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一会→十会 —終わりの無い輪舞曲—

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【仮面舞踏会・2】


「フハハハ!我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクターハデス!
 ククク、この会場は、我らオリュンポスが制圧させていただこうっ!」
 ドクター・ハデス(どくたー・はです)の上げた大声に、大広間の招待客達が振り向いた。
 既に語るに落ちている。それは『隙をついて会場を制圧する』という作戦のはずだったが、仮面を付けていて尚、契約者達の目には、その正体は一目瞭然だった。
 ドクター・ハデスは、ドレスアップした高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)をカモフラージュ(のつもり)に伴い、パーティーを密か(のつもり)に偵察する為に、部下達を引き連れて堂々と会場を闊歩する。しかし幸か不幸か、彼を止める者はいない。
 マジか本当に騒ぎを起こすつもりか、と、様子を見られているのと、ひょっとしてパフォーマンスの一環かと思われているのと、そして、騒ぎは彼だけに留まらなかった、というのは、少し後の話である。

「ククク、仮面舞踏会なのは好都合!
 これで我らの正体がバレることはあるまい!」
 勿論、そう思っているのは本人だけで、ハデスが紫色のパピヨンマスクの下でギラギラと目を輝かせ、標的と探している人物は、嫌でもすぐにハデスを見つけ、彼を一目見て即足を反転させた。
「豊美ちゃん、ハルカちゃん」
「はい」
「どうやら俺は可愛いあなた達を見ていたら逆上せたみたいだ」
 ふっと宙を仰いで、アレクはわざとらしく髪を撫で付けた。
「具合が悪いのです? 大丈夫です?」
「有り難う、大丈夫だよ。でもあっちのテラスで少し風に当たりたいんだけど、いいかな?」
 なーんちゃって。である。
 元より戦いを愛するアレクだ。ハデスと一戦交えるのは楽しいが、その後大事に発展――何時もの大爆発の事だ――するのは目に見えている。偵察任務の最中にあんなものに関わるなどとんでもないと、アレクはハルカたちを連れて煌びやかな照明の当たらないテラスの方へ向かった。

 それにしても、とハデスは思う。
(何やら、“都合よく”、部下の数が多いような気がするような?)
 色とりどりの蝶マスクを付けた全身黒タイツの部下達は、派手な衣装を身に纏う仮面舞踏会の会場でも、一際異彩を放っている。
 しかし、気のせいか、と片付けてハデスはユニオンリングの所在を確認した。
 アレクを発見したその時は、これでハデスの 発明品(はですの・はつめいひん)と合体するのである。



「アレックスさん、豊美ちゃん。この会場が敵陣なのでしょうか?」
 フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)はいつもの彼女らしい丁寧な口調で、疑問を口にした。
 敵地、と言葉を発して自分に注意を促すも、ついつい気になってしまうのは身に纏う衣装とマスクだった。
 特に、着慣れないドレスが歩く度にひらひらと揺れて脚に纏い付く。その感触で思い起こすのは自分のドレス姿だ。
 フレンディスは光沢を帯びる生地のスカート部分をそっと摘み上げる。
「潜入任務とは言えこの格好……マスクはいいのですが、その……、衣装が恥ずかしいです」
 恥ずかしいと口にした瞬間、本当に恥ずかしさで自分が萎縮してしまいそうになって、フレンディスはサッと意識を切り替える。
「それに致しましても“ますかれーど”ですが」
 力が入って神妙な響きを帯びたフレンディスの声にパートナーのベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)や義兄弟であるグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)らが彼女に視線を向けた。
 ドレスを着ている自分を思い出さないように、皆へと向ける自分の話題に集中しているフレンディスの表情は自然と固くなり、真剣ささえ帯びてきて、何か考えがあるのかと察したベルクが無言で先を促す。
 向けられたベルクの視線に、フレンディスは真顔で頷き、口を開いた。
「葡萄で武道祭りとは異国行事は奥が深いですね」

 念を押すようで申し訳ないが、フレンディス当人は本気でそう思っている。
 マスカレードとは、緑色の葡萄と言われて浮かび上がる品名のマスカットと、舞踏会は武道会と思い込んでいる節があり、結論として葡萄で武道会となったらしい。
 “ますかれーど”とは緑色の葡萄でしょうかとフレンディスは初っ端から誤解しているし、多分に勘違いしているのだが、彼女の思考回路が直接ベルクに伝わったわけではない。
 異国の行事であることは正しい。
 ただ、葡萄と武道祭りがどこから出てきたのかさっぱりわからないベルクは、正すべき場所をどこにするか判断出来ず長く息を吐き出した。ツッコミにはツッコミの正しい方法がある。
 そして、その正しいツッコミのタイミングをベルクは、どこからツッコめばいいのか迷ったが為に失ってしまっていた。
 多すぎる。多すぎるのだ!
 フレンディスの誤解もそうだが、仮面舞踏会の会場である宮殿に辿り着くまでの間にもベルクは指摘したい事が沢山あった。それこそ山ほど!
「どう考えても罠にしか見えねぇが。アレクの野郎どこまで計算して馬鹿やってんだか……」
 呻くように呟いたベルクは、横目で豊美ちゃんと話をしているアレクを見遣る。彼は愛らしい美ロリっ子を前に活き活きとしていて、「いや、あれ素だな」とベルクの肩を落とさせた。
 しかし、敵を油断させるには丁度いいのかもしれないと、考えを改める。
 戻らない記憶で受けた躾の影響でもあるのか、身分の高い相手に対して、失礼のないよう振る舞う事を心得ているらしくベルクの立ち振舞はすんなりと会場の雰囲気に馴染んだ。
 このまま怪しまれず事の真相、強いては仮面舞踏会の主催者――首謀者を突き止めたい。
 ベルクは自分の手に力が籠もりそうなのをグッと堪える。首謀者を探すにはどうしたらいいのか、まずはこの化粧粉と香水の入り交じって甘く芳しい空間に惑わされず常に己を律しないといけないだろう。
「あ、マスター、グラキエスさん。ご馳走が沢山御座います! これで英気を養えという事でしょうか?」
 フレンディスが感嘆にベルクを呼んだ。
 続々と運ばれてくる飲み物やどれだけの国を網羅しているのかわからない種類も豊富な大量の料理は、特に誘惑が強い。
「それよかフレイ」
 入場する招待客に一度視線を走らせたベルクはグラキエスを手招くパートナーに警告を飛ばそうと口を開き、
「ここの食い物がどう考えても怪しいから警戒し……ってもう遅ぇ!?」
フレンディスを見て、愕然とした。
 飲食はくれぐれもするなという初歩的な警戒……注意は、時既に遅かった、らしい。

