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ようこそ! リンド・ユング・フートへ 5

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リアクション

「ん?」
 聞こえてきた叫び声に、反射的セテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)はそちらを振り返ったが、人混みに邪魔をされて、だれが叫んだか分からなかった。
 はたして自分に対して言ったのかも分からないまま、自分の席へ戻ったセテカは、今取ってきたばかりのグラスの中身に口をつけて舌先をしめらせた途端、眉をしかめた。
「どうした?」
 しっかりその顔を見逃さず、向かい側の高柳 陣(たかやなぎ・じん)が問う。が、聞かずともある程度察することができてか、すでに顔はにやついていた。
「いや、なんだか不思議な味の飲み物だと思って」
「中身も確認せずに取ってきたりするからだ」
「だってきれいじゃないか。ほんのり緑色していて。
 最後の1つだったから、ついね」
 セテカは弁明するように言いながら笑ってもう一度チャレンジし、梅の独特な味に、やはり微妙な表情でそれをテーブルへと置いた。
「おまえはこっちにしておけ」
 くつりと笑い、バァル・ハダド(ばぁる・はだど)が白ワインの入ったグラスを前に押し出す。苦笑しつつ受け取って、口直しにとグラスを口元へ運んだとき、ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)が向こうから歩いてくるのが見えた。
 ユピリアは陣の横まで来ると、ぐるっとテーブルについている者たち――セテカにバァル、陣、木曽 義仲(きそ・よしなか)、そして緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)紫桜 遥遠(しざくら・ようえん)紫桜 瑠璃(しざくら・るり)緋桜 霞憐(ひざくら・かれん)を見渡して、はーっと息をついた。
「てっきりここにいるとばかり思ったんだけど」
「どうした?」
「さっきからティエンの姿が見えないのよ。きっとあなたかバァルのところにいると思ったのに……どこに行ったのかしら? あの子」
 ティエン・シア(てぃえん・しあ)はバァルのことを兄と呼んで、とてもなついていた。同じく兄と呼ぶ陣と2人、同じテーブルについているのだからここにいるに違いないと思ったのに、読みがはずれたか。
「ティエンがどこにいるか知らない?」
「何か用でも?」
「そういうわけじゃないけど……ここ、すごい人でしょ? リンドに来るのは5回目だけど、そんなに詳しく知ってる場所ってわけでもないし。居場所が分からないって、ちょっと気になるじゃない。知らないうちにどこかへ行っちゃって、何かあったらまずいでしょ」
「ああ、そりゃそうだな。俺も一緒に捜すか」
 陣の視線に義仲もうなずき、箸を皿に置いて腰を浮かそうとしたときだ。
 その視界をかすめるように、バァルがとある方向を指差した。
「ティエンならあそこだ」
 その言葉に、え? となってそちらを向く。最初、陣たちにはベアトリーチェとコハクの姿しか見えなかった。彼女たちの立つ向こう側に、イスにかけた美羽がいて、ひざに抱っこしたアルサイードにスプーンで離乳食を食べさせている。
 どこにティエンが? と目を細めた陣たちに、ようやく美羽の向こう側でちらちらと動く金髪が見えた。しゃがんでいるせいで、美羽やアルサイード、それにベアトリーチェやコハクの体に隠れてしまっていてほとんど姿は見えなかったが、あれはたしかにティエンだ。
「あんなところにいた」
「わたしはどうやら振られたらしい。彼女はいまやアルサに夢中だ」
 あきれたようにつぶやいたユピリアに、バァルが肩を揺すってくつくつ笑った。
「当然だな。あの子に限ったことじゃなく、城の者は全員双子に夢中だよ。なにしろ、図体ばかりでかいおまえより数十倍かわいげがある」
「まったくだ」
 笑顔でセテカと軽口をたたき合うバァルを、遙遠はとなりの席からかすかに笑んだ目で見つめる。
 穏やかな表情。思いがけずここでバァルと再会することができたのは、遙遠にとってとてもうれしいことだったのだろう。遙遠を包む空気がいつもに増して、とてもやさしくて。それを感じることができるだけで心が満たされた思いで、遥遠はそっとうつむいた面でほほ笑む。
「まあ、とんでもない場所へ散歩に出かけてるわけじゃなくてほっとしたけど。でもやっぱり、どこかへ消えるときはひと言声をかけてからと、言ってやらなくちゃ」
「まて、俺も行く」
「俺も行こう」
