リアクション
第二章 大奥の掟1
「葦原の房姫様は何事もなく大奥に入ったそうね」
『紫光の間』と呼ばれる場所で、金色の巻き髪の少女はその報告を聞いていた。
「こちらからご挨拶にいったほうがよいかしらね」
彼女は金魚を眺めていた。
指を入れると波紋が広がった。
「ようこそ、房姫。何の役にも立たぬ金魚のように、鉢の中でただ飼われていなさいな」
卍卍卍
マホロバ城大奥。
そこは時の
将軍 鬼城 貞継に仕える女の城である。
およそ三千人ともいう女官が働いてるといい、下働きのものは実情をつかめないまま辞めるか病死し、上級女官は一生勤めとなる。
そして鬼城将軍と幕府の権威を守るためにその出入りは厳しく制限され、内部の事情を漏らす事は許されなかった。
よって、その多くは明らかにされてこず、謎めいた場所としてのみ人々の記憶に刻まれていた。
大奥に房姫一行が到着し、数々の嫁入り道具が運ばれたころ、大奥の女官たちが挨拶に訪れた。
「長旅、お疲れでしたでしょう。わたくしは
大奥取締役の糸と申します。何かございましたら、遠慮のう申しつけください」
御糸様と呼ばれる女官は、この大奥を取り仕切っていた。
痩せた背の高い女性で、若いころはかなりの美人であっただろう。
御糸は房姫にまず大奥の案内をした。
「大奥は迷路のようなところですので、お迷いになりませんように。特に誤って『根の口』から先にお出になりませんように。ここから先は通用門となり、たとえ姫様であろうと勝手に大奥から出ること適いません。将軍様に自ら逢いに行かれることも、ですぞ」
御糸はちらりと房姫の顔を伺い、姫は真っ赤になった。
そして、マホロバ大奥では、将軍がわたってくる御殿向は「花の実」と呼ばれる。多くの女中や侍女が寝泊りしているのは「繭の間」。
托卵を望む女子の小部屋が連なる、と案内していった。
しかし、葦原の房姫と瑞穂の睦姫は特別扱いで、別途部屋があてがわれている。
「房姫様がお使いになられる『緑水の間』はかつて貞継様の母上がお使いになっていたお部屋です。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
房姫は爽やかな緑色の部屋に通された。
子供のころ城内で貞継に初めて逢ったころを思い出す。
そのころは既に貞継の母は他界しており、房姫は顔を知らない。
身分の低い女性だったとは聞いていたが、それ以上は詳しくは聞いたことがなかった。
「大事に使わせていただきます」
房姫の答えに満足そうに微笑むと、御糸は『大奥御法度』という書状を取り出した。
「それでは、皆々様。この血判状にご署名を。これが、我がマホロバ大奥における最初のしきたりでございます」
卍卍卍
「この汚い字はなんだ。まったく読めんではないか」
後に血判状を確認していた大奥取締役は、ミミズのような字の署名を見つけた。
かろうじて『てい……にー』としか読めなかったが、彼女は忙しすぎた。
取り合えず老中に渡してしまおうと、漆の箱にしまった。
このときは、まだこれが後々重要なこととなるとは気づいていない。