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リアクション
【五 怠け者男爵】
マジュンガトルスの出現を受けて、樹上に逃れていた新入生達の大半が、恐慌に駆られて次々に飛び降りてしまい、デイノニクスの包囲網の中へ自ら身を投じる格好となってしまった。
しかし、それも無理からぬ話である。
あのまま樹上に留まっていれば、地上で戦う先輩コントラクター達よりも先に、マジュンガトルスの餌食になってしまうところであったろう。
デイノニクスとマジュンガトルスのどちらが恐ろしいか――勿論両方とも脅威ではあったが、この場に於いてはマジュンガトルスの途方も無い巨躯が、デイノニクスに対する恐怖を更に上回ったと見るべきであった。
「流石にこれはもう、しょうがないか……!」
泉 椿(いずみ・つばき)が、いささか憮然とした表情ながらも、自らを納得させるように低くいい放つ。その傍らでは月美 あゆみ(つきみ・あゆみ)が、左手甲のレンズを鈍い陽光に煌かせながら、椿以上の仏頂面でマジュンガトルスの凶悪な面構えを見上げている。
「ここはピンクレンズマンが何とかするから心配御無用……っていう訳には、いかないね、やっぱし」
あゆみも今回ばかりは、持ち前の明るさで何とか乗り切ろう、という発想にはならないらしい。巨大な敵を前にすると、矢張り人間誰でも気分が滅入るものなのであろうか。
「でも、皆がちゃんと逃げ切れるように、何とかしないといけないね……ねぇつばきん、あのおっきいの、あゆみとつばきんとで囮になって、新入生の皆から引き離せないかな?」
この提案に、椿は一瞬言葉を失いそうになった。
あの巨大な化け物相手に、自ら餌になって逃げ回ろうというのか。しかし、あゆみは至って真面目にそういい切っているようでもあった。
「……やるしかねぇな。出来れば罠やら何やら用意したかったけど、あんなデカブツじゃあ、焼け石に水か」
するとそこへ、ふたりの会話を聞きつけた加夜が足早に近づいてきた。
「あの、私もお手伝いしますっ! おふたりだけに危険を背負わせる訳にはいきませんから!」
この申し出は、椿とあゆみにとっては正直に有り難い提案だった。ふたりは一も二も無く、加夜の申し出を受け入れることにした。
さて、問題はどの方面に、どうやっておびき出すか、である。
周囲にはデイノニクスが未だに包囲戦を展開しているのだ。この危険な小型肉食恐竜の群れをかいくぐり、更にあの巨獣を新入生達の逃走ルートから引き離さなければならない。
これは相当に困難な闘いとなるだろう。
樹々から飛び降りた新入生達は、樹間から飛び出してくるデイノニクスの牙と爪に襲われてパニックに陥る傍ら、マジュンガトルスの巨体から逃げようと、最早行き先も定まらない状態で右往左往するばかりであった。
そんな中、神皇 魅華星(しんおう・みかほ)が同じ年頃の少年少女達を叱責しながら、散り散りにならぬように何とか纏め上げようと必死になっている。
「ちょっと、馬鹿みたいに騒ぎ立てるものじゃありませんわ! ここは魔王の転生体たるわたくしに任せて、どっしり腹を据えてみるのが吉ですわよ!」
勿論魔王云々は魅華星の勝手な妄想に過ぎないのだが、この局面に於いては、強烈に何かを信じて疑わないという心の拠り所のある者が、寧ろ冷静に行動出来る分、頼りになるというものである。
そして意外にも、魅華星の自信満々な態度に何かを察したのか、今の今まで恐慌に陥っていた一部の新入生達が、彼女の周りに集まってきて、集団で防衛網を築こうとする動きが出始めたではないか。
「あ、あら……案外、物分りの良い方々も、いらっしゃるのね」
自分でいい出しておきながら、この展開は予想外だったらしい。魅華星は僅かに戸惑いながらも、集まった新入生達を率いて、マジュンガトルスの巨躯から少しでも離れるべく、カイや真人達がデイノニクスの包囲網を崩しつつある方面へと、足を急がせ始めた。
その様を遠巻きに眺めていた椿とあゆみ、そして加夜の三人は、魅華星の率いる新入生達の移動方向を見定めると、自分達は逆方向にマジュンガトルスを誘い出そうと考えた。
「ほら化け物! こっち来なよ!」
椿が片付けに構えたスナイパーライフルが、マジュンガトルスの首筋目掛けて火を噴いた。勿論、この程度の一撃で倒れてくれるような化け物ではなかったが、それでも樹上から覗き込んでくる凶悪な視線が、椿達に向けられたのは間違い無さそうであった。
ところが。
「あ、そっちは駄目だってば!」
あゆみが慌てて、制止の声を発する。実は、一部の新入生達がデイノニクスに追い立てられ、これから椿達が走り出そうとしていた方向に駆け出していたのである。
「ちょっと、馬鹿! 少しは落ち着きなさい!」
椿、あゆみ、加夜達の囮作戦を支援すべく、周辺のデイノニクスを別方向に誘い出そうとしていたリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が、パニックを起こしている新入生達を追い始めた。
もうこうなってくると、対マジュンガトルスの囮作戦は、ほとんど体を為していない。折角のアイデアも、仕切り直しとせざるを得なかった。
「フィス姉さん! そっち方面で、突破出来そうなポイントある!?」
リカインは頭上に向けて大声を放った。
樹上では、ヴァルキリーのシルフィスティ・ロスヴァイセ(しるふぃすてぃ・ろすう゛ぁいせ)が宙空を舞い、新入生達の脱出ルートを必死に探していたのである。
