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ようこそ! リンド・ユング・フートへ 5

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リアクション

 風に吹かれた草原がたてる波のようなさざめきと花々の歌をBGMに彼らが調理にいそしんでいるころ。ほかの一部の者たちはスウィップの案内で、リボンロードの先にある光の宮殿の見学に向かっていた。
 最初に言い出したのは、布袋 佳奈子(ほてい・かなこ)だ。パートナーのエレノア・グランクルス(えれのあ・ぐらんくるす)もびっくりする行動力で、思い立ったが吉日とばかりにスウィップの元へ行き、見学させてほしいと申し出たのだ。
「こんにちは、スウィップさん。パーティーに招待してくれてありがとう。
 それでね、お願いがあるんだけど……リンド・ユング・フートを、見学させてほしいんだ」
 最初、スウィップは意味が分からなかった。
 なぜなら彼らが今いるこの世界すべてが『リンド・ユング・フート』だから。
 だけど佳奈子が言っているのがジェットコースターのようにうねりながら空を走る、キラキラ輝くリボンロードの先の光の宮殿を指していると知って、スウィップは考え込んだ。筆頭司書ではあるけれど、彼女にそれを決められる権限はない。
 とはいえ、「できない」というわけでもない。それを「できる」ようにするためにはいろいろと手続きが必要だろう。
 その手順について考えていると。

『おまえが案内してあげなさい』

 と、青の検閲官の声が響いてきた。
 姿は見えないが、ここの秩序を司る検閲官たちが無意識世界で起きて知らないことなどあるはずもない。
 許可が得られたことで気を楽にして、スウィップは佳奈子のお願いに応じることができた。そして、どうせ行くのならとほかの者たちも誘った結果、興味を示した何人かの者たちと一緒に向かっているのだった。


「なんだかとんでもないことになっちゃったわね」
 結構な大所帯になってしまったことから、何かと騒々しい後ろの様子に、エレノアがつぶやく。
「いいじゃない。みんな一緒の方が楽しいよ。ね? スウィップさん?」
「うん!」
 スウィップが笑顔で佳奈子に同意するのを見て、エレノアも納得した。
「それにしても、いつ見ても不思議な場所だよねえ」
 何度か訪れたことはあっても、それはリストラのためだったから、すぐにスウィップの導きで本のなかへ入っていた。そして終わるとまたすぐに意識世界へ戻されていたため、これまで周囲を散策する機会に恵まれなかったのだ。
 今回こうしてアルクことができて、うれしそうにファンタジックな周囲の風景に見とれている佳奈子から目を離し、エレノアはスウィップに話しかける。
「ね、スウィップ。私は佳奈子と違って、本を読んだりあまりしない方だけど、リンド・ユング・フートにはちょっと興味があるのよ。リンド・ユング・フートという存在が、なぜこの世界にあるのかしら? って」
 スウィップは小首を傾げる。
「無意識世界がある、っていうのはそんなにおかしいこと? 意識世界があるのに?」
「うーん。世界の知識が蓄積された場所、ってところかしら。ここって、全ての意識が混ざり合ってる場所よね? でも、意識世界には「個」という認識があるわ。「エレノア」と「佳奈子」は別々の存在で、混ざり合ったりはしない。でしょ? でもこの世界では私と佳奈子は混じっている?」
 問われて、少し考えたあと、ゆっくりとスウィップは答えた。
「それは、受肉しているからだよ。あなたたちは個で存在できるほど、意識世界では強い存在なの。でもこちらではあなたたちは肉体を持たず、「意識」の存在でしかない。そして「意識」は、それだけではとても流れやすいの。水に落とした砂糖玉のように、あたしたちがコーティングしないとあっという間に流れてしまっちゃう」
 かつて、タケシが意識体としてここへ落ちてきたことがあった。召喚された存在でない彼にスウィップたちはどうすることもできず、意識が流れていくのを見ていることしかできなかった。今もそのとき流れた意識の断片は彼のなかから失われている。無意識世界には存在するためここにいる間は思い出せるだろうが、「タケシ」との接続を失った意識であるから持ち帰れない。
「でも無意識世界と意識世界はつながっている――分かる?」
「なんとか。
 だから少しずつ混ざり合っているってことなのね?」
「そう。意識世界と無意識世界、どちらが先か、なんていうのはニワトリ理論になっちゃうし、あたしもそこまでは分かんないけど、でもこのリンド・ユング・フートという世界はすべてが「全」であり、総じて「個」でもあるんだよ」
 分かる? と見つめられて、エレノアは苦笑しつつうなずいた。
 本当のところは完全に理解できている自信はないけれど、あとで今言われたことをゆっくり考えてみよう、と思う。

