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横山ミツエの演義乙(ぜっと) 最終回

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横山ミツエの演義乙(ぜっと) 最終回
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リアクション

 剛次やバズラとの会話を聞いていた聖・レッドヘリング(ひじり・れっどへりんぐ)は、できる範囲で調べた校長のことを思い返していた。
 石原肥満は、裏社会の大物であると同時に日本の政界にも深く関わっているフィクサーであった。戦後の日本でのし上がり、裏表両方の社会に絶大な影響力を持っているという。
 そんな人物がパラミタに乗り込み、何を目指しているのか。
 さらに、聖がついで程度にわかればいいと思っていた麻薬ルートなど、いくらでもありそうだ。
 円達のおしゃべりが一段落ついたのを見計らい、聖はバズラに丁寧に挨拶をした。
「バズラ様にはお見知りおきいただきたく」
「ふふ……あんた、いいねぇ」
 バズラは何かを思い描くように聖を見ている。
「その賢そうな目元──いいよ」
「あの」
 バズラは聖の向こう側に何かを妄想しているようだ。
 気が付けば、円達だけではなく亜璃珠やつばさ、剛次までが注目していた。当然、パートナーのキャンティ・シャノワール(きゃんてぃ・しゃのわーる)も。
 聖は咳払いをすると、にっこりと笑顔を作って言った。
「バズラ様は高尚なご趣味をお持ちでございますね。そのお眼鏡にかなった品は幸せでございますが、ご自分で描かれたりはしないのでございますか?」
「あたしは買う専門だよ。考えたりはするけどね」
「そうでございますか。ですが……申し訳ありませんが、お嬢様の教育にはあまり好ましくありませんので、ご覧になられる時はお嬢様の目の届かないところでお願いしますね」
 お嬢様、とはキャンティのことだ。もう他のところを向いてイナゴがどうのと呟いている。
 バズラは、過保護だなぁ、と言いたげに肩を竦めてみせた。
 キャンティの成長に気を配る聖の思いなど知らず、彼女は遠くに見えたイナゴに驚いていた。
 この前見たのは体長一メートルほどだったが、遠目とはいえ三メートル近くはあったように見えたからだ。
「何を食べたらあんなに馬鹿でっかくなるのかしらん? ねえ、ひじりん」
 ほら見て、と聖を呼び、巨大イナゴが飛んでいたほうを指差したが、そこにはもう地平線が横たわっているだけだった。

卍卍卍


 クローン・ドージェと共にヨシオタウンへ突き進むニマ・カイラスの張り詰めた背を見た朱 黎明(しゅ・れいめい)は、スパイクバイクで追いながら危ぶむように眉を寄せた。
 黎明には、記憶を取り戻してからのニマは生き急いでいるように見えて仕方がなかった。
 そして、金剛の生徒会室で初めて会ってからのニマの様子を思い返す。
 睡眠時間が多かった。長時間の会話ができなかった。
 それほどまでに体力のない者が、戦を起こそうとしている。
 嫌な感じがしてならなかった。
 小高い丘に差し掛かった時、ふとクローン・ドージェの歩が止まる。彼は肩の上に乗せていたニマをゆっくりと地上に降ろした。
 ここから、ヨシオタウンが一望できた。
 黎明はスパイクバイクから降りると、そっとニマの横に立った。
「お聞きしたいことがあるのですが」
「何でしょうか?」
「あなたの命は、もうわずかなのですか?」
 一瞬躊躇った後の黎明の問いに、ニマは数秒の間をあけて答えた。
「これも天命でしょう」
 言った後、病とはもどかしいものです、とニマはヨシオタウンを見下ろしたまま付け足した。淡々とした口調からは、本当にもどかしいと思っているのか伝わってこない。諦めているのか、口にした通り『天命』と受け入れているのか。
「……ドージェの妻となり、幸せでしたか?」
「言うまでもありません」
 初めて黎明のほうを向いて浮かべた微笑は、確かに『妻』の顔だった。結婚を後悔していたら、こんなふうには笑えないだろう。
 つられるように黎明も口元をほころばせ、つい悪乗りして三つ目の質問を口にする。
「やっぱり気になりますね……バストサイズが」
「ふふ。ダメですよ。夫でもない人には教えられませんわ」
 調子を合わせて悪戯っぽく答えるニマ。
 黎明も胸の内のやりきれなさと寂しさを押し隠して笑う。
 これから始まる厳しい戦の前の、ほんのひと時の穏やかな時間だった。

