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【二 連鎖する災厄】

 その頃、ドロマエオガーデン内の墜落現場では。
 大勢の新入生たちが、鬱蒼と茂るジャングルの中で不安げな表情を浮かべて互いに身を寄せ合っている一方、蒼空学園の先輩引率生や一般参加の経験豊富なコントラクター達が、事態打開の為に早くも動き出していた。
 まずトマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)が軍人としての生存技術と経験を活かして、不安と恐怖に慄く新入生達に様々な指示を出しつつ、決してパニックに陥らないようにと声を励ましている。
「良いですか、皆さん! とにかく冷静に! パニックを起こしたら、もうそれだけで生還出来る確率は格段に低くなります! どうか落ち着いて!」
 トマスの呼びかけ方は、特に発声という観点に於いて実に絶妙だ。
 彼は先に遭遇した謎の化け物どもの注意を引いてはならないと考え、あまり大声を出さないようにしているのだが、それでも要点だけは全員に伝えなければならない為、必要事項を手早くメモにしたため、数人単位のグループで集まっている新入生達に、ひと通り目を通させるようにしていた。
 そうしてあらかじめ予備知識を叩き込ませておけば、多少声が低くて聞き取られなかったとしても、大体の意味は通じるのである。
 包囲されている状況からの撤退戦では、この手法はかなりの威力を発揮するものである。
 と、そこへ、樹上まで身を躍らせて周囲の状況を確認してきたミカエラ・ウォーレンシュタット(みかえら・うぉーれんしゅたっと)がトマスの傍らへと駆け寄ってきた。
「中々、厳しいものがあるわね。相当に酷いジャングルよ、ここは。魯先生がいうように、撤退戦の演習だと思って取り組むという発想は悪くないけど、それを新入生達に強いるのは、少し難しいかも知れないわ」
「ほぅ、そんなに凄いジャングルなのですか、ここは」
 ミカエラの報告を受けて、魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)がいささか困った様子で、自身の汗だくの顔を扇でぱたぱたと扇いだ。
 このジャングルは単に移動が困難で薄暗いというだけでなく、恐ろしく蒸し暑い。この暑さが、ともすれば熱中症をも引き起こし、ますます事態を悪化させかねない。
 かといって、じっとしていても話は進まないということで、子敬とテノーリオ・メイベア(てのーりお・めいべあ)のふたりは、先程から墜落した飛行船内に何度も足を踏み入れ、少しでも使えそうな道具や軽量設備などを、必死に運び出し続けていたのである。
 しかし矢張り、この暑さは応える。喉の渇きは水分捕球で何とか出来るが、上がり続ける体温だけは、そうそう簡単に対処出来るものではなかった。

 状況の改善は、まだ然程には見られない。
 トマスが渋い表情で腕を組み、次なる一手について思いを馳せていると、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)がトマス以上の渋面をぶら下げて、新入生達の間を掻き分けて歩み寄ってきた。
 その様子から見て、あまり嬉しいニュースではなさそうであった。
「さっき襲われた子なんだけど……熱が、下がらないんだ。患部の炎症も激しい。移動は少し、待ってくれないかな」
 エースの報告に、トマスのみならず、ミカエラと子敬も表情を曇らせた。
 実は飛行船の墜落直後、何者かによる包囲戦が仕掛けられ、ひとりの女子新入生が右肩から右肘にかけて、骨にまで至る大怪我を負わされたのである。
 患部を見る限り、巨大な歯を持つ獣か何かの噛み跡のように思われたのだが、とにかく出血が酷く、普通の処置では到底間に合わないという有様だった。
「回復系、治癒系の技能を持つひと達の協力も得た上での処置なのですが、どういう訳か、まるで効果が無いのですよ」
 メシエの困り果てた様子に、トマスは思わず息を呑んだ。
 コントラクターとしての回復・治癒技術が、まるで効果を発揮しないなど、普通に考えれば有り得る訳が無い現象であった。が、その有り得ない筈の現象が今まさに、ここで起きている。
