リアクション
「城内で復興の手伝いというなら、あなたが直接指揮せずともヨミさんを名代に立て、補佐役を何人か付けておけば事足ります。 * * * 「ほ、本当にこれで私だとバレないの…?」 ロノウェは半信半疑で自分の格好を見回した。 清楚な白いブラウスに裾がウェーブになっているフレアスカート、膝下のソックスに黒のローファー……そしてロノウェのトレードマークにもなっている左右非対称の角を隠すため、くるぶしまでくる長いベールをかぶっている。 さらに少しでも角を目立たなくする手段として、髪も玄秀の命令でティアン・メイ(てぃあん・めい)が2本の三つ編みにして頭の両左右に巻きつけてピンでしっかり止められていた。おかげで短い方はほとんど角先しか見えず、長い方も半分と少し埋もれている。 「眼鏡ははずせますか?」 という言葉は、断然拒否した。 「分かりました」 あっさり引いて、玄秀は1歩後ろに下がり、ロノウェの全身を見る。 「どう?」 ロノウェはバレないかどうか訊いたのだが。 玄秀はふっと嬉しそうな笑顔になって 「とてもよく似合ってます」 と答えた。 胸がどきりと鳴って、カッとほおに熱を感じたロノウェの手を、玄秀がやさしく掴む。 「げ、玄秀?」 「街はどこも工事中で、石につまずくと危険ですから。手をつないで行きましょう。友人はそうするものです」 「そうなの?」 「ええ、ときにはね」 友人など持ったことがないロノウェである。かつて、ヨミの父親とは親友だったけれどそれはどちらかといえば戦友の部類で、命を賭ける場で信頼できる相手というものだった。決して平時に手を握って歩いたり、腕を組んだりして歩いたことはない。 分からない、というなかばすがる目で確認するようアルテミシアを見たが、アルテミシアは肩をすくめて見せるだけだった。 そうして彼らは外門を抜け、ひと気のない街を散策して歩く。 「……イコンにはこんな使い道があるのね」 イコンを用いての瓦礫撤去を見て、感心したようにつぶやく。そちらに気を取られていたロノウェはすっかり足元の注意が怠っていた。 「あっ」 小石を踏み、倒れそうになる。それを、玄秀が手を引いて助けた。 「ほら。つないでいてよかったでしょう?」 「え、ええ…」 「このあたり、結構崩れてますから、気をつけて。陥没に足をとられる可能性があります」 と、さりげなく腰に手をあててリードする。 (へえ、面白い。あの男、ロノウェにモーションかけてるのね) 少し下がって後ろを歩いていたアルテミシアは、その様子を鼻で笑う。実年齢はともかく外見的には13と14。つり合いはとれていて、どちらかといえばお似合いだ。ロノウェ自身、男性にリードされたりとこういうことは初めてか、すっかりとまどって自分のペースが作れないでいるところなど、初々しく見える。 (もっとも、男の方は何か裏がありそうだけど……ま、いいか) アルテミシアはあっさりしたものだったが、ティアンの方はそうもいかなかった。 ロノウェに接する玄秀の態度に、焼けつくような熱い痛みを胸に覚える。 (なぜそれを、私はこうしてここからただ見ていなくちゃいけないのかしら…?) 頭の隅にそんな疑問が浮かぶ。 (どうせ何もできないなら……ここにいなくてもいいんじゃない…?) だけど頭の中の大多数の部分が叫んでいた。 駄目よ、ちゃんと彼のそばにいなくちゃ。彼がそうしろって言ったでしょ? 第一離れていたら彼が私を必要としてくれるときが分からないじゃない。 卑屈な考えだと、自分でも思う。昔の自分だったら、ほかの人がこんなことを考えていたら「しっかりしなさい。彼はあなたのためにはならない。あなたは彼がいなくても十分生きていけるわ」と叱りつけただろう。なんて愚かな自分。しっかり世界の真実を見据えて生きているつもりで、何も見えていなかった。それがただ一つの真実と思っていたなんて。 だけどそんなもの、これっぽっちも真実なんかじゃなかった。失えば生きていけないものは、存在するのだ。 彼のものになってしまえば、苦しみはなくなると思った。