リアクション
* * * 一方そのころ、東の小さな村では。 アルバトロスに乗ったとある2人組が、村の住民のおばさんに、食料と交換でアガデの都までの道を聞いていた。 「あの、切君。お願いがあるんですぅ……東カナンのアガデの都まで飛んでもらえませんかぁ?」 七刀 切(しちとう・きり)はリゼッタ・エーレンベルグ(りぜった・えーれんべるぐ)にお願いされ、アガデの都を目指して飛んでいたのだ。 だがもちろん、切にだって思惑はある。 「ワイはバァルさんの本心が知りたいんや。戦うことを選んだマルドゥークさんと違って、プライドも何もかも投げ打って国や民を守ろうとするバァルさん。国を二つに割るなんて、こんな状況、あの人は望んでないはずや。ワイはあの人の味方になってやりたい」 (いつもそばにいてくれた幼なじみに反旗を翻されても、まだ領主としての責務を選ぶ。孤独な大義とでもいうのかね? かっこいいよねぇ) 「私は【ゲレヒティヒカイト】との銃器の売買契約を結んでもらえるように【説得】【心理学】を用いて交渉します。見たところ、カナンには銃器といったものはなさそうですもの。銃は革命的に戦争を勝利へ導く道具。絶対カナンの解放に役に立ちますわ」 アルバトロスには水も食料もたっぷり積んである。 2人は休憩を終え、再び空へと舞い上がった。 空はどこにでもつながっている。 バァルやネルガルのいるアガデにも、セテカや東西シャンバラ人のいるメラムにも――。 * * * 裏切り者が数多く出たこともあり、メラムの町の攻防は苦戦を極め、かなりの辛勝となった。 死者62名、うち兵士が22名。 死者のほとんどが東の避難所における焼死と家屋崩落による圧迫死だ。 それを防げなかったことへの責任は、反乱軍にある。外壁を破壊され、内部への侵入を防げなかったことも…。 死んだ、ほぼ全員がセテカにとって昔からの知り合いだったということは関係ない。苦しみは同じだと言うわけもない。あれは、本来であれば起こり得なかった襲撃なのだ。 町の代表者たち、遺族たちからの非難を、セテカは甘んじて受けた。 東西シャンバラ人なんかを呼んだりしなければ、という声も上がった。しかし呼ばなければ、町は壊滅していたのも事実だった。あの戦いを終えた今、反乱軍だけでは到底防ぎきれなかったということははっきりしている。 彼らの気持ちをなだめたのは、鼎やヴァルたちが後続で送っていた水と食料の補給部隊、そしてラルクや加夜、舞といった救助者による、懸命な献身だった。それにもちろん、リリたちによる意識の変革も大きい。 そのため、彼らはやり方やその手落ちを非難はしたものの「出て行け」とはひと言も言わなかった。 そのことに内心ほっとしつつ、被害の出た家屋、壁、道の修復にあたること、ワームの死体の始末、葬儀の手伝い、そして希望者に自衛のための訓練をほどこすことなど、要望に応じる。 そうして、細々とした調整は部下に任せて、町の一角にあるタイフォン家の館にセテカが落ち着いて早々、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)とダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)、矢野 佑一、ミシェル・シェーンバーグが面会に現れたのだった。 「本当に領主と会う方法はないのか、相談に乗ってもらいたいの」 お茶を出したメイドの足音が遠ざかるのを確認してから、ルカルカは単刀直入、切り出した。 「戦う方法は正面からだけとは限らない、それを確認に行きたいのよ。時期を待っているとか、何かの作戦を考えているとしたら、カナンの民じゃない者が関わった方が、領主がネルガルに翻意を秘めてると追及される危険性も減るんじゃないかしら? 私たちは他国の者。何のしがらみもないわ。活用すべきでしょ?」 「同じことだ。