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リアクション
●epilogue 1
教導団、執務室のテーブルに、金 鋭峰(じん・るいふぉん)と神代 明日香(かみしろ・あすか)がついていた。
「あ、あの……私は今日、エリザベートちゃんやアーデちゃんの代役で……」むっつりとして口をきかない鋭峰に、明日香は恐る恐る切り出した。
「判っている」
「イルミンスールに報告を持ち帰るために……」
「判っていると言ってるだろう」ますます怖い顔をして鋭峰は声を低くしたのだった。「娘、一度しか言わないからよく聞けよ」
「は、はいぃ〜」
「私は元からこういう顔なのだ。怒っているのではない」
……もう少し明日香が大人であったら、こういう場面でも上手く言い繕うことができただろう。しかし彼女は素直に、
「ごめんなさい」
と消え入りそうな顔と物腰で頭を下げたので、鋭鋒は黙って右手で眉間を揉み、「……」と、怒っているような顔をますます怖い、苦み走った表情へと変えるほかなかった。
やがて、場が持たん、とでも言いたげに鋭鋒は声を上げた。
「リュシュトマはどうしている!? それから、この娘には何か茶菓子でも出してやれ!」
だんだん鋭鋒も、イルミンスールからの客人のもてなし方を心得てきたものと見える。
「少佐!」
機械的に正確な動きで廊下を歩むリュシュトマ少佐は、呼びかけられて足を止めた。同少佐の補佐官見習いクローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)もぴたりと停止する。
「部外者が何の用だ」
少佐に代わって、クローラが誰何した。
「立ち入り許可は得てます。それに、私は少佐とは知り合いです」その鼻先に証明書を掲げ、身重の女性――コトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)は言った。「私はコトノハ・リナファ。あなたこそ、誰です?」
「少佐の身辺の世話を申し付かったクローラ・テレスコピウムだ」新兵として彼は少佐につき、その雑務をこなしているのである。といってもリュシュトマは何でも自分でやってしまう性格ゆえ、行うべき仕事は少なかったが。
「少佐、まずは立ち入り許可、感謝します」ルオシン・アルカナロード(るおしん・あるかなろーど)が一礼して述べた。「そしてなぜ、我々が国際手配犯にされてしまったか説明をさせていただきたいのですが……」
リュシュトマは正面を向いた。すると彼の顔の右側が、否応なく視界に入ってくる。黒く焼け、皮膚は死に、ひきつった笑顔のようになっている部分が。目には眼帯をしているが、その下には何も入っていないのだろう。
「事情は独自に調べた。害はないと判断したから入場を許可しただけのことだ。諸君の手配については教導団は感知しないこと、あらかじめ伝えておく。ゆえにこれ以上の会話は無用だ。クランジΥ(ユプシロン)との面会も認めた。テレスコピウム」
「はっ」
「彼らをユプシロンと面会させてやれ。時間は15分、終了後直ちに学内から退居すること。私はこれから団長に報告だ」
「承りました」やや緊張気味にクローラが敬礼すると、リュシュトマは教導団の廊下を靴音立てて歩み去って行った。
いつものことだが、少佐が許可証にサインしていたこと、そして許可証の内容をクローラはここで初めて知った。前もって教えてくれればいいのに……と思うが、それには少佐の信用を勝ち取る必要があるのだろうとも思う。
ユプシロンの部屋への道で、コトノハも、蒼天の巫女 夜魅(そうてんのみこ・よみ)も、彼女が受けている待遇等についてクローラに質問した。いつまでユマはこのような扱いになるのか。どうすれば解放してもらえるのか。せめて待遇改善はないのか……等々、しかし彼は、こう答えただけだった。
「ユプシロンは現在リュシュトマ少佐が使用されている。少佐の本心は俺などが窺えるものではない。ユプシロンへの態度も少佐なりの考えがあっての事と思う」
