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リアクション
柊 恭也はツァンダの街並みを楽しみながら、ルシアと、奈月たちと歩いていた。
「どのようにして探すつもりなの?」
「そうだな。ぶらぶらと歩いていて、喫茶店ならいい香りがするからそれで探せると思う」
「じゃあ半ば行き当たりばったりなのか」
奈月がそうこぼすと、後ろでヒメリがケーキを片手に歩いている。結局台車の案は廃案となり、そのまま歩いている。ヒメリがぶつぶつ文句を言い始めると、奈月は彼女にケーキを与える。そうすれば少し黙っていてくれるのである。
「ねぇねぇ沙夢」
「何かしら?」
弥狐が沙夢の服を引っ張る。弥弧だけに気づいたものがあるのを、尻尾と耳が語っていた。
「何か甘い香りがしない?」
「そうかしら? でもこの辺りには看板がないように思えるけれど……」
沙夢が周囲を確認する。道路に沿って多数のお店が並んでいるが、そのどれにも喫茶店のような看板ではない。けれども弥狐は自信を背負っていた。
「うん。あっちの方向だよ。あたしが感じた匂いはあっちから漂ってくるみたいだ」
言うが早いが走る弥狐を皆が追いかける。路地裏をかけて、別の通りに出る。弥狐は迷いなく走り、ルシアはカメラに向かって実況をしながらその背中を追っていた。
弥狐たちが向かう先にある一つの建物は看板がない。けれども喫茶店である。看板がないのは店側の準備が足りていないのではなく、あえてそうしているのである。そのために、人が訪れることはめったになかった。
店内では一人の男性が眼鏡をくいっと持ち上げている。溢れかえる自信を存分に見せびらかし、ドクター・ハデス(どくたー・はです)は高笑いをしていた。
「ふははは!! どうだ。この数日の客数は零。完璧な数字だ!!」
「喫茶店なのにそれを自慢するのはハデス店長だけですね」
ヘスティア・ウルカヌス(へすてぃあ・うるかぬす)は床の掃除をしながら、尊敬のまなざしを輝かせている。
「そうだろう? ヘスティアよ。まさかこのツァンダに悪の秘密結社のアジトがあるだろうとは誰も思うまい。ククク……フッハハハァー!!」
ハデスはメガネを妖しく光らせる。ヘスティアは掃除を終えるとお茶の準備に差し掛かった。それはハデスのためでもあるし、もう一人のミネルヴァ・プロセルピナ(みねるう゛ぁ・ぷろせるぴな)のためでもある。
「ミネルヴァさま。お茶菓子は何がよろしいですか? それとストレートティとミルクティーのどちらになさいますか?」
「ヘスティアさんに任せるわ」
未だに高笑いを響かせているハデスとは遠い場所でミネルヴァは優雅に微笑むと、かけていくヘスティアの後姿を見て笑っていた。
ここは秘密喫茶オリュンポス……というのは世を忍ぶ仮の姿であり、正体は悪の秘密結社オリュンポスである。その秘密のアジトに三人はいる。秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクター・ハデスも今は秘密喫茶オリュンポスの店長、マスター・ハデスであった。
無論その正体が露呈されるのを恐れている彼らは、客足を避けるために看板も出さずに秘密喫茶を営んでいる。そして今日も客が訪れなかった、つまり正体が暴かれていないことを喜んでいるのだった。
「どうだぁミネルヴァ・プロセルピナよ。ここの偽装工作は完璧であるだろう?」
「そうですね。ヘスティアさんも紅茶をありがとう」
ハデスのことは耳半分にして、ミルクティーを持ってきてくれたヘスティアをねぎらう。そしてその紅茶に口をつけようとした時だった。
「こんにちはー。ここからおいしい匂いが流れていたんだよー!!」
蹴破るかのごとく勢いよく扉を開いた弥狐を先頭に、ルシア一行が流れるようにオリュンポスに来店する。