「良い」も「悪い」もない。「玄秀」がただ一つの真実になれば……彼が自分の「世界」になれば、もう己の弱さに振り回されて傷つく必要はなくなるのだと。 事実、全面降伏したとき、それは甘美さをもって彼女を支配した。泣き出してしまうくらいの安堵感に満たされた。 だがすぐにまた、別の弱さが彼女をがんじがらめにした。 彼に必要とされなくなるのが怖い。彼が振り向いてくれなくなるのが怖い。 なぜなら自分は、全てを捧げてしまったから…。 彼のために、良心のひとかけらまでも差し出した。もうこれ以上、彼に与えられるものが何もない。 (振り向いて、シュウ。ロノウェじゃない、私を見て。あなたの望むことなら何でもする私がここにいるのよ) ティアンの腕の中、急に強まった締めつけに、猫が「にゃあ」と鳴いた。 この都の民たちの居住区になっているという北西へ向かってさらに進んでいると、いきなりきゃーーーっという子どもの疳高い悲鳴が聞こえてきた。 悲鳴といっても恐怖に彩られた、切羽詰まったものではない。あきらかに楽しんでいる子どもが出す声だ。悲鳴と一緒にたくさんの笑い声も聞こえる。声の感じからして、やはり遊んでいるのだろう。 だからロノウェたちは特にあせって駆けつけようとしたりはせず、普通に徒歩で人の気配のするそちらへと向かった。 たどり着いたそこは、こじんまりとした円形の広場だった。まだ昼間だというのにすっかり陰ってしまった広場では、やはり子どもが、耳をつんざくようなけたたましい笑い声まじりの悲鳴を上げながらばたばた走り回っている。 ただ走り回っているわけではない。その走り方には法則があった。常に後ろを気にして振り返り振り返り走り、四方に散らばりながらも広場の端にたどり着くと、反転してまた戻ってくるという。 子どもたちの中心にいたのは、お尻に黄色と白のシマシマしっぽがニョキッと生えて、シマシマ猫の手をした大人の女性――ディンス・マーケット(でぃんす・まーけっと)だった。 かなり癖のある茶色のウェーブヘアをうなじでまとめ、印象的なおでこの持ち主。 彼女は獣人ではない。陰っているためパッと見には本物に見えたが、しっぽも手も作り物。彼女はコントラクターだった。 「がお〜! 捕まえて、食ーべちゃーうゾ〜〜?」 猫でなく、怖いトラを演出しているのだろうか? しかしわざとユーモラスにふるまっているため、その動きは滑稽で、見る者の笑いを誘う。本人だって笑っている。 きゃあきゃあ笑う子を加減しながら追いかけ、そのうちの1人をひょいっと後ろから持ち上げた。 「さあ、捕まえタ! 放さないゾー」 「や〜〜〜〜んっ」 「捕まえた子はどうしようかなァ? みんな、どうした方がイイ?」 「罰だー!」 「やっちゃえ〜!」 走っていた子たちがピタッと足を止め、笑顔ではやし始める。 「よーーーし! じゃあやるゾ〜? いっぱい笑って、ふにふにっと癒されるのダ〜!」 ふにふに、ふにふに。 やわらかく肌触わりの気持ちいい猫の手グローブが捕まえた男の子のほっぺを両側からはさんで、グルグル渦のような動きをする。 「きゃははっ! おねーちゃん、やめてよ、くすぐったーい!」 男の子は大爆笑してそんなことを言いながらも、ディンスから離れようとしなかった。 「えいっ!」 後ろからそろーっと近付いた子が、ディンスを突き飛ばす。ディンスは少しよろめいた。 「さあ、逃げるぞ!」 「うんっ、お兄ちゃん!」 少年が先の男の子の手を引っ掴んで駆け出す。 「イタタ……よくもやったなあ〜? トラさん怒ったゾ〜。がおがお〜! 今度はほんとに食べちゃうゾ〜」 ディンスの言葉に、一斉にきゃははっと笑って。 「トーラさんこちら〜!」 「絶対捕まらないからね〜」 またも追いかけっこは再開された。 「したいの?」 しっぽをふるふるさせて、小刻みに動いているヨミを見て、ロノウェが訊く。 「――はっ。し、したくなんかないのですっ。全然っ。あ、あんなの、子どもの遊びなのです」 まさか見られているとは思わなかったと、ヨミはあわてて首をぶるんぶるん振る。 