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魂の研究者と幻惑の死神1~希望と欲望の求道者~

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魂の研究者と幻惑の死神1~希望と欲望の求道者~

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 第10章 なかなおり。 

 結局、フルエネルギー状態になるまでは半日以上掛かった。パークスでも充填可能にも関わらず戻らなかったのは、無意識下で察していたのかもしれない。自分の拠点が、既に安全な場所では無い事を。
 だが、それはあくまで無意識だ。ブリュケは心構え一つなく、墓所近くにある入口から地下に降りた。慣れた足取りで、かつ多少早足でタイムマシンを置いてある最奥のフロアを目指す。海京倉庫の二重の意味での仕事の後、魔術式を書き込んだコクピットが問題無く転移しているかどうかを確認していないままだった。まず失敗はしていないだろうが、この目で見ないと完全には落ち着かない。転移場所として指定したのは、タイムマシンのすぐ近くで――
「……………………」
 予定していた通りの場所にコクピットを見つけたブリュケは、次の行動に移るのも、フロアに居る幾つもの人影に対応するのも忘れてその場に立ち尽くした。
 コクピットの座席で、隼人が気持ちよさそうに昼寝をしていたからだ。誰も居ない筈の場所に人が居るという事よりも、無断で他人の家に入った上で(自分も無断で入って使っているわけだが)呑気に昼寝できるという神経に驚いたのだ。
(……でも、この人はこういう人だったか)
 そう思い返していると、ブリュケに気付いたルミーナが、慌てて隼人を揺り起こした。
「……隼人さん、隼人さん、来ましたわ」
「ん? ……ああ、来たのか」
 目を開けた隼人は、コクピットから降りると彼の前に立って最初に名を確かめてきた。
「ブリュケ・センフィットか?」
「? そうだけど?」
 ここがバレたというのも驚きだったが、自分の本名まで知られている。その経緯が咄嗟に想像出来ず、ブリュケは若干混乱した。それでも相手を小馬鹿にしたような態度で答えてやると、直後、彼は殴り飛ばされて床に転がった。隼人は子供の頃、悪さをした時には育ての親であるシスター・ユラからしこたま拳骨を喰らっていた。基本的に、故に隼人は、男子を叱るならこういう対応で良い気がしていた。
「人を襲ったり悲しませちゃいけないってポーリアさんに教わっただろ?」
「……………………」
「! 犯人が戻ってきたの!?」
 いきなりの殴打にブリュケが次の行動を忘れていると、皆と話し合いをしていたマリエッタが駆けつけてきた。見つけた資料をその場に勢い良く置いてきた彼女は、ゆかりに「下がって!」と言ってから「このおっ!」と、何か怒りに燃えてサンダークラップを放つ。
「……!」
 正義の鉄槌、というよりは八つ当たり、と言った方が近そうなその攻撃を避けようと、ブリュケは慌てて後方に退いた。直撃だけは何とか免れ、未来世界で身につけたステルス能力を発動する。一旦逃げようと踵を返したが、間髪入れずにマリエッタは神の目を使って消えた姿を見つけ出した。そして、グラビティコントロールの重力波で彼の移動を抑制すると、パイロキネシスやらカタクリズムやらで容赦なく彼をボコボコにした。雷や炎やその辺の工具や鉄くずが集中攻撃する中、音読も黙読も不能そうなブリュケの声が漏れ聞こえる。
 そんなこんなの時が過ぎ。
「さて、このタイムマシンについての詳しいこと、全部話してもらうからね」
 フロア内にあったワイヤーロープでブリュケを縛り上げると、マリエッタはニコニコとした笑みで彼の前に立ちはだかった。彼女の本心が表情とイコールでは無いことは明らかである。
(タイムマシン……!?)
