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第3章 そして彼は追われる 3

「はあ、はあ…………ようやく撒いたか?」
 京太郎は膝に手をついて、荒く息をついていた。しばらくその態勢でいたが、呼吸が落ち着いてきたところで自分の周りを確認する。
 どうやら肝試しのコースからはかなり離れてきてしまったようだった。
「あー、ちくしょー」
 どうやって追っ手から逃げ続けるか。それを京太郎は考える。
 と、そのとき。
「ん?」
 京太郎の目に映ったのは、不気味なドクロの山であった。
 道の端々に、氷漬けにされた仲間の工作員やドクロを置かれてあった。冷気がまるで霧のように足元を漂い、京太郎がドクロの山に近づくと、周囲に人魂が浮かび上がった。
 それはまるで京太郎を待ち構えていたかのように、開けた草木の空間にあった。暗がりで見るドクロの塊というのは恐怖でしかない。が、更に驚いたのは、その山の上に人が立っていたことだった。
「…………」
 暗がりのなかにあるため、京太郎は人影をはっきりと見ることが出来ない。唯一見えるのは、冷気と人魂の火によって確認できる口元だけだった。
 マリリン・フリート(まりりん・ふりーと)である。
 元々は単なる肝試しの参加者だったのだが、京太郎の悪事を知って、それを成敗しようと乗り出したのだった。
 ただ、言い方を変えれば、単なる余興で暇つぶしである。『――せっかくだし、演出に付き合ってもらおうかねぇ』と、ニタニタ笑いながら今回の演出を思いついたのであった。
 もともと、気取ったような気紛れ魔法使いなのだ。面白そうだと思ったことには、首を突っ込むクセがある。
 マリリンの横で、般若のお面を被っているパートナーのジョヴァンニ・ヘラー(じょう゛ぁんに・へらー)は、そのことをよく知っていた。
 だからこそ、彼女には京太郎の悪事のことを隠していたのである。無論、不安を募らせるたけにはいかないという思いもあってのことだ。しかし案の定、夢安一味の悪戯にマリリンが気づくと、彼女はこうして京太郎を待ち構えようと、無駄に凝った演出を準備したのであった。
 京太郎はジョバンニとマリリンを見上げて、唖然としている。
「悪いことはぁ……」
 マリリンは唇を三日月に歪めた。
 暗がりの中にあっては、それはひどく冷たい笑みだった。
「いかんぜよぉーーーー!!」
 マリリンは叫ぶとともに、雷術の雷を京太郎に打ち降ろした。激しい轟音と一緒に、周囲のドクロや霧を吹き飛ばす雷撃。
 その明かりがマリリンの姿をはっきりと浮かび上がらせる。
 全身、血まみれの女性が京太郎の視界に映った。
「おわああああぁぁ!」
 京太郎とて、幽霊が怖くないわけではない。
 闇の中に血まみれの女性が浮かび上がれば、それは逃げ出したくなるも当然だった。
 京太郎は慌ててその場を逃げ出した。が、霧がすでに視界を覆っており、方向感覚がなくなっている。どこに向かえば出口があるのか分からない、霧の迷宮に彼は足を踏みこんでいた。
 すると、シャラン、シャランと鈴の音が聞こえてくる。
 霧に戸惑って立ちつくしていた京太郎の傍を、背の低い人影が追い抜いた。
 その正体は、和服を着込んだ風森 望(かぜもり・のぞみ)だ。ただもちろん、彼女は京太郎から顔が見えないようにしている。長い髪をわざと顔の前に垂らして表情を隠し、ゆらりゆらりと、幽霊じみた動きで歩いて行くのだ。
(のぞき部としては、盗撮連中は許せないですよね)
 望にとって、その行動原理はそこに尽きる。
 お化けに扮して参加者を脅かしていたのであれば、やはり彼らもまたお化けによって裁かれるべきなのだ。
 彼女は京太郎からしばらく遠ざって、そして振り返った。
 ニタァっと笑う。霧のなかで見る彼女の笑みは、ぞくりとしたものを京太郎に感じさせた。すると突然、彼の携帯が鳴る。
 ポケットのなかにあった携帯を取り出して、京太郎はその表示を見た。非通知だ。誰からかは分からない。
 しかし、そこから顔を上げたとき。
「…………っ」
 すでに着物の少女の姿はなく、京太郎は声にならない声を発した。
 望は落とし穴に入って実を隠していただけである。ただ、それを京太郎が知るすべはなかった。
 思わず、京太郎は後ずさった。
 すると今度は、すすり泣くような音が聞こえてくるではないか。それが先ほどの着物の少女の泣き声のようにも錯覚して、京太郎は身震いした。