 意気込んでそちらへ向かうユピリアのあとを追って義仲と陣が立ち上がる。そのままテーブルを離れようとして、間際に陣が振り返った。このまま去るのは礼儀を失すると思ったのだろう。
「じゃあな、バァル、セテカ。夢でまで会うってのも奇妙な感じだったが、今度は意識世界の方で会おうぜ」そこであらためてセテカを見て、ニヤッと笑う。「次に会うときは南カナンで、おまえの結婚式かな?」
「まあ、順当にいけばそうだな」
 挙式まではあと1カ月を切っている。まず間違いなくそうなるだろう。
「シャムスによろしくな」
 陣は手を振り、今度こそテーブルから離れて行った。
 初めてバァルとセテカと会ったとき。2人は独身で、思いは違ってもどちらも国のために命を賭けて戦っていた。その後、さまざまな悲劇と悪夢が2人を襲い、もう駄目なのではないかと思ったことも1度や2度ではない。
 涙を流し、心が折れそうになりながらも歯を食いしばって立ち上がる。そういうバァルを、彼の心友として遙遠はだれよりも近くで見続け、支えてきた。
 弟を失い、セテカまでも失いかけ、独りになることをおびえた彼。
 そのバァルが結婚して、伴侶を持って。子どもが生まれ、家族を得ている。
 こうして同じテーブルで彼ととなり合わせの席につき、互いの近況について話し合っていると、つれづれとそういったことが浮かんできて、不思議な気持ちになった。
「飲み物が少なくなってきましたね。取ってきましょう」
 遙遠がバァルの持つグラスに注いでいたボトルのワインが切れたのを見て、遥遠がグラスを置いて立ち上がる。
「ついでに料理もいくつか取ってきますね」
「それならヨウエンも行きます。遥遠だけでは重いでしょう」
「瑠璃も行くの!」
 2人の会話にあわてて口のなかの物を飲み込んで瑠璃も立とうとしたが、遙遠が笑って「遙遠だけで手は十分だから、そのまま食べていて」と肩に触れた。
 後を追うように席を立ち、追加用の料理や飲み物が置かれた配膳用テーブルの方へ並んで歩いて行く2人を見送るバァルの目はやさしい。
「あの2人もそろそろかな」
 独り事をつぶやき、2人の背中を微笑を浮かべて見ているバァルに、霞憐は先ほどの遙遠と同じだと思った。
 なんだろう? この2人。外見的な特徴が似ているというのは以前からそうだったけれど……こういうところでよく似ていると思う。ちょっとした仕草とか表情とか、そういったものがつくる雰囲気。
(内面が似てる……のかな)
 表層的な部分じゃなくて、もっと奥の芯的なところが。
 そう思って、霞憐はフォークを置くとあらたまってバァルをまっすぐに見つめる。バァルもすぐ、その視線に気づいた。
「ありがとう」
 突然真顔でそんなことを言われて、バァルはとまどう。
 まだ霞憐は言い切っていないのが分かったので、視線で促して続きを待った。
「遙遠って、なんだかんだで昔は一人ぼっちだったから」
「1人?」
「うん。今じゃ、全然考えられないよな。……でも、そんな時期もあったんだよ。
 それで、僕、今の遙遠があるのって、周りの人のおかげだと思ってるんだ。
 だから……ありがとう。あと、なんか偉そうなこと言っちゃってごめん……じゃなくて、ごめんなさい」
 最後、殊勝な態度で付け足した霞憐に、バァルは瞳に浮かべた光を深め、笑みを浮かべる。
「それはわたしではない、きみたちだろう。きみやその子、それに遥遠のおかげだ。
 きっと、わたしの方こそ礼を言わねばならないのだろうな。わたしには想像もつかないことだが、昔の遙遠が今の彼でなく、今の彼になったのだとすれば、それはきみたちの影響によるものだから。
 今の彼と会えたのはきみたちのおかげだ。ありがとう」
 そして言った。
「アルサイードやエルマスも、きみのような良い友人に恵まれたらいいと思う。わたしにもし何か起きて、あの子たちを守れなくなったとしても、そういった存在がそばにいてくれると思えば安心だ。
 まだあの子たちは小さくて、きみの友人になるには時間がかかるだろうが、いつかきみがそうなってくれるとうれしい」
 突然の申し出に、霞憐は驚きが大きくて、とっさに言葉が返せなかった。
 霞憐がそうなると分かっていたように、バァルは「まだずっと先の話で、単なるわたしの希望というだけの話だ」と笑う。そして、ティエンや美羽にあやされるアルサイードへと再び目を戻したのだった。


「美羽、これ――」
 バァルからの視線を感じて、コハクは言葉を止めた。
 動きを止めて振り返る。けれどそのときにはバァルはもう別の、同じテーブルについている霞憐の方へ顔を向けていて、こちらを見てはいなかった。
 彼がこちらを見る視線はたびたび感じていた。息子を気にかけているのだろう。それは、美羽やコハクたちへの信頼とはまた別種の思いだ。幼い息子の父親としての……。
「コハクくん?」
「あ、うん」