 金剛から地上へ降りたロザリィヌ・フォン・メルローゼ(ろざりぃぬ・ふぉんめるろーぜ)は、復讐に燃えた瞳で剛次とバズラが進んでいった先を睨みつけていた。
 一行の中にいた崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)を思うと、胸が張り裂けそうになる。
「これは、チャンスですわ……! 鷹山剛次……っ」
 大切な亜璃珠を穢した剛次を許せないロザリィヌは、短剣の柄をギュッと握り締めた。
 そして二人を追いかけようと一歩踏み出した時、どこへ行っていたのかシュブシュブ・ニグニグ(しゅぶしゅぶ・にぐにぐ)がのっそりと現れた。
「ロザリィヌ……お届けモノなのであるな……」
「ちび亜璃珠!」
 艶々とした黒い毛の山羊のゆる族の背に揺られてやって来たのは、崩城 ちび亜璃珠(くずしろ・ちびありす)だった。
 ちび亜璃珠はシュブシュブの背から身軽に飛び降りると、彼女の登場に驚き固まっているロザリィヌの前に進み出て亜璃珠からの伝言をつたえた。
 それは、今回の件でロザリィヌを傷つけてしまったことに多少なりとも後悔の念を抱いていること。けれど、今さら引き返すわけにもいかないので、もう少しだけ亜璃珠を信じていてほしい、ということだった。
「ロザリィ、待っててくれる?」
 ロザリィヌは、もうとうに見えなくなった亜璃珠の背を追うように遠くへ目をやり、小さく亜璃珠の名を呟いた。
 それが引き金になったかのように、後から後から涙があふれてくる。
「亜璃珠……あなたはどうして、どうしてこんな……っ」
 一人、実行に移す前にどうして一言相談してくれなかったのか。
 どうして自分はそんな亜璃珠の考えに気づけなかったのか。
 後悔すればきりがない。
 静かに泣きながらロザリィヌはもう一人、無茶をしようとしている人物を思い出した。
「ニマ様……」
 まだそれほど遠くへは行っていないはずだ。
 ロザリィヌはやや乱暴に涙をぬぐうと、
「ニマ様を追いかけますわよ」
 そう言って、赤い目元もそのままに走り出した。
 そして小高い丘の上でクローン・ドージェの山のような背と、ニマと朱黎明を見つけた。
 ニマ様、と呼びかけると、黎明との和やかな会話の名残を乗せた表情で振り向く。
 ロザリィヌは途中でもつれそうになった足を叱咤してニマの前に駆け寄ると、息が整う前にあふれる気持ちを言葉にした。
「わたくしは、本当は亜璃珠を探してここに来たのです……」
 剛次の情婦なんて呼ばれて、どんなに悲しくてどれだけ剛次を憎んだか。
 その敵を討つために生徒会に取り入ろうとした。
「けれど、ニマ様とお話しして、一瞬でもその気持ちを忘れるくらい、楽しかったのですわ」
 唐突なロザリィヌの気持ちの吐露を、ニマは静かに聞いていた。
「わたくしはダメですわね……ここまで来たのに、何もできない……成し遂げられない……」
 ちび亜璃珠から伝えられた言葉のために、ロザリィヌは剛次に手を出すことができなくなってしまった。
 それが、とても悔しくて悲しい。
「もっと非情になれたのなら、せめて、ここであなたを害して、鷹山にささやかな復讐でもできたのでしょうけれど、わたくしには……とてもできませんわ……特にニマ様には……」
 ニマは、うつむくロザリィヌの手をそっと取り、慰めるように包み込んだ。
 特に何かを言ったわけではないが、その行為が「あなたはそれでいい」と言っているようだった。
 止まったはずの涙が再び視界を歪めた。

卍卍卍


 弁天屋 菊(べんてんや・きく)達と別れた後も、葛葉 明(くずのは・めい)はまだしばらく奈落魔道に留まっていた。
 強い英霊を求めて、危険を承知で訪れたのだが──確かに、過去に英雄と呼ばれていただけあり、どの英霊も強そうだった。同時に我も強そうだった。
 明は契約を躊躇い、そしてわずかな時間だけ会った老人が言った『ザナドゥ』という地名を思い出した。
「魔族の街……か。よし、休憩終わりっと!」
 明は立ち上がると、一度は進んだ暗い道をもう一度見据えた。
 しばらく歩くと、前回と同じように英霊のいない道に出た。
 首に下げたお守りをキュッと握り締める。これには禁猟区をかけてある。明に害をなそうとする者があれば、いち早く危機を知らせてくれるはずだ。
 さらに周囲の気配に注意し、岩壁の凹凸を利用してできるかぎり目立たないように進んでいた。
 はずだったのだが。
「こりゃ」
 突然、背後に現れた何者かにパコンッと後頭部を軽く叩かれた。
「ひぁぁああっ!」
 明は後ろの何かから飛び跳ねて距離を取ると、身を低くして攻撃姿勢をとった。とはいえ、戦ってどうこうしようというのではなく、鬼眼で怯ませた隙に逃げようとしていたのだが。
 しかし、明はそこにいた人物にポカンとした顔になる。
「この前の……」
「また来たのか」
 前回、奥に進もうとした明を止めて、入口付近まで連れ戻した老人だった。
 見知った顔に安堵して姿勢を戻した明は、ザナドゥに行ってみたいのだと話した。
「案内してくれたら、今度はちゃんと地上に帰るよ。だから、連れてってよ……あ、いや、連れてってくださいお願いします」
「無理じゃ」
 明のお願いへの返事は、悲しくなるくらい即答だった。
「何で!」
「閉ざされておるようでな、どうしたら行けるのかわからんのじゃ」
「閉ざされてる?」
「強い力でな。連れていこうにもどうにもできん」
 嘘をついているようには見えなかった。
 明はがっくりと肩を落とす。
 自分のためにザナドゥを目指していたのはもちろんだが、そこにいるらしい火口敦を見つけたら、菊達が会いたがっていたことを伝えるつもりでもいたのだ。
 あまりに落胆する明に、老人は同情するような眼差しを向けたが、彼の口から出てきたのは「帰るぞ」という短い言葉だけだった。