リアクション
◇ ◇ ◇ えっと、と、一瞬遠くを見た後で、気を取り直して小鳥遊美羽が訊ねた。 「コハク、神子のことは大丈夫なの?」 うん、と、コハクが答える。 覚醒したコハクには、神子の姿が見えていた。 その、独特のオーラのようなもの。 彼だけが、それを纏っている。 コハクにだけは、それが見える。 コハクは神子じゃなかったんだ、ちょっと残念。 と、ドラゴニュートの子供、ファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)はほんの少し、がっかりしていた。 じゃあ、誰が神子なのかな? ずっと昔、お母さんが寝る前に、女王様のお話をしてくれたことを、ぼんやりと憶えている。 神子さんが女王様を復活してくれて、女王様が荒廃したシャンバラを甦らせてくれるなら、ボクも、頑張ってお手伝いしないとね! そんなことを考えて、決意を新たにしていたファルは、コハクが自分の前に歩み寄り、立ち止まり、見つめてくるのに気付いて、きょとんとした。 「コハク?」 ファルよりも先に、早川 呼雪(はやかわ・こゆき)が、その状況の意味を理解した。 「まさか、ファルなのか?」 「……うん」 コハクは少し申し訳なさそうに微笑む。 「手を、とってもいい?」 差し出されたコハクの手に、特に何も考えずに、ファルははいっと自分の手を乗せた。 ぎゅ、と握り締められた手から、何かが伝わってくる気がする。 それと同時に、頭の中で靄がかっていたものが、一気に晴れたような気がした。 靄がかかっていたこと自体に、今迄全く気がつかなかった。 忘れていたことを知らなかった。 「……あれっ!?」 ファルは、突然に脳裏に沸いた事実にびっくりして、声を漏らす。 ボクって、神子だったんだ……。 「ファル……」 まさかファルが神子だとは全く思ってもみなかった呼雪が、その様子を見て、呆然と口を開く。 ばっとファルが振り返った。 「うわあ、コユキ、コユキ、どうしよう。 ボクだったよ!」 興奮しているファルの様子を見て、一瞬でも、『別の人格が目覚めてしまうのかも』というような想像をした自分が馬鹿だったと呼雪は思った。 「時に、神子ってのは一体何なんだ?」 ここへ来て、全く事情の解っていないアレキサンドライトに訊ねられ、その説明をしていなかったか! とリカインとキューは顔を見合わせた。 女王に関することは、一応一通り説明したつもりでいたのだが。 「5千年前のシャンバラ女王、アムリアナ様を、復活させることができる人達のことだよ」 美羽が、そう説明した。 「もうすぐ、”アトラスの傷跡”で旧シャンバラ王宮が復活して、そこで、女王を復活させられることができるの。 そうしたら、シャンバラを覆っている闇龍を封印することもできて、世界は救われる。 きっと、昔のように戻るの。 カルセンティンも、これからまた魔獣が出てくるようなことはなくなるって思う」 美羽は、コハクに神子と呼ばれた、ファルの前に歩み寄った。 「あたしの本当の目的は、神子に、力を貸して、ってお願いすること。 神子だけじゃなくて、皆にも、協力して欲しいの」 「そういうの、私は困るのよね」 割って入った声に、美羽達ははっと振り向いた。 「ようやく神子が誰か、解ったってわけね。 この時を待ってたわ。むしろ待ちくたびれたって言うか」 メニエス・レイン(めにえす・れいん)だった。 「何の用だ」 呼雪がファルの前に立ち塞がるようにしながら問いかける。 「いやね、別にいきなり攻撃なんてしないってば。 あたしが今迄、不意打ちを仕掛けたことなんてあったかしら?」 勿論ハッタリだったが、確かにここのところ、彼女はまず姿を現してから、ことを起こしている。 呼雪は眉をひそめて、一層の警戒を強めつつも黙った。 「用件はひとつよ。こっちにつかない? あたしね、これ以上神子が増えてくれると困るの。 でもこっち側についてくれるなら話は別だわ」 不敵な笑みを浮かべるメニエスの額に、鏖殺寺院の紋章が浮かび上がる。 うっすらとした光が、メニエスの表情を邪悪に照らした。 「――これから、考えなくてはならないことも、決断しなければならないことも色々あるが」 呼雪は臆せず、言葉を返す。 「鏖殺寺院に与することは有り得ない」 くくっ、とメニエスは笑う。 「ま、そりゃそうよねぇ。なら、死んでよ」 ぞろり、と、メニエスの両脇に、控えていたメイスが現れる。 メニエスはファルに向かって、ファイヤーストームを放った。 「下がれ、ファル!」 呼雪がファルを下がらせる。 「森の中で何つう魔法を使いやがる!」 アレキサンドライトが吐き捨てた。 その背後、潜んでいたアシャンテ・グルームエッジ(あしゃんて・ぐるーむえっじ)がメニエスに襲いかかった。 「……メニエス……メニエス・レイン……! 鏖殺寺院の手先――貴様を、止める!!」 待っていたのはメニエスだけではない。 アシャンテもずっと待っていた。 メニエスが出てくる、その時を。 メニエスはちらりとアシャンテを見たものの、意にも介さず再びファルを見る。 アシャンテを阻んでその前に飛び出したのは、ミストラル・フォーセット(みすとらる・ふぉーせっと)だった。 「それ位のことは予測済ですわ!」 アシャンテの剣先を、ミストラルのカタールが払う。 敵陣に突っ込もうというのだ。奇襲くらい当然警戒している。 そのミストラルを見て、コハクがぎょっとした。 ファルに感じたものと同じ、神子が纏うオーラのようなものを、ミストラルからも感じ取ったからだ。 