校長室
星降る夜のクリスマス
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●Silent, night 天窓の下、金の針のような星空を眺めながら、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)とグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)はグラスを傾けていた。 小さなカクテルテーブルには黒い氷差し、表面にはうっすらと雫が浮いている。かたわらにはカットされたレモンとモルトウイスキーの瓶。瓶のラベルでは、細密画調の南国鳥が翼をひろげていた。 ライザは戯れるように、手の中のグラスを巡らせた。カラン、と音を立て氷が踊る。 「ふむ。しかし今宵は何故、ここまで足を運んだのだ?」この場に来たのは、ローザとライザは二人きり、そのことを指して、「まぁ、他の者も、今日はめいめいのクリスマスを過ごしているはずではあるが」 何気なく言った。同様にグラスをもてあそびながら、やはりローザも何気ない様子で返答する。 「感謝、かな……よくよく考えたら、この一年、あなたとやり合ったこともあれば、手を差し伸べられたこともあった」 「どういう風の吹き回しだ。いきなり」 「本心よ」 服装と髪型こそ違えど、双子のように容姿の似た二人だ。ライザがローザを見るのは鏡を眺めるようで、 「ライザ。あなたは気難し屋だけど……そのくせ、気高い性格と相俟って姉御肌で、誰よりも面倒見が良い。あなたの言葉に助けられたことが、何度あったことか」 ローザがライザに向かい合うのは、撮影された己の写真に直面するかのよう。 琥珀色の酒をローザマリアは唇に含んだ。舌に乗せれば燃えるように熱い。 「ここで始まったFate(宿命)も、ライザ。あなたたちの力なくしては切り抜けることはできなかったわ」 ローザの頬が薄紅を引いたようになっていのは、強い酒のせいだろうか。 「しかし宿命は続くぞ。最期の刻が訪れるまでな」 ライザは横を向いたまま、 「ならばローザよ、わらわは、これまで通り我を張るとしよう」 と言ってただ一度、喉の奥で笑うような声を洩らした。 ――宿命は続く……。 ローザマリアの顎が上を向く。目は星空に止まる。けれど彼女が見ているのは星でははない。いうなれば……過去。 クランジシリーズと呼ばれる機晶姫たちの面影が来ては去り、また来て、また去った。 ユマ・ユウヅキ。今の彼女は幸せで、楚々とした菫草のように美しい。かつて彼女が死を覚悟した表情で、髪を振り乱していたのが嘘のようだ。 ローラとパティ、現在は『ブラウアヒメル』の姓をともに名乗って、まさしく姉妹として過ごしている二人。イメージは向日葵(ひまわり)と雛罌粟(ひなげし)のようで、共通点はあまりないのだが、それがうまくいく理由なのかもしれない。 大黒澪……。彼女のことを思うたび、ローザの胸には冷たいナイフが突き刺さる。気高くもどこか儚げな彼女は、ほんの刹那だがローザに心を開いてくれた。しかしそれが、彼女にまつわる最後の記憶になった。 澪の転生ともいうべき姿、大黒美空。ローザを貫くもうひと振りのナイフだ。まさか二度も、彼女を喪うことになろうとは。……終わったことと割り切るには、九か月という時間はあまりにも短い。 ――心の整理を付けないまま私は、前を向いている。他に彼女を弔う方法を知らないから。 そして、どうしても忘れられないクランジがいる。 そのコードネームは『Ι(イオタ)』。 彼女を最後に見たのは、美空が天に還ったのと同じ日。 美空……澪を永遠に奪ったのはΙの銃弾だという。 だが不思議と、Ιに憎しみは感じない。ただ、もう一度会いたいとは思う。 Ιの足跡は杳として知れないものの、ローザは時々Ιを感じることがあった。いや、今も感じている。 もしかして、あの小さな魔弾の射手は、今も案外この会場のどこかに紛れ込んでいて自分を狙っているのかもしれない。 「いつでも殺せる」 抑揚をつけずにそう呟きながら、冷えきったトリガーに指をかけているのかもしれない。 でも、それならそれでいいとさえ思う。 また会う事もあるのなら――この夜空の下、どこかで自分と同じく空を見上げているのなら、それで。 