校長室
三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息
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終章 校長室に集まった薔薇を、ジェイダスは受け取った。 薄紅色の薔薇を手にした者には、少しだけ意味ありげな笑みを浮かべつつ、だったが。 「なぁ、せっかく持ってきたんや。黒き迷宮について、少し教えてくれへん?」 「……それを知るのは、イエニチェリとなる覚悟のある者のみだな」 薔薇を受け取りながらも、大久保の問いかけには、ジェイダスはそう答えた。 そして、奏音に支えられて瀕死の状態で担ぎ込まれたラージャへと、ジェイダスの視線が移る。 「青い薔薇か……」 ラドゥが意味ありげに呟いた。彼とジェイダスは、その色の意味を知っているのだろう。 「……こういう事する子もいるって、予測ついたんじゃない?」 苦しげに顔をしかめつつも、ラージャはそう言うと、ジェイダスを見上げた。 「無論だ。……これもまた、美しい覚悟だ」 青い薔薇を手に、ジェイダスは目を細めた。……微かに、痛みを滲ませて。 痛みを堪え、泥の中に手を突っ込み、そして何かをつかみ取れるだけの、覚悟。 ここにあるのは、そんな薔薇たちだった。 「もっとも、薔薇を咲かせることだけが、美しい覚悟とは言い切らないがな」 そう、ジェイダスが小さく付け加えたことは、ほんの一部の生徒の耳にだけ聞こえたことだった。 「……校長」 最後に、やはり傷ついたクリスティーが、校長室の戸を開いた時だった。 「殺してやる……。お前も、ジェイダスも!」 そう叫んで校長室へと身を躍らせたのは、神無月 勇(かんなづき・いさみ)だった。 彼の契約者であるミヒャエル・ホルシュタイン(みひゃえる・ほるしゅたいん)は、夏の館へと調査のために赴いており、薔薇の学舎には未だ戻っていなかったのだ。 半狂乱で襲いかかろうとする神無月を、その場にいた全員が取り押さえる。怪我をさせまいと注意を払いながら、だったが。 神無月がこのところ精神を病み、自殺未遂を繰り返していたことは、薔薇の学舎の生徒であれば周知の事実だ。ついにそれがジェイダスへの怒りとなって、爆発したということなのだろう。 「貴様、どういうつもりだ……!」 激昂するラドゥを控えさせ、ジェイダスは自ら神無月の前へと進み出た。……すでに、発作はおさまったのか、神無月はぐったりと脱力し、虚ろな眼差しをむけるばかりだ。やせ細った彼の身体に、ジェイダスは眉を寄せ、静かに口を開いた。 「……君をここまで傷つけてしまったのは私の責任だろう。以前口にしていた、天御柱へは転校が可能になり次第移りたまえ。それまではしばらく、心休まる場所をこちらで用意しよう」 「…………」 その言葉は、果たして神無月には聞こえていたのだろうか。 「薔薇園に、一つ離れがあったはずだろう。そこを彼のために調えるように」 そう、ジェイダスはマフムードに指示をした。 「それでは、皆、休みたまえ」 「あ……」 立ち上がったジェイダスに、クリスティーは若干慌てて薔薇を差し出した。 エルジェーベドから咲いた、白い薔薇だ。 「……ほう」 ジェイダスが片眉をあげる。しかしその薔薇を受け取ったのは、ラドゥだった。 「ご苦労」 短い一言をかけ、ラドゥは静かに白薔薇を見つめた。しかし、その心中にあるものを、クリスティーは推し量りきれはしなかった。 ……ラドゥにとっては、既知の人物だったのかもしれない。それでも彼はこの種を使わせることを躊躇わなかった。全てはジェイダスのために。 それが正しいか間違っているかは別としても、彼の覚悟を、愚かだと責め立てる権利が誰にあったろうか。 「さて……」 しかし、ラドゥはすぐさま何事もなかったかのように、いつものどこか皮肉げな笑みを浮かべ、顔をあげた。 「伝えておくことがある。