 追い詰められる形になりながらも、ブリュケは冷静に状況を分析しようとしていた。彼女達は、ここでどれだけの情報を得たのか。侵入者を想定していなかっただけに、時間さえあれば乗り物の構造さえ把握出来てしまうだろう。彼女達はいつからここにいたのか――実際は、尋問する必要も無く殆ど知られているのではないか。だとしたら、タイムマシンをこの場に置いておくのはかなり危険だ。
 ブリュケはワイヤーロープの内側から、運転席部分に瞬間移動した。些か乱暴だが、座席が無くとも起動も操舵も可能ではある。イグニッションキーを回してエンジンをかけ、必要な機能をONにして――
「……動かない……?」
 だが、タイムマシンは微動だにしなかった。エンジンがかかる気配も無い。
「個別にロックが掛けられる箇所には、全てシステムロックを掛けてあります。それはもう、動きませんよ」
 がちゃがちゃとキーを回す彼に、佐那エレナと2人近付いて宣告する。
「ロック……!?」
「確認したところ、使われているパーツは全て盗品のようでしたので」
「あ、それと、攻撃機能は取り外して改造しておいたぜ。未来に跳ぶのに、何かを攻撃する必要があるとは思えないからな」
 佐那に続いて隼人も言い、ブリュケはちっ、と舌打ちする。隼人がサイコメトリで確認した結果、明確な対象あっての攻撃機能ではないことが判明した。計画に障害が発生した場合に備えての保険だったようだが、ならば、外してしまった方が安全だ。
「……ブリュケくん!」
 フィアレフトが通路を抜け、フロアまで辿り着いたのはその時だった。彼女の後から、ここまで案内してきたであろうファーシーと――
「ピノさん……」
 ピノを見た途端、ブリュケの表情は一変した。一瞬の躊躇の後、頭の中の全てが一つの事に支配される。巨大な槌状の武器を手に跳躍し操縦席前を飛び出すと、ピノとの距離を詰めようとする。殺気看破でそれにいち早く気付いたジェイコブは、神速で彼に近付き、羅刹の武術による力でその武器を殴り飛ばした。壁と槌のぶつかる激しい音がフロアに数秒反響し、それが収まった頃にフィアレフトがブリュケに話しかける。彼女の後ろには、目を見開き固まったピノが立っていた。まだ幼い少女の体は、突然のことに細かく震えている。
「ブリュケくん、もう止めようよ……」
「……どうしてここに……待っててって……」
「待ってられるわけないよ。私だけ……私だけ何もしないでいられるわけないよ。ブリュケくんが大事な人を殺しに行ったのを、見送れるわけないよ!!」
「…………」
 ブリュケは武器を失った直後、魔王の目を使ったルシェンに射すくめられ、続けての奈落の鉄鎖によってすぐに次の行動に移れなかった。その間に、調査に来ていた全員に周囲を埋められ、武器を取りに行く事もままならなかった。全体魔法を放って隙を作ることは出来たが、それをしなかったのはフィアレフト――イディアの目を見てしまった所為だろう。
 同時に、ブリュケは悟った。自分の本名や、目的すらも知られているようだったのは、彼等がここに来てから調査した結果からだけじゃない。イディアが事情を話したからだ。
「ピノさんを守る為に来たって言うのか? 俺を手伝う為じゃなくて……? 君は……」
 一度ファーシーの方を見てから、ブリュケは続ける。
「ファーシーさんが理不尽に殺されてもいいって言うのか!? ファーシーさんだけじゃない。母さんやあいつやあいつ……数え切れない位……先生だって……」
 そして、ファーシーとアクアを強く睨む。
「ファーシーさんは、このまま時が来たら死にに行くつもりですか? それでいいんですか!? あの後、イディアがどれだけ泣いたか……あなたは知っているんですか!?」
 彼の批難に突かれ、ファーシーは僅かに目を伏せた。死ぬつもりは無い。それでも、そう言われると若干の後ろめたさを感じずにはいられなかった。彼女の様子を見て、フィアレフトが思わず叫ぶ。
「止めてブリュケくん! ママは……」
「え?」
「あ! あのその……」
「先生だってそうだ……」
 ファーシーとフィアレフトの間に生じた混乱には目もくれず、ブリュケは今度はアクアを責める。
「ファーシーさんが死んで、家族が死んで……大切な工房から離れて、犯罪者みたいに暮らす事になって……そんな未来が待っていても、いいって言うんですか! ピノさん、ピノさんさえ余計なことをしなかったら、平和なままだった筈なのに……!」
 仇として恨みを向けられ、ピノはびくっと縮こまる。「ピノちゃん」「ピノ」と皆から声を掛けられて「う、うん」と気を取り直すが、直後に続いたブリュケの言葉にまた表情を曇らせる。
「今、ピノさんを殺せばあんな事は起きないんだ。沢山の人が死ぬ未来は変わるんだよ!」
「……阿呆らしい」
 黒い感情に顔を歪ませて言うブリュケを一蹴したのは、紫月 唯斗(しづき・ゆいと)だった。唯斗はその場に凝る複雑な空気を全て吹き飛ばす勢いで言い切った。
