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リアクション
【五 グラウンド外の静かな戦い】
グレイテスト・リリィ・スタジアム内のガルガンチュア球団事務所応接室にて、黒崎 天音(くろさき・あまね)とブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)の両名は、球団秘書を務める朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)とイルマ・レスト(いるま・れすと)による応対を受けていた。
千歳とイルマは、天音とブルーズが何の所用で球団事務所を訪問してきたのかと訝しげに首を捻っていたのだが、このふたりの客人がよりにもよって、あの傍若無人な奇人変人GMサニー・ヅラーとの接触を図っていると知った瞬間、腰が抜けそうになった。
流石にそのまま通すのは拙い、と考えた千歳とイルマは、とにかく天音達の真意を問いたださねばならぬと、応接室に引っ張り込んできたのである。
一方の天音とブルーズは、千歳とイルマの、今にも殺してやるといわんばかりの凄まじい威圧感に、ひたすら戸惑っていた。
天音にしてみれば、単純な興味本位での接触、という程度の意識しかなかったのであろうが、千歳とイルマにとっては、サニーを変な方向から刺激するという行為は死活問題に直結するのである。
それは決して、大袈裟でも何でもなかった。
「悪いけど……その程度の考えであのおっさんに接触するってんなら、こっちには絶対に迷惑かけないってことを証明してからにしてくれないかな?」
据わった目つきで天音をじっと凝視しながら、千歳は球団公式文書に用いられる用紙を応接テーブル上に差し出した。
天音とブルーズは軽い驚きを覚えて、互いの顔を見合わせる。
まさか球団秘書たる千歳から、このような対応を受けようなどとは思っても見なかったからだ。
だが千歳もイルマも、決して冗談でいっているのではない。それは、ふたりの真剣な面持ちを見れば一目瞭然であった。
つまり天音とブルーズは、それ程までに危険な――いや、この場合迷惑な、といった方が良いかも知れない――存在に触れようとしているのであろう。
千歳の面には、やや疲れの色が見え隠れしている。
実はつい先程まで、彼女は各球団の現在の戦力を数値化したデータ文書を持って、サニーGMの部屋を訪れていたのであるが、そこでも矢張り、相当に精神をすり減らしてきたばかりなのである。
そこへもって今度は、天音とブルーズがサニーGMにお近づきになりない、などといい出したものだから、もう今の千歳は、いい加減にしてくれと怒鳴り散らしたい心境であった。
その思いはイルマも同様で、彼女にしてみれば、天音がサニーGMを刺激することで余計な行動を起こさせてしまうのが、何よりも恐ろしかった。
イルマが自らに課している使命はただひとつ。それは、サニーGMの魔の手から敬愛するラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)を守り切ること、であった。
幸い、今のところはラズィーヤがサニーGMの行動パターンを読み切って、彼女自身の手の中で遊ばせておく余裕が生まれてきているのだが、ここで天音とブルーズが変な刺激を与え、サニーGMに新たな問題行動を起こさせてしまってはラズィーヤの心痛が増すばかりであり、球団にとっては何ひとつとして良いことは無い。
出来ることなら、このまま触れずに放っておいて欲しい、というのがイルマの率直な思いであった。
「いや、これは意外だね。球団職員からそこまでいわれるGMなんて、中々聞いたことがないよ」
「そうだな……っていうか、どんだけ嫌われてんだと、逆に驚かされたよ」
天音とブルーズの感想を聞いても、千歳は表情ひとつ変えない。
逆に今度はイルマが、警戒心を露わにした様子で口を開いた。
「もしどうしても、とおっしゃるなら、ガルガンチュア球団職員に就職してから観察されることを希望します。球団職員として接するなら、ヅラーGMとて、変な発想を抱いたりはしないでしょうから」
切々と訴えかけるイルマの真剣な表情に、天音とブルーズは思わず閉口した。
そこまで警戒しなければならない相手なのか――天音には今ひとつ、ぴんとこない。
敏腕だ辣腕だと称される程の人物が、ここではただの奇人変人扱いになっているというのが、どうにも理解出来なかった。
「うん、まぁ、どうしてもっていうなら、考えないこともないけど……」
天音は困り切った様子で、頭を掻いた。
同時に、皮肉な話であるという感想も抱いた。
前回はラズィーヤと個人的に話そうとして、サニーGMに阻止された。
だが今回はそのサニーGMへの接触を、ラズィーヤに仕える球団秘書ふたりに差し止められたのである。
どこまで運が悪いのかと、内心で苦笑を禁じ得ない展開であった。