 ベアトリーチェに呼ばれて、意識をこちらへ戻す。ベアトリーチェは分かっているというようにほほ笑んで、「ありがとうございます」とコハクが持ったままの料理の乗った皿を受け取った。
「美羽さん、コハクくんが料理を取ってきてくれましたよ。美羽さんも食べないと」
 そう言って、自分の取ってきた飲み物のグラスの横にそれを下ろす。
「うん。でも……」
 美羽はスプーンを運んでいた手を止めて、ひざの上のアルサイードを見下ろす。その動きで彼女が何を考えているか理解したフィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)が、イスを引いて身をずらした。
「私が預かりますわ」
「そう? じゃあお願いします」
「はい」
 にこりと笑ってフィリシアは美羽からアルサイードを受け取る。アルサイードは慣れて居心地の良かった場所から移動するのを嫌ってか少し暴れたが、フィリシアのひざに収まるとまたおとなしくなった。
「ふふっ。かわいい」
 仰いで手を伸ばしてくるアルサイードのあごのラインをくすぐるように指でなぞっていると、ふと何か、感じるものがあってフィリシアは頭を上げた。
 大きな体で、歩く人たちにぶつからないよう苦心しながらこちらへやってこようとしているジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)の姿が見える。
「あなた」
「ここにいたのか」
 フィリシアの傍らまでやってくると、ジェイコブは少し眉をしかめて言った。
「ええ。すみません。見かけた皆さんとあいさつしたりお話ししたりしているうちに、つい。席から大分離れてしまいました」
「いや、謝ることではないが。ただ……オレが心配なだけで」
 ジェイコブは独り言のようにもごもごと口のなかでつぶやき、フィリシアの腹部のあたりに目を落とす。今、そこにはアルサイードが陣取っていて、フィリシアの腹部は見えなかったが、何を思っているかは明白だった。
 フィリシアはこちらの世界でもマタニティドレス姿だ。パーティー用のためか、腹部を際立たせるようなデザインではなく、それとなく自然なひだでふくらみを隠されているが、フィリシアは現在妊娠5カ月の身重なのだ。
「ね? あなた。かわいいでしょう?」
 アルサイードの両脇を持って持ち上げようとするフィリシアに、ジェイコブは顔色を変えた。
「ばか、重いものを持つんじゃない!」
 フィリシアを心配するあまりあたふたするジェイコブの姿を見て、フィリシアはくすりと笑う。
「持ったわけじゃありません。立たせただけです」
 よくよく見れば、アルサイードはフィリアのひざに両足をつけたままだった。
 もちろんまだアルサイードは自立できる年ではないのでフィリシアが支えているわけだが、ジェイコブはそのからくりが分かるほど赤ん坊の成長について詳しくなかった。なにしろ、まだ妊婦についての勉強をしている最中だ。
「そうか」
 フィリシアの言葉を信じてほっとするジェイコブの姿に、フィリシアはアルサイードをひざに戻してあやしながら言った。
「本当にかわいい子。
 ねえ、あなた。わたくしたちの子も、この子のようだといいですね」
 アルサイードをなでていた手をそっと自分の腹部にあてる。
 ようやく気持ちが落ち着いてきて、アルサイードを抱くフィリシアの姿がまるで母子のようだと思い、もうじき彼女は本当に2人の子どもをこうして抱いてあやすようになるのだと感じ入っていたジェイコブは最初、フィリシアの問いかけるような言葉に気づかなかった。
「あなた?」
「――うん? あ、いや。そ、そうだな……」
 じっと見上げてくるフィリシアに、はっとなって、あわてて適当な言葉を見つくろおうとする。そんな夫の姿に、フィリシアはくすくすと幸せそうに笑った。
「フィリシアさんも妊娠されているそうですよ」
 2人の会話を耳にして、ベアトリーチェが美羽とコハクに知らせた。
「へー。全然気がつかなかった」食べる手を止めて、フィリシアたちの方を一度見たあと、となりのコハクの方を向く。「じゃあ私と同じだ。ねっ? コハク」
「うん」
 コハクもフィリシアたちをちらと盗み見て、美羽へと戻す。
 美羽は反射的におなかをさすっていたが、こちらはフィリシアと違い、まだ見かけに変化は出ておらず、全然分からない状態だ。だけどそこには愛する夫、コハクの赤ちゃんがいて……。
 コハクと目が合い、美羽は「へへっ」と照れ笑うと、ベアトリーチェに言う。
「フィリシアさんといろいろお話ししたいな」
「そうですね。これからのことについて、聞くといいでしょう」
 答えたあと、ベアトリーチェも、いろいろと準備しておくことや体調管理などについて、自分も聞いておこうと考える。いずれは美羽のために必要となってくることだ。そしてコハクは、ジェイコブと話したいと思った。もうじき父親になる者として、心構えというか、そういったものを。