「ピノを殺せば未来が変わるだぁ!? んなの、検討するまでもなく却下だろーが! お前は、何でそんな与太話に取り付かれてんだよ」
「よ、与太話……? じ、実際にピノさんが……」
「だいたい、チビスケが要請しなくてもその法案は通ったんだろ?」
『法』を作ったからパラミタのバランスが崩れた。ブリュケがそう言いかけたのを先読みするように唯斗は言った。
「だったらよ、問題はそこじゃねーだろ。ファクターの一つかもしれねぇが根本じゃねぇ」
 すぐ前に立たれて少しばかり圧されたブリュケに、直近から言葉が降りかかる。
「つーかな、よく聞け馬鹿。俺は女の犠牲は許容しねぇ。可愛い子や美人は特にだ」
 何だそれは、と思ったが迫力に負けて突っ込めない。許容しようがしまいが、それが女子だろうが犠牲にしなければならない時もある。反発心と共に、個人の主義なんか知るかとブリュケは言いかける。だが、唯斗は彼からあっさり視線を外した。
「そもそも、まだ24年もあるじゃねぇか。アクアもファーシーもよく考えろよ。今は今だ。先のコトで悩むにゃ早過ぎるっての」
「で、でも……」
 直接ブリュケに投げられた問いに意気消沈していたファーシーは戸惑いを見せる。
「なぁ、フィアレフト」
 その顔を見て何を思ったのか、唯斗は彼女に向けて言った。
「お前の知る未来に俺はいたか? それはこういう俺だったか? いねぇんなら、今、此処には俺がいる。いたんなら、今の俺はそれよりスゲェ」
「…………」
 答えを忘れてぽかんとするフィアレフトを横目に、彼女達に、ブリュケに、力強く彼は続ける。
「諦めも絶望も早過ぎる。お前等の周りにいる奴等をよく見ろよ? 頼りねぇか? 何も出来ねぇと思うか?」
「「…………」」
 幼馴染の2人は、一瞬視線を見交わした。苛烈さを忘れたブリュケとの目での会話は、一時、フィアレフトに以前の頃を思い出させた。
「――信じろよ。今、この時には俺達がいる。お前等はただ、信じてろ。俺達なら何でも出来ると。それだけで良いのさ。それが始まりだ」
 語る唯斗は偉そうで、どこまでも自信満々だ。
「それによ? 最後の最後で大逆転して勝つのは最高だぞ?」
 だが、その言葉の中に、フィアレフトの意に反する要素は1つも無かった。ファーシー達も、ピノもきっと同じだろう。反駁するとしたらブリュケだろうが、彼は唯斗を睨みながらも何も言わない。それに満足したのか、唯斗はマスクの下で笑みを深くした。何だかんだと色々と言ったが、彼は問題への打開策を持っているわけではない。それは、誰か頭の良い奴が何とかするから大丈夫だと思っていた。
 リュー・リュウ・ラウンからここまで来た皆と、パークスで調査をしていた皆を見回し、戦闘要員としての自覚を持って彼は思う。
 皆が笑顔でいられる未来の為には、遠慮しない、と。
「無茶な作戦でも、綱渡りでも完遂してみせるさ。俺は忍者だしな。アクアにはまだ工房の貸しもある。ファーシーもまだまだこれから。チビスケ、ピノはとりあえず笑ってろ」
 アクアは口元をもにょもにょと動かし、「?」という顔を見せたファーシーの隣でピノはぽかんとしていた顔のまま「チビスケ……」と呟いた。彼女達が三者三様の反応を見せる中、宿儺が未来人の1人――清明として「ブリュケさん……」と青年に向かう。
「家族を失った貴方の悲しみは清明も分かります……。清明も、家族を守る為に未来から来ましたから。けど、誰かの犠牲の上で変わる未来など……空しい結果でしかないのです」
「…………」
「わざわざ未来からここまで来たんだ。後味の悪い結末は、お前だってなるべくなら避けたいだろ? 同じ未来を救うのでも、もう少し前向きな方法を考えてみないか?」
「前向きな方法……?」
 ここで止めてやらないと、ブリュケはもう止まれなくなるだろう。そう思い、続けて提案する隼人に彼は病みかけた暗い目を向けてきた。あるわけがない、という考えが透けて見える表情だった。隼人は、過去にまで救いを求めて来た彼を悪人として捕まえて、それで終わりにはしたくなかった。彼を、そしてフィアレフトを追い詰めた不幸の連鎖を、力尽くでも断ち切ってやろうと考えている。
 勿論、ピノを殺させるつもりもブリュケを自害させるつもりも無い。
「救いのある未来が生まれるように力を貸すのが、仲間ってもんだからな」
「……仲間……?」
 ブリュケは何を言っているのか分からない、というように怪訝そうにし、投げやりな調子で彼等に言った。
「前向きな方法があるなら、『処分』なんて行われていないさ。……それでも駄目だったんだ。あの『法律』を作った……パラミタ大陸のバランスを崩す切欠を消す以外に、世界を元に戻す方法なんて無いんだよ」
『処分』は他に対策が無かった故の最終手段だ。もっと穏やかな方法があれば、国も人造体を『非生命体』と断じることなど無かっただろうとブリュケは思う。
(……それにしても)
 彼の話を聞いて、エヴァルトはずっと抱いていた違和感を新たにする。
(出産不能というのが、本当にパラミタの防衛機構なのか?)