ワイヴァーンズの球団事務所は相変わらず、忙しいのか忙しくないのかよく分からない空気に包まれているのだが、桐生 円(きりゅう・まどか)を中心とする広報部だけは、ほぼ毎日、多忙の極みにあった。
円は予定通り、中心選手の四名を球団として全面的に押し出す企画を練り続けてはいたのだが、しかしそのうちの半分までもがレンタル移籍で他所に持っていかれるとは、想定していたのかどうか。
ともあれ、球団としては自チームの選手達だけを取り扱う広報誌を発行するのは恒例のことだが、それとは別に、他の五球団に関する資料を別冊として発行するのはどうかということで、オーナーのジェロッド・スタインブレナーに打診してみた。
正直なところ、OKが貰えるかどうか内心では非常に微妙なラインだと踏んでいた円だったが、意外にもスタインブレナー氏は、ふたつ返事で許可を出してくれた。
どうやらスタインブレナー氏も同様のアイデアを温めていたらしく、ガルガンチュアのサニーGMと裏で連絡を取り合い、お互いの球団広報をどう動かそうかと議論を重ねていたらしい。
ところがガルガンチュアもワイヴァーンズも、広報自らが同様の発想で動き出そうとしていた為、両首脳は特にあれこれ考える必要も無く、そのまま許可を出せば良いという段階にまで進んでいた。
(さすがスタインブレナーさん……やることが、早い)
しかし、感心してばかりもいられない。円にはまだまだ、やることがたくさんある。
例えば来月発行予定の広報誌には、選手以外を取り上げる特集として、ワイヴァーンズ公式マスコットガールである五十嵐 理沙(いがらし・りさ)とセレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)のインタビューやグラビア企画を掲載する予定となっているのである。
既にインタビューは取り終えているが、グラビア撮影がまだ半分以上も残っていた。
「はいは〜い、お待たせ〜。ワイヴァーンドールズ、ただ今到着しました〜」
パークドーム内の撮影ブースに現れた理沙とセレスティアは、いつもの小悪魔風衣装に身を包んで、円率いる撮影班と合流した。
ちなみにワイヴァーンドールズというのは、広報誌上のファン投票企画で新たに決定した理沙とセレスティアのマスコットガール達の愛称である。
この新愛称については円が中心となって全面的に押し出している為、ファンの間でも急速に定着しつつあるようであった。
「お待たせして、申し訳ありません。ここのところ、第二の方が随分と忙しくなってきているものでして」
セレスティアが心底申し訳なさそうに、何度も頭を下げる。
理沙が蒼空学園の第二家庭科室の一部を借りて経営しているメイドカフェ『第二』は、ワイヴァーンドールズの知名度も相まって、最近は特に流行るようになってきていた。
実はこの日も、客足が朝から全く途絶える気配を見せていなかったのだが、流石にグラビア撮影をこれ以上遅らせる訳にはいかないということで、無理矢理閉店してパークドームに駆けつけてきたのである。
「ふたりとも、本当に人気が凄くなってきたね。この際だから、CDでも出してみる?」
冗談半分、本気半分で円が提案してみたものの、理沙はいやぁと頭を掻いた。
「そういう話が出るのは嬉しいけど、ボイトレとか行ってる時間無さそうだしさ、今はパスね、パス」
理沙の苦笑混じりの返答に、円はあら残念、と小さく肩を竦めた。
スタインブレナー氏に話を持っていけば、一発返事でOKが取れそうなものであったが、肝心の理沙とセレスティアがその気になっていないのでは、これ以上アイデアを温めても意味が無かった。
「私達は第二を休めばいつでも撮影とか出来るんだけど、選手の皆はどうしてるの?」
不意に理沙が、率直な疑問を口にした。
実はこれまでに何度か、選手達のグラビア撮影なども実施されてきており、その都度、人気選手達が誌面を賑わせてきたという実績がある。
しかし、どの選手も試合以外に多くの活動を抱えており、グラビア撮影に時間を割けるとは、少なくとも理沙には到底思えなかった。
そんな理沙の疑問に対し、円は撮影スタッフに指示を飛ばしながら涼しい顔で答える。
「別に特別なことは、何もやってないよ。選手の皆も球団を盛り上げていきたいっていう気持ちは同じだから、無理にでも時間を作ってくれてるんだよ」
これには理沙もセレスティアも、素直に驚きを表した。
そして同時に、ワイヴァーンズはファンのみならず、所属選手達からも愛されている球団なのであるという事実を改めて実感した。
当然ながら、ワルキューレでも球団職員達の静かな戦いは続いている。
球団スコアラーとして、縁の下の力持ち的な働きを日々発揮している山葉 加夜(やまは・かや)は、この日、思いがけない人物から球団事務所内に呼び出され、戸惑いの色を隠せなかった。
加夜を呼び出したのは、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)。
いわずと知れた、ワルキューレ球団専属スポーツドクターである。
「あの……失礼します」