「……まさか」 コハクは凝然として目を見開いた。 死んで。と、メニエスが口にした瞬間、彼等の背後に潜んでいたメニエスのパートナー、ロザリアス・レミーナ(ろざりあす・れみーな)がファルに向かって発砲した。 だが、そのあまりの殺気の濃さに、ファルの傍らにいた狼が、気配を察知して唸り声を上げていたので、ファルは寸前でその襲撃に気付いた。 「うわっ!」 避けるのが間に合わないファルの腕を、咄嗟に捕まえた呼雪が引っ張り、殆ど転ぶようにしてファルはロザリアスの攻撃を躱した。 「ファル!!!」 「コユキ〜」 無事を確認しようと呼ぶ声に、半ば泣き声で応える。 「ちぇっ、不意打ち失敗!」 さして残念そうでもなく、ロザリアスが飛び出して、突っ込んで来た。 呼雪は身構えたが、ロザリアスは煙幕ファンデーションを投げ付け、その中へ飛び込む。 冷静に対応すれば、姿を完全に見失うようなものではなかったが、その一瞬の隙で、ロザリアスは死角からファルに銃を向けた。 「……させないっ!」 呼雪も同様に、銃を構える。 ロザリアスは、自分が攻撃されることなど全く構わずに攻撃した。 一方の呼雪は、銃は威嚇のものだったので、そのままロザリアスの懐に飛び込んで、ドラゴアーツで彼女を弾き飛ばす。 ロザリアスは大きく後退したが、銃撃は、ファルの足を撃ち抜いていた。 「ファル!」 コハクが駆け寄る。 「だ、だいじょぶ……!」 「ちっ、あたしの邪魔しないでよね!」 ロザリアスは起き上がり、嘲笑とも威嚇ともつかない壮絶な表情で睨みつける。 その恐ろしい最初の攻防が終わり、ロザリアスが次の手を打つ前に、彼女はルカルカ・ルーやザカコ・グーメルらに囲まれた。 「これ以上はさせないよっ!」 「あたしを止められるものなら、止めてみな!」 多勢に無勢でも、ロザリアスの表情は全く怯まなかった。 アシャンテとミストラルは幾度となく斬り結ぶ。 「どけっ……!」 アシャンテが狙うのは、メニエスだ。 それを阻むミストラルを、睨みつけるも、ミストラルは涼しい表情で 「そういうことは、言葉ではなく実力でやっていただきませんと」 と冷笑を返す。 その激しい攻防に、アシャンテのパートナー、ラズ・シュバイセン(らず・しゅばいせん)は援護をしあぐねていた。 生半可な攻撃は、アシャンテをも巻き込むからだ。 だが、ミストラルの方が微妙に劣勢と察するや、メニエスの方は迷いが無かった。 放った攻撃魔法は、ミストラルごと、アシャンテに叩き付けられる。 「き、貴様……!」 「あたしのミストラルが、これしきで死ぬわけないでしょ」 メニエスはケロリとそう言い放つ。 「貴様ァ――!」 これ以上はまずい、と、ラズは判断した。 アシャンテが、怒りのあまり、我を忘れて暴走してしまう。 アシャンテの背後に降り立って、ラズはアシャンテを気絶させるなり、抱きかかえて後退した。 「不本意だけど、引かせて貰うよ」 「どうぞ」 と、ミストラルは構わない。 ラズは一瞬顔を顰めたが、そのままアシャンテを連れて撤退した。 「さあて」 と、メニエスは改める。 ミストラルの援護が無いと、一人では困るのでミストラルの援護を優先させたが、わき目も振らずにファルに向かって行こうとしていたメニエスも、既に反撃を食らってあちこち負傷していた。 守りが堅く、これ以上神子に近づけない。 メニエスは冷静にそう判断したのだ。 「これ以上は無理そうよね」 残念、と、メニエスは肩を竦める。 「引きますか」 「そうね。ちょっと怪我も酷くなってきたみたいだし?」 痛覚を鈍らせて、痛みを麻痺させているので、大したダメージは感じられないが、全く痛みが無いわけではない。 「ロザ! 引くわよ!」 「えーっ、もう!? 楽しくなってきたのに!」 口では不満を言いつつも、ロザリアスは素早くメニエスの元に戻る。 「じゃあね! コハク! また今度!」 投げキッスでもしそうな笑顔で、血塗れのメニエスは、従者達と共に飛び去って行った。 「あーあ、皆ボロボロね」 さして心配そうでもなく、メニエスが自分達の有様を見て笑う。 「でもいーの? 神子、殺せなかったよ」 もうちょっとだったんだけどねー、と、ロザリアスが言うが、 「まあ、いいわ」 とメニエスは答えた。 「まだ、もう少し、時間はあるしね」 いや、例えなくても。 あっち側につく神子の数を減らせなくても自分達が孤立していても、それは、自分達にとって、大した問題ではないだろう。 「ファル! 怪我は……!」 呼雪がファルの傍らに膝を付く。 「痛かったけど、もう大丈夫」 ファルは正直に答えつつも、笑ってみせる。 「……ごめん」 コハクが悄然とうなだれた。 「え、どしてコハクが謝るのっ!?」 びっくりしてファルがコハクを見、呼雪もコハクを見やった。 「コハクのせいじゃない」 「……でも」 神子が、まさか神子同士が戦うことになるなんて。 「……コハク」 それは、コハクが責任を感じることではない、と呼雪もファルも思ったが、どう伝えればいいだろう。 「……後悔するなら、全て終わってからだ」 呼雪は、言葉を選んで、そう言った。 まだ、何も終わっていない。 後悔するのはまだ早い。 やるべきことはまだ、残っているのだ。 コハクは顔を上げ、頷く。 「はい」 そして全てが終わった時、後悔すべきことなど何もなくなっていればいい、と、呼雪は思った。 |
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