 パラミタ大陸が出現したばかりの頃、ドラゴンが米軍の航空部隊を壊滅させた事を思い出す。実を言えば、パラミタ大陸はまだ地球人を『受け入れて』はいない。非契約者が何の対策も無く空京以外の――結界の外に出たら襲われるのがその証拠だ。
『法律』でドラゴンの数が増え、駆除もできなくなったとしても、その分、パラミタは別の自浄作用を働かせて命自体の数を減らそうとするはずだ。命が増えれば、食糧問題で飢饉に陥る場所もあるだろう。襲撃事件等も、相対的に増えるのではないだろうか。
(それに、シャンバラ以外にその法律が普及したわけでもないはずだ)
 エヴァルトは学者ではないし、人口増加の渦中に直接いたわけでもない。だが、彼は何かがおかしい、と思わずにはいられなかった。
 皆の言うように、ピノを殺害すればそれで終わり、という話とは思えない。どころか、解決の為の道筋から大きく逸れてしまっている可能性すらある。
(……この疑問は、彼を止めるのに使えるかもしれん)
 ブリュケは、ピノを家族の仇だと思っているようだ。世界を元に戻すという正義感以上に、ピノへの憎しみが先行しているように見える。だが、その彼女が『仇である』と断言する事が出来なくなれば、ブリュケもピノ殺害をこの場で強行はしないだろう。
「……そうだろうか。俺は、そうは思えない」
「何だって?」
 刺々しい目を向けてきたブリュケに、エヴァルトは迫る。今考えた事を説明してから、彼は言った。
「ピノさんは、本当に仇か? あらゆる時間軸で、同じ法律が施行される……そもそもそれ自体が異常だろう。何者かが、その法律を隠れ蓑にして何かをやっているかもしれん。1人で調べられることは極めて少ないからな、調べ尽くしたなどと寝言は言わせん」
 真犯人、などという者が実際にいるのかどうかは分からない。しかし、誰も死なない未来を得るためなら、嘘だろうと何だろうとやってやろうという気で言い切った。これで、真犯人がいればお慰みの万々歳だ。いなかったとしても、多少の時間は稼げるだろう。
(逆恨みのようなもので、勝手に友を殺させてやるわけにいくものか!)