しかし、デイノニクスは樹間に広がる濃い闇のような陰の中に紛れている為、どの方角が安全なのか、シルフィスティは未だに見極められずに居た。
そして彼女の位置する高さから丁度水平方向に、マジュンガトルスの無機質な色を湛える眼光が、陽光を受けて鈍く煌いている。
何度かその不気味な瞳と目が合ったのだが、巨獣はシルフィスティにはほとんど興味を示さず、地上で逃げ惑う新入生達ばかりを眺めており、最初に餌となる獲物を物色しているようであった。
(もう、こうなったら、ひとつ仕掛けてみようかしら)
決して匙を投げた訳ではないが、こう見事なまでに脱出ルートが見つけられないとなると、あの巨獣相手に攻撃を仕掛けるなりして、無理にでも新入生達を逃がし切る突破口を作り出さないといけない――シルフィスティがそんなことを考え始めた頃、地上ではまた別の方角から、今度は全く異質の悲鳴が上がった。
「えっ、な、何!?」
思わずシルフィスティが眺めたその方向には、リカインが既に走り出していた。
同時に、マジュンガトルスが悲鳴が次々とあがる地点に、巨体をめぐらせる。どうやらこの巨獣も、事態の急変を察知しているようであった。
悲鳴を上げているのは、新入生達ばかりではない。包囲戦を仕掛けてきていたデイノニクス達が、獣特有の耳障りな奇声を上げて、次々と蹴散らされてゆく。
その一方で新入生達はといえば、特に被害らしい被害は受けていない。彼ら、或いは彼女達は、そこ現れた巨漢の姿に恐れを為して、慄きの声をあげていただけに過ぎなかった。
「あ……あれは……!」
樹間を掻き分けて走り込んできたリカインは、思わず目を見張った。
エリュシオン帝国の竜騎士としての正装備を身に纏う2メートルを遥かに越える巨躯が、恐れ戦く新入生達にはまるで目もくれず、デイノニクス共を次々と退ける剛の技を見せていたのである。
更にその竜騎士はひとりだけではない。十数名にも及ぶ従騎士達を従えており、これら従騎士達もデイノニクスの群れに容赦無い剣戟を浴びせかけていた。
「怠け者男爵……」
リカインは、呆然とした面持ちで呟いた。
彼女の目の前でデイノニクスの群れを圧倒して遁走させているのは、竜騎士ではない。恐竜騎士団に所属する精強なる戦士デュガン・スキュルテイン男爵そのひとだったのである。
つまり、パラ実風紀委員としてのリカインにしてみれば、上司に当たる人物なのだ。怠け者男爵というのは、このスキュルテイン男爵につけられた仇名であるのだが、その由来はリカインもよく知らない。
デイノニクスの群れは突如現れた別の敵に対し、最初は獰猛な唸りを上げて襲いかかっていたのであるが、スキュルテイン男爵率いる恐竜騎士団の戦闘力の方が上だと知るや、即座に踵を返して逃走を始めた。
すると、スキュルテイン男爵と従騎士達は追撃の手を止め、次に、遥か頭上から睨みつけるようにこちらを見下ろしているマジュンガトルスに向けて、視線を一斉に投げかけた。
「あれま、目が合っちまったよ……ま、向こうからこっちに仕掛けてくれた方が、追いかけ回す手間が省けて良いか」
端整な顔立ちではあるが、妙に緩んだ表情とアンニュイな仕草が、如何にも怠け者男爵、という雰囲気を全身に醸している。
そしてよくよく見れば、竜騎士の正装ではあるが、裾がはみ出ていたり、或いは腕まくりしていたりと、妙にだらしの無い格好でもあった。こういうところが、怠け者男爵たる所以でもあったろう。
と、そこへリカインが慌てて走り寄ってきた。
「スキュルテイン男爵! ここで一体、何をしてるの!?」
「何っておめぇ、見て分かんねぇのか? っていうか、もしかして通達貰ってなかったりする?」
突然飛び出してきたリカインに対しても、然程驚いた様子を見せずに対応するスキュルテイン男爵。一方のリカインは、スキュルテイン男爵が何をいっているのか、よく分からない。
更にシルフィスティも地上に降りてきて、リカインの傍らに位置を取った。リカインもシルフィスティも揃ってパラ実風紀委員なのだが、スキュルテイン男爵の性格はどうにも掴み所がなく、どのように話を持っていけば良いのか、色々頭を悩ませねばならなかった。
「その、通達っていうのは、一体何なの? 私、全然聞いてないんだけど」
リカインの返答に、スキュルテイン男爵は困ったとばかりに変な顔を作ると、従騎士のひとりからエリュシオン帝国の紋章が刻まれた命令文書を受け取り、リカイン達の前に広げた。
「ほれ、これなんだけどよぉ……本当に知らねぇの?」
リカインとシルフィスティは一瞬互いに顔を見合わせてから、ぶんぶんと大きく首を左右に振った。
ふたりの反応を受けて、スキュルテイン男爵は額に大きな掌を当てて、そのまま天を仰いだ。
「んがぁぁ……これだからパラ実の連絡網ってのは当てになんねぇんだよなぁ。もう仕事やめて、帰っちまおうかなぁ。やる気が半分ぐらい失せちまったぜ」
その命令書に記されていたのは、次のような内容である。
即ち、恐竜騎士団はドロマエオガーデン内の魔働生物兵器のサンプル捕獲と、魔働生物兵器を精神制御下に置く為のシステム『バティスティーナ・エフェクト』の発掘調査を実施し、可能であればこのバティスティーナ・エフェクトを獲得せよ、というものであった。
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