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【一 様々な余波】
SPB(シャンバラプロ野球)2022シーズンが開幕して、早や四か月が過ぎようとしていた頃のことである。
定例オーナー会議にてレンタル移籍制度実施が承認され、正式に選手移籍手続きが開始された直後、蒼空ワルキューレの不動の四番馬場 正子(ばんば・しょうこ)がシーズン終了までの間、イルミンスール・ネイチャーボーイズに主戦場を移すというニュースが球団内に流れ、選手やスタッフ達の間に、少なからず動揺が巻き起こった。
どうにも落ち着かない雰囲気が漂う球場の内外に於いて、選手達は球団上層部からの指示で平静を装ってはいたが、それでもどこか、いつもとは異なる厳しい表情がそこかしこで見られた。
そんな中、朝霧 垂(あさぎり・しづり)は試合の無い移動日の午後、全体練習を終えた後でいきなり、監督室に呼び出された。
すわ、トレードの話か――己の中で一瞬、不穏な感情が鎌首をもたげようとした垂だが、しかし実際に監督室に足を向けてみると、今季から監督に就任してチームの指揮を執っていた福本 百合亜(ふくもと ゆりあ)から、思いがけないひと言を投げかけられた。
「垂ちゃん、右翼手やってみぃひんか?」
茶飲み話でもするかのような軽い調子で提案してきた百合亜だが、そのポジションが持つ重みについては、垂自身が誰よりも理解していた。
「右翼手……ってことは、馬場の後釜って訳か?」
「んまぁ、そこら辺の解釈は自由にしてもらってええよ」
百合亜は相変わらず、のほほんとした調子で静かに笑うのみであるが、垂は極めて重い責任が、自身の両肩に乗せられようとしている事実に、思わずごくりと喉を鳴らした。
だが、迷う理由など、どこにも無かった。
「……良いぜ。受けよう」
元来、二塁手である垂だが、深い位置まで飛んだ打球を追いかけて、外野方向まで駆けていくことはこれまで幾度となくあった。
勿論、ゴロやライナーを処理して内野に返球する技術はこれから練習しなければならないが、それでも比較的外野近くで守備をこなしてきていた経験は他の内野手よりも多い分、正子の後継者として右翼手に就く資質は、十分に具えているといって良い。
ふたつ返事で右翼手へのコンバートを受け入れた垂は、自分でも思った以上の軽い足取りで、蒼空学園キャンパスの第二グラウンド内に位置する蒼空学園専用球場、別称スカイランドスタジアム内に設置されているクラブハウスへと引き返してきた。
ロッカー横のレストルームでは、これまで同じ二塁手として垂とライバル関係にあった御神楽 陽太(みかぐら・ようた)と麗華・リンクス(れいか・りんくす)の両名が、どこか神妙な面持ちで垂の帰りを待っていた。
「どんな話だったんです?」
やや緊張の色を含んだ陽太の声とは対照的に、垂は晴れやかな笑顔を見せた。
「今まではお前達とはライバル同士だったけどな、それも今日までだ。俺は、右翼に移る」
百合亜から、自身のコンバートについてチームメイトに話しても良いという許可を得ていた垂は、一切包み隠さず、己の二塁手との決別をふたりの前で高らかに宣言した。
当然ながら、二塁手としては最もレギュラーに近い存在であった垂の突然の退場に、陽太も麗華も一様に驚きを隠せない。
「なんと……これはまた急な話だな。しかしその表情から察するに、自ら進んでコンバートを受け入れたようでもあるな」
麗華の指摘に、垂はいささか、はにかんだ様子の笑みを浮かべて頭を掻いた。
考えようによっては、正子と全く同じとまではいかないまでも、それに近しいレベルの働きを期待されていると解釈出来るのである。
選手として、悪い気分ではなかった。
「でもそうなると……今度は俺と麗華さんの一対一の勝負ってことになる訳ですね」
「そうだな。しかし悪いが、あたしは一歩も退くつもりはない」
麗華からの宣戦布告を、陽太は寧ろ妙な嬉しさを覚えて正面から受け止めた。
ポジション争いに勝って、妻に良いところを見せる――その上で優勝も出来れば、最早何もいうことは無いだろう。
レンタル移籍によるチーム内の混乱は、ツァンダ・ワイヴァーンズに於いても同様に生じていた。
「えー! 一塁と三塁の兼任って、どーゆーことー!?」