「うそつけ。うずうずしてるじゃねーか」 魄喰 迫(はくはみの・はく)がニヤリと笑ってつんつん肘で背中をつつく。 「してないのですっ」 顔を真っ赤にして全身をつっぱって否定するヨミを見て、ますます迫の意地悪な笑みがふくらんだ。 「そっかー。じゃああたしだけ混じってこよーかな」 「えっ?」 「あたしは平気だからねー。ヨミはそこで見てろよ!」 「ずるいです、迫っ! ヨミも行くのですっ」 きゃはっと笑って走って行く迫を、テケテケテケーと後ろから憤慨したヨミが追いかける。 「素直じゃねーなぁ」 鼻の先をつまんで振る、その様子は、種族は違えど姉と弟のようだ。普段はああしてヨミをからかい、ときには意地悪をしてヨミを怒らせたりすることもあるだろうが、いざとなれば己を盾にしてもヨミを護るのだろう。本当の姉のように。 (……そうね。あの子だったらヨミを任せられるわね) 「おっ、キミたちも参加するかァ?」 ヨミと迫に気付いたディンスが、おいでおいでと猫招きをする。そしてある程度近付いたところでやっぱりやった。 「よく来たなァ。がお〜! がおがおがお〜!」 「よし! ヨミ、逃げろ〜」 きゃーっと声を上げて笑うヨミの姿を見ていると。 「よろしければ待っている間、こちらに参加しませんか?」 横手からそんな提案が持ちかけられた。 声に応じてそちらを向く。そこにいたのは、ある意味全く個性のない、それでいてなかなか印象深い顔立ちの青年だった。 柔和な? 端正な? 単純な? なんかこう、1本の線で描けそうな目鼻立ちをしていて、悟りきった? ような表情を浮かべている。それだけに底がうかがい知れない懐深さというか、人間的深みを感じさせる男性だ。全然そんな歳には見えないのに、すでに人生の酸いも甘いも経験し尽くしてきたような…。 (……大仏のようだな) 大佐と玄秀はほぼ同時に、全く同じ感想を持った。 「はじめまして。僕の名前はトゥーラ・イチバといいます」 彼らが自分を観察していることを承知の上で、結論が出たころを見計らってトゥーラ・イチバ(とぅーら・いちば)はにこっと笑う。 「きみの名前はなんですか? よかったら聞かせてください」 はたして何と答えたものか。どこまで魔神ロノウェの名前が浸透しているのか分からない。 こちらにもロノウェという名前は普通にあるのか? 「ロノ――」 「ローナといいます。僕は玄秀。向こうにいるのはアルテミシアとティアン」 迷うロノウェの肩を抱いて、玄秀は軽快に答えた。そして相手が疑問に思ったりする暇を与えないよう質問を投げる。 「あなたはここで何をされているんです? 絵ですか?」 「……ええ。子どもたちと絵を描いています」 トゥーラは反対側にいる少女たちが見えるように身を引いた。そこでは道端にしゃがんだり座り込んだ子どもたちが、紙にクレヨンで絵を描いたり、作文用紙に文字をつづっている。追いかけっこに参加できない小さな子やおとなしい子は、彼が担当して面倒を見ているのだろう。 「へえ。みんな上手だなあ」 感心した様子で玄秀が後ろから覗き込む。 「おにーちゃんも描く?」 「え? ははっ。おにいちゃんはあんまり絵がうまくないんだ」 「ならあたしが教えてあげるよ」 少女が肌色のクレヨンを突き出した。 「えー、まいったなぁ。 ところでみんな、何を描いているの?」 「んー? あたし、にゃんこ!」 「騎士さん!」 「ママ!」 「……みんなの好きな物を描いてもらっているんです」 と、トゥーラはロノウェに説明した。 「ハワリージュさんにお願いして、あとでこちらの広場で展示してもらうことになっています」 「これは? あなたの好きな物?」 ロノウェはイーゼルにかかったカンバスを見て言う。 「ああ、これは……いや、あそこで追いかけっこをしているディンスと子どもたちを描いているんです。ヘタの横好きですが」 照れているのをごまかすように頭を掻き掻き、トゥーラは答えた。 2人の視線の先、彼らはもう追いかけっこをやめて、なわとびを始めていた。