バァルがそこに介在すれば、きみたちの動きが発覚したとき、それは全てバァルの罪となる。ネルガルの怒りはバァルへ、ひいては東カナン全体へと向けられる」 机上で組んだ手で口元を隠し、セテカは答えた。 「じゃあなぜあなたたちはこんなことをしてるの? ネルガルの怒りを自分たちに向けるため? それは結局東カナンの民に向けられるのと同じじゃない」 「われわれにはその覚悟がある。われわれを受け入れることを決める町の者たちにも、その覚悟は生まれる。だがバァルが責められ、そのことにより制裁を受ける民は必ずしもそうではない。だからバァルはうかつには動けない。 この反乱は、バァルが起つことが東カナンの民の総意であると、彼に悟ってもらうためだ。そしてそれを決断するのは領主自身でなければいけない」 セテカは嘆息をもらし、椅子に背を預けた。 こうして口にしてみると、その難しさがこたえた。メラムの町1つですら、これほどの被害を出したというのに。大言壮語と嘲笑を受けても仕方のない理想話だ。 だが、もはやだれにも止められないほど、事態は動き出している。あとはこの道を進むしかないのだ。 セテカは気を取り直し、話を続けた。 「第一、きみたちがいくら言ったところでバァルは動かないだろう。きみたちがよそ者ということもあるが、ネルガルには弟を人質にとられている。エリヤは彼にたった1人残された肉親だ」 肉親や東カナンの民の安全といきなり現れたよそ者の言葉をはかりにかけたところで釣り合うわけがない。 「それを知っていながらあなたたちはこんなことをしているんですか? その弟さんを助けることもせず?」 佑一が訊く。 「助けるには北カナンの神聖都キシュまで行かねばならない。ネルガルの居城に乗り込み、貴婦人の間に侵入し、石化を解き、8歳の子どもを連れて追手と戦いながら無事戻る――それに裂ける戦力があれば、われわれとてそうしていたと思わないか?」 「石化?」 「そうだ。ネルガルは人質全員を石化刑に処している」 「あ、でもそれなら石化解除薬を使えばいいんじゃない? ね、佑一さんっ」 ミシェルの言葉に、セテカは重く首を振った。 「これはただの石化じゃない。カナンの神官が刑に処すときに使う石化は特殊で、ただの薬や魔法では解除できないと聞いている。詳細は俺にも分からない」 「そんな…」 「石化刑はカナンにおける極刑だ。死刑であればナラカに落とされるだけで、いずれよみがえる可能性があるが、石化してしまえばそれはないからな。 とはいえ、重犯罪人であればだれもが受ける刑罰というわけでもない。解除された者はさらに少なく、俺は1人も知らない」 「本当に解除薬なんてあるんですか? 解除された人がいないなら、存在しないという可能性もありますよね?」 「ある。ネルガルはバァルに、1年に2週間のみエリヤと会うことを許可した。それからも「おまえが会いたいならいつでも会わせてやる」と、ことあるごとに言っている。存在しないならそんなことは言わないだろう」 「じゃあまずそれを手に入れなくちゃ! エリヤくんが助かったらきっとバァルさんだって――」 「われわれは、エリヤ救出は得策ではないと判断した」 ぴょんっとソファから立ち上がったミシェルの意気込みを、セテカは容赦なく押しつぶした。 みるみるうちにミシェルの顔が曇っていく。 反乱軍指揮官としてそこにいるセテカは、砂漠で笑顔を見せてくれた人と同じ人とは思えないほど、冷酷に見えた。 「考えてみてくれ。われわれがそんなことをしたらどうなる? ネルガルはバァルの仕業と思い、東に兵を出す。バァルはわれわれに激怒し、東の兵は2つに割れたままだ。そんな状態で神官軍との戦争に突入しても、勝てる見込みは万に一つもない」 「じゃあ……じゃあ、この反乱が成功したら、そのエリヤくんはどうなるの? ……殺されちゃう…?」 「ミシェル…」 そっと佑一がミシェルを引き寄せ、自分の横に座らせる。 