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リアクション
【四 マダガスカルの覇王】
デイノニクスの群れは、生い茂る樹々の狭い隙間を上手く活用して、遭難者側の攻撃を巧みにかわしつつ、逆に想わぬ方向とタイミングで不意を衝いてくる。
完全に、このジャングルでの戦い方を熟知している様子だった。
「何とか……何とか、この包囲網を突破しないと!」
蒼空学園生徒会副会長たる小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は、その愛らしい面に焦燥の念が色濃く浮かぶようになっていた。
このまま包囲されっぱなしでは、ただ全滅を待つだけのようなものである。とにかく一点突破で敵の包囲構造を突き崩し、脱出路を確保しなければならない。
だが、こう障害物が多くては、自慢の強化光条兵器ブライトマシンガンも中々有効に機能してくれない。下手に乱射しまくると、樹上に逃れている新入生達を、危険な地上に叩き落してしまう恐れがあったからだ。
今のままでは、弾幕すら張れない状況が続いてしまう。
その時、美羽の傍らでベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)が、何かを思いついたように声を弾ませて、美羽の耳元で大声を放った。
「確か爬虫類は変温動物ですよね! 恐竜は爬虫類だから、地球上の恐竜が氷河期で絶滅した時のような寒さを仕掛ければ、動きが鈍るんじゃないでしょうか!」
ベアトリーチェは我ながら最高のアイデアだと、内心で自画自賛する思いだったのだが、彼女のその声を間近で聞いていたブラックゴーストが、
「それは、恐らく無理だな」
と、思いっ切り水を差すひとことで否定してきた。これには流石に、ベアトリーチェも不満げな顔を見せて、頬をぷっと膨らませる。
しかしコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)は、ブラックゴーストのいわんとしている内容に意識を傾けた。
「それは、一体どういうことだい?」
「恐竜が爬虫類から派生した種であることは間違い無いだろうが、恐竜そのものは爬虫類とは明らかに異なる別種の存在だ。爬虫類たる首長竜とは進化の過程が違う。そしてラプトル系は鳥類の祖先の一系統でもある。羽毛を持ったラプトルの化石も見つかっているぐらいだからな。つまりあの化け物共は、恒温動物の可能性が極めて高いって訳だ。寒さにはそれなりに強いだろうさ」
「えっ……そうなの!?」
問い返したのは、コハクではなく八重だった。どうやら彼女も、よく知らなかったらしい。
そもそも恐竜と爬虫類とでは、骨格構造が根本的に異なる。
爬虫類の場合、四肢が体側から水平方向に伸びる為、前進移動の際には胴を左右にくねらせて、四肢を前に押し出すという動作が必要となる。蜥蜴や鰐の前進動作を考えれば、その移動のメカニズムがよく分かる。
これら爬虫類に対し恐竜はといえば、腰骨まわりの構造が爬虫類とは全く異なり、四肢は体側から水平方向にではなく、地面に向けて垂直に伸びている。これは、人間や鳥類の腰骨構造とよく似ており、二足歩行の肉食恐竜の場合では、後肢を前後に回転させるだけで前進することが可能なのである。
「それからもうひとつ、氷河期が恐竜の絶滅に関与したのはジュラ紀での話だ。白亜紀末期のラプトルを死滅させたのはバティスティーナ隕石だから、発想を変えた方が良い」
ブラックゴーストの言葉に力が篭もる。
実際、恐竜の絶滅原因を氷河期に求めるのは、近年の研究では間違いであるとする説が多くなってきており、6550万年前の一斉絶滅の直接原因は、現在ではユカタン半島沖に衝突したバティスティーナ隕石であるとする説が有力となっている。
バティスティーナ隕石衝突は、ユカタン半島沖に中心を持つ巨大なクレーターが衛星写真で確認されたことに加え、白亜紀と新生代の間に存在する極めて薄い地層、いわゆるK−T境界に、イリジウムが世界のどの地点でも混入されている事実から、今や確定事項に近い。
イリジウムは火山の噴火の際にも地表にあらわれるが、世界的に同じ時期で分布するとなると、巨大隕石の衝突が原因であるとする方が、より自然であった。というのも、隕石にも多量のイリジウムが含まれているケースが統計上、極めて多いからである。
