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ナラカの黒き太陽 第三回 終焉

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ナラカの黒き太陽 第三回 終焉

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 その頃、研究所の外では。
「あんた……た、ちぃ……」
 呪詛の声は、より低くしわがれていた。ざんばらになった髪の下で、その顔は醜く焼けただれている。
「許さない……ユルサナイ……!!!」
 ずるり、と。
 ナダの体が、溶けていく。
 漆黒の液体へと、変化していく。
 それはかつて、研究員の清家が飲み下した『ナラカの穢れ』そのものだ。
 しかもそれは、身にまとった炎をものともせずに、かつみの足首から徐々に、炎をむしろ食らうようにして這い上っていった。覆われた部分は、まるで縛り付けられたかのようで、かつみには身動きがとれない。
『……ドウ? ボウヤゴト、ワタクシヲキッテミル……?』
「く……っ」
 カールハインツは唇を噛んだ。たしかにこのままでは、下手に手をだせばかつみごと傷つけかねない。
「気にすんなよ! 俺ごと始末しちまえ!!」
 かつみはそう言うが、「できるわけねぇだろ!」とカールハインツは怒鳴り返した。
「どうしよう??」
「祥子……」
 義弘と朱美も、さすがに当惑したようだ。
 その間にも、ナダはかつみの肌をはいまわっている。もう、二の腕までも、その支配下においてしまった。
 いくら耐性をつけていても意味がないほどの闇の穢れが、直接神経を狂わせる。胸が悪くなるほどの嫌悪感と痛みを堪えながらも、「いいから、やれ!!」とかつみは再度そう言い切った。
(どうすれば……)
 ぐっと、祥子は掌を握りしめた。



 レモとカルマを見守っていた神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)山南 桂(やまなみ・けい)にとっては、変化はまず最初に水晶柱に現れた。
 澄んでいた水晶が、最初は黒く濁りだし、計器はどれも異常な数値をたたき出す。緊急避難を知らせるブザーが鳴り響く中、翡翠はただじっと、二人を見つめていた。
「主殿」
 思い詰めた翡翠の横顔に、桂が労うように声をかける。
「大丈夫ですよ。信じていましょう」
「……はい」
 そう、頷いたときだった。
 眠る二人の体が淡く発光しはじめ、同時に水晶柱のなかの濁りが消えていく。
「カルマさんが……」
 やがて、ひときわ眩しい光が、水晶柱から放たれた。
 虹色の光。かつて、目覚めたときと同じように、しかしもっと柔らかな虹が、地下から地上へと貫き、そのまま天空へと架けられる。

「……レモ?」
 外にいたカールハインツたちにも、あるいは、薔薇の学舎にいても、雲海を隔てたツァンダへむかう船上にまでも。
 その虹は見えていた。
 やがて、降り出したのは……暖かな、雨だった。
(成功したの?)
 祥子がそう思ったときだった。
『ウグァア……!!!』
 悲鳴をあげ、ナダであった黒い液体が、かつみの体からひいていく。
 ようやくその身を蝕んでいた責め苦から解放され、かつみはその場にどさりと膝をついて崩れ落ちてしまった。その体を、カールハインツが支えてやる。
『ユルサ……ナイ……』
 ……それが、最後の呪詛の言葉だった。
 降り続ける雨に流されるように、ついに、『ナラカの穢れ』であり、ナダは……消えた。


 それは、普通の雨ではなかった。
 さながら、『生命の雫』だ。
 黒い靄も穢れた存在も、ナダと同じように、その雫によって浄化され、流されていく。
 氷結されていたゲートもまた、雨の中で溶け去るように消えていった。

 タシガンだけではない。ザナドゥに存在するタングートにも、その雨は降り注いでいた。
 ナラカでふきだまっていた闇の力が、再び地上へと戻り、命の源となって世界へと還されていく。
 カルマを介して、新たな円環が、そこに生まれつつあった。