「子どもを見殺しにしろと領主に迫る、それがこの軍の最終目的と言うのだな」 ダリルがつぶやいた。 彼もまた、嫌悪感を押し殺そうとするあまり、声が尖っている。 「領民たちの声で主君に決起を進言するのと、弟を見捨てろと迫るのは違う」 「同じに聞こえるんだけど。それってただの建前でしょ」 ルカルカは腕を組んだ。そうしないとテーブルに手を叩きつけてしまいそうだった。 「建前は常に必要だ。西を見てみるがいい。マルドゥークを動かしたのもその建前だ」 バァルには、それがマルドゥークよりもう少し明確に必要だったというだけのこと。 つまりはそういうことなのだ。 「――領主にも家族を見捨てる大義名分が必要ってわけね…」 不快気に立ち去るルカルカたちの足音を聞きながら、セテカは椅子を回転させ、窓から空を見上げた。 池に石は投げ込まれた。 あとは波紋が広がるのみだ。 「すまない、バァル」 その言葉を聞くものは、だれもいない…。 * * * 数日後。 アガデにあるバァルの居城に、メニエス・レイン(めにえす・れいん)がミストラル・フォーセット(みすとらる・ふぉーせっと)とともに、偵察に送り込まれていた兵士に連れられてやってきた。 物怖じひとつせず、堂々とバァルの前まで歩を進めるその姿は、連れられてというよりも、来てやったのだと言わんばかりだったが。 「あなたたちが黒水晶を使ってひとの動きを観察しているのはとうに調査済みよ。あれを見たんでしょう? あたしが何者かはもうご存じよね。 反乱軍は東西シャンバラを味方にしたと思っているかもしれないけど、あちらもこっちと同じ。必ずしも一枚岩じゃない。東西シャンバラにもネルガル殿につきたいと思う者はたくさんいるわ」 ねめつけるような目で、上座に立つバァルを見上げる。 蛇蝎の目だと、バァルは思った。無という感情の目。その目で見つめながら、この女は愛をささやきつつ相手を刺し殺すのだろう。 それが善の側であれ、悪の側であれ、これは信用に値しない者だ。風が吹いただけで、必ず裏切る。 「――追い払え」 バァルは兵士に命じ、立ち去ろうときびすを返した。 「まぁ待ちなさいよ、バァル」 とたん、声に含まれた響きが変わった。あきらかに挑戦的で、それでいて彼を見下した響きに、バァルは足を止めた。 「あなたはあたしを無価値と評価した。それどころか、目にするのも耐え難い汚いものだって顔をしたわよね。はん。あたしだって、あなたなんかに価値を見出してもらいたいとは思ってないわ。あたしからすれば、そっちこそ信用がおけないんだから。いつ裏切るか知れたものじゃない。 今のだってそういうことなんじゃないの? あなたはそれでいいかもしれない。だけどネルガル殿はどうかしらねぇ? ネルガル殿に面会を求めたあたしをあなたの一存で追い払おうとしたと知れたら、あなた困った立場になるんじゃなくて?」 「――くっ…」 勝った、とメニエスは内心してやったりとほくそ笑んだ。 こんなおぼっちゃまなど赤子の手をひねるより簡単。 さらに追い詰めてやろうとしたとき、緞帳の影からフード付きのマントを羽織った女性が現れた。 「バァル様、この者、あなたのお手には余る様子。私が身柄を引き受けましょう」 「アバドン殿。しかし…」 「ご安心ください、バァル様。弟君をネルガル様にお預けになられることをご提案申し上げましたこと、覚えておられますでしょう? どうか私をご信頼くださいませ。決して悪いようにはいたしません」 そっとバァルの手をとり、その甲を指で意味ありげにさする。 色を含んだ視線。 媚びか、それとも誘惑か。はたまた…。 (――ふん。面白いわね) 真実などどうだっていい。ようは、どう見えるかだ。そしてそれがどう利用できるか。 メニエスは賢しく頭を垂れながら、その下でせせら笑っていた。 |
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