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第一章 薔薇の門にて
霧深きタシガンの地にしては珍しく、青空が見える日だった。
秋の気配も深まり、吹く風はやや肌寒いものの、太陽の日差しは暖かい。
タシガン宮殿の前には、一台の馬車があった。
栗毛馬が繋がれた、四輪立ての馬車は、さすがに領主の持ち物だけあり、
せいぜい二人乗りの大きさではあったが、隅々まで手の込んだ豪奢な造りをしている。
御者台ではすでに一人の男が鞭を手にしており、主人の到着を待っていた。
「じゃあ、行ってくるね」
礼装に身を包み、男の子はそう言うと、見送りに出ていた青年を見上げた。
青年の名は、アーダルヴェルト・タシガン。つい先日まで、タシガンの領主であった男だ。
今では上背も伸び、かつての幼い面影は、目元のあたりにわずかに残るのみだ。
「お気をつけて」
「うん。以前、アーダルヴェルトは良い思いしなかったみたいだもんね」
くすくすと笑う子供は、ウゲン。
先日、タシガンの領主となり、今の所はウゲン・タシガンと書面上には書かれている。
黒薔薇の森で長く眠りにつき、目覚めてからは以前の記憶をすっかり失っているというが、本人はあまり気にした風でもなく、端から見れば異様なほどの柔軟性で現状を受け入れていた。
「元々は生徒なんだし、せっかくのご招待だもん。楽しんでくるよ」
ウゲンはそう言うと、刹那、意味ありげな笑みを幼い唇に浮かべたのだった。
今日は、薔薇の学舎で行われる学園祭の日だった。
そのためにこの一月というもの、生徒たちは様々に知恵を絞り、用意をしてきたのである。
ろくりんピックという大祭の直後ではあったものの、お祭りが続くというのはそう悪くない。
「……ふむ」
最後の飾り付けを終え、藍澤 黎(あいざわ・れい)は一歩後ずさると、全体のバランスを見た。
ちょうど今時分は、色鮮やかな秋期バラの季節だ。
黎は、エディラント・アッシュワース(えでぃらんと・あっしゅわーす)の手を借りて、校門、廊下の角等、学校の至る所に専攻のバラの品種改良用に持っている研究用農園のバラを飾りつけていた。
「れいちゃん、こんな感じでいい!?」
「ああ。エディラ、ありがとう」
褒められて、エディラントは嬉しそうに笑う。エディラントは、アリスにしては大柄な体つきをしているが、甘えん坊で温和な性格は、どこか犬っぽい印象を与えるタイプだった。
校内の壁には、プラスチックの試験管型フレッシュホルダーに切花鮮度保持剤溶液を入れ、薔薇をコサージュ状に活けると、リボンと一緒にアレンジしたものを飾って回った。最後の校門には、地球産を右、パラミタ産を左からアーチ状オベリスクに這わせた大きなつる薔薇の鉢植えを馬で引いてきて置いた。
薔薇の学舎の名にふさわしく、華やかな姿だ。
残った薔薇はコサージュにして、来校者に配る予定だった。
「すごい、綺麗!」
クライス・クリンプト(くらいす・くりんぷと)が、門の薔薇を見上げてそう言った。
「クリンプト殿は、スタンプラリーの企画であったかな」
クライスは頷き、両手で持っている紙の束を見せた。
彼の企画は、来校者にパンフレットと提出用の紙を配り、3つ4つ謎掛け風に場所を提示することで、そこに隠した『とある物』を集めてくれば、景品と交換するというものだった。
「学校内の色んな企画を、見てまわって欲しいから」
「なるほど」
頷きながら説明の書かれたパンフレットをめくる黎の指が、ふと止まる。
上品なパール紙に印刷されたものだが、なにやら後から付け加えたような箇所があった。
『さらに…?特別編、数多の薔薇の中に眠るたった1つの輝き。見出した先着1名様に特別なプレゼントも
』
「そう書いておけば、生徒たちが探しものをしていても、目立たないでしょう。万が一誰かが見つけてくれても良いと思って」
「良い案だな」
黎はそう言うと、少しだけ表情を曇らせた。