私の屋敷のイコンを、貴様らに預けることにした。……ゴーストイオンになるのも、困るのでな」 「イコンを?」 「ああ。薔薇の学舎の名にふさわしいものだ。あとは、貴様らがそれを使いこなせるかどうかだが」 挑戦的に、ラドゥは鼻で笑うと、彼らを見渡した。 「薔薇学のイコン……」 皆川が、ぽつりと呟く。 それは、東西のシャンバラの情勢、そしてこの地の戦いが、より激しさを増すという前兆にも思えた。 「はい、わかりました。では、こちらもまもなく引き上げます」 ――神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)は、そう告げると通話を切った。 山南 桂(やまなみ・けい)は、もはや無人になった館を見上げた。共に見張りをしていた冴弥 永夜(さえわたり・とおや)とともに。 「思ったより、負傷者が多かったですね」 「ええ。奏音先生も、お忙しいご様子でした」 山南の言葉に、神楽坂は頷いた。 ジェイダスは薔薇を受け取ったという。それを醜悪ととるか、信念のまえには冷酷になる王者の態度と見るかは、様々だろう。 それにしても……と、冴弥は足元に咲いた名も無き花を見下ろして、思う。 この『種』を使ったことで、薔薇の学舎はタシガンの吸血鬼たちに、宣戦布告をしたも同様ではないのだろうか。あるいはそこまで頑なに、力を示す必要があったということなのか。 「アーダルヴェルトは、どこまで知っているのかな……」 そう呟いた時だった。 「……なんの音でしょう?」 微かな蹄の音に、神楽坂が森を見やる。次第にはっきりと姿を現したのは、三頭の馬だった。二人の従者をつれた少年……ウゲンだと、彼らは気づく。 「ああ、まだ人がいたんだ」 馬から降りないまま、ウゲンはそう笑うと、さして興味もなさそうに館をちらと見やった。 「どうして、ここに?」 冴弥の問いかけに、ウゲンは小首を傾げて。 「後始末、かなぁ。頼まれちゃったからね。……ああ、少し下がってたほうがいいよ」 ウゲンはそう言うと、馬から降り、数歩館へと近寄った。目を閉じ、静かに呼吸をする。 「……?」 少年領主が何をしようとしているのか判じかね、神楽坂はじっと彼の後ろ姿を見つめた。 「……ああ、ちょうどいいや」 何が『ちょうどいい』とウゲンが言ったのかはわからなかったが、その、次の瞬間だった。 ――ドォオンッ!! 轟音が鳴り響き、火柱が空に建つ。……薔薇学にもすでに報告はなされていたが、地下に貯蔵されていた火薬が、一度に爆発をしたのだ。 土煙をあげ、糸が切れた操り人形のように、あっけなく夏の館は崩れ落ちていく。地響きと轟音が、全身を震わせた。 「さ、これでもう、なにもかもなくなったね」 ……エルジェーベドの抵抗も、薔薇学の行為も、そして微かにそこに残されていた『過去』も。すべては塵芥と帰した。 振り返ったウゲンは、立ち上った炎を背に、変わらず微笑んでいた。 「…………」 (この少年は、一体……) 背筋をひやりとしたものが流れ落ちるのを感じながら、冴弥は心の中で、そう呟かずにはいられなかった。 美しい薔薇には刺がある。それは、当たり前のことだ。 栄光と平和に酔うには、まだこの地は、争いと流血を乗り越えていかねばならないのだろう。 赤々と燃える火と、完全に崩れ落ちた館は、それを彼らに見せつけているようでもあった。
▼担当マスター
篠原 まこと
▼マスターコメント
ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。 今回はかなり悪趣味なテストではありましたが、その分キャラクターの皆様の様々な思想や主張が伺えて、興味深かったです。 タシガンは新たな領主を迎えたものの、さらに混迷は深まっていくばかりのようです。 その打開となるのがイエニチェリたちなのか、あるいは……。 次回もまた、おつきあいいただければ嬉しいです。 よろしくお願いいたします。