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リアクション
教導団の学生寮は個室、二人部屋、四人部屋とある。広さと備え付けの家具の数が違うだけで規格は同じだ。
机と椅子。ベットに一揃えの寝具。多目的棚にクローゼット。カーテンなどがそうだ。
小さいが自分だけの部屋はそう間をおかずに部屋の主の色に染まるのが常である。
シンプル。ナチュラル。和風にアジアン。ミッドセンチュリーまたは北欧風。
部屋の傾向はそれこそ、千差万別、十人十色。
怜悧な美貌の鬼大尉メルヴィアの自室は――超がつくほどファンシーだった。
最初に目があったのは小さなクマだ。
ナチュラルカントリー調にデコレーションされたスチールボードにお腹に数字のアップリケをあしらったクマのヌイグルミが31匹並ぶ。
マグネットのついたそれは万年カレンダーらしい。だが、月はふた月ほど前のままだ。
その次はドアの裏にかけられた猫のぬいぐるみ。
首から“WELCOME”というボードを下げている。めくれば“SLEEPING”とかそんな文字が踊っているに違いない。
入口から中に進めば、犬、ウサギ、キツネなどなどのありとあらゆると言っても過言ではない種類と数のぬいぐるみが所狭しと並び、
足元には、猫と犬の足を模したもこもこのスリッパが二足転がっている。
「…………」
ベットの上、机の上、備え付けの棚。明らかに部屋の許容量を越えた物言わぬ住人たちの出迎えに七瀬 雫(ななせ・しずく)は盛大に溜息をついた。
掃除監督のために自室の掃除に手が回らないだろうメルヴィアの自室の掃除を申し出たのだが。
これは予想外だ。ファンシーさが、ではない。物の量だ。
「どう考えてもキャパオーバーでしょ……掃除する前に整理整頓だな……」
とは言え、どう片付けたものやらさっぱり見当がつかない。
あの性格なら、おそらくこの殆どが自分で購入したものだろう。愛着の度合いも優先順位も当人しかわからない。
「……見回りの途中にここにも寄るだろうし……その時にいくつか処分してもらう奴を選んでもらうかな」
雫はベットの横に積み上げられた雑誌の山に手を伸ばした。
「……けもも☆どうぶつキングダム? あぁ。通販雑誌か。有効期限の切れてるな」
手をつける物を見つけた雫は部屋に散らばる古い雑誌を纏める作業に入った。
(……なんだ。先客かよ。ついてねぇな)
ドアの隙間からメルヴィアの部屋の様子を窺っていた藤原 忍(ふじわら・しのぶ)は肩を竦めた。
(灯台元暗し。メルヴィアんトコで一眠りしようと思ってたのによ)
はなから大掃除に興味のない忍は逡巡すると踵を返えす。
「しのむー!!」
――ドス
小さな体が勢いよくダイブしてきた。
「……なんだぁ? こまじゃねぇか。どした?」
じゃれつく体を抱き上げてやると、にゃうと猫耳少女は喉を鳴らした。
「にゃ? しのむ、いなくにゃったから、メルメルと探してたにゅ。見つけたにゅ〜」
「ふぅん?」
気にした風もなく、顔を上げれば鼻先に鋼糸が突きつけられる。
「忍――掃除はどうした?!」
「言うまでもねぇだろ。メルヴィア」
大仰に溜息をつくとこまを抱き上げたまま忍は肩を竦めて見せた。
相手が誰であれ、上官であれ忍の態度は変わらない。
「俺が掃除なんてするわけねぇだろ!!」
「よく言った!! 指導してやる。覚悟はいいな!?」
「上等ぉ。やってみな!」
不敵に笑うとこまを放り投げ、駆け出す。見事なスタートダッシュだ。
対するメルヴィアも走り出す。宙を舞うこまの体を左で受け止め、空いた手を一振りする。
空を裂く音が指導と言う名の追いかけっこの合図となった。
* * *
4階建ての鉄筋コンクリートのアパートを思わせる建物――教導団学生寮の一角は得体の知れない緊張感に包まれていた。
――ガラガラ
車輪の軋む音に、数名の生徒たちがドアの向こうで身を縮めて、息を呑む。
こんなはずではなかった。
疑われぬよう、怪しまれぬよう。
ごくごく普通に自室を掃除し、掃除を監督する融通の利かない大尉をやり過ごせば――全てが終わるはずだったのに。
最初の犠牲は、教導団歩兵科。最上階の角部屋の住人だった。
“貸本屋”とあだ名される彼はベットの下には本がびっちりと詰まっている。
一見参考書のように見えるそれらは一皮剥けば、セーラー少女から妖艶な女教師はたまた深窓の令嬢、和服美人、素朴なお姉さんの
見えそで見えないなまめかしい姿態が現れる仕様――ぶっちゃけエロ本とかエロ本とかエロ本だ。
それが――まぁ、つまり没収されてしまったわけである。
――ガラガラ
カートを押すのは戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)。
予想外の伏兵。現在進行形で男子寮生を失意のドン底に突き落としている恐怖のハンターである。
――ガラガラ
男の子の夢と浪漫が詰まったカートが通り過ぎていく。
身を潜めた生徒たちには気付かなかったのか。
音が遠くなるのを確認した彼らは囁きあう。
「今だ。今のうちに――」
「4階の奴らに頼めば引き受けてくれる」
「あぁ――一度検査した場所には戻らないっ――行くぞ!」
意を決して、外に飛び出しすのと悲鳴が上がるのは同時だ。ブラフだと気付いたところで、もう遅い。
「「「いいいいいいいいいいい、戦部大尉!? 」」」
小次郎は笑顔で手を差し出した。
「はい。今、手に持ってるもの見せてもらおうかな?」
