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リアクション
第8章
「これは……ひと雨くるかも知れませんね」
と、神楽坂 紫翠(かぐらざか・しすい)は呟いた。さっきまで晴天だった空がいつの間にか曇りの空になっていて、遠くに黒雲が見える。
一般人の誘導と節句人形との混戦で気付かなかったが、このままでは一般市民が雨に濡れてしまうだろう。主に後方支援として活動していた紫翠だけがその変化に気付いていた。
空飛ぶ箒で刹苦人形の様子を見ているヴィナ・アーダベルトに話しかける。
「雨が来るかもしれません。市民の方々は屋内に避難させたほうが良くはないですか?」
ヴィナはちらりと紫翠に視線を落とし、応えた。
「ああ、確かに……予報にはなかったが、これは降りそうだね。なら……そこの体育館が広くてよさそうだね。誘導を手伝ってもらえるかい?」
紫翠はパートナーのシェイド・ヴェルダ(しぇいど・るだ)に合図をして、それを了承した。
「分かりました。……シェイド、行きましょう」
他に一般市民の誘導をしていたメイベル・ポーターや八日市 あうらたちに向かう途中で、シェイドは呟いた。
「……人形共はどうなったかな、本格的に降り出す前に片がつけばいいんだが」
「雨が降るかもしれないそうですわ。こちらも屋根のあるところに移動しませんと濡れてしまいますわよ」
と、崩城 亜璃珠は桜井 静香校長とジェイダス・観世院校長に移動を促した。
だが、二人は動かない。
「……僕はここを動かない。みんな頑張っている……市民の皆さんを傷つけないように、体を張っているんだ……僕だけ安全な所に逃げたくはない」
「私も同意見だ。誰かを助けるために命を懸け戦う生徒達の姿……しっかりと見届けなければならない。その美しい姿を」
まあ、そう言うと思っていましたけれど、と亜璃珠はため息をついた。校長が動かないとなると、護衛の白百合会やイエニチェリたちも動けないということ。
「大丈夫……みんなが頑張っているんだもん……もうそろそろ、決着が着くはずだよ……」
と、ネージュ・フロウは呟いた。
☆
ぽつり、ぽつりと。
雨が降り出していた。
その雨の中、天司 御空(あまつかさ・みそら)は殿人形に一歩ずつ近づいた。ゆっくりと、一歩ずつ。
「……次はお主が、我の相手をするのか?」
先に口を開いたのは殿人形、腰の刀に手を掛けて、御空に問う。
だが、御空は両手に一丁ずつ持った銃を2丁、その場に捨ててしまった。
「……」
殿は刀にかけた手を離した。御空に戦う気がないのが分かったのだ。
「……人の心は、不思議なものですね」
御空がゆっくりと口を開いた。
「期待すればするほど裏切られた時の悲しみは大きい……でも、それはきっと道具だって同じはず……そう、人形だって」
ぴくり、と殿の顔が動いた。
「こんな筈ではなかった、ですよね。貴方も」
「……」
さぁ、と霧雨がベールのように降り出した。
「考えてみれば、雛人形の男雛というのも損な役回りですね。どんなに美しく飾っても結局は女雛のついで扱い。何も与えられない。だから何も返せない」
ふ、と殿人形は薄く笑った。
「そうだな……その通りだ。だから我はこうして今ひとりでおる。姫のように災いに狂って人を襲うことも、本来の務めに従うこともできずに」
「それで――いいんですか?」
御空の問いかけに、殿は視線を伏せた。
「何故かは分からない。でも、貴方はそうやって絶望に諦めてしまっている。積もる痛みに、積もる恨みに、積もる苦しみに埋もれないで下さい――貴方だって、分かっている筈です。」
「……」
「彼女を止められるのは、貴方しかいない。思い出して下さい。かつて雛人形として最初に飾られた時のこと。それから貴方達はずっと一緒にいたんでしょう? 誇らしくはなかったですか――ひな壇に祀られた自分達が。今の彼女が――幸せそうに見えますか?」
そう言った御空は、春の精霊に渡されていた『破邪の花びら』を取り出した。
殿人形の手を取り、そっと花びらを握らせる。
「……これは……」
「俺たちじゃない――貴方が止めるんだ。そうでなければ意味がない」
殿人形は、その花びらをぐっと握りこんだ。
御空はその様子を満足気に眺める。
「それに――花びらがもたらす愛の奇跡なんて、素敵だと思いませんか?」
それを聞いた殿人形は、ふっと笑った。
「愛か――今日はよく聞く単語だな」
「そうです――愛はどこにだって溢れている。大事なのは、それに気付くことですよ」
と、御空も力強い笑顔を浮かべるのだった。
☆
本格的に雨が降り出した。
その中を、一人の男が行く。