 どうやらこのジャングルは、トマスやエース達の想像を遥かに越えて、単なる危険という表現では収まり切らない程の恐怖を、その内に秘めているようであった。
 効果が無いといえば、実はもっと恐ろしい事実が発覚している。
 先の女子新入生が謎の化け物に襲われた際、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)エシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)がいち早く対応して、敵を撃退することに成功した。
 ところが、ローザマリアは至近距離からスナイパーライフルを謎の襲撃者に撃ち込み、手応えもあったというのに、直撃を受けた筈の謎の襲撃者は悲鳴も何もあげず、淡々と闇の中へ逃げ去ってしまったのである。
 つまり敵は、こちらの攻撃に対して何らかの強力な防御能力を持っているのではないか、というのがローザマリアの実感だったのだ。
「ローザマリアさん……その、もう一度お聞きしたいのですが、襲ってきた相手というのは……」
「恐竜、だと思うよ。少なくとも私が見たのは、ラプトル系の小型肉食竜だったわ」
 まるで茶飲み話でもするかの如く、淡々と答えるローザマリアの言葉には、妙な迫力と説得力が込められていた。
 彼女が見たのは頭頂部までの高さが2メートル程にもなる、全身が黒っぽい爬虫類の肌のような鱗に覆われた二足歩行の蜥蜴の如き怪物だったという。
 但しその体型はといえば、胸の厚みが薄く、腰部が分厚くがっしりしており、後肢はダチョウの脚のように太く頑丈な構造のように見えた。前肢は後肢程に発達していないものの、それでも発達した筋肉と鋭い鉤爪をそなえており、十分な攻撃力を誇っているようであった。
 次にエシクが、矢張りローザマリア同様、随分と落ち着いた様子で言葉を繋いだ。
「ローザはスナイパーですから、目の良さは信じて頂いて結構です。そのローザが断言するのですから、間違いないのでしょう」
 すると、それまで黙って聞いていたエースがどこから取り出したのか、不意に一輪の小さな花を取り出し、ローザマリアに向けて差し出しながら、柔らかな笑みを湛えて一礼する。
「あなたの言葉を疑うとか、そういう意図があった訳ではありませんよ……ただ、俺達も恐竜の知識はそんなに豊富じゃないんで、何度も聞かないとよく分からない、というのが実情なのです。どうか、お気を悪くなさらないように……」
「気にしてないよ……っていうか、私自身、未だに驚いているんだけどね。あんなのが居るってことはつまり、恐竜騎士団がバックに居るんじゃないかって、そっちの方が心配よ」
 差し出された花輪を受け取って苦笑を浮かべながらも、更にローザマリアはいう。
 墜落した大型飛行船内から色々な道具や材料を持ち出してきた彼女とエシクは、ワイヤーと金属片を繋ぎ合わせて作った鳴子を周辺一帯に張り巡らせているから、警戒するのであれば、音に注意して欲しい、と。
「それから、風の向きにも注意だね。相手が野生の獣なら、嗅覚に対しても余程気をつけないとね」
 ローザマリアのこの分析力と対応策には、軍人として本格的な訓練を積んできていたトマスですら、舌を巻く思いだった。
 局地でのレンジャー活動は、むしろローザマリアの側に軍配が上がるのではないだろうか。それもその筈で、ローザマリアはもともと米兵としての素養があったのだ。いってしまえば、軍人としての経験はトマスに対して一日の長がある。
 もちろん、ローザマリア自身は決してそのようなことを自慢する性格ではないから、トマスの目にはただ、凄い女性だという印象でしか映っていなかったのだが。

 不意に、遭難者達の周囲で金属同士がぶつかり合う、冷たい響きが蒸し暑い空気の中で振動し始めた。ローザマリアの仕掛けた鳴子が、敵の接近を告げていたのである。
 襲撃に備えていたコントラクター達が一斉に立ち上がり、それぞれの得物を手にして、非力な新入生達を庇う形で、集団の外側に一歩踏み出す格好となった。
「皆! 早く、木の上に登れ!」
 斎賀 昌毅(さいが・まさき)が、恐怖に慄く新入生達を叱咤して、次々と樹上に登らせ始めた。
 マリアローザの目撃が事実ならば、樹上が現在、最も安全な場所であるという判断から、昌毅は戦闘能力に乏しい新入生達を片っ端から樹上に押し上げる作戦に出たのである。
「さぁ皆さん、頑張って!」
