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リアクション
コンコン、と控えめにドアがノックされる音がした。
「どうぞ」
「失礼します、ロノウェ様」
入り口で会釈をして本郷 翔(ほんごう・かける)が入ってくる。彼に、ロノウェは机上の書類の山をペンで指した。
「それが返送の束よ。こっちが許可」
「……大分増えましたね」
ペンの先で打たれた処理済のシールが貼られたボックスを覗き込む。不可となった書類の5分の1にも満たなかったが、それでも昨日までのゼロとか2〜3枚といったものよりは格段に増えていた。
「そうね。おそらく下の彼らのおかげよ。少なくとも記入ミスや誤字、誤解を呼びそうな言い回しの不備はなくなったわ」
この部屋へ入り、また運び出される書類の山。それは、翔の目から見ても膨大な量だった。おそらく届いたすべての書類を積み上げたなら、ロノウェなどツノの先まで埋まってしまうだろう。
まさかこんなに来るとは、ロノウェも予想だにしていなかったに違いない。なにしろこれは地上人との合同プロジェクトだ。そこにはまず、人間への信頼が必要になる。彼らが決して自分たちを不当に扱わないという信頼。それはザナドゥの歴史を知る魔族にとって、とてつもなく難しいことだ。
今も人間との戦いは続いている。戦い、勝利して、支配することで地上を手に入れようとする……それは、ロノウェにもなじみ深い思考だった。だからそちらよりもこの道を選ぶ魔族がこんなにいることが、まずロノウェには驚きだった。
複雑な思いにかられ、椅子を立ち、背後の窓の前でうーんと伸びをする。
「お疲れのようですね。休憩になさいますか?」
「……いえ。いいわ。お昼まであと少しだもの」
と、振り返ってあらためて机上の書類を目にして、うっときた。
ロノウェとて好きでこんなことをしているわけではない。けれど必要なことだし、大切なことを他人に任せられる性分でないから仕方がなかった。
席に戻ろうとするロノウェの眉がしかめられているのを見て、翔はこそっと手で失笑を隠す。
「ではここで書類審査の方はいったん休まれて、面会はどうでしょうか」
「面会?」
「はい。ロノウェ様にお目通りを願う人間が数名、城を訪ねてきています。
書類の方は後処理が少し滞っていまして。先ほどゲドーさんとシメオンさんに手伝いをお願いして向かってもらいましたが、まだ解消には時間がかかるようです」
「そう」
ロノウェは、ちら、とまた書類を見て、ふうと息を吐くと、面会を許可したのだった。
ロノウェとの面会を望んだ者は12人に及んだ。
1人ひとりと面会していては効率が悪くロノウェを疲れさせるだけと、先に内容をある程度ヒアリングした翔が組み合わせを決めて同時面会とした。
最初の組は、非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)、ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)、レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)、アウナス・ソルディオン(あうなす・そるでぃおん)、ガイウス・カエサル(がいうす・かえさる)の6人である。
「ボクはイルミンスール魔法学校所属の、非不未予異無亡病 近遠って言います。ロノウェさん、よろしく」
面会室に入室して早々、近遠は頭を下げた。
ロノウェはうなずき、無言で着席を促す。6人は互いを見合ったあと、入った順にソファに腰かけた。直後、かしこまった顔つきでソールが入ってきて、全員の前に飲み物を置いて行く。
「それで私に何の用?」
ソールが退室するのを待ってから、ロノウェは訊いた。
「あ、はい。ええと……。ロノウェさんは、それなりに歳の方、らしいですし……ちょっとお訊きしたいんですけれど。
かつて……今、魔族と呼ばれている人たちの先祖の人たちがザナドゥに封じられる事になった経緯とか、どんな軋轢みたいなものがあったのか? を、ご存知ないですか」
「なぜそんなことを?」
ロノウェの片眉が上がる。
「ああ。ええ。もちろん昔のことですけど、それについて今は、もう関係ない・考慮しなくて良い物なのか? それとも乗越えなくてはいけないものなのか? と思いまして。
現在ある情報ってイナンナさんからの一方的な見解だけですし、このへんの事は教えてもらえないっぽいんですよ。これから末々に手を取り合っていく親しき隣人たちとなるためにも、識っておく必要があると思うんですよね、過去も」
「そう、イナンナは口を閉ざしたの。べつに驚くことではないわね。彼女はたかだか私の歳にも満たない少女だもの、あの事について知らなくてもおかしくはないわ」
それに5000年前のだまし討ちは、彼女にとっても決して誇れることではないはず。
かつて、似たようなことをアガデの会談で自分に訊いた少女のことを思い出し、ロノウェは嘆息した。