守備走塁コーチからの通達に、ミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)は素っ頓狂な声を上げた。
2022シーズン開幕から三塁手としてレギュラーの座に就いていたミネルバだが、レンタル移籍制度によってチームから数名のレギュラークラスが抜けたことによって、そのしわ寄せをまともに被った格好となってしまったのである。
同じくコンバートの試練を突きつけられたシルフィスティ・ロスヴァイセ(しるふぃすてぃ・ろすう゛ぁいせ)も、戸惑いを隠せなかった。
ミネルバと一緒に守備走塁コーチに呼び出され、外野へのコンバートを言い渡された時は、思わず天を仰ぎたくなる心境であった。
が、出場機会の無い控え捕手を外野に起用するという戦術は、決して珍しい話ではない。
寧ろ、今のシルフィスティの打力を考えれば、ベンチに置いておくのは勿体ないという判断が働いても、決して不思議ではなかった。
「ふぅん……フィス姉さんが外野ねぇ……何だか、いまいちピンとこないわね」
コーチ室の外でシルフィスティを待っていたリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が、何ともいえない表情で腕を組む。
リカインの頭の中では、外野を守るシルフィスティの姿が、どうしても想像出来なかったのだ。
「それはフィスだって同じだよ……でもこれから、色々教えて貰わないといけないわね」
「うん、まぁ、基本は教えてあげられるけど……」
リカインの言葉は、どうにも歯切れが悪い。
というのも、彼女の守備は素人とは比較にならない程に洗練されており、リカインが度々見せる超人的なスパイダーキャッチは、今やワイヴァーンズの看板芸として定着しつつある程であった。
そのような高レベル守備を連発するリカインと、外野はほとんど素人に毛が生えた程度のシルフィスティが並んで外野守備に就くというのは、色んなところで歪が生じる懸念があった。
リカインがあまりぱっとしない表情を見せているのも、無理からぬところであろう。
一方、リカインと同じく廊下でミネルバを待っていたオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)は、リカイン以上に不安の色を強く浮かべていた。
遊撃手であるオリヴィアは、ミネルバが三塁に居る限りは守備面で幾らでもサポートが出来るのだが、一塁に入るとなると、二塁手や投手に全てのサポートを委ねなければならなくなるのである。
果たしてミネルバが、オリヴィアの助けを必要とせず、ひとりでやっていけるのか――その点が、大いに気になって仕方が無かった。
「後でイングリットさんに、お菓子でも持って行った方が良いかしらねぇ……」
「え、お菓子!? 欲しい欲しい!」
オリヴィアの不安を知ってか知らずか、ミネルバは妙なところにだけ反応が早い。
本当に大丈夫かしら――オリヴィアが内心でより一層、不安を強くしたのはいうまでもない。
「内野は内野で、大変そうね……まぁこっちは、私とソルランくんでサポートしていけるから良いけど」
「うっ……大丈夫だって。フィス、そこまで足引っ張るつもりないから」
苦笑するリカインに対し、シルフィスティはむっとした表情を見せたものの、その心情を理解出来ない訳でもない。
何といっても、一番打者と四番打者が、同時に抜けてしまったのである。
打撃面でも守備面でも、計り知れない程のダメージがあるのは、誰の目にも明らかであった。
「聞いた話じゃ、レンタル移籍で移った選手は、シーズン終了後に、レンタル移籍先のチームに本格移籍するかどうかの選択権が貰えるそうね……ジェイコブさんと鯉さん、ちゃんと戻ってくるかしら……?」
オリヴィアが、小さな溜息を漏らした。
これは下手をすると、ワイヴァーンズが一番の貧乏くじを引かされることにもなりかねなかった。
ヒラニプラの街の郊外にその威容を見せるヒラニプラ・ブルトレインズのホームグラウンドマーシャル・ピーク・ラウンド球場内の医務室で、ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)、南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)、オットー・ハーマン(おっとー・はーまん)、四条 輪廻(しじょう・りんね)の四人は、レンタル移籍の際に義務付けられているメディカルチェックを受けていた。
