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リアクション
第2章 旅立ちの春に背中を押して
〜1〜
「エースとエオリアは花見何度目なのだね。しかし私はまだこの春花見をしていない。私もたまには息抜きしたいものなのだよ」
メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)は、公園の中を連絡のあった合流場所へと歩きながらエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)とエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)に少々呆れた目を向けていた。
「そこ、ダリル君。嫌そうな顔をしない」
ルカルカ・ルー(るかるか・るー)とカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)、夏侯 淵(かこう・えん)と一緒に来ているダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が何か顔をしかめたので、メシエは彼にびしりと釘を刺すように言う。一方、エースは何度目かと聞かれたことを気にする素振りもなく、嬉しそうに桜を見ていた。
「花見は何度かするものだ。特に桜は咲いている間、毎日花見したいほどだよ」
それから、慌てたように付け加える。
「あっ、当然他の花達も綺麗だぜ? 美人さんだぜ? 素敵な君達を見逃せないよ」
桜と共に公園を彩る多種の花に言っているらしく、少々1人芝居めいている。
「もう、エースったらどれだけ花好きなのよ」
呆れたようにルカルカは言う。歩く先には営業中の屋台もいくつもあって、食欲のそそる匂いを漂わせている。
「お花見は美味しいから大好き♪」
と嬉しそうだ。ダリルが苦笑する。
「花はどうした」
「あ、あちらですね」
遊歩道から少し離れた芝生の上、お花見をする集団を見つけてエオリアが足を向ける。わいわいと話し声がし、それなりに平和に過ごしているようだ。
――そう、浮気だかナンパだか告白だかプロポーズだか桜の木の下で新たな伝説が作られたのも過去の思い出。いや、とりあえずあれは無かったことにして、皆賑やかに和やかに、やわらかな時間を楽しんでいて。
明日香達は、その中で持参したお弁当を広げていた。おかずとして鶏団子や焼鮭に彩りとして見にトマトやレタスの入った野菜サラダ。ご飯には各種海苔巻きだ。3人前にしては些か多く、更に納豆巻きの割合が高いが恐らく他意は無いだろう。
飲み物としては温かいお茶。ノルニルはリュックに入れていた超有名銘柄のお酒を飲んでいる。
エイムが納豆巻きを持って、ラスに差し出す。
「おすそわけですの」
「え゛……いや、納豆だろ? それ……」
謹んでお断りしようと身を引くと、明日香が納豆巻きを平然と食べながらのんびりと言う。
「好き嫌いしちゃだめですよ〜。いっぱいありますし、食べてください〜」
「い、いや、だから……」
「納豆? あたし、食べたことないなー」
ピノが身を乗り出して興味を示す。保護者が嫌いなものは食卓に上らない。家庭の常というものである。
「納豆……ですか。そういえば、私もありませんね」
アクアも思ったままを口にする。納豆なるものの存在は知っていたが手を出したことは無い。エイムは、彼女達に納豆巻きを1本ずつ差し出した。
「あげるですの」
「ありがとー!」
「いただきます」
素直に受け取り、2人はぱくりと一口食べる。その反応は、実に対極的なものだった。
「おいしー! これ、おいしーよ!」
「うっ……! これは……!」
アクアは口をばっ、と押さえ、後ろを向いて悶絶した。口の中に広がる粘りに得体の知れない臭い。一瞬、あ、でも案外いける……? と思った瞬間に再び襲い来る拒絶感。一方、ピノは目を輝かせてラスを見ていた。
「すっごくおいしーじゃん! あたし、これから朝は納豆にしよっかな!」