「疲れたーもう座りたいよー」
「もう少しだよ。ヒメリ。またここでケーキ食べようねー」
来る者来る者が、好き勝手に会話を繰り広げている中で、ようやく現状を把握したハデスの心中は嵐の用の吹き荒れる。
「ば、バカな?! 我が偽装が見破られただとっ?!」
頬に伝う汗の気配も気づかずにハデスは立ち尽くす。しかしすぐに正気を取り戻すとヘスティアに軽く合図を送った。
「どうやら、この秘密喫茶オリュンポスに迷い込んできた愚か者がいるらしい。全力を持ってお相手しようではないか。というわけで行けっ、ヘスティアよ!」
「はいはい。喫茶店オリュンポスへようこそ。団体様ですか?」
つかつかと歩み寄るヘスティアはルシアを席に案内する。沙夢たちと奈月たちが同じテーブルに座り、恭也がカウンター席に座る。ルシアがどこに座ろうか迷っていると、ミネルヴァと目があった。
「このお店にお客とは、珍しいですわね。よろしかったら、一緒にティータイムを楽しまないかしら?」
「いいのかしら? 騒がしくなってしまうかもしれないですけれど?」
「いいですのよ。にぎやかな方が楽しいでしょう?」
見るものの心を溶かすかのごとき穏やかな笑みを向けると、ルシアは自分も微笑みで答えたのだった。
落ち着いたところでハデスが重苦しく咳払いをする。
「ふむっ。どういう経緯でここまで来られたのか知らんが、来たからには相応の礼を持って出迎える必要があるな。」
「こんなおいしそうな匂いをしていたら分かるよ」
弥狐に皆が軽く頷く。初めに気づいたのは弥狐だが、この場所へ近づくにつれて、特有の匂いは自己主張を強めているのは誰もが気が付いていたのである。ハデスが気づけなかったのはこの場所にずっと居たからだろう。
「ねぇ。ボクはお腹すいた。何かおいしいものを作ってよ」
ヒメリがメニュー相手ににらめっこをしている。
「そうか。このオリュンポスをとくと味わいたいということか。この俺の実力を見せてやろう」
白衣をエプロン代わりにしてハデスは腕まくりをする。
「それでは注文がお決まりになられましたらお呼びつけください。申し訳ありませんが、モーニングセットとディナーセットは時間外であることはご容赦くださいませ。ではごゆっくりお過ごしください」
ヘスティアが軽くお辞儀をすると、彼女のメイド服がふわりと膨らんだ。曲がりなりにも喫茶店という雰囲気が強くなってゆく。店内に飾ってある時計が三時を告げると、窓から午後のけだるい日差しが注ぎ込んでくる。
■
ミネルヴァはテレビの取材であることをルシアから確認するとほっと胸をなでおろしていた。彼女は秘密結社オリュンポスのスポンサーとして資金援助を行っている。ルシア達が敵対勢力ではないかと疑っていたが、どうやらそれは勘違いだったらしい。
「ほんとうに匂いに誘われてきたのですか」
「そうね。あなたはいつもここでお茶をしているのかしら?」
「えぇ。ここで紅茶を飲むことと、読書をすることがわたくしの楽しみなのですわ」
「けれどここは独特な内装をしているわね」
ミネルヴァの隣にいるのは沙夢である。奈月とヒメリがケーキ争奪戦を始め、弥狐もそれに参戦している。激動の様子を横目で観察しながら飲む紅茶は珍しい味をしていた。
「まるで秘密基地みたいな……」
「あら。秘密喫茶店ですから、秘密基地みたいな内装をしていてもいいですわよ」
「そうなのかしら?」
ルシアが首をかしげているとヘスティアが紅茶とケーキを持って訪れる。
「お待たせしました。季節のケーキと、ミルクティーです。ご存知でしたら恐縮ですが、ティーカップはソーサーに載せたままカップを持ち上げ、口元でカップのハンドルをつまんでお飲みください」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます。けれどこの風景は目を見張るものがあるわ。言い場所にあるのは確かだわ。見てルシア。港湾区が見えているわよ」