 その思いを胸に睨みつけると、ブリュケは無言のままに眉間の皺を深めていた。半信半疑、といったところだろうか。
「子供が出来なくなったのが自然現象じゃなくて、人為的なものだって言いたいのか? それに利用されたのが、俺達の時間軸ではピノさんだったと?」
「そういうことだ。だとしたら、追うべきはピノさんではなくその真犯人だろう」
「…………」
 ブリュケの眼が、僅かに生まれた躊躇に揺れる。だが、そこでフィアレフトが考え考えに口を開く。
「……『法律』は確かにシャンバラ以外の国では制定されていません。他の国では2046年を境に何か変わったわけではありませんから、一国だけの問題がパラミタ全土の人口問題に発展するのかという疑問は分かります。実際、そう思った人達もいたし、シャンバラは、巻き込まれた形になった他国からの抗議も受けました。でも、私はこの問題はシャンバラだけが原因だとは思っていません」
 シャンバラだけでなく、他国でも人口の増加が起きていたのは事実だ。規制による種族の偏りこそ無かったが、総人口は少しずつ、確実に増えていた。純粋に重量やキャパシティの問題であれば、これはパラミタ大陸全体の問題とも言える。
「……そして、最終的にシャンバラのドラゴン増加の問題が限界に来て、バランスが崩れた。それがパラミタ大陸の『拒否』に繋がったのでは……と、私は思っています」
 だから、『法律』はシャンバラ一国でしか制定されていなくても、大陸の怒りを買う可能性はある――フィアレフトはそう説明した。
「私も、直接大陸に聞けはしないので、推測ですけど……ただ、真犯人がいるかもしれない、というのは有り得る話かもしれません」
 そしてそう付け加えると、ブリュケが驚いたように目を見開いた。
「イディア……イディアもそう思うのか?」
「……うん。あくまでもゼロではないんじゃないかなって事だけど。
 ……エヴァルトさん、どの時間軸でも、絶対に起こる出来事というのは存在します。パラミタが2009年に地球上に現れたのが絶対のように……。こちらはそれに比べれば極めて小さな出来事ですが、私は、『法律』に関する事もその絶対の1つだと思っています。調べ尽くしてはいませんが、そう結論づけるだけの調査は行ったと自負していますから。
 ですが、『法律制定』はあくまでも人が行った事です。『実行者』を仕向ける誰かがいてもそれはおかしくありません。全ての時間軸に干渉するのは流石に不可能ですから、その時間軸に住む『誰か』がそれぞれに行った、というのが一番考えられる事だと思います。もしいるとしたら……ですが」
「そうか……調査にはどのくらい行ったんだ?」
「私とブリュケくんは、計80の時間軸を調べました。その時間軸の全てで『法律』が制定されていた事は事実です」
「80……」
 エヴァルトは小さく唸る。その数は、2人で調べるにしては多いだろう。80回分の様々な苦労や出会いがあったとしたら、彼女達が確信を得たのも無理からぬことかもしれない。だが、無限にも近い数があるであろう時間軸の内の80というのは、果たして多いと言えるのだろうか。
 そう考えている時に、「その件なのですが……」と言ったのは舞花だった。
「私は、2048年より遥か先の未来を知っています。私の暮らしていたその世界では、フィアレフトさん達に降りかかったような災厄は歴史上起きていません」
「起きていない……?」
「ですか?」
「はい。これは、どういう事だと思いますか?」
「「……………………」」
 幼馴染みの2人は、同時に顔を見合わせた。それは彼等の思い込みを覆す、衝撃的過ぎる言葉だった。
「ほ、本当ですか? 機晶姫達も、普通に生活してるんですか……?」
 頭の中が半ば真っ白になったままフィアレフトが確認し、舞花は頷く。敵意や警戒心を纏うことなくすっかり素に戻ったブリュケは、それを見て呆然と呟いた。
「俺達の知らなかった事実だ……」
「……ブリュケくんは、ママ達が処分されない世界を1つでも作ろうとして、時間移動をしたんだよね? だとしたら……」
 フィアレフトは口ごもる。何かとても罪深い気がして、その続きが言えなかったのだ。
 2人は、『法律』が制定されなかった時間軸など無いと考えていた。だからこそブリュケは、自分達の『決定されてしまった』時間軸を捨てて、新たに平和な未来を作ろうとしたのだ。
 最初から、全ての世界が救えるとは思っていなかった。救う気も無く、切り捨てていた。それが、既に平和な時間軸があると聞いたら――
「俺が、ピノさんを殺す意味は無くなる……?」
 他の時間軸にとっては非常に無慈悲で、後味の悪い結論であるが、彼の目的はこの時点で達成していると言ってもいい。
「そんなことないよ!」
 そう気付いた2人に、否定の言葉を放ったのはピノだった。彼女は更に、こう続ける。
「平和な未来がいくつあるとか関係無いよ。ブリュケく……さんはここに来て、あたし達は未来がどうなるか知っちゃったんだから、このまま何とかしないわけにはいかないよ! これからやることは何も変わらないんだよ!」
「ピノさん……」
 フィアレフトがその強気さに心強さを感じる一方で、ブリュケはしかめ面で黙り込んだ。それはピノの場合であって、彼の場合はまた違う。しかも、彼女の主張は自分への刺客に対する言葉としては間抜け過ぎるものでもあった。
「……じゃあ、ピノさんは、自分が死んでもいいんだな?」
「あたしは死にたくないよ! でも、ブリュケさんがこのまま帰るのも、何だかすっきりしないんだよ!」
「…………」
 はっきりと、迷うことなく返ってきた答えにブリュケは閉口した。声に出さないながらも「そんな自分勝手な」と思っているのがありありと分かる。矛盾に気付いていないのか、ピノはパークスに、ブリュケに会いに来た理由を説明する。
「……だから、未来に行く為にそのタイムマシンに乗せて欲しいんだよ! ブリュケさんも、一緒に未来を元に戻そうよ!」
「……………………」
 真っ直ぐに見つめてくるピノを前に、ブリュケはますます閉口した。状況にそぐわない意欲的な言葉に、つい訊ねずにはいられなくなる。答えは想像出来ていて、同時に湧き上がってくる懐かしさを感じつつ彼は訊いた。ピノの答えが、自分の思っていた通りだったら――
「本当に、俺がここに来た理由が解ってるのか?」
「解ってるよ! でも、最初に見た時のブリュケさんは怖かったけど、今のブリュケさんは怖くないから……だから、協力出来ると思うんだよ。未来を助けたいと思ってるのは、おんなじなんだから」
(そ、そうなのか……?)