大きななわをぐるんぐるん回して、順番に横から中へ入っては足元にきた縄に引っかからないようぴょんぴょん跳んでいる。 「お嬢さん、お入んなさいっ♪」 「はーーいっ」 ディンスのかけ声に合わせて1人ずつ大なわに入っていくのを、ヨミが自分の順番を待ちながら大口を開けて不思議そうに見ている。 「そう」 子どもに囲まれて笑っているディンスの、あわく彩色された絵を見ていたロノウェの視界に、こちらへ近づいてくる白衣の女性の姿が入った。彼女をロノウェは知っていた。かつて彼女の翼下にいたコントラクター九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)だ。 「ロノウェさん、おひさしぶりです」 正面に立ち、ジェライザは心からうれしそうな笑顔であいさつをした。 その名前に、おやおやと思いながらも、トゥーラは聞こえなかったフリをして子どもたちへの絵の指導を続ける。 「今日はいつもと違うご衣裳ですね。髪型も変わっていて……気付くのに少し遅れました」 「わたし、違う…?」 そっと角に手を添える、どこか不安げなしぐさに彼女の心情が現れているのを見てとって、ジェライザは微笑した。 「とてもお似合いですよ」 「そう」 無表情を装い、ほっとしているのを隠そうとするロノウェ。おそらく彼女は、こういった女性的なことにかけては本当に不得手なのだろう。戦場にあっては何千の兵士を従えて指揮し、巨大ハンマーを持ってイコンすら破壊する彼女が、自分がしている服装ひとつに自信を持てないでいる姿は違和感を通り越してなんだか外見相応の少女に見えてくるのが不思議だった。 こんなに不器用な人だったとは。 「……それで、何の用?」 「ああ、すみません」 口をついて出そうになるくすくす笑いを押し殺すのに苦労しながら、ジェライザは魔族診療医の認可試験について訊いた。 「あなた、本当になるつもりなのね」 「もちろんです。今、人と魔族には大きな溝がありますが、自ら違う領域に飛び込んでいくことで少しでもその溝を埋めたいと思ったんです。人間の味方でも魔族の味方でもない、生きるものの味方としてありたい、それが自分の目指す医者の姿だから」 自身、大言壮語だと思わないでもないが、それが本当に自分が心から望む姿だという確信がジェライザにはあった。そしてたとえそれを極めることができないまま終わることになったとしても本望。そうありたいと目指す志、この道を生涯歩むことにおそれはない。 「迷いがないのね」 ジェライザの視線を受け止めて、ロノウェはつぶやいた。 「そろそろ人間側から選出された候補地の書類が送られてくるころよ。それを元に調査団を派遣することになるわ。それに合わせて試験も行うことになるでしょう。申請用の書類ができたらあなた宛に送らせるわ」 「ありがとうございます。……ところで相談なんですけど。経験年数と実地試験で免除される筆記試験項目とか、設けるご予定はありませんか?」 「あなた」 ロノウェはぽかんと口を開けて絶句する。やがて、ゆるゆると閉じた口元には、しようのない子と言いたげな笑みが浮かんでいた。 そして2人は、まるで申し合わせたようにくすくすと笑ったのだった。 「まだ診察の途中ですので」 では、と手を振りながら戻って行くジェライザに手を振り返していたとき、それは起きた。 「ピカーーーーーーーーーッ!」 という切羽詰まった叫び声とともに、弾丸級の素早さで何かが横路地からシュッとロノウェに向かって飛びかかったのだ。 しかしそれは届くはるか手前で大佐によってはたき落とされる。 「……ぴきゅう〜〜…」 テンテンテン、と街路をはずむように転がって、目を回しているのは大きなわたげうさぎだった。 「わっ! ピカ!」 先ほど叫んだ少女に違いない。和装でおかっぱ髪をした素朴な少女天禰 薫(あまね・かおる)が横路地から走り出てきて、足元に転がっているわたげうさぎを拾い上げた。 「大丈夫!? けがしてない!?」 「突然飛びかかってきたんだ。そちらが悪い」 半眼の無表情でじっと見つめてくる後藤 又兵衛(ごとう・またべえ)に大佐は釈明をする。 