「このケーキも美味しいものだな。紅茶との食べ合わせが最高だぜ」
恭也に続いてミネルヴァも持っていた本を閉じると、フォークをケーキに差し込む。小さく区切られたそれを口に運ぶと、その味を喜ぶように頷いていた。
ルシアもそれに続きテーブルの上に蜜のような甘苦しい空気が広がっていく。その味にそうっと目のつやを増すと、ルシアは窓の外を眺める。
「いい眺めですね。実は私、今日はペガサスに乗ったので、あの港湾区を上空から見ていたのですよ」
「本当? 素晴らしい体験をしたのね」
「わたくしもそのお話が気になりますわ」
「いいわよ。まずラーメン屋を出て行った後に私は……」
自分がリポートをする立場であるのを忘れて、ルシアは話し出す。彼女が日常的な自分らしさを見せているのは、このオリュンポスの空気が癒しを与えているからなのかもしれない。
「ふはははは!! できたぞ。これぞ秘密喫茶オリュンポスの自慢の料理。オムライスだ」
「さっきから作っていたのはそれか? 早速だが味見させてもらう」
「いい匂いね。これはおいしそう」
恭也と沙夢が声をそろえてスプーンを手に取る。しかしルシアはオムライスを前にしてやや戸惑っていた。
「あらオムライスなのね。これは困ったわ。以前に別の場所でオムライスをごちそうしてもらったの」
「なんだってー!!」
腕を振り上げながら大げさに驚くハデスだったが、すぐに不敵な笑みを作り、自分を立ち直らせる。
「ふん!! どんなオムライスを食べていようが、このオリュンポスのオムライスが一番だ!! どんなものにも負けないことを証明してあげようではないか。だから食うがいい」
「そうね。いただくわ」
慣れた手つきでオムライスを割る。黄色い卵の殻を破り、赤いライスが出てくる。その鮮やかな色合いを楽しむと、そのまま口に運んだ。
「どうだ。おいしいか?」
「えぇ。とってもおいしいわ」
「ルシアが前に食べたオムライスとどっちがおいしいのかね?」
「どっちも美味しいわ。私には決められないわね。ごめんなさい」
「そうだぜ。どっちがおいしいかなんて気にすることはないぜ。どっちも美味しいでいいじゃねーか」
恭也のあっけらかとした声にハデスは鼻から勢い良く息を吐く。
「ふん。まぁおいしかったのならそれでいい」
そして隣でケーキを食べている奈月たちにもオムライスを勧めていた。
「貴様たちもケーキばかりだけではなくオムライスを食べろ」
「ふふふ。ハデスさん。大活躍ですわね」
振り返ると、ミネルヴァが立っていた。オムライスで汚れた口元をぬぐうと、さくらんぼ色の唇が姿を現す。
「なぁに。マスター・ハデスとして当然のことをしているまでだ」
「そうですか。頼もしいことですわ。わたくしとしても楽しいティータイムを送ることができたはうれしかったのですが……」
ミネルヴァは青色の瞳でハデスを覗く。そのままぐっと背伸びをして、ハデスの耳元に自分の口を近づけると、ハデスだけに聞こえるように耳打ちをした。
「ハデスさん。隠蔽工作の件について、後々にお話がありますので。覚悟していてくださいね」
ミネルヴァがそう言い、つぼみから花開くように可憐に微笑む。そしてまたテーブルに戻りルシアたち会話を続けるのだった。ヘスティアがハデスの顔を覗き込むと、疑問符を浮かべる。
「あれ? ハデス店長? お顔が青いですよ? 働きすぎですか? これからはヘスティアに任せてくださいね。今みたいにお客様が来てくれるといいですね」
上機嫌に、ヘスティアは鼻歌を口ずさんでいた。
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