 どれだけの時間が経ったか。しばらく、京太郎はその声に追いかけられるようにして草木の間をさまよっていた。先に進んでいるような感覚はないが、後ろにさがっている感覚もない。ただ、落ち着きなく歩くだけ。
 途端。
「クーーーーックククワーーーーーッハハ!!」
 女の狂った笑い声が聞こえてきたのはその時だった。
 京太郎は心臓が鷲掴みされたように感じた。振り返ると、後ろにいたのは一人の女。暗闇に浮かび上がるのは水銀のよう髪だった。
 京太郎は、それがアリス・ハーディング(ありす・はーでぃんぐ)であるとは気づかない。
 闇の中に浮かんだ吸血鬼の周りからは毒虫の群れが現れた。毒虫は、アリスが一歩ずつ進み出るとともに、じわじわと京太郎を囲んでいく。しばらく京太郎は、金縛りにでもあったように身動きが取れなかった。
 だが。
「キーーーッヒヒ!」
 アリスの狂った笑い声を聞いて、とっさに足を奮い起こしてその場を逃げ出す。
 背後から、アリスが追いかけてきた。霧隠れの衣の布を使ったその姿は、まるで本物の幽霊だ。実際、アリス自身も渾身の出来だと思っていた。
(それにしても……本当に逃げ足だけは速いのですね)
 アリスはレン・オズワルド(れん・おずわるど)から聞いていた彼の評価を思い出していた。
 脱兎のごとくとはまさしくで、アリスが追いかけるスピードも、幽霊にしては尋常ではないものとなっている。
「くるなああああぁぁぁ!」
 子供のように泣きわめきながら逃げるが、しかと地に足をつけて走っているだけ、彼の能力が伺えるというものだった。
 と、やがて。
 京太郎は霧のなかからようやく脱出した。
「はあ、はあ……はぁ……」
 アリスの姿はない。
 ようやく撒いたか、と安堵の息をこうとする。
 だが、一筋の刀身がそれを許さなかった。
「はい、ゴール」
 喉元に刃をつきつけられて、京太郎は息をとめた。ゆっくりを視線を動かすと、そこにいたのは金髪の髪を靡かせる一人の女であった。
「折角の肝試しなんだから、少しは楽しまないと損よ」
 女は悪戯っぽい笑みを浮かべて、皮肉にそう言った。
 運営スタッフから協力を頼まれた契約者、セフィー・グローリィア(せふぃー・ぐろーりぃあ)である。アメリカ人の父とイタリア人の母から生まれたハーフであって、たおやかな金髪は母譲りであろう美しさを担っている。白大狼の毛皮の外套を着用して戦場を駆ける姿から、一部では『白狼のセフィー』と呼ばれている娘であった。
 無論、そのことを京太郎は知っていないが、
(……こんなやつにまで応援要請してたのかよ)
 という程度には、彼女を認識することが出来た。
「セフィー、見つかったのか」
 遅れて、セフィーのもとに二人の娘がやって来た。
 オルフィナ・ランディ(おるふぃな・らんでぃ)エリザベータ・ブリュメール(えりざべーた・ぶりゅめーる)だ。セフィーにとっては、パラミタで契約を交わしたパートナーである。
「なかなか楽しませてくれそうだったけど、これでチェックメイトだな」
 二人のヴァルキリーのうち一人――オルフィナが、不敵に言った。
 豊かに育った胸は明らかに女性を意識させるものだが、どこか言動や仕草は男っぽく、ワイルドな娘だった。対してもう一人のエリザベータは美しき戦乙女というべきか。淑やかな見た目であるが、そこには凛々しき騎士の雰囲気も備わっていた。
「セルファのところでは捕り逃したけど、結果オーライか」
「そうですね。まったく……乙女の純情を利用して悪さをするなんて絶対に許されないわ」
 エリザベータが激昂して吐き捨てるように言った。
 どうやら彼女たちは、セルファや他の肝試しの参加者たちの護衛として、今回のイベントに潜入していたらしい。数多くの追っ手に追われていたからとはいえ、見逃していたのは京太郎の汚点だった。
 これで、オルフィナの言うように、本当にチェックメイトか。
 セフィーの構える刀から逃れられそうもなく、京太郎は諦めを感じていた。
 と――
「京太郎! 逃げるわよ!」
 セフィーの刀がなにかに弾き飛ばされ、女の声がしたのはそのときだった。刀を弾き飛ばしたのは投げ飛ばされたレーザーブレードの柄だ。
 そして、京太郎の目の前に降り立ったのは、仲間でもあるフリーライターのまゆり、そして仲間の男子生徒たちだっただった。
「まゆり……っ」
「夢安組作戦その一! 疾きこと風の如く――逃げるが勝ちってね!」
 これで形勢逆転となるか。
 京太郎はまゆりと一緒に、セフィーたちが度肝を抜かれている間にその場を駆け抜けた。