「あなた、イルミンスール所属と言ったわね?」
「はい」
「では、アーデルハイトにまず訊くことね。彼女は帰還しているのでしょう? 彼女が語らないでいることを私があなたたちに話すのは越権行為だわ」
会談のころのロノウェであれば、あるいは彼らを引き裂くための武器として用いたかもしれなかったが、今は状況が違う。今の立場ではこれがせいぜいだ。
「ですが――」
「近遠ちゃん」
止めたのは意外にも、パートナーのユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)だった。
「たしかにそれも大切ですわ。でも、今さしあたっての問題は、しぶしぶとでも協力することにしてくれた方たちのためにも、今後のためにも、移住希望の魔族の人たちに混じって継戦を望む人、禍根と火種を蒔く事を目的にした人がまぎれ込むことですわ。そうなっては人にとっても魔族の方にとっても、大変ですもの。ですから、そうならないようにそういう方とそうでない方を見極めることが肝心なのですわ。その方法を求めて、ロノウェさんを訪ねたはずだったと思うのですわ」
ユーリカの言葉に、近遠は開けていた口を閉じる。近遠が黙ったのを確認して、ユーリカは再びロノウェの方を向いた。
「ロノウェさん、このことについて、何か方法があったら教えて欲しいのですわ」
それを聞いて、ロノウェは小首をかしげた。
「こちらもひとつ教えてほしいのだけれど、そういった人間のいない場所が、はたして地上にはあるのかしら? 戦いを望まない人間、争いを起こさない人間、魔族を憎まない人間。楽園のようだけれど、それが1人もいない場所の名を、あなたたちはあげられる?」
ロノウェは間を置き、順繰りに彼らを見たが、だれも答えようする者はいなかった。
「なら、それを魔族にだけ求められても困るわ。もちろん移住希望者の審査は私が責任を持って厳しく行うけれど、それでも問題は必ず起きるでしょう」
なぜなら2人以上のひとがいる限り問題の起きない場所なんて、この世のどこにも存在しないから。
「そこで起きる全ての事に、私は責任を持てない。ただ、そういう者が起こした事件に対する処罰は、人間側と協議の上で法を制定していくことになるでしょう」
「失礼ながら、ロノウェさん」
近遠やユーリカとの会話は終わったとみて、アウナス・ソルディオン(あうなす・そるでぃおん)がこほんと咳をして自分に注意を向けさせた。
「あなたは?」
「私はアウナス・ソルディオンといいます。以後、お見知りおきください。
それで、その魔族の移住先について、すでにどこかあてはありますか? もう決めているのでしょうか?」
「あ、それ。あたしたちも言おうと思っていたことですわ――むぐっ」
ユーリカの口を、今度は近遠が止めた。
「まぁここは、彼の言うことを聞こうよ」
近遠の言葉に、アウナスもうなずく。
「私はこれまでの経緯から、魔族の移住先はイルミンスールが妥当ではないかと考えています。この考えは私に限ったことではなく、ほかの者たちも考えているようで、イナテミスに『SIZ特区』なるものを作り、そこを魔族の移住先にしてはどうかという動きもあります」
「サイズ……?」
「『シャンバラ王国内イルミンスール魔法学校自治区内ザナドゥ亡命入植者特区』のことですわ――むぐぐっ」
その名称を聞いて、ロノウェは眉をしかめる。
「亡命? 彼らは亡命者ではないわ」
「まぁまぁ。名前は仮称で、いくらでも変更はききます」
とりなすようにアウナスが両手を挙げてみせた。
「ですが、私はこうも考えます。しかしイルミンスールはシャンバラ王国の一地方にすぎず、魔族の国を内側に持つには少々手狭にすぎるのではないか? と。
それに『魔族』と皆ひとくくりに考えていますが、見たところ、巨大なゴーレム型、翼を持つ飛行型と、魔族にもさまざまなタイプが存在するようです。汎用に限らず、それぞれの特性に応じた移住先を複数作るべきではないかと考えているのですが、どうでしょうか」
「つまり?」
「つまり、シャンバラにはイルミンスール魔法学校だけでなく、ほかに8つの学校が存在します。それぞれがそれぞれに短所長所を備えています。私はそれぞれに特区を作り、分けて移住する方法を提案します」
彼の提案に、ふむ、とロノウェは少しの間考え込んだ。
「それも1つの方法ではあるわね。私はカナンを考えていたのだけど。昔から因縁の浅からぬ地でしょう?」
ロノウェにとっては自明の理だったのだが、意外にもその選択肢は彼らの考えに入っていなかったのか、3人とも軽く目を瞠って驚きを露わにする。
「いずれにしても、その提案は地上人側の担当者にするべきだと思うわ。私は良い・悪いを判断できるほどまだ地上を知らないの。あなたの言う9つの学校というのも、それがある場所がどういう地なのかも分からないわ。
こちらとしては、地上人側の担当者から提案された場所が魔族が生活するのにふさわしい場所かどうか、まず視察隊を編制して派遣、その情報を元に検討することになるでしょうね」
