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夏の海と、地祇の島 前編

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夏の海と、地祇の島 前編

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4/ 海上にて

「にゃ? ……あれれ?」
「れ、レティ! 胸! 胸!」

 なんだか、胸のあたりがすーすーした。
 パートナーであるミスティ・シューティス(みすてぃ・しゅーてぃす)がなにやら慌ててこちらを指差しているのに気付いて、レティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)は自分の胸元を見下ろす。
 ああ、なるほど。そうして実際に見てみることで納得がいった。
 海水をかきわけて近付いてきたミスティに無理矢理肩まで水の中に沈められて、まあそれもそうかと思う。
 着用していたはずの水着のブラが、はしゃぎすぎていたせいかいつのまにか外れて、どこかに流れていってしまったようだった。
 つまり、今。レティシアは上半身裸なわけで。

「むー、これならスライムを無理やりにでも持ってきたほうがよかったですかねぇ?」
「いいから! そこでじっとしてて! 代わりになるようなもの、探してきますからっ!」
 島に息巻いて持ち込んだ新作水着──それはマジックスライムを用いたビキニだったのだけれど。
 生憎、この直射日光と、それにこのあたりの海水の水質と相性が悪かったのか、それでビーチに出ることはままならなかった。材質のスライムが、明らかに嫌がっていた……というか急速に弱っていったのが見ていてわかるほどだったから。

 ゆえに、普通の水着を仕方なく着用していたのに。
 これじゃああんまり意味なかったかなぁ。

「どこいったんですかねぇ? あたしの水着」
「だから、じっとしててくださいってば! 素潜りで探したって、すぐ見つかるものでもないんだから!!」
 そりゃそうだけども。
「ちぇー……ん?」
 ふと、遮るもののないはずの日光が陰って、レティシアはその影を自分と水面に落とす者の正体を探し、あたりを見回す。
「おー。きれーなお船ですぅ」
 白亜のクルーザーが、波を掻き分けて前進していく。
 思わず、条件反射的に追いかけようと泳ぎの姿勢に入る。

 が。

「駄目だってば!!」
「……はーい。ちぇっ」
 残念。パートナーが、それを阻止したのだった。

   *   *   *

 とんとん、と肩を指先で叩かれて、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は水中用ゴーグルをつけたその顔を、海中でそちらに向ける。
 周囲のサンゴ礁は、澄んだ水の中で美しく広がっていた。
 恋人が示すのは、蒼と赤の、美しい魚たち。
 肩を叩いた相棒の……セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)のもう一方の手は、セレンフィリティの指先と絡み合っている。
 小魚の、熱帯の海の魚たちの群れが舞い踊る中を、そうやってふたりもまた泳ぎ、躍るのだ。言葉はいらない。海中で、ふたりきり。そうあるだけで十分。
 岩の穴から、カラフルな海蛇がこちらを見ている──一瞬、セレアナは首を左右に振ったけれど、セレンフィリティは大丈夫だと思った。指先を差し出すと、ダイビング用の手袋の表面をその大人しい海蛇はつつき、そしてふたりの周囲を穏やかに泳いではまた、巣穴に戻っていく。
 ここは、人も殆ど来ない穴場のダイビング・スポット。ボートを借りたショップのおじさんは、なかなかいいところを教えてくれたと思う。
 ふと、なにかを見つけたようにセレアナが動きを止めて、遠くのほうを見つめていた。
 なんだろう? この近海には人を襲うようなサメだとかは、いないという話だけれど。目を細めて、セレンフィリティもそちらを見遣る。

(……船? クルーザーか、なにかかしら?)

 海面すれすれに、白い船体があった。少しずつ、こちらに近付いてきている。
 どうする? ジェスチャーで、セレアナが問う。
 もうちょっと、ふたりきりがよかった気もするんだけどな。少し、残念に思いながら、セレンフィリティは、頭上を指差す。
 そろそろ、空気も限界だ。
 こんなところにやってくる連中の顔を見に行くのも、悪くない。

 *   *   *

「あら、オーナーさん?」
 そうしてふたりが浮上していくと、そこにはちょうど、ふたりぶん。浮き輪が投げ込まれたところだった。
 躊躇せず、続き海面へと飛び込んできたのは──見た記憶のある顔。
 たしか、この島のパンフレットに載っていた写真で、それを目にしている。この島のオーナーである、地祇の少女だ。
「む、ふたりきりか? すまんな、邪魔をしたか?」
「いーえ。ちょうど、ひと呼吸置こうとしてたところよ」

 ね。セレアナと、頷きあう。

「お歴々は、こんなところに何の御用? ホエールウォッチングかなにか?」
「ああ、いや。そうではない。ちょっと、人を探していてな」

 人? こんな海の真ん中で? ひょっとして、誰か流されたりしてしまったのだろうか?