 出会いから時間を共有するようになって、ジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)は段々とわかってきて、慣れてきた。
 フレンディスが洗練とした衣装と意匠の凝った仮面を付けていてもフレンディスであり、その立ち振舞に警戒しなければいけないと気負うベルクが振り回されている。
 いつもの光景だ。――敵地の真っ只中というのに、緊張の欠片も無い。
「でも、これだけあからさまに解りやすい罠だと乗りたくもなるよね」
 ジブリールが身に纏うのは『女物のドレス』。見た目の歳に合わせた露出が極力控えられたデザイン。たっぷりと寄せられたドレープやスカートの襞の奥にはいつでも状況に対応出来るように暗器が隠されている。
 現地に着いて先ずは正装が必須とばかりに着ていた服がドレスに変わり、そして、広間に入ってからの、この両手を広げた大歓迎ぶり。
 雰囲気に飲まれるなという方がおかしいのかもしれない。
 天井から吊り下げられたシャンデリアは七色の光を弾き、光の残影が球体の幻想となって周囲に散り、幾重にも重なる。
 その扮だんに撒かれ互いにぶつかり合い重なり落ちていく残光を浴びて踊る人々。舞曲のテンポに合わせ翻る衣装の色彩豊かな事。
 人々の顔を覆う無機質な仮面が故に、俗世の色が消え、現実味は薄れ、ジブリールを絢爛の舞台へと、誘い、手招く。
 乗るべきか、反るべきか。罠だと予想はしてても綺羅びやかな華飾は否が応でも本能に訴えかけて……、ふ、と。ジブリールは思い出した。
「そういえば、シェリー……」
 受ける刺激に一々ときめいては感動してしまう彼女の事を。確か彼女もアレクや豊美ちゃん達と会場を訪れていたのをちらりと見掛けたのだ。
 捜し人はすぐに見つかった。見慣れない衣装と仮面で見つけづらいかと危惧したがそんな事はなかった。
 シェリーは最初からずっとハインリヒのエスコートに身を任せ、単独で何処かに行方を眩ませるという問題行為もせず会場内の誰もが視認できる場所に留まっていたからだ。
 そして大人っぽいドレスで淑やかに振舞っているように見えても、シェリーはシェリー。夢見る少女らしく腕を貸してくれる男性に逆上せ上がっている様は――。
(うーん……油断も隙もありまくりだし……)
「ベルクさん」
 結局いつもの様に状況に任せるしか無いのかと半ば諦めているらしいベルクに、ジブリールは近寄った。
「オレ、シェリーの所に行ってる。一緒に居て、警戒しておこうと思う。この格好なら……彼女がハインツさんに夢中なら同性と一緒の方が自然だしね。
 フレンディスさん達は平気だよね?」
「お、おう」
 ジブリールのドレス姿に動揺しつつも、ベルクはそう答えてジブリールを送り出してくれた。
「シェリー」
 側に寄って名前を呼ぶとシェリーは慌てたようだ。ずれそうになった仮面を片手で押さえて首を傾げる。
「その声はジブリール? あら、やだ、ごめんなさい。すぐに気づかなくて。綺麗なドレスね」
「そう?」
「うん!」
「あのさ、シェリー、ハインツさん、オレも一緒に居てもいいかな?」
 ジブリールの言葉に、シェリーが二つ返事で喜んだのは言うまでもないだろう。だがハインリヒの方は不満そうな顔を作る。
「僕は嫌だな。折角シェリーを独り占め出来たのに――」
 と、言う冗談にシェリーとジブリールが予想通りの反応を示してくれた事に満足して、ハインリヒは「嘘だよ」と涼やかに微笑んだ。
「見違えたよジブリール。勿論何時もの君もミステリアスで素敵だけれど。
 ジャスミンの花みたいな君の事もエスコート出来ればいいのにな。生憎僕は分裂出来ない」
「めー! めめっめー」
 鳴き声をあげてハインリヒの胸もとから飛び出したスヴェントヴィトに、ハインリヒは笑いながらジブリールへ向き直る。
「どうやら彼が君をエスコートしたいみたいだ。構わないかな?」
 通訳された内容に、ジブリールは微笑んで小さな小さな手を取るのだった。