* * *
――ジャバジャバ
水音と湯気があがる。
すりガラスの向こうは癒しと憩いの場――大浴場とシャワールームだ。
どんな黒ずみも一発!との謳い文句のカビキラーの独特な洗剤の臭いに顔をしかめるのはトマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)。
床と壁の境目とタイルの目地を小さなブラシで丁寧にこすっている。浴場の床を磨き終えて、最後の仕上げ作業の最中だ。
「みんなの体を磨く場所だもの。綺麗に磨かいておかないと」
「それはそうですが……この姿勢は明日……腰にきそうで……」
一方、中腰の姿勢で浴槽の湯垢を落としているのは魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)。
こわい、こわいと立ち上がると背を伸ばす。
自慢の髪を三つ編みにして、腰まであるゴム長靴にゴム手袋の完全防水スタイルだ。
その姿は――名立たる武将というよりはどう見ても魚屋さんである。
年寄り臭いその動作と格好にトマスは溜まらず噴き出した。
「……笑うことはないでしょう」
「いや、だって……よく似合ってるよ?」
「……褒められてる気がいたしません……私の方はあと少しですが、そちらはどうですか?」
「もう少しかかるかな」
「では、こちらを片付けたら、お手伝いに参ります」
「うん」
いけすならぬ浴槽に魚屋さんが身を沈めるのを見送って、トマスは作業を再開させた。
ブラシとぼろ布を使って山と詰まれた洗面器と腰掛にこびりついた水垢を落としていく。
腰掛を一つ拝借し、足の間に挟んだ洗面器をちまちまと磨く様は――頭についた丸い耳も手伝ってアライグマに見えなくもない。
ただし、この地味な作業に勤しむテノーリオ・メイベア(てのーりお・めいべあ)はアライグマではなく、ただの熊の獣人だ。
「こう汚れてるとなぁ……洗いたい心って奴をくすぐられるよなぁ」
とは言え、この全てを磨き上げれるのにはどれだけ時間がかかるだろう。
この後にはシャワー室の掃除も控えている。
「でも、ま。今日は大掃除だしな!」
左右から聞こえる水音と掃除機の音もまだ止みそうにない。
心行くまで掃除しよう。火ついた掃除魂に急かさせるようにテノーリオは次の洗面器に手を伸ばした。
大まかにハタキをかけて、壁や棚のほこりを払う。
その後はざっと掃除機をかけて大きなゴミを吸いとり、細かいゴミも濡れ新聞紙を使った昔ながらの知恵で綺麗に掃き集める。
それが終われば、雑巾がけ。最後に洗面台の鏡をガラスクリーナーで磨いて、排水溝のゴミも残らず綺麗に浚う。
「ふふ。完璧ですね。――年に一度の大掃除はこうでなくては」
手際よく、抜かりなく。きっちりと掃除をこなして、ミカエラ・ウォーレンシュタット(みかえら・うぉーれんしゅたっと)は満足気に脱衣所を見回した。
「あとは――脱衣籠の整理かしら」
掃除の邪魔になるからと積み上げた籠に手を伸ばして、籠目に絡んだ髪の毛に気付いた。
よく見れば、ほとんどの籠に長短、色とりどりの髪が残っている。
「――あら。いけない。まだ残っていましたわ」
新聞紙を広げて籠を叩くと、髪の毛がはらはらと舞い落ちる。
それでも、落ちないものはブラシを使ってとっていく――十数分もしないうちに髪の毛の山が出来上がった。
「さて。今度こそ完璧ですわ」
鏡と洗面台はピカピカで、棚には整然と籠が並び、床には塵一つ、髪の毛一本ない。快適な脱衣所の出来上がりだ。
纏めて捨てようと新聞紙を丸めかけた手が、ふと止まった。
「ふふ。いいこと思いつきました。ただ掃除をするだけは芸がないというものですわ。ふふふふふふ」
最後の仕上げと浴場に水を流して、洗剤洗い流し、湯の熱を払う。
「こうしておけば、カビも防げるしね」
「トマス。換気扇のタイマーセットできましたよ」
「ああ。ありがとう」
「んじゃ、ミカエラと合流して、掃除道具返しに行こうぜ!」
浴場から脱衣所に顔を出せば、ミカエラはすでに準備万端で三人を待っていた。
その手の中には、紐と糸を寄り合わせて作った奇妙な人型――ブードゥー人形が数体握られていた。
「ミカエラ、それどうしたの?」
「待ってる間に作りました」
「「「え? でも、それって……」」」
三人の手が人形に届く前にそれはミカエラの胸元に仕舞われた。
「――安心してください。あなたたちの物は使っていませんから」
* * *
逃げろ逃げろ。
本やゲーム、DVDで一杯になったカートを押す小次郎の隣を。
追いかけろ。追いかけろ。
部屋を掃除するメイド隊と垂の横を。
走る走る。
布団がはためく庭先を。それを叩く真一郎と可奈の脇を。
逃げろや逃げろ。追えや追え。
「掃除なんて冗談じゃねぇ!!」
「待て! この不心得者が!!」
駆けて駆けて、逃げる忍と追うメルヴィアが辿り着いたのは玄関ホール。
雑巾を洗っていたマティエは驚いて、頭上――脚立の上の瑠樹を見上げる。
「な、なにごとですか?!」
「んー? ……大尉怒ってるねぇ。あぁ。サボりってやつだねぇ。多分……」
瑠樹とマティエのほんわかお掃除空間の空気を引き裂いて、メルヴィアの糸がうなりをあげた。
人と脚立、掃除道具が入り乱れたさして広くもない玄関ホール。
数分もしない内に脚立とバケツがひっくり返り、辺りは水浸しとなった。
水も滴るいい女になったメルヴィアにメイド服が差し出されたのは言うまでもない。