「それともあいつらに撃たれたり斬られた方がよかったか?」 と、ロノウェの左右についているアルテミシアとティアンを指した。彼女たちの得物を見て、又兵衛は納得するようにうなずく。 「あなたは」 「天禰 薫なのだ。ロノウェさん、おひさしぶりなのだ」 「さっき、向こうの道を通ってたらロノウェさんを見かけて……うちのピカの粗相を許してほしいのだ。いつも話して聞かせていたからロノウェさんに会えてピカも嬉しかったに違いないのだ」 「ピカ、というの? この生き物」 「うん! わたげうさぎの獣人なのだ」 「ああ。どうりで」 わたげうさぎにしては大きすぎると思っていたところだった。 「天禰 ピカというのだ」 差し出されたそれを、ロノウェは反射的に受け取った。ふわふわの毛玉のようなうさぎ。まるで何も抱いていないようにとても軽い。 「ぴきゅう♪」 ロノウェの腕の中で満足そうに、天禰 ピカ(あまね・ぴか)が鳴いた。 「あーーーーーーーーっ!」 その様子に気付いたヨミが、あわてて列から離れて駆け戻ってくる。 「おまえ! 離れるのですっ!! そこはヨミの場所なのですーーっ!!」 昨日の白夜といい、このピカといい。神経刺激されまくってヨミはすでに半泣きだ。 そんなヨミを、又兵衛が持ち上げた。 「ピカはロノウェと仲良くしたいんだそうだ。だから怒りなさんなよ」 よしよし、となだめるように頭を撫でて、肩車に背負う。 「う〜〜〜〜〜〜っ」 「おまえさんはいつもロノウェと一緒じゃないか。このときだけなんだから、心を広く持って、認めてやれ。男だろ?」 「失礼な! ヨミは男の子なのですっ!」 女の子と間違われたと思って反論するヨミに、プッと周りの者が吹き出す。 「そうか。男の子か。悪かったな」 クク、と詰まるように笑って、又兵衛もあえて説明はしなかった。 「おい、天禰。そろそろ開演時間だぞ。急いでいたんじゃないのか?」 一番最後をゆっくりと歩いてきた、やはり和装着姿の男熊楠 孝高(くまぐす・よしたか)が無精ひげの生えたあごをさすりさすり注意を促す。それを聞いて、薫はシャキッと背すじを伸ばした。 「そうだったのだ!」 と、ロノウェの右手を掴みとる。 「ロノウェさんも一緒に行くのだ!」 「えっ!?」 「いいから、早く早く〜なのだ!」 意味が分からないと驚くロノウェを、なかば引きずるようにして薫は駆け出す。 「でも……あのっ……私は――」 後ろを振り返るロノウェに向かって、トゥーラは子どもたちと一緒にバイバイと手を振った。だれも止める気はないらしい。 やれやれ、というふうに大佐とアルテミシアもその後ろに続いて、全員がそちらへ移動を始めたとき。 玄秀が、横路地の壁にティアンを押しつけた。 「あっ」 腕の中に囲い込み、顔と顔を合わせる。 「先のはどういうことだ? ちゃんと守れと言っていただろう。何のための猫だ?」 「急に……飛び出してきたんだもの…。それに危険は…」 きゅ、と唇を噛む。 「……シュウ……あまりロノウェに深入りしないで…」 「深入り?」 面白いことを聞いた、というように、クッと嗤う。あごを持ち上げ、上を向かせた。 「べつに僕はくどいていたわけじゃない。ロノウェはそういう対象じゃないんだ。それに、僕が「女」をくどくときはどうするか、もうティアは知っているだろう?」 「でも――あっ…」 数瞬の沈黙ののち、玄秀は身を起こした。 「さあ、これからはきちんと役目を果たすんだ。いいね?」 「……分かったわ…」 「いい子だ」 小さな子どもを褒めるようにつぶやいて、玄秀は路地の向こうへ消えかかった彼らのあとを追って歩き出す。その後ろでいまだティアンは壁に背をつけたまま、そっと唇に指をあてていた。そこに残る感触が、彼女の中でとりとめなく起きていた感情の波をすべて押し流してくれたのは事実。まごうことなき真実なのだ。 彼女はいつしか泣き笑っていた…。 |
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