「さあ着いた。ここがリンド・ユング・フートの中心。みんながリストラしてくれた知識をしまっている場所だよっ」

 足を止め、みんなの方を振り返ると、スウィップは誇らしげに胸を張って大きく手を広げ、宮殿を示した。


 
 遠くから見てもかなり大きく見えた宮殿は、近くで見るとさらに巨大で、途方もない大きさだった。
「うわぁ……これ、見て回るだけでひと月くらいかかりそう……」
「うろちょろして、勝手にいなくなったりしたら駄目よ。このなかではぐれたら遭難確実よ」
 のどを伸び切らせて、塔のような入口の先端を見上げている佳奈子にエレノアがそっと注意する。
「う、うん」
 緊張を隠せずにいる佳奈子の素直な反応に、くすっとスウィップが笑った。
「大丈夫大丈夫。ここには司書たちが大勢いて、何かあったらすぐ駆けつけてくれるから」
 それに、検閲官たちの注意が行き届いていて、リヴィンドルの件が起きてからは特に、彼らは宮殿のどこでだれが何をしているかを常に把握している。
「そっか」
 ほっと胸をなで下ろす佳奈子にくすくす笑いながら、スウィップは大きな扉を左右に押し開く。そしてホールをまっすぐ抜けてその先にあるカウンターらしき場所へ向かった。
「見学したいって人たちを連れてきたんだけど」
「はい、青の検閲官さまから聞いております。第3階層までならご自由に閲覧なさってかまわないとのことでした」
「ありがとう」
 女性の差し出す袋を受け取って、その中身を佳奈子たちにふりかける。
「これは何?」
「これしとかないと、ドアくぐるたびにいちいちベルが鳴っちゃうからね。
 さあ行こう。みんながリストラしてくれた本があるのはこっちだよ」
 そうしてスウィップの案内で、光に包まれた宮殿のなかを見て回った。そこは巨大な円柱形のホールのような場所で、知識の本が揃えられた棚は部屋の壁をびっしりと埋めており、ざっと見ただけで数百万はありそうだ。外につながる窓のようなものは見当たらないが、少しも暗くない。壁、棚、そして本自身が光り輝いているためだ。そしてその光はとても強いのに影をつくらず、目を射るような痛みもない。
 そのホールの中央に設置された螺旋階段を、下へ下へと降りていく。
 柵から身を乗り出して下を見下ろしてもただ光が見えるだけだ。
 その不思議な場所にだれもが感嘆のため息や興奮の叫びを出すなか、ルカルカはじっとスウィップを見つめた。
 先ほどエレノアとの会話でスウィップが口にした言葉が気にかかる。
 ここのものはすべてが混ざり合った1つの存在。「全」であり「個」。だけどスウィップはここに属する者ではない。スウィップの本当の名前はエルヴィラーダ・アタシュルク。その意識は本来意識世界に属する。その意識はこちらの者の手によってコーティングされているが完全ではなく、わずかずつだが溶けて流れていっている。
 彼女はここでは「全」や「個」たりえず、常に「独り」なのではないのか――。
「……ねえ、スウィップ」
「なに?」
「思ったんだけど、今のスウィップなら、意識世界に行っても……そのことでもしかするとはるか昔の記憶が戻っても、それとは逆に、ここでの記憶が消えてしまって何も覚えていないことになったとしても、受け入れて、新しい人生を歩いちゃえたりは……しないかなあ?」
 ルカルカが突然言い出したことに、スウィップは目を丸くする。
「どうしてそんなこと?」
「無意識世界でやりがい感じててここで頑張るっていうならそれもいい。でももし、意識世界に行きたいなって思っているなら、大きな仕事を完成させた今がいいタイミングなんじゃない?
 スウィップがその気なら、ルカも一緒に上の人に頼んでみる。皆のところに帰っても良いですか? って」
 あくまでスウィップが希望すれば、と強調して、ルカルカは返答を待つ。
 スウィップは目をパチパチさせて、それからなぜルカルカがそんなことを口にするに至ったかを察すると、「ああ」と笑った。
「いいよ、そんなのしなくて」