「げ、まじで……?」
「うん」
あっさりと頷かれて彼がorn……。となっていると、何とか一口目を飲み込んだアクアが地獄を見た、という表情で体勢を戻した。愕然とした表情でお茶を飲むが、匂いは消えない。
「こ、これは……食べ物なんですか? 食べ物として成立しているんですか?」
「いや、これ食いもんじゃないから。そっちが正しい……」
ついつい普通に反応してしまい、ラスはぴたりと言葉を止めた。苦々しい顔をしてアクアから目を逸らす。それにしても、この女と味覚に同じ部分があるとは……。
「まだギクシャクしてるんだね、ラスさんも結構単純で判りやすいなぁ……おっと」
後方を見遣ると、エースが何かわざとらしくげほんげほんとやっている。そんな彼にラスは恨みがましい目を向けた。
「余計なお世話だ」
「まあまあ……」
宥めるように笑い、エースはアクアをちらりと見る。一緒に花見をすることで雪解けしていけばなあ、と思ったり。意外と共通項もありそうだし、一緒にお弁当を食べたりしたらそれなりに少しずつ仲良くなるんじないか、とも。
「にしても、納豆ダメなんだね。お兄ちゃんが好き嫌いあると妹に示しがつかないんじゃ……」
ニヨニヨして言ってみると、ラスはばつが悪そうな目を向けてくる。
「しょーがねーだろ……嫌いなもんは嫌いなんだから」
「もう、やっぱりおにいちゃんは子供だなあ。ちょっとずつ練習しなきゃ栄養偏るよ! 明日から一緒に納豆食べよ!」
「ぜっっっったいイヤだ。あんぱんでじゅーぶんだ」
パンばかり買ってくるやつに言われたくない、と思いつつ、ラスは言った。
エオリアとダリルが、新しく敷いたシートの上にお弁当を並べていく。エオリアの方はそれぞれのランチボックスに、洋風はサンドイッチに唐揚げ、ポテトサラダに牛肉のアスパラ巻、ミニカツとエビフライ等、和風は、可愛らしいコロコロおにぎりに春野菜の煮物と照り焼きチキンに出し巻き卵、筍の土佐煮等が入っている。
ファーシーとピノは、それを何か真剣な面持ちで見つめていた。
「洋風はお酒のおつまみ系が多いかもしれませんね。和風の方は、しっかり食べたい人向けですね」
「すごいたくさんあるわね。ここにいるみんなで、食べきれるかな?」
その量は全部で20人分くらい。ファーシーがそう思うのも無理ないだろう。
「カルキさんがいますから、このくらいは作らないとお腹一杯にならないんですよ」
「カルキちゃん?」
ピノが顔を上げ、改めてカルキノスを見る。がっしりとした体格。固そうな鱗。翼。じーーーーーっ、と彼とご対面していたその瞳が好奇心でいっぱいになっていく。その体勢のまま。
「さわってもいいかなあ……」
「おう、触れ触れ」
「やったあ!!」
「あっ、ピノ……しょうがねーな……」
初対面で何を不躾なことを……と止めようとしたラスだったが、物珍しそうに、楽しそうにぺたぺたと触っているピノの笑顔を見て諦めたように座り直した。カルキノスもまんざらでもなさそうだし、まあいいか。
「ほどほどにしとけよ? ……で、何でお前も触りたそうにしてるんだ。何だその手」
「へ? あ、いや、えっとね……」
指摘されて、何やら指をわきわきさせていたファーシーが慌てて手を引っ込める。
「前、すごく大きな竜に触らせてもらったことがあって……それで、カルキさんはどうなのかなって……あ、ちょっとね! ちょっと思っただけで……」
「ん? 触りてぇんなら構わねぇぜ?」
「本当!?」
許可が出たとたん、ファーシーは立ち上がってカルキノスの方に移動した。随分と動きが機敏だったが、脚は絶好調ということだろうか。
「いつの間にそんな体験したんだか……」
ぼやくように言うラスに、エオリアが話しかける。
「ところでラスさん、ピノちゃんから聞きましたけど偏食なんですって? 美味しさを知らないなんて人生の70%は損してますよ? 嫌いなのも納豆だけじゃないでしょうし、少しはこのお弁当で偏食減ると良いですね」
「…………」
綺麗に並ぶお弁当を前に、ラスは心持ち首を竦めた。放っとけとも思うがそう自慢できることでもないので何も言えない。
