百合園女学院へ

薔薇の学舎

校長室

波羅蜜多実業高等学校へ

善悪の彼岸

リアクション公開中!

善悪の彼岸

リアクション

 ――ヴィシャス邸・ヴィシャス自室――



「つつつつつつつつぅ〜〜〜〜〜」
 若松 未散(わかまつ・みちる)は、大きな半円の弧を左から右へと腕でもって表現してみせた。
「へい、ただいま! ううううええええっ!? 上がってきよった!? えらい男やな〜。ほいで、金は?」
 腰の低い男がどうやら上がってくると、上の男は驚いて見せ、聞いた。
「あっ、忘れてきた……」
 と、オチをつけて未散は頭を垂れた。
「ほほぉ。これがジャパニーズ・コミック・ストーリー、落語というものか。いやはや、これはこれは貴重な噺を聞かせてもらった。その若さでよくやる」
「ワー、おねーちゃんすご〜〜い」
「いやはや、噺は好きだから。てへへ」
 上機嫌なヴィシャスとアンゼリカに未散は持参した座布団を後ろ手に隠し立ちながら照れた。
「ねえねえ、他にないの〜?」
「そりゃいっぱいあるよ! 次はどんな話がいい、アンゼリカ」
「う〜〜〜んとね、面白いお話!」
「面白い噺か! よぉし、じゃあ次は――ッ!」
「で、どうでしょう?」
 未散のパートナーである神楽 統(かぐら・おさむ)は、楽しそうなアンゼリカと未散を尻目にヴィシャスの耳元で囁くように訊ねた。
「どう、とは? 中々に興味深い芸ではあったが」
「さすがヴィシャス様。お目が高い」
 ヴィシャスは統の目を一度見ると、アンゼリカ達に視線を戻した。
「すまんが、アンゼリカを部屋に送り届けてはくれぬか? 小さなストーリーテラーさん」
「あ、わかりました。よし、アンゼリカ、部屋に行こう!」
「え〜、お話は〜?」
「部屋に行くまでいっぱいしてあげるよ!」
「わーい!!」
 未散はアンゼリカの手を引き、警護の1人を連れてヴィシャスの部屋を後にした。
「それで、ワシとどんな取引をしたいのだ?」
「――ッ!? 参りました、さすがヴィシャス様、商人の鑑でございます。あの未散、容姿も然りながら、落語家としての将来性も国宝並でございます。それで、どうでしょう。未散の落語に先行投資していただきたい」
「……フン。なぜワシが?」
「それはもう、ヴィシャス様ほどの方でなければ、一流でなければ一流は見抜けません」
「ワシは買わん。あの小娘に出す金など、これっぽちもないわ」
「い、いつでもヴィシャス様のところへ出張してでもお噺させていただきます。それが山でも海でも――」
「ワシは商人だ。貴様が必死になればなるほど、疑いを持ってしまう。特に、護衛ではなく呼んだ者が、このタイミングでそんな話をすれば」
 すまない、と心の中で2度呟きながら、統はこれ以上の言葉を持てず、唇を噛み締めながら頷いた。
 未散に、そしてカールハインツに。

 ヴィシャスは葉巻を吸いながら、統の横を通り、他の契約者を見渡して言った。
「ワシは竜の涙を守れといっておいたはずだ。しかし、先から、貴様らの視線が痛く、不愉快だ」
 ヴィシャスは肥えた腹を突き出し、紫煙を歯と歯の間から吐きだしながら不機嫌さを隠すことなく言い放った。
「だけど、オジサンに変装して金庫を開けるとか、違う命令を出して混乱させるとか、当たり前だけど効果的なんだよ!?」
 天津 亜衣(あまつ・あい)はそう論ずるが、ヴィシャスは更に不機嫌そうに亜衣を見下し、フンと大きく鼻で笑った。
 その行動に怒りが頂点に達しかけ、思わず獲物のまずい部分を向けそうになるところを、パートナーのハインリヒ・ヴェーゼル(はいんりひ・う゛ぇーぜる)が制した。
「落ちつけ、亜衣。これがオレ達の任務だろ。クールに行こうぜ」
「……嫌いだよ。ああいうのは……」
「わかってるさ。それより、きちんとヴィシャスを監視しておけよ。オレはまた様子を窺ってくる」
「敵は外から来るとも限らない、ってやつだね」
「味方を疑うようでオレもあまり良い気はしねーけど、潜入工作だのや内通だのは、実際問題として十分にあり得る話だからな。きちんと用心しておくに越した事はねーだろ」
「あたしもヴィシャスを監視しておくよ」
「……よしッ」
 ハインリヒは亜衣を宥め終えると、ヴィシャスから了承を得て、隠しカメラの設置と通信傍受の用意をし、それらで逐一情報を得ながら、邸内を自らの目で見て回り出した。