「いいの?」
 あっけらかんとした返しにルカルカの方がちょっと驚いた。
 しかしこのことについてはもう何カ月も前に、それこそ自分が「エルヴィラーダ・アタシュルク」であると知ったあのころに、スウィップのなかでは決着のついていることだった。
 みんなの呼び声を無視できず、館長や検閲官たちにお願いして――そして氷の検閲官の助力もあって――意識世界へ干渉したあのとき。スウィップは彼らに向けて「エルヴィラーダ」「彼女」と語った。
 あれは「エルヴィラーダ」で、スウィップはもはや「スウィップ」なのだ。
「うん」
 その曇りのない笑顔とうなずきにルカルカも納得し、「そう」と応じる。
 2人の会話を黙って聞いていたアキラが、終わるのを待って脇からひょこっと頭を突っ込んできた。
「じゃあもうおまえんなかで折り合いついてんのな。それなら俺も1つ質問があるんだけど」
「なに? アキラくん」
「銀の魔女の目覚めは、一体何が問題だったん?」
「アキラ、おまえそんなことも分からんかったのか?」
 あきれた表情でルシェイメアがアキラを見る。
「だってさー、アガデとハダドの後継者、領主問題とかなら、そんなん2人の子どもが結婚しちまえばよかったんじゃねぇの?
 バァルんとこ、ちょうど女の子生まれてるしさ、ジェドとの歳の差5つか6つくらいじゃん」
「おぬし、あのときのセテカの話を聞いておらんかったのか? 他人が決めた結婚相手だの、そういう不自由さを味あわせないためにやつはジェドをシャンバラに託そうとしておったのではないか。
 第一、あの時点ではまだ生まれるのが男子か女子かも分かっておらんかったであろうが。男同士じゃったらどうするつもりだったんじゃ?」
 男同士でも結婚はできるが、子は望めんであろう、というルシェイメアの言葉に「そりゃあ……」とアキラもしぶい顔をする。
 質問をされていたのは自分だと、スウィップは「まあまあ」と2人の間に入った。
「えーとね。アキラくんの疑問は、東カナンの国政の方でいいのかな? どうしたらエルヴィラーダが目覚められたかじゃなくて。
 だったら、あたしに訊くより本人に訊くといいんじゃないかな。パーティーの方には東カナンの人たちも何人か来てるみたいだから、きっとだれか答えてくれると思うよ」
 出発前、東カナンの者は散っていて会場にいなかったのだが、召喚者であるスウィップには会場から遠く離れていても何か感じるものがあるようだ。
「んー、分かった。じゃあそうする」
「うん」
 スウィップがうなずいて、話はそこで終わる。
 そして、ちょうど見えてきた、本棚と本棚の間に埋もれるようにしてある小さなドアをタクトで指した。
「あそこ。あの部屋が、あたしが最近まで担当してた、修復した知識の仮置き場っていうか、蔵書室だよ。みんながリストラしてくれた本もあそこに置いてある」
 その言葉に、反対方向の壁を見ていた佳奈子が振り向いた。
「入れる? スウィップさん」
「んー、ごめん。あそこは関係者以外立入禁止なの。みんながした本はそうでもないけど、最近修復されたばかりの本もあるから。ああしてほかのとは隔離して、知識の定着を待ってから元のあった場所へ戻すことになってる」
「そっかー。残念」
「ごめんね」
「あ、ううん。何でもないよー」
 申し訳なさそうなスウィップに佳奈子は笑って手をひらひらさせると、「ここから見えただけでも十分」と笑った。
 そして同時にそこは、閲覧が許された第3階層の終点でもあった。
「これ以上進むと警報のベルが鳴っちゃうから」
 とのスウィップの言葉に、全員が降りてきた階段を引き返し始める。
 何人かは、リストラされた本が収められているという蔵書室に未練があるような素振りで振り返っていたが、スウィップの目を盗んでドアへ行こうとする者もおらず、宮殿の外へ出た。
 そして、もうそろそろパーティーの支度もできているころだからと、リボンロードを元の草原へ戻って行ったのだった。