「Ιのことを考えているのか」 ライザが言った。勘の鋭いことだがローザは驚かない。 頷くかわりにローザは言った。 「万が一、聖夜の奇跡とやらが起きて、あの小さい魔弾の射手がもしも本当に自分の前に現れたのなら、言うべき事は一つ……」 一拍おいて、続ける。 「いつでも、待っているから」 「世迷言を……」 ふと我に返ってライザは口をつぐむ。 それが、大黒澪の口癖だったと思い出したから。 「御互いに、損をしているわね?」 ローザはぽつりと言った。 そしてもう一度、ライザに乾杯を求めたのだった。 室内だが黒いコートを着ていた。 内側が冷えるから。 華やいだなかにあっても、どうしてもグレン・アディール(ぐれん・あでぃーる)は明るくなれない。拭えない思いがある。 ――アイツらも……生きていれば……ここで楽しんでいたんだろうな……。 考えてしまうのだ。命を散らしたクランジたちを。手に届くところにいたのに、永遠に喪われた者たちを。 ……ダメだな。 ここにいると、せっかくのパーティーの雰囲気を台無しにしそうだ。 しかし、救いもあった。 ――元気そうだなΠ(パイ)……。 なにやら連れと話しているパティを見て思う。彼女は笑っている。 あの表情を見れただけでも、パーティに来た価値はあった。ほんの僅かだが、心に明かりが灯った。 彼の同行者、ソニア・アディール(そにあ・あでぃーる)は安堵の溜息をつく。あの様子を見る限り……グレンをパーティに誘ったのは、どうやら正解だったようだ。 やがてグレンはコートの襟を立てたまま、黙って会場を後にした。 外はしんしんと冷える。 だがむしろこれを心地良く感じながら、グレンはクリスマスツリーそばのベンチに腰を下ろした。 その隣に、黙ってソニアも座った。ドレスの上にコートを着込んで。 沈黙がゆっくりと流れた。 ソニアが隣に座ってから数分後、ようやくグレンは呟いた。 「……何も…訊かないのか…?」 「何年、一緒にいると思っているんですか?」 じわりと熱が伝わってくる。 ソニアが、彼の肩に頭を預け寄り添ったのだ。 「グレンが今、何を想っているのか……それぐらいは分かります……」 「……そうか……」 救いだろうか。 赦しだろうか。 ソニアの言葉に、何かを与えられたようにグレンは思った。 それと同時に、疲労がのしかかってきた。 瞼が、重くなる。 ――アイツら…に…会い…た……い……。 彼の脳裏をよぎるのは、追憶。あるいは甘美なる幻想……。 「おやすみなさいグレン……良い夢を……」 ソニアはそう呟いて、彼にキスした。 それからどれくらいの時間が過ぎたか。 「……!」 鋭い視線を察知し、ソニアは顔を上げた。少しまどろんでいたが、瞬時に目は醒めている。 既にグレンも正面を向いていた。 巨大なクリスマスツリーの影から、一人の少女が出てきた。 見覚えのない顔だ。百合園の制服を着て、黒いダウンジャケットを羽織っている。 黒い髪に、黒い目。その瞳は闇夜のように深く、ぞっとするほどに美しかった。 「誰……だ……」 知らない姿である。 だが、知っているようにも思えた。 いや、確かに知っている。会ったことがある。 ――狐は人に化けるという……その意味なら確かに……狐かもしれない。 それは記憶。約一年前、確かにグレンはそう言った。彼女のことを指して! 「……Κ(カッパ)?」 グレンの発言をまるで無視して、少女は言った。 「グレン・アディール。貴様には借りがある。いつか、返す」 「……生きて……いたのか。Κ」 「今は、カーネリアン・パークスと呼ばれている」 どうやって、とか、どうして、と理由を問うことをグレンはしなかった。何か言おうとして、ようやく出た言葉は、 「……ダウンジャケット……好きなのか……?(※参照)」 だった。 Κ……いやカーネリアンにとっても意外だったのだろう。彼女は少し戸惑ったように、 「そういうわけでは……ない」 と言って、嫌いではないが、と付け加えた。 「……そうか……」 「そうだ」 しばらくの沈黙ののち、カーネリアンは立ち去った。連れ……緋桜遙遠と思わしき人影のところに戻っていく。 「また会うだろう」 とだけ短く、予言めいた言葉を残して。 ――夢? だったのだろうか、とグレンは空を見上げた。 そこにはただ、またたく星空があるばかりだった。