学園祭は、すべてがつつがなく進行しているわけではない。
その裏では、とある盗難事件が起こっていた。
校長室に保管されていたという、『シリウスの心』と呼ばれる短剣が、先日盗まれたのだ。
犯人はすぐに捕らえられたが、まだその正体を明かしてはおらず、肝心の短剣も失われている。
犯人に持ち出す余裕はなく、また、盗難が発覚してすぐに、警備体制が敷かれたことを考えても、校外に持ち出された可能性は限りなく低い。
しかし、今日は他校生や外部の人間も自由に出入りをする一日だ。いくらでも持ち出すチャンスはある。盗難などという不名誉を公にしないまま、迅速に『シリウスの心』を取り戻す。それが、薔薇の学舎の生徒たちに密かに与えられた命令でもあった。
「何事もなく、終わらせねばな」
黎は、門の脇に集合し、打ち合わせを進める生徒たちを見やる。
来校者チェックを行うために、真城 直(ましろ・すなお)率いる生徒たちが数人。それと、黎の契約者であるフィルラント・アッシュワース(ふぃるらんと・あっしゅ)がいた。彼は、テロ対策のためという名目で、来場者の手荷物検査を行うことを許可されている。
無粋と思われるかもしれないが、タシガンの民との関係は未だ完全に良好とは言い難い。その上、今日という日に、防具はともかく武器は必要ないだろうというのも言い訳としてたつ。問題は、帰る人間に対してだ。
「プライベートをどエライ重く見てん、不正写真とかないか確認させてっちゅう名目しかないわな」
フィルラントはそう言いつつも、「きっと全部は網羅出来んけど。これは念の為の保険や」と付け加えていた。
なんにせよ、騒ぎになるのは避けねばならない。
黎は眼差しを鋭くし、改めて背筋を伸ばした。
そんな彼を、準備をしつつ見つめるクライスに、エディラントが近づく。
「薔薇のアーチ、綺麗でしょ! これはね、特別なんだよ」
エディラントは、にこにこと笑いながら両手を広げ、アーチを示す。
「特別?」
「うん。これもね、校内の薔薇もね、全部、地球産とパラミタ産の品種を一対なんだよ。何処で生まれても美しさに出自は関係ない、大事なのは美しくあろうという生き様だって、れいちゃんが言ってた!」
「なるほどね、……っと!」
そう言いながら、クライスの傍らに、ジィーン・ギルワルド(じぃーん・ぎるわるど)が段ボール箱を置いた。
中には、彼が早朝から準備した、スタンプラリーの参加賞である菓子の小さな包みが詰まっている。
「わぁ、すごーい!」
エディラントが歓声をあげる。薔薇をかたどったクッキーは、ジィーンのお手製だ。精悍な見た目からするとやや意外だが、本人が極度の甘党というせいもあり、菓子作りにご執心なのである。
とはいえ、この量をまるまる一人で用意したので、彼はこの時点ですっかりくたびれきっていた。
「今日はもう、ここから俺は動かねぇからな」
「これからだよ? 本番は」
クライスに言われ、ジィーンは「勘弁してくれ」とばかりに天を仰いだ。だが、ふと思い出したのか、段ボール箱の中からやおら一体の人形を取り出した。
「なに、これ?」
「もしも他校生が『シリウスの心』を見つけてきたときの、スペシャル景品だぜ。悩んでたろ?」
「ああ……」
頷いて受け取ったものを、クライスはしげしげと見つめた。
ジェイダス人形に、薔薇の学舎の制服を着せて、さらに薔薇で飾ってある。
「ジェイダス人形、限定版…ザナトゥの薔薇バージョンって奴だ」
確かに、記念にはなるだろう。……欲しいかどうかは、別として。
そのとき、校内に高らかに鐘の音が一つ、響いた。実行委員会が取り決めた、一般入場開始十分前の合図だ。開始時刻には、二度鳴らされることになる。
「よーし、頑張るぞっ!」
クライスは気合いをいれ、両手に持ったパンフレットを、ぎゅっと胸の前で抱きしめた。
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