「料理の師匠のダリルさんに味見してもらって、美味しさは保障済みです。あ、カルキさんも野菜、ちゃんと食べてくださいね」
「お? お、分かってるよ……」
そう言うカルキは、エースの用意したアルコール類――ワインにビール、日本酒――の中から好きなものを選んで淵と酒盛りを始めていた。エオリアのランチボックスの隣にはダリルの作った重箱も並び、こちらは中身が非常に繊細だ。野菜のマリネの中の人参は蝶、胡瓜は桔梗、ラディッシュは薔薇等、ハム等は菖蒲、慈姑のコンソメ煮は松傘に。和洋に富んだ食材が綺麗に詰められている。他にも手軽に食べられるものやつまみを何点か。
「ホント器用ねぇ」
ルカルカはそれを箸でつまみ、うまうまと味わって食べる。
「ルカは美味そうに食べてくれるから作りがいがあるな」
その満足そうな表情に頷きつつ、ダリルはピノとファーシーの方を見た。彼女達の興味も再びお弁当に移っている。何から食べようか迷っているようだ。というか、綺麗過ぎて食べてもいいものか迷っているようだ。
「そうかしこまらなくても良いんだぞ。まあ、カツサンドでもどうだ?」
「あ、ありがとう!」
「ピノちゃん、ジュースと一緒にどうぞ」
「うん!」
エースにジュースを提供され、2人は遠慮なくカツサンドを食べ始めた。エースもお弁当を食べつつ桜を眺め、話し始める。
「どうして桜がこんなに綺麗な花を咲かせるか知っているかい? それはね、桜の木の下には死体が埋まっていて、その栄養で美しい花が咲くんだよ」
『死体……?』
先に到着していた面々の動きが揃って止まる。自然と目が行くのは、先程1人埋められた桜の木。
「……?」
その妙にかちこちとした空気を不思議に思いながら、エースは続ける。
「といっても、実は伝承のようなものだけど。……桜は、葉もついていない、一見枯れ木な所へ短期間で一気に花が咲くから、生命力の象徴みたいに捉えられている部分もあるんだよね。咲いた花が数日でさっと散っていくその儚さも人々に大きく感銘を与えているんだ。その散り様は、死と人生の儚さを象徴する。そういう所から、そういう噂とか伝説が出来たんじゃないかなーと思うよ。……あれ?」
皆、食べる方に意識を向けていてほぼ話を聞いていない。正しく言うと、途中で飽きて関心が移ってしまっていた。ファーシーも首を傾げて聞いていたが『?』という顔で食間のジュースを飲んでいる。1人きょとんとするエースにメシエが苦笑を向ける。
「はいはい、君の死後は墓一面花畑にしてあげるから安心したまえ」
エースが花大好きなのは今に始まった事ではないが、たまに蘊蓄を出そうとするのが玉に瑕だ。
「アクア、この細工切りの料理とかどう? お菓子も持ってきてるわよ」
「は、はあ……」
ルカルカは、鞄から色々な菓子を取り出した。料理をつまむアクアの横でジュースを飲みながらチョコレートを口に入れる。
「ルカは酒類は飲まないのですか?」
「うん、飲まないよ、子供だもん」
「嘘をつくな」
そこに、すかさずダリルのツッコミが入る。子供ではないらしい。そこで、風森 望(かぜもり・のぞみ)が紙皿を持ってアクアの隣に正座する。取り分けるつもりらしい。
「アクア様は、何か好きな食べ物や苦手な食べ物はございますか?」
「そ、そうですね、どちらも特に、というのはありませんが……。匂いの強いものは苦手ですね」
――先程の納豆が糸を……間違えた、尾を引いているらしい。
「分かりました。では、それ以外のものを」
それぞれの弁当箱から満遍なく料理を選んでいく。その途中で、ふとラスの方に目を止めてにっこりと微笑む。
「ラス様、それはアクア様の作ったものですね」
「……!」
彼はその拍子に咳き込んで、食べかけだったそれをシートの上に置いた。
「そ、そういう事は早く言え! お前達のは合作だから特に分かりにくいんだよ! ……というか、こいつも作ってたのか」
こいつ呼ばわりである。
「ふふ……美味しかったでしょう? アクア様はなかなか器用ですよ。はい、どうぞ」
望はアクアに紙皿を渡す。そして、ファーシーに目を移した。