「失敗ね。まぁ、しょーがないわ」
 ラー・シャイはあっさりと攻撃をやめた。
 ナラカの太陽は、今はもう消えている。いや、以前に比べれば、ほんの微弱なものがあるだけだ。
「残念であったのぉ」
 共工が薄く笑う。
「まぁね。でも、手段はほかにいくらでもあるもんよ」
 なんにせよ、ラー・シャイはなにかに固執することはない。ダメになったなら、すっぱり諦めるだけなのだ。
 肥えた巨体を揺らし、やれやれとため息をつくと、ラー・シャイは言った。
「……ナダも消えたみたいね。執着なんかもつからよ。馬鹿な子」
 悼むというよりは、ひどく淡々と言い捨て、それからラー・シャイは共工にむかって、「アンタさ、その重たい執着を捨てる気になったら、声かけてよね」と誘う。
「それは、未来永劫なかろうよ」
「物好きね。まぁいいわ、それも」
 ふふん、とラー・シャイは鼻を鳴らして笑う。同時に共工もまた、笑った。
 決して理解しあうことはないだろう二人だが、相手を尊重する気持ちは、不思議と芽生えていたのだ。
 そして、そのまま。
 ラー・シャイはその姿を消した。
「さて……我が愛する都に、帰るとしようぞ」
 共工は傷ついた相柳に手を貸しながら、一同にそう号令をかけたのだった。



「レモさん、カルマさん」
 虹の橋のたもとで横たわったまま、二人は目を覚まさない。呼吸すら、ひどく浅い。
 成功を感じて一度は安堵したものの、いつまでも目を開けない二人に、翡翠は不安げにその手を握った。淡い発光をしたまま、しかしその手はひどく頼りなく冷たい。
「嫌ですよ。……これが、怖かったんです。消えてどうするんです。皆、待っているんですから、いなくなるのは、無しです。諦めなければ、何度でも奇跡は、起きるんです。だから、皆のためにも、この手は、離しませんよ……!」
 必死で訴える翡翠の肩をを抱いて、桂もまた、二人を見守る。
「…………」
 そのとき。
 カルマの本体にかけられていたミサンガが、突然、切れた。
 まるで、二人の身代わりになったかのように。
 あるいは、二人の願いが叶った証なのか。
「……翡翠、さん……」
 ゆっくりと、レモの唇が動く。それから、二人の瞼が、あがった。
「よかった。レモさん、カルマさん……おかえりなさい」
 涙ぐんだ翡翠に、レモは微笑んで、握られた手に力をこめる。かえってくるその確かな感触が、翡翠には嬉しかった。
「お疲れ様でした。お身体は? 大丈夫ですか?」
 桂が尋ねると、「少し怠いけど、大丈夫だよ」とレモは答えて身を起こす。カルマはまだ疲れがあるのだろう。再びゆるゆると眠ってしまった。だが、今度は寝息をたてて、ずっと安らかな寝姿だ。
「カルマはまたしばらく寝ちゃうかも。すっごく頑張ったから」
 苦笑しながらカルマの髪を撫でるレモは、枕がわりになっていた上着に気がつくと、それを手にとった。
「これ、翡翠さんのですか? すみません」
「いえ。それは、カールハインツさんの上着ですよ」
「……ああ……」
 道理で、とレモは密かに納得する。
 本当は、目が覚めたとき、カールハインツがいた気がしたのだ。何故だろうと思っていたが、この上着の残り香のせいだろう。
「もうすぐ、戻ってくると思いますよ」
「うん。そしたら、返すよ。……それと、ルドルフ校長にも連絡しないと」
 立ち上がろうとしたレモは、ふらりと目眩を覚えてその場に尻餅をつく。
「まだすぐには動けませんよ。連絡は俺たちがしますから、どうか休んでいてください」 桂の言葉に、「ありがとう」と礼を述べて、レモはふうと息をついた。
 全身が泥のようにくたびれている。けれども、ひどくすっきりした気持ちだった。
 終わったんだな、と。
 たしかに、レモは感じていたのだった。