だが、現実として彼女が一見、人権なきが如き扱いを受けているのも事実ではある――という自己の見解は、クローラは心にしまっておいた。(「ま、元寺院なのだし機晶姫のプログラムの深奥はまだ謎の部分も多いから、その扱いは当然だと思うよ」)
電子ロックが複数施された分厚い金庫のようなドアを開けると、そこは白い壁に白い床、ベッドの狭く殺風景な部屋であった。
「コトノハさん……皆さん。クローラさん、お疲れ様です」
クランジΥことユマ・ユウヅキが立ち上がって彼女たちを迎えた。捕虜用の服なのだろう、白い病院着のような味気ない格好をしていた。
コトノハは、黙ってユマを抱きしめた。そのとき、大きなお腹が触れるのは隠しようもなかった。
「もうじき……なのですね」
しかしユマはこれを喜び、触らせてほしい、と申し出た。コトノハに異議がなかったのは言うまでもない。
「ええ、来月、出産するんです。男の子で、名前は白夜にしようと思います」
コトノハは並んでベッドに腰を下ろし、夜魅は足元に座り、ルオシンは椅子を借りて腰を下ろした。クローラが気を利かせて扉の外に立ったので、一行は短いながら歓談して過ごしたのだった。
ザナ・ビアンカについてユマは知らず、クシーについて問うても、「あの人は……怖いです」と首を振ってあまり教えてくれなかった。
「ユマにとって、クシーはあわや殺されそうになった相手だ」ルオシンがそっとコトノハに告げた。「あまりクシーについて聞くべきではないだろう」
コトノハは、はっとなって口をつぐんだ。かわりに夜魅が、自分のことを話した。
「あたしのせいで、ママやパパを酷い目に遭わせちゃった……。やっぱり、あたしは『災い』で『化け物』なのかな……」
そして簡単ながら、マホロバで起こったことについて語った。話ながら涙をこぼす夜魅の背に、そっとユマは手を置いて撫でた。
「あなたには、愛してくれる人たちがいます。それを忘れないで……」
「じゃあ」ユマの膝に顔を埋め、夜魅は言った。「じゃあ私も、ユマを好きでいるね……」
あの人には、『愛してくれる人』がいるのだろうか――ふと夜魅は思った。顔の半分が焼けただれた厳粛なあの軍人、リュシュトマ少佐には。
コトノハ一行を送り出すと、「いいかな」、ドアをノックして、ユマの独房にクローラは入った。
ユマは一人、壁に蒼空学園の新しい制服を架けているところだった。
「それ……」
「コトノハさんが下さったのです。『この服を着て一緒に蒼学に帰りましょう』って……いいですよね?」
「それを渡すことも許可証に書いてチェックが入れてあった。だから、問題ない」
白一色の侘びしい独房にあって、赤を基調とした蒼空学園の女子制服は、心を華やいだ気分にしてくれるものだった。
「ところで、何か御用ですか?」
と小首を傾げるユマ、いや、クランジΥが、鏖殺寺院の兵器だとはどうしてもクローラには思えなかった。
(「兵器に心を持たせる意味は何だ? 従わせるより、仕えさせる方が効率的だからか?」)
しかし考えを口にせず、クローラは彼女の前の椅子に座した。
「その……たまには私服は着ないのか?」
保護下という名目で監禁されている彼女だが、服装は特に指定されていない。
「いえ」ユプシロンは首を振った。「貸与されている教導団の制服以外は所有しておりませんので」
「そうか」なんだか悪いことを問うた気がして、空咳してクローラは言った。「なら、いつか空京に服でも買いに行くとか。なんなら今度付き合う。俺が共に行動したら外出許可は……まだ、出ないのか?」
「お気遣いありがとうございます。お優しいんですね」彼女は、菫の花のようにそっと微笑んだ。「ご存じありませんでしたか。私の外出申請はことごとく却下されています」
「ごめん……」
「謝る必要はありません」
長居した、と告げてクローラは外に出て錠を下ろした。
なぜだか彼は動悸が速くなっていた。
(「ロボットに何言ってんだ俺。でもユマを見てると、人と機械の差が分からなくなって……」)
ユマは自分という存在をどう認識しているのだろうか。
問うてみたい、とクローラ・テレスコピウムは思った。