勿論、ここまでそれぞれが所属するチームでプレーしてきていたのだから、肉体的な問題などあろう筈も無かったのだが、球団運営に於いては選手の肉体面でのサポートを怠ると、SPBから睨まれることになる。
そして単に肉体面のサポートという意味合い以上に、ドーピング疑惑が無いかどうかを確かめるのも目的のひとつであった為、メディカルチェックは選手達が思っているよりも遥かに重要なイベントと化していた。
「やー、しかし驚いたな。まさかチームのトップバッターと四番が、一緒になって同じところに移ってくるたぁな」
光一郎が、幾分呆れた様子でジェイコブとオットーを交互に眺める。
当の本人達も、まさか、という思いでお互いのやや驚きに染まった顔に視線を這わせた。
「こりゃあ下手すると、ワイヴァーンズの方が逆にやばくなってきておるのではないかな?」
オットーのひと言を受けて、光一郎は渋い表情で小さく唸った。
光一郎にしてみれば、彼自身はワイヴァーンズでは単なるローテの一角という立場に過ぎなかった。
しかし、ヴァイシャリー・ガルガンチュアに移籍したアレックス・ペタジーニに代わって四番打者を務めていたオットーの打力と、パンチ力のある一番打者として左翼手に定着していたジェイコブの両名の離脱は、六球団の戦力均衡という意味ではそれなりに良い方向に作用したかも知れないが、ことワイヴァーンズに限っていえば、死活問題に達する程の大きなダメージになっていたといって良い。
「……ガルガンチュアとホーネッツからは、主力は出ていないのか」
ジェイコブの問いかけは、輪廻に向けられたものである。
ガルガンチュアでは控え捕手の位置に甘んじていた輪廻としては、ジェイコブが何気なく放ったそのひと言に若干プライドを刺激されなくもなかったが、この場ではあまり表情を変化させず、小さく頷くのみである。
「さすがに新規球団から、いきなり選手を派遣する、というようなことはすまいよ。まずは自チームのことで精一杯だろうからな」
尤もらしく応じる輪廻だが、いえばいう程、内心で自分が情けなくなる。
勿論自ら飛び出してきた以上、それなりに格好はついているのだが、矢張り正捕手たるジョージ・マッケンジーの座を脅かすには至らなかった事実に、やりきれない思いが多少なりともあった。
と、そこへ、球団職員という立場でジェイコブと一緒にレンタル移籍してきたフィリシア・レイスリー(ふぃりしあ・れいすりー)が、移籍選手の記者会見スケジュールを持って、医務室に足を運んできた。
「おぉフィリシア殿。貴殿もブルトレインズに来ておったのか」
「えぇ……それにしても、昨季は強豪チームとして華やかに取り上げられていたのが、たった一年で、ここまで扱いが酷くなるものなのですね」
SPB初年度優勝チームであるブルトレインズが、今や嘲笑の的として、スポーツ新聞各紙で面白おかしく書き立てられているという現状に、フィリシアは驚きを隠せなかった。
逆にいえば、強豪であったが故のプライドが却って各紙記者達の印象を悪くし、更に攻撃の的になってしまっているという現状があるのを、フィリシアは鋭く見抜いていた。
「要するに、球団として応用力に欠けている、という訳か」
ジェイコブはやれやれと、小さくかぶりを振った。
盛者必衰の理といえばそれまでだが、優勝チームがいきなり弱小チームとして罵声を浴びせられるのも、プロの世界では当然なのである。
その恐ろしさをこうして目の当たりにしてみると、スポーツというものが如何にファン心理によって強く左右されるものであるのかという事実を、改めて認識せざるを得ない。
「まぁでも、その為に俺様達がこうしてきてやったんだしぃ」
自信満々に、胸を反らす光一郎。
その思いは他の面々にも共通してはいたが、その中でも特に輪廻は、ここで捕手としての開花を狙っている心情もあり、活躍を期す誓いは誰よりも強かった。
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