「そういえば……ファーシー様は最近、アクア様にアルバイトの話とかお聞きになりましたか?」
「あっ、望……!」
途端に、アクアの腰が浮きかける。一瞬のうちに話題を変えよう、とか話を止めさせよう、とかいう考えが脳裏を過ぎったが『アルバイト』という単語が出た時点で最早手遅れだったりする。
「ううん、聞いてないわ。それがどうしたの?」
全く心当たりがなさそうなファーシーと慌てふためくアクアの態度に、望はくすくすと笑った。新しい悪戯を見つけた、というように。
「一週間前くらいから、でしょうか。アクア様、イルミンスールのカフェ『宿り木と果実』でアルバイトされてるんですよ。少々伝手がありましたからこちらで見繕ったのですが、何故か頑なに嫌がられまして……。説得するのに苦労いたしました」
「へー……、アクアさんが……」
手を止めたファーシーにまじまじと見られ、アクアは更に慌てた。ラスも何だか横目で「ふーん……」というニュアンスの視線を寄越してきている。
「ほ、ほら、やっぱり私がアルバイトなんておかしいんですよ! だ、大体あんなエプロンドレスは似合わな……」
「エプロンドレスなんだ」
「…………」
やぶへびである。
「でも、どうして? お金ないの?」
「貯金はあります。なのに、望が……」
「銀行に蓄えがあるとはお聞きしましたが、寺院からのお金が振り込まれていた口座でしたら下手に手をつけるのはどうかと思ったのです。資金ルートを調べられるのを恐れた寺院側が黙っていますでしょうか?」
「寺院はもう抜けましたし……、個人の口座ですしそれは杞憂だと言ったのですが……。1度振り込まれてしまえば、それをどう使ったなどわざわざ調べればそれこそあちらが不審がられるでしょう。第一、誰が私の口座を監視するというのです? 警察は、私のことを知らない筈です。事実、あの時だって気付かれなかったじゃありませんか」
「あの時は、な」
関心無さそうな口調でラスが言う。話の内容に、つい口を出したくなってしまったらしい。アクアが眉を顰める。
「どういう事です?」
「警察だって、そこまで無能じゃないだろ。山田とチェリーから元を辿れば、お前に行き着くのは不可能じゃない。やる気があれば調べるだろ。当然、芋づる式に会社も突き止められる。それを危惧して寺院が動いたとしても不思議じゃない。……まあ、知ったこっちゃないけどな」
それだけ言うと、彼はそっぽを向いてしまった。
(暗に、凍結したままが良いと言っているのですか……?)
深刻気にアクアは俯く。そこに、ファーシーが声を掛けた。
「よく分からないけど……、アクアさん、そこからお金を降ろしたことはあるの?」
「いえ、銀行に行こうとすると止められてしまうので……。最初に生活費も肩代わりしてもらいましたし返そうとは思うのですが。それで仕方なくアルバイトを……」
「時間がかかっても、働いて返して頂ければ構いませんよ」
にっこりと笑って、望が言う。
「それに今後の事を考えましたら、普通のお仕事にも慣れておきませんと。特に接客! 人付き合いです!」
「そこは、気合を入れるところなのでしょうか……?」
人付き合いなど興味はありませんというようにアクアは反駁する。
「にしても、寺院崩れの奴なんかよく雇ったよな。それとも、身元を偽ったのか?」
「おにいちゃん!」
明後日の方を向いたまま、言葉の端々に棘を含めて言うラスにピノが注意する。それでも、彼は目を合わせようとしない。アクアは平静に、だが多少の皮肉を込めて口を開いた。
「残念ですが違います。比較的スムーズに行ったのは……」
「身元に関しては、ノートの実家が保証したのが大きかったのじゃよ。だが、此方は勝手に背を押しただけじゃ。実際にバイトをするに至ったのは」
そこでアクアに顔を向け、山海経は続ける。
「前に進んだのはそなたが歩いた結果じゃよ」
「…………」
アクアは一瞬、彼女に僅かなたじろぎを見せ――それから、目を逸らして黙々と食事は続行した。
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