ヘルマンは引退後の教師に課せられている守秘義務に触れない範囲で、出来るだけ正確に答えてやった。
「先生、そろそろ席につく時間ではありませんか」
 落ち着かない様子でいたクレーメックは、周囲の人がゆるゆると劇場に向かって流れ出したのに気づいて、ヘルマンを促した。
「おお、そのようだね。では行こうか」
 素晴らしき舞台へと、とヘルマンは2人の先に立って、劇場内へと案内していった。
 
 リヒャルト・ワーグナーが設計した歴史ある劇場に入った3人は、素晴らしいオーケストラと心奮わせる歌声、そしてそれらを溶け合わせる感動的な演出で満たされたひとときを満喫した。
 今ひとときだけは、得難き師と共に素晴らしき舞台を楽しもう。再びはじまる仲間たちとの日々に向かう為に――。