 だが、そう事は上手く運ぶわけでもない。
 セフィーたちとは逆側から、京太郎たちの前に現れたのは狩生 乱世(かりゅう・らんぜ)だった。
「おいおい、逃げようったってそうはいかねぇぜ?」
 彼女はニヤリと、不敵に笑みを浮かべて京太郎に立ちはだかった。
 その後ろでは、
「いたいけな女性を騙し、一方的に辱めるとは……元夫にして宿敵仇敵のヘンリー8世にも等しき鬼畜の所業! 許してはおけません!! そんな悪い男は、今度こそ殺してやる……殺してやるわ!!」
 アン・ブーリン(あん・ぶーりん)が狂気の笑い声をあげて、夢安一味の男子生徒たちを追いかけまわしている。
「アーーーーハッハッハッハッハ!!」
 手にした大鎌をぶんぶんと振りまわすため、男子生徒たちの逃走は必死だった。
 しかも、そこにもう一人のパートナーである四方津坂 彪女(よもつざか・あやめ)も加わる。
「ふむ……汝らのような不埒な輩を成敗すれば、我が剣の修行にもなろう。アン殿、我が大剣とそなたの大鎌、どちらが多く奴輩らの首と一物を落とせるか、勝負と参りましょうぞ」
 まるで古来の侍が現世にやってきたように、彼女は剣を構えた。その刀身が煌めいたと思ったときには、すでに修羅と化した娘が男性生徒たちを追いかけている。
 狂気の娘と剣客が仲間たちを追いかけるなか、京太郎のもとに追っ手たちが集まってくる。
「もう、逃げられんどすえ?」
 黒実が銃を構えて言って、鬼丸が怯えながらもそれにフォローするように付き従った。
「肝試しでのあんたらの悪事、ぜーんぶお見通しやさかい。おとなしゅう、お縄についてくれへんかなぁ?」
 黒実が穏やかな笑みを浮かべながらも、詰め寄った。
「あー……」
 京太郎は苦笑しながら頬をかく。
「肝試しにかこつけて良からぬ悪事を企む輩ってのは、放っちゃおけねえ。キ●タマの小せえゲス野郎には、きつーいお仕置きが必要だよなーあ? その腐った認識を叩き潰してやる…………って、なにコソコソ逃げようとしてんだ、皆無!」
 京太郎に説教を唱えていた乱世が、男子生徒のなかの一人に向かって叫んだ。
「ありゃ、見つかっちゃった」
 どさくさにまぎれて逃げようとしていた尾瀬 皆無(おせ・かいむ)が、笑いながら振り返った。
 皆無は乱世のパートナーである。
 いい加減でヘタレな駄目男の代表のような悪魔であり、今回も女の子が大好きという性格が災いして京太郎の計画に乗っていたのだった。
「てめえ、こんな野郎に協力して、どうなるか分かってんだろうな」
「俺様は悪くないよー。全部夢安くんに命令されましたー」
「…………おい」
 当然、京太郎はそれにツッコまざるをえない。
 しかしあろうことか、皆無は彼を背後から羽交い絞めにした。
「おま……なにしやがる!」
「むっあっんっくーん、俺様たち、同志だよね?仲間を残して一人だけ逃げるなんて、女性誌の『嫌いな男ランキング』で堂々1位を飾れるような真似はしないよね〜え?」
「…………」
 考えていただけに、京太郎も強くは反論できなかった。
「……痛みは分かち合おうよ、ね?」
「嫌に…………決まってんだろがっ!」
 意外と力は強かったが、その羽交い絞めを京太郎はなんとか振り払った。
「まゆり! あとは頼んだ!」
「あっ、ちょっ……っ!! あんたねぇ!」
 ここで捕まるわけにはいかない。
 皆無ではないが、皆の犠牲は自分のためにある。性根が腐っているのはいまに始まったことではない。
 京太郎は皆無を盾にするようにしてその場を逃げ出そうとした。
 が、
「あれー、どこに行くのかなー」
「…………」
 身を翻したそこにいたのは、生徒会長の東條 カガチ(とうじょう・かがち)だった。
 なぜか鎧武者の格好をして、ガシャガシャと身じろぎするたびに音を打ち鳴らしているが、確かにその兜の下からのぞくのはカガチの顔である。
 彼はにこーっと笑って京太郎を見おろした。
「夢安よー、そろそろお縄についちゃくれないかね? ほらさ、俺だっていいかげん――実力行使に出ないといけなくなっちまうからさ」
「えーと……脅し?」
「え? はははやだなあ説得だよー。生徒会長は平和を愛するさ」
 笑いながらも、その目が本気であることを京太郎は見抜いていた。
 似たような目をどこかで見たことがあると、ぼんやり考える。
 ああ、そうか。アレだ。
「…………チェックメイトかよー」
 豆の木事件の終わりのときも似たような瞳を見た気がして、京太郎は、完全に諦めてその場にばたりと倒れた。