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リアクション
第9章 『エズネル』
丘の上の大樹が、不意に震えるように大きくざわりとなった。
風に吹かれたのではなく、まるで内部から何かが立ち昇ってきて、自らの力で体を震わせたかのようだった。
戦場にいる人間は、誰もそれに気付かなかったかもしれないが。
小屋の中では、綾瀬が立ちあがった。
「何かが来ますわ」
しかし、それが何であるかは、瞬時には判断できなかった。
……敵意があるものかどうかも正直判別がつきかねた。
それを感じたのは綾瀬だけではない。クリストファーたちも歌をやめ、小屋の扉を真っ直ぐ見ていた。
――先程、天使の陣営から使いが来て、コクビャクに操られていた元自警団員たちを大量に身柄確保したので、その看護と体調チェックのために人手が必要だと乞われ、小屋に駐留していた数人の医療スタッフは全員出払っていた。キオネも、卯雪の看護は自分だけで事足りるから、と送り出したのだ。
そのキオネが、ハッとして目を見開き、立ち上がった。
驚愕したような表情を浮かべたまま、その目は卯雪を見下ろしている。
「エズネル!?」
その名が何かの封印を解いたかのように、部屋の中に、形のない何かが凄まじい勢いで流れ込んだ――
契約者たちが構えを取るより早く、それは、うねるオーラの中で形を起こす。
気が付くと、卯雪のベッドの頭の方に、一人の少女の幻影が佇んでいた。
少年のように痩せっぽちの、目だけキラキラと大きな少女。
「エズネル……!」
キオネの声に、少女は悲しげに微笑んで頷いた。
卯雪の魂の中の破片が、少女と共鳴を起こして空気を震わせている。いや、だからこそ彼女は、ここに出現できたのだろう。一欠片の己の落とし物に、引かれてここに来たのだ。
『ごめんなさい、キオネ。私のせいで』
少女の声は、すすり泣くような頼りない響きだった。
『私のせいで、ヒエロはもう限界寸前まで擦り切れてしまった……
あなたも、長い年月を私のために消費してしまった。
ここにいる地球人の娘さんも、それにカーリアも……
皆、私が原因で苦しんでいる。
私が……何もできないから……』
『もう……もういいの、キオネ』
「エズネル、何を……?」
訝るキオネに、一層悲しげに微笑んで、エズネルは実体のない腕を差し伸べた。
『私が決着をつける……
だから、その子の受けたものを、私に……』
「捨て鉢になることはないのではありませんの?」
様子を見ていた綾瀬が、静かに口を挟んだ。幻影のエズネルに向かって、
「皆様がそれぞれに力を尽くしてことを解決しようとしているのですもの。
当の貴方がやけになってしまっては、それを無下に、無駄にするようなものではありません?」
『えぇ……そう……私は、やけや捨て鉢になっているのではないの……
皆が私のためにいろいろしてくれた、いろいろ背負ってくれたものを……
自分の責任の下に引き取る、それだけ……』
エズネルは、綾瀬に向かってそう言って微笑し続ける。
『だから、その子の中にあるものを、私に……』
次の瞬間、パアン、と何か弾け飛んだような音がした。――いや、音がしたと思わせるような空気の震動だけだったのかもしれない。
エズネルの幻影が薄れ始めた。
「エズネル! 何を……」
『私を……信じて、キオネ……
やけになったんじゃない……私は自分に出来る事をする……
それを信じてね……お願い、キオネ……』
そして幻影が消えた時、キオネは気が付いて愕然とした。
卯雪の魂から、セッション準備用生体システムに繋がれた杭が消えていることに。
時を同じくして。
戦場の片隅では、落とし穴に落ちた狂戦士を宵一、唯斗、そしてザイキから預かった小瓶を持ってきたかつみとナオが穴の縁から見下ろしていた。
どうやら狂戦士は気を失ったようだ。
「気絶していてはお説教ができませんね」
プラチナムが面白くなさそうに呟いている。
「気が付いてから正気に戻らないようだったら、この薬を使えばいいらしい」
託された薬の小瓶を示して、かつみが他の2人に説明する。だが、当分の間彼は目を覚ましそうにない。
「さて、この後はどうするかな……陣営にでも運ぶかな、やっぱ」
少し離れた所では、ヨルディアがうずくまるカーリアの肩を抱いていた。リイムも気遣わしげに、その様子を寄り添うように見ている。
カーリアは、砕けた大剣の破片を手の中に集めて未だ呆然自失の体である。破片の縁で手が傷つきそうでヨルディアはやめさせたいのだが、あまりに大事そうに胸に抱えようとしているので、せめて傷つかないよう手を添えて鋭い縁から素肌を避けさせるようにしていた。
――呪われ虐げられた一人の女性の魂が、魔鎧職人によって2つの魔鎧に分かたれ生まれ変わった時、その魂に食い込んでいた呪いは結晶化した。その結晶で出来た忌まわしい大剣。しかし、カーリアにとっては半身にも等しかった、己独りで生きる道に唯一寄り添ってくれた相棒だった。
戦いの中、目の前でそれが砕け散って、カーリアの受けたショックは大きかった。動きを止めたヒエロの様子を見ることも思いつかない程に放心している。
大剣が姿を変えたリボンももはやないため、彼女の赤い髪は戦場の風に吹きさらされるまま、ばらばらと乱れていた。
突然、狂戦士の鎧が一瞬、閃光を放った。
「何だ!?」
そして、パァン、音を立てて、弾け飛んだ。
「!!」
光に目を射られた一同が、視界を回復して再び見た時には、狂戦士の体に鎧はなかった。
周囲に落ちてもいなかった。
まるで、飛び去ったかのように、消えていたのだ。
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