K−T境界に含まれるイリジウムは濃淡の差はあれど、ほぼ全世界的に分布しており、これだけの量のイリジウムが世界中に撒き散らされる為には、直径10キロメートルにも及ぶ巨大隕石の衝突が必要であるとの計算結果が、20年以上も前に算出されている。
そしてユカタン半島沖に衛星写真で撮影された超巨大クレーターだが、こちらもこれ程の規模でクレーターが発生する為には、直径10キロメートル程の隕石による衝突が必要との計算結果が出ており、K−T境界内のイリジウム混入と併せて、バティスティーナ隕石の衝突が世界的な壊滅をもたらし、これが恐竜絶滅の直接原因であると結論付ける古生物学者が多くなってきているのである。
一方、物理学者の間では、直径10キロメートルもの隕石が衝突した場合どうなるか、というシミュレーションが実施されており、その時に発生する主な被害としては、高さ5キロメートルにも及ぶ巨大津波や、隕石の大気圏への突入に際して発生する赤熱化高温現象(その規模は、地表の何割かを火災で包み込むのだという)などが代表例である。
そして世界中にばら撒かれたイリジウムが太陽光を長期間に亘って遮断した為、地上の植物は壊滅的な打撃を受け、まず草食恐竜が絶滅したが、肉食恐竜は死滅した草食恐竜の死骸を餌とした為、すぐには絶滅しなかったという。
だが、餌となる草食恐竜の死骸が尽きると、今度は肉食恐竜同士による、血で血を洗う同族食いが始まったのではないかと考える古生物学者は少なくない。
「ま、そういう訳だ。デイノニクスが寒さに弱いという発想は、捨てた方が良いぞ」
「そ……そうなんですか」
ベアトリーチェは、ブラックゴーストの理詰めの説明に対し、ぐうの音も出ない。
「んもう! 呑気にくっちゃべってる場合じゃないよ! とにかくまずは、突破口を作んなきゃ!」
幾分苛々した様子で、美羽が吼える。
彼女にとっては相手が寒さに強かろうが弱かろうが、然程の意味は持たなかった。とにかく、包囲網を破る手立てさえ見つけられれば、もう何でも良いのである。
その時、不意に大地が震えた。
巨大な重量の何かが、地面に叩きつけられたかのような震動である。しかもそれは一度だけではなく、二度三度と連続して続き、次第にその震源が近づいてくるようでもあった。
ただでさえ包囲戦を仕掛けてくる謎の化け物にてこずっているというのに、更に別の脅威が現れたとでもいうのだろうか。
誰もがそんな不安と危機感を胸に抱いた時、突如、雷鳴が宙空を割るが如きの大音量で巨大な獣の咆哮が、ジャングルの樹々や薄暗い闇が支配する樹間の空気を、殷々と震わせた。
そして、遭難者達は見た。
樹上に広がる緑の天井の向こうに、陽射しを背に受けてこちらを見下ろしている、巨大な怪物の姿を。
「あれは……」
デイノニクス相手に、持てる技能の全てを投入して辛うじて立ち回っていた火村 加夜(ひむら・かや)が、絶望の色が滲む声を震わせた。
その巨獣は、通常の大型肉食恐竜の常識を遥かに越える、とてつもない大きさの体躯を誇っていた。
頭部には鶏のような紅く分厚い鶏冠が逆立ち、大き過ぎる上顎と、対照的にアンバランスな程に薄い下顎の肉付きが、奇妙なコントラストを見せている。
そのふたつの顎からは、後ろに反り返る鋭い歯列の先端が、唇の外側にまで伸び出していた。
後で知ったのだが、この巨大な化け物はマダガスカル島最大にして最後、そして島内生態系の頂点に君臨していた肉食恐竜マジュンガトルスということであった。
平均的なマジュンガトルスの全長はせいぜい12メートルまでなのだが、今、加夜達の前に姿を現したその巨躯は、どう見ても20メートルを越えている。
或いは、見た目こそはマジュンガトルスに似ているが、実は全く別の存在なのかも知れない。だが、今の加夜にはそこまで思考を及ばせるだけの余裕は無かった。
このとんでもない巨獣の牙から逃げ延びなければ、好きなひととはもう二度と会えなくなる……そんな確信にも似た恐怖が、彼女の胸の奥で鎌首をもたげ始めていたのである。
「包囲網の突破どころじゃないよ、これ……」
美羽も、生徒会副会長として新入生達を導くという使命を、ほんの一瞬だけ忘れて、遥か頭上に位置する規格外の怪物に、呆然たる視線を向けた。
この巨獣に比べれば、デイノニクスの包囲網など茶番にしか思えない。
「でも……それでも、何とか、しなくちゃ」
加夜が誰に語りかけるともなく、静かに呟く。そうそういつまでも呆然とばかりしてはいられない。デイノニクスの猛攻は、今も尚、まるで手加減する気配も無く続いているのだ。
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