ああ言ったものの、ロノウェとしてはべつにカナンにこだわっているわけではなかった。ほかに適した場所があるならそこで一向にかまわない。ただ、判断材料とする資料が一切ない今の段階では、何を言われても結論は出せなかった。
「まだ始まったばっかりやさかいなぁ」
理解を示したのは、ずっと聞きに徹していた大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)だった。
頭の後ろで両手を組み、背もたれにもたれかかる。
「そら、場所もよー知らんのに、いきなり現れた僕らの話聞いただけで「それいい案! そこに決めた!」は、ないわなぁ」
信頼が大事、とはいえ、そういうものは昨日今日で生まれるものではない。いくら「信用してくれ」と言ったところで、それの基盤となるものがない間は無理難題というもの。
「お互い1歩ずつ、1つずつや。
今、きみらはロノウェはんが移住先にカナンを考えていたことを知った。そんで、きみらの考えも選択肢の1つやとロノウェはんに考慮してもらえることになった。それでええんやないか?」
泰輔の言葉に3人が納得し、うなずいたのを見て、ロノウェは泰輔を見た。
「それで人間。あなたは何の用なの?」
「人間! 僕は『泰輔』やて、前にちゃんと名乗ったと思うんですけどね。ロノウェはん、まずそういうとこやめましょうや。お互い、いらん壁作ることないでしょ。ロノウェはんも、1度に1つや」
その言葉に、ロノウェは口を開いた。何か言おうと口をもぐもぐ動かしたが、声となる前に気がくじけてしまったのか、一音も発する前に閉じてしまう。
泰輔は肩をすくめた。
「ま、えーわ。1度に1つ。
僕は今回ないです。用があるのは連れの方で。レイチェル?」
「あ、はい」
うながされ、レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)は居住まいを正した。そうして数瞬の間をとる。
事ここに至って、まだ逡巡する心がどこかにあった。今、この地に戦争の影はない。この地では、人と魔族の戦いは過去のことになっている。そんな平穏な地に、戦場のキナ臭さを持ち込んでいいものか……。
だが現実、今この瞬間にも別の場所で戦いは起こっているのだ。である以上、訊かずにはいられない。
「あの……ロノウェさんは、ベリアルという悪魔をご存じでしょうか」
「ベリアル!?」
その名に、あきらかにロノウェの表情が変化した。あごが引かれ、奥歯が噛み締められている。引き攣ったほお、明度を増した緑の瞳。その奥には、間違いなく嫌悪の色があった。
はっと息を呑んだ彼らから表に出しすぎたと察したロノウェは、目を閉じ、波立った感情を封じにかかる。再び開かれた彼女の瞳は、元の色に戻っていた。
「べリアル……という方は、どのような方ですか?」
「なぜ彼女のことを知りたがるの? あれはバビロン城の奥深くに封じられたわ。もうずっと昔に」
「開封、してしまったんです……その……成り行きで」
歯切れの悪い話し方から、何か人間側にとって都合の悪いことがあるのは感じ取れたが、ロノウェは追及しようとはしなかった。
「おろかなことをしたわね。このザナドゥであれほど邪悪な者もそうはいないわ。まだ幼いパイモン様のお命を何度狙ったことか。いくら魔王ルシファーの息子とはいえ、年端もいかない子どもを己の欲望のために手にかけようとするなんて」
「だから……同族である悪魔たちから、封印されたのですか?」
「ええ。私とバルバトス様にね」
「ロノウェさんが!?」
「彼女はいつもすました顔をして表には出さなかったけれど、その胸の中にはクリフォトの力を操ることができるパイモン様への妬みが常に巣食っていたわ。そして笑顔の下でいつもパイモン様を見下し、隙を伺って、裏では賛同者を募っていた。だから大事が起きる前に、私とバルバトス様が封じ込めたのよ」
あのとき殺さず配下ともども封印という形をとったことが裏目に出たのか。
自分の甘さへの悔いが、ロノウェの胸を苦くよぎる。
「彼女の封印が解かれたのであれば……必ずパイモン様のお命を狙うでしょうね。全魔族を己の配下とするために」
「昔のこととはいえ、まさか魔神2人がかりで封じるほどのやつやったとはなぁ……。こら、えらいモン開封してくれたで、ほんまに」
退室後、泰輔はそうつぶやいて、ガリガリッと髪を掻いた。その悪魔を「国土割譲」を条件に、仲間に引き入れたとかいううわさも耳にしている。事実かどうかは知らないが、もしそれが事実とすれば……己の欲望のためなら子どもの命だろうが平然と奪おうとする悪魔、そんなものが人間の後押しで大手を振って地上へ出てくることになったら、最悪だ。
「レイチェル、とにかく今の情報を国軍に送っといてくれ。間に合うかどうか分からへんけどな」
「はい、泰輔さん」
レイチェルは籠手型HCを作動させた。