 パートナーのマイア・コロチナ(まいあ・ころちな)がサイコキネシスを駆使して、木登りが得意ではない、或いは怪我の為に上手く登れない新入生達を、次々に樹上へと押し上げてゆく。
 その間も、鳴子は更に激しく鳴り響き、次いでどこかから、猛禽類と猫科の大型肉食獣の獰猛な咆哮を混ぜ合わせたかのような、実に耳障りな獣声が湿った熱気を割って飛び込んできた。
 間違い無い――。
 最初に攻撃を仕掛けてきたあの化け物共が、再び襲ってきたのだ。
 大方の新入生達が樹上に登り切ったのを確認すると、今度はエシクが両手にサラダ油を携え、新入生達が登った樹々の幹や根元に、その中身を次々とぶちまけてゆく。
 これは、敵を樹上に登らせない為の措置であった。仮に敵が木の上にまで追撃の手を伸ばした時、樹上に逃れた者達にはもう、逃げ場が無いのである。
 だからせめてエシクとしては、折角確保した逃げ場を袋小路にしない為の策として、敵を樹上に登らせない為の防御策を講じたのだ。
「……来るわよ」
 ローザマリアが、呟くような低い声音で警告を発する。彼女は肩付けに構えたスナイパーライフルの照準スコープ越しに、薄暗い樹間を凝視していた。その樹間に、幾つかの異様な影が見え隠れし始めていたのである。
 それらは先にローザマリアが目撃したあの化け物共の特徴と、完璧に一致していた。
 サッカーボール二つか三つ分程の大きさの、蜥蜴のような爬虫類型の頭部。それが幾つも、薄暗い樹間の中で蠢いていた。

 耳元で、あの耳障りな甲高い咆哮が大気を振動させた。
「くっ……こっちにも居たのか! 包囲されているじゃないか!」
 氷室 カイ(ひむろ・かい)が愛用の太刀を正眼に構えたまま、吐き捨てるように小さく吼えた。丁度彼の位置は、最初にローザマリアが敵の位置を捕捉してから8時の方角に当たる。ここまで敵が迫っているということは即ち、ほとんど背後に回り込まれているのに等しい。
 カイの傍らに、御凪 真人(みなぎ・まこと)が慌てて走り込んでくる。
「魔術で援護します。このタイプの敵は、動きさえ止めれば何とかなりそうですから、足止めは俺に任せてください。動きが鈍ったら、セルファもお力添えしますので、一気にお願いします」
 指名を受けたセルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)が、緊張した面持ちで視線を樹間の向こうに据えたまま、真人にアイデアをひとつ、提案してみる。
「ね……リーダー格を潰せば、チームプレイも出来なくなるんじゃないかしら?」
 ところが、その案を真人が吟味する前に、サー・ベディヴィア(さー・べでぃびあ)が渋い表情でかぶりを振って否定してきた。
「生憎ながら、それは人間の発想に過ぎません。野生の獣は、強者が常にトップを張るものです。仮にこの場でリーダー格を倒しても、その次に強い者が即座に次のリーダーに取って代わり、攻撃を仕掛け続けてくる……それが、弱肉強食の世界の掟というものですよ」
 成る程、とセルファのみならず、真人も険しい表情ながら、内心では随分感心して小さく頷いた。
 人間やそれに順ずる知的生物はといえば、あらかじめ誰がトップになるのかを決め、不測の事態には別の誰かが取って代わるものだが、リーダーの交代には人材的な問題もあって、限界がある。
 しかし野生の獣には、それが無い。彼らは全て、生まれながらにして優秀なハンターなのだ。リーダーが次々に交替していったところで、単に中心となる存在が入れ替わるだけで、基本戦術や連携能力が大きく損なわれるということは無い。
 つまり、リーダーたる資質は、彼ら野生の獣は全て平等にそなえているという訳だ。リーダーとしての人材とそうでない人材に分けられてしまう人間の社会とは、根本から異なるのである。
 その時、カイの襟元で思慮深げな声が響いた。
「相手が人間ではない以上、今まで対人間で成功していた戦術は、全部が全部通用するとは限らない、ということだな」
 魔鎧としてカイの肉体を守るルナ・シュヴァルツ(るな・しゅう゛ぁるつ)であった。防御に徹する分、戦術や状況分析について頭を使うだけの余裕が、今のルナにはあった。
「単なる包囲戦では済まないかも知れぬ……読みではなく、反応で切り抜けるべきだな」
 ルナの提言に、その場の誰もが頷いた。原始的ではあるが、今はこれ以上の手が無いのである。