球団事務所に足を運んでみると、ダリルは球団マスコットガールであるセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)とセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)の両名を相手に廻して、何やら聞き取り調査を実行しているようであった。
ダリルがふたりに聞いていたのは何と、ガルガンチュアの敏腕GMサニーさんとのやり取りについて、であった。
よもやダリルのような堅物から、サニーさんネタを振られようとは思っても見なかったセレンフィリティとセレアナは、真面目に話を聞こうとするダリルに目を白黒させてしまっていた。
それはともかく、加夜の来訪に気付いたダリルは、いつもの落ち着いた雰囲気で手近の椅子を示し、座るようにと指示を出す。
「わざわざ来て貰って、申し訳ない。実は君の協力も得たくて、こうしてご足労願った訳だ」
どうやらダリルは、単純にチーム専属のスポーツドクターとしての枠を超えて、選手達に役立つ情報全てに於いて、データベースを作成しようとしているらしい。
例えば加夜がこれまでに残してきている数十冊にも及ぶスコアブックは、単純に選手個々の記録としての意味合いだけでなく、各ゲームに於ける選手達の体調を細かく分析する材料としても役立つ、というのである。
いわれてみれば確かに、と頷いた加夜だが、しかしそうなると、今度はセレンフィリティとセレアナがサニーさんについて訊かれていた理由がよく分からない。
だがその件についても、ダリルは明確な理由を持っていた。
「あのサニーという人物……すっとぼけた奇人として振る舞っているが、その行動は全て計算に基づいて行われているという気がする。例えば君達がスタンドでいつも繰り広げているクイズ合戦……あれひとつを取ってみても、実はそこに大きな意味があることに気付いているか?」
ダリルに問われて、セレンフィリティとセレアナは戸惑い気味に顔を見合わせる。
これまで何度となく、サニーさんを相手に廻してスタンドでの激闘を繰り広げてきていたふたりだが、ダリルが何をいわんとしているのか、全く理解出来なかった。
「矢張り、現場で直接あの人物と接していると、中々気付かないようだな……だが、あのサニーGMが君達や他の球団の応援団、或いはマスコットガールといった連中にちょっかいを出す時というのは、決まってある条件が潜んでいる」
即ち、サニーさんがスタンドに出現する時は必ず、ガルガンチュアが劣勢に立たされている時である、というのである。
これには、セレンフィリティは全く気付いていなかった。
「えー? そうだったかしら? ちっとも覚えてないんだけど……」
眉間に皺を寄せて小首を傾げるセレンフィリティだが、しかしその傍らで、セレアナは妙に納得した様子で二度三度、ダリルに頷き返した。
確かにいわれてみれば、これまでにサニーさんが公式戦でふたりにちょっかいを出してきていたのは、ガルガンチュアが苦戦している場合に限られていたことを、今更ながら思い返されていた。
「確かに、そうだわ……ガルガンチュア側のスタンドが妙に沈んでいたり、これからさぁ気合を入れ直して応援しようってところで、必ずあの人物は姿を見せていたような気がする」
「……矢張り、そうだったか」
ここでダリルは、ある仮説を口にした。
サニーさんがスタンドに姿を現す時というのは、やや暗くなりがちなスタンドに笑いの華を咲かせ、更には選手への苛立ちや批判の矛先を逸らせる役割を果たそうという絶妙のタイミングに限られていた。
結果としてガルガンチュアの選手達は、ファンからの批判的な視線を浴びることなく、然程のプレッシャーを浴びずにのびのびとプレーを続けることが出来ていた。
その事実を今更ながら、セレンフィリティとセレアナは思い知らされた格好となった。
「あれだけとぼけた言動の多い人物に見えて、実は物凄く思慮深い戦略家だった、ということですか」
ダリルの推論を受けて、加夜は戦慄にも似た震えを背筋に感じた。
敵ながら天晴とは、まさにこのことをいうのであろう。
「……山葉オーナーに同じことをやれといって、出来そうなことかな?」
「それは……でも、涼司くんならきっと、やってくれると思います」
ダリルの問いかけに対し、加夜は本人から確約を取った訳ではなかったが、しかし確信だけはあった。
愛する伴侶が、チームの為に一肌脱ぐ姿を加夜は信じて疑わなかった。
「そう……涼司くんは、そういうことが出来るひとです」
「んじゃあ、いっそのこと、山葉オーナー対サニーGMのスタンド対決ってのを実現させてみない?」
セレンフィリティの軽い調子の提案に、加夜は一瞬、うっと詰まってしまった。
いざ現実に移すとなると、矢張り多かれ少なかれ、抵抗したくなる気分が心の底で湧いてくる。
サニーさんとはつまり、そういう人物だった。
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