レン・オズワルド(れん・おずわるど)。冒険屋ギルド設立者であり、自身もまた腕利きの冒険者である。
刹苦人形の事件に居合わせたのは偶然であったが、一般市民を襲い始めた人形たちを放っておくわけにはいかなかった。市民の避難が完了した今、もはやするべきことはひとつ。
百々の撃退と刹苦人形の殲滅だ。
だが、百々の姿を確認し、距離を詰めようとしたレンの前に一人の男が立ちはだかった。
「――やはりな。お前ならこうすると思っていたよ」
その男は、クド・ストレイフ(くど・すとれいふ)。やはり冒険屋ギルドのメンバーであり、レンとは仲間同士の筈である。
だが、曙光銃エルドリッジを構えたクドは、その銃口をレンに向ける。
「お互い様でさぁ。人々の安全を護るため――あんたはそう考えると分かっていたからねぇ」
レンは驚きもせず、魔銃モービッド・エンジェルの銃口をクドに向けた。
「ああ、付き合いが長いのも――考えものだな」
一拍置いて、レンが口を開いた。
「分かってるだろ。あれはただの人形――ただ女性の形をしているだけだ。それでも守ろうというのか」
クドの後ろで、百々の体がびくりと動いた。その顔に浮かぶのは驚きの表情。
「は……わらわを守るじゃと? 気でも違ったかその男?」
クドは、くっ、と喉の奥で笑った。
「いやぁ、お兄さんはね、人形であろうが人間であろうが差別はしませんよ。ただ乙女の笑顔が見たいだけ……乙女のかんばせがさ、そんな憎しみに彩られているのは耐えられない……それだけさ」
だが、百々はその言葉に逆上して叫んだ。
「ふ、ふざけるでないわ!! 人間を殺そうとしているわらわを守るじゃと!? 余計なお世話じゃ!!」
その言葉に、今度はレンが笑った。
「おいおい、さっそくフラれたぞ――どうするんだ、クド?」
そんな軽い挑発にも、クドは動じない。
「どうもこうもないねぇ……俺はただ勝手に彼女を守るだけ……だから、百々さんは気にしなくていいんですよ、お兄さんが勝手にやってることですからねぇ」
と、おどけた様子のクドにも、百々は笑わない。
「――ふざけおってぇっ!!!」
クドの背中に襲いかかろうとした百々。水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)は、そんな百々とクドの間に割って入った。パートナーである魔鎧櫛名田 姫神(くしなだ・ひめ)を身に纏い、百々へと向かう。
「ふん、今度はお主が相手か?」
しかし、長い爪を構えた百々はまたも肩透かしを喰らうことになる。
天司 御空のパートナー、白滝 奏音(しらたき・かのん)が現れたからである。
「待って下さい。今、私のパートナーが動いています。それまで、誰もこちらのお姫様には攻撃させません」
御空が殿人形を説得している間、他のコントラクターを食い止めるのが奏音の役目だった。人形の仲人役なんてどうかしてる、とは思いつつも御空の頼みには弱い。
そんな奏音に、緋雨は呆れ顔を見せた。
「クドさんといいあなたといい、もの好きな人が多いのね……」
やれやれ、とでも言いたげな風情で奏音も返した。
「そうですね。でも、私も個人的に人形の皆さんを壊させたくないと思っている……厄を背負わせるだけ背負わせておいて、不要になったら壊すなんて、私は許さない」
魔導銃を握る手に、力がこもった。
奏音自身も、強化人間として実験材料に使われた経験を持つ。それゆえ、百々の境遇には共感するものがあったのだろう。
「……」
そこまで言って、御空がどうして刹苦人形を壊させないようにしているのか、奏音はようやく理解した。
そうやって、御空は奏音を救い出したのだから。
「そうですよ、あのお人よしが放っておけるわけはなかったですね」
あくまでも百々を守る姿勢を崩さない奏音。
だが、緋雨は冷静に答えた。
「なるほど、あなたの立場は分かったわ。でも、それなら心配しないで。私も百々さんを攻撃しに来たのではないの。むしろ逆。でも時間がないからね……悪いけどもう始めているわ」
「え?」
奏音は振り向いた。クドの時には大声で騒いでいた百々が今は静かだ。緋雨のパートナーである姫神がテレパシーとサイコメトリで既に百々の精神内部に干渉を始めていたのだ。
「私もクドさんに協力したい。私も個人的に、想いが込められた人形を壊したいとは思ってないしね」
そう言うと、緋雨は奏音の横をすり抜けて百々に触れた。
本格的にサイコメトリが発動し、姫神を通して緋雨の精神は百々に干渉していくのだった。
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