「これはこれはヴィシャス殿。この度はまさに、大商人ゆえの税引きをされてしまわれて」
 笑顔を張り付けて久我内 椋(くがうち・りょう)は、ヴィシャスに挨拶をした。
「フン。金のない奴に限って、大金を得ようとする。全く――」
「愚か者……でしょう?」
「よくわかっている。その通り、大金を一瞬で得ようなどとは、愚か者の考えだ」
「ご挨拶が遅れました。俺……いえ、私は商家である久我内の次男坊、椋と申します」
「久我内とな。これはこれは、由緒正しき商売人の血筋を引く坊ちゃまですな。ハッハ、いずれ良き商売を……ッ」
 口調も態度も表情も、全て商人とうって変わり、ヴィシャスは椋に握手を求め、椋もまた、それに応えて握り返した。
 椋の根回しは、うまくいったようだ。
 護衛に参加した手前、竜の涙を守らなくてはいけないが、それは既に竜の涙の護衛に向かったパートナーのモードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)に任せて、商家の者として、好奇心で聞かねばならないことがある。
「久我内はヴィシャス殿の足元にも及ばぬ商人でございます。後学のため、是非、ヴィシャス殿の成功の秘訣などを……あ、いや、これは失礼。つい、大商人を前に、私はなんと愚かなことを口走って」
 掌で顔を覆う椋の名演技に、ヴィシャスは機嫌を良くしたのか、自室にある2つの物を指差した。
 1つは商人許可証のようなもので、もう1つは宝石がいやらしく散りばめられた装飾品である。
「どちらも還元していけば物である。が、最後に物をいう力は……あちらだ」
 そう言ってヴィシャスが指差したのは装飾品だった。
「なるほど……ッ!」
 椋は思わず納得、と言った表情で笑ってみせたが、内心はたまらなかった。
 目に見えない信頼という絆よりも、目に見える黄金の方が大事などと、本気で言っているのだから、たまらない。

「ヴィシャスさん、お話し中すみません」
 椋とヴィシャスの会話に割って入ったのは、秋月 葵(あきづき・あおい)だ。
「外からの狙撃や、こちらの情報漏洩を避けるために、今から窓のカーテンを遮光カーテンに差し替えてもいいでしょうか?」
 それは至極、最もな提案。
 しかし、ヴィシャスの反応は――顔にもまじまじと出ている通り――悪い。
「全く……。どいつもこいつもちょこまかちょこまか小手先ばかりで凌ごうと考えおって。ワシは金ならある。金ならいくらでもある。だが、この高級な、貴様では到底買えんようなカーテンを全て変えて、その金はどこから出る? ワシからじゃろ。貴様らは腕っぷしで名を上げているのだから、少しは自らの力でなんとかしてみせたらどうだね?」
「なっ! あたしはジャスティシアとして、ロイヤルガードとして、最善を尽くしたくて……ッ!」
「ならその名声に恥じぬ、堂々たる働きをすればいい。全く……これでは誰が盗人か到底わからんじゃないか……。金ばかり出ていく……。貴様が払うならば、いくらでもワシの家をいじり倒すがいい。好きなようにしろ」
「葵ちゃん、もういいよ。行こう?」
 どんどん真っ赤になっていく葵を宥めるようにエレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)は言い、魔装書 アル・アジフ(まそうしょ・あるあじふ)もエレンディラの言葉にウンウンと頷いて見せた。
 今大事なことを忘れてはならない。
 葵は唾を返して部屋を後にした。

「そいつはないんじゃないですかね?」
 あしらわれた葵達の様子を見て、酒杜 陽一(さかもり・よういち)がヴィシャスに寄って言った。
「……契約者というのは、立場を弁えない者が多すぎて困るよ。ああ、失礼。貴様も契約者だったかな?」
「まあ、そうなりますかな。ヴィシャスさん、泣かせが過ぎると貴方の家族にも憎悪が向けられる。御息女の為にも、行いを改めるべきはないですか。それに怪盗に治療費をやれば、世間の評判も良くなるんじゃないですかね? あの大商人ヴィシャス、慈善活動に……ってな感じで」
「……なるほど、それはどこの世界での話だね? 貴様如きに声を荒げる前に、1つ、ワシのことを教えてやろう。ワシの趣味はな……金じゃよ」
「……素敵なご趣味で」
「わかったならば……さっさと護衛に向かえ……ッ!」
 陽一はヴィシャスが万が一慌てふためき、護衛が必要な時のためを考えて備えていたが、わかったことは――悪徳商人も義賊も大差無いという自身の考えが――改まって思い知らされたことだ。
 これ以上の説得は無意味と、陽一は部屋を後にした。