 ――彼女の答えの前半は、予想通りだった。だが、後半は予想外過ぎるもので、全く無自覚だった彼は多少の動揺と共に自分の本心を探る羽目になった。その中で、ファーシーが警戒心ゼロの様子で、嬉しそうに、それでいて優しさのある声を掛けてくる。
「そうね。ブリュケくんとピノちゃんは姉弟みたいに仲が良いんだし、絶対協力出来るわよ! ピノちゃんだけじゃない……わたし達は、家族みたいなものなんだから」
「家族……」
「いっそのこと、その80個の時間軸も変える事を目標にしたら? ブリュケくん、やる事がいっぱいで忙しくなるわよ!」
「ファーシーさん……」
 いっぱいと言う割に大変さが伝わらない、やる気だけが伝わる笑顔にブリュケはつい惚けてしまった。……これだから、この人には敵わないんだ。
 80個の時間軸を変えるなんて、ほぼ不可能な事な筈なのに。
「そうですね、頑張ってみます」
 気がついたらこう言っていて、彼は改めて周囲と――そしてピノと目を合わせた。
『未来が変わったのは彼女の所為じゃない』――
 子供の頃から知っている彼等の、記憶と何も変わらない考え方や性格からの姿勢は、その言葉達は、短時間の間にブリュケの考えに影響を与えてしまったようだった。母親が殺され、『子供達』が殺され、沢山の仲間を失って。それでも元に戻らなかった『現象』を知って、生まれ始めていた憎しみは、彼の行動の中核を担うまでに膨れ上がった。それが今は、自分はこんなに単純だったのかと驚く程に沈静化している。
『……将来、二人にとって大事な人が居なくなってしまうかもしれない……だからと言って、それを誰かの所為にして復讐しても……あるのは空しい結果と終わらない後悔だよ……』
 子供の頃――本当にまだ、物心ついてないくらいの子供の頃に聞いた話。それが、ふと脳裏に浮かび上がって来た。彼女――朔は『難しかったかな?』と軽く笑い、こう続けた。
『でも、誰かを憎んでも……それ以上に誰かを慈しんで未来に向けて歩いて欲しいんだ……で、』
 ――今の独り言を聞いた結果が今の君の行動の答えだったりするのかい? 未来のブリュケ君。
 ――……私は君を止められるとは思っていない……が、フィー君達の応援はさせてもらうよ。
 ――……悔いのない様に生きてくれ、そして願わくばお互いが納得できるよい選択を選んでくれる事を願うよ。
「……………………」
 あの時の朔の言葉を彼は――正に今日、2024年2月20日に聞いていたのだ。彼の家に行った朔は、子供のブリュケを通し、今のブリュケにメッセージを伝えた。それは同じ言葉でも、ここで直接聞かされるのとは全く別の意味を持っていた。朔の話は確かに、成長する中でブリュケの中にずっとあり、彼を作る1つの要素になっていたのだから――
 ブリュケはピノから目を逸らし、思う。
(彼女が、子供だからかな……)
『法』を作った本人であり、本人ではない。別人に近い、まだ無垢な存在だからかとも考える。だが――多分それは、関係無いのだろう。