「さ、ほら。彩夜ちゃん。私たちもいますから、大丈夫ですよ」
 と、浮き輪をつけてもうすいすい泳いでいる地祇のむこうで、水に入ったはいいものの、クルーザーの手すりから一向に離れられずにいる少女の様子が遠目に見える。
 加夜やセルファが、美羽が促すものの、足の届かない深さを怖がってそこから彩夜は動こうとしない。
 無理無理無理。左右に強く、大きく首を振るばかり。
 対照的に、どぼん、どぼんと、シュノーケルや足ひれをつけた少女たちが海に飛び込んでいく。
「いやー……金、持ってるなぁ」
「まったくだ」
 そうやって感想を漏らし、同意するエヴァルトと頷きあう唯斗の、パートナーたちである。
 せっかくここまできたのだし、と。ダイビングを楽しむことにしたらしい。
 それに触発されてか、セルファと某がクルーザーの縁から離れられない彩夜のもとに近付いていく。彼女の、左右の手をとって、しっかりと握る。

「ぜ、絶対絶対絶対、離さないでくださいね」
「わかってるって」

 ふたりに手を引かれ、ようやく彼女の身体は船体から離れた。
 緊張し、全身を硬直させていて浮くはずもないけれど──そこはまあ、浮き輪と周囲がカバーをする。
 大丈夫ですよ、もっと肩の力を抜いて。
 クルーザーの上で並んで、爪先で海水をぱしゃぱしゃやりながらいい雰囲気になっているフレンディスとベルクが、声援を送る。
「うーん、特にそれらしいのは見えないなぁ。オーナー、このあたりにサメとかはいないんですよねー?」
「おー。少なくとも人を襲うようなのはな。ま、コバンザメくらいはいるかもしれんが」
「ふーむ」
 郁乃が、双眼鏡を覗き込んでいる。
 その間に、彩夜の背中へとセルファがまわり、かわりに恭也が空いた彩夜の右手を引く。
「クジラだっけ、このへんで一番大きい生き物って」
「へー。ああ、そっか。名物なんだっけ、ホエールウォッチング」
 セルファと、美羽のやりとり。それに耳を傾ける余裕すら、彩夜にはないようだった。

「んー、いい風が吹いてますね」

 クルーザーの上で伸びをして、終夏がしみじみと言う。
 潮風さえ気にしなかったら、演奏の一つもするのですけど。ケースに収めたヴァイオリンを、そっと撫でる。
「これから、皆はどこに?」
「ん、ああ。洞窟だよ。安心せい、ここに長居をして邪魔するつもりはないよ」
「洞窟?」
「近いんですか? ……別に、邪魔だなんて──」
 そんなことありませんよ。セレアナが言い、いやいや、といたずらっぽい笑みで蒼の月も言って返す。
「……ここ、いい海ね。ほんとに、きれい」
 実感をもって、ぽつりとセレンフィリティが水平線を見据え言う。
「そう言ってもらえると、この島と海を統べる者としては嬉しいよ」
 ふと、波間に漂わせていた右手に何かが当たった。
 なんだろうか。指先に触れたそれを、セレンフィリティは海上に引っ張り上げてみる。
 ちょうど、クルーザー上ではそこに戻った彩夜が、皆にいたわられていた。多少大袈裟に見えるけれど、カナヅチである当人からすれば大袈裟でもなんでもなく、清水の舞台から飛び降りるような、そんな心境だったのだろう。
「……水着?」
 彼女たちのもとへ戻っていく蒼の月の背を見送りながら。
 セレンフィリティの手が掴んでいたのは、なぜか上だけが流れていた、女物のビキニの水着だった。
 誰か、うっかりなくして──流れてきてしまったのだろうか?
 セレアナと一緒になって、首を傾げる。
 彼女たちも、クルーザー上の皆も知らない。

 それをなくして、すったもんだをして。ここまで流したのは他ならぬ、レティシアだったということを。