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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

リアクション

2.


薄暗い部屋を、マグライトの光が照らし出した。
埃を被った室内。そこに、書き物机らしきものを見つけ、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は大股で歩み寄った。メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)がその脇に控え、ラグランツとともにいくつか残されていた羊皮紙や書類へと手を伸ばす。
「破損が非道いね」
 ヒューヴェリアルが呟く。湿気や虫食いで、ほとんどのものはすでにぼろぼろだ。
「時間だけはたっているからな」
 それでも、なにかしら手がかりはないかと、エースはひとつひとつを丹念にチェックしていく。エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)もそれを手伝いながら、気になった資料のいくつかをデジカメに撮影し、データ化していた。
 そんな彼らの一歩後ろで、室内を照らしながら、イアラ・ファルズフ(いあら・ふぁるずふ)がぐるりとあたりを見回した。吸血鬼の襲来を、念のため警戒しているのだ。
「魔界より余程ここの方が各個人の欲望渦巻いてて、実は性格的に魔の者っていうのはシャンパラの者達なんじゃねーの、とか思うぜ。戦乱や混乱。他者を蹴落として踏みつけるのはお前らの方が上手だよ。試験の為に見も知らぬ他人を半殺しとは楽しそうだよな。ご立派だ」
 ファルズフはそう毒づいた。リュケイオンにしても、それは同意だ。
 種のことは耳にしているが、よくもそんな非人道的なことができるものだと思う。
「確かに、こんな行為で「美しさを計る」薔薇学の美意識が時々判らないです」
 温和な彼にしては珍しく、そう口にして、ファルズフは沈痛な面持ちで俯いた。
 一方で、タシガン出身のヒューベリアルとしても、思うところはあるようだ。
「排斥派の考えも判らなくはないが。今の状況は地球人の排斥よりも、シャンバラの真の復興を考えるべきではないのかね。全く嘆かわしい。私が帝国や寺院なら、ここで領内のゴタコダを継続させる事でシャンバラ国内でのタシガン地方の発言力を弱める画策をするがね?」
「まぁ、そうだろうな」
 裏にはおそらく、エリュシオンや寺院の存在がある。ウゲンとカミロがなんらかの繋がりを持っているということを鑑みても、その可能性をラグランツも考えていた。
 むしろそれに関する手がかりがないかと思い、この館に潜入することを決めたのだ。
 元薔薇学生徒ではあるが、今はイエニチェリのことなど、彼には関係ない。ただ、排斥派の事はやり残した「忘れ物」のようなものだ。その忘れ物を、回収に来たのである。
 具体的に探しているのは、別荘におそらくいたであろう管理人による、管理上の記録だ。それを、書斎や執事の私室などから記録を見つけ出すことで、排斥派の吸血鬼がここに集まる理由が知りたかった。
「……最後の主人は、タシガンの貴族になっているのか? 名前は……エルジェーベト伯爵夫人」
 それ以降の書類はとくに見あたらないが、彼女が今の持ち主であり、そしてここのリーダーということなのだろう。
 しかし、彼女とアーダルヴェルト、あるいは寺院を繋ぐ線の証拠となるようなものは見つからない。
「……ん?」
 そのとき、壁に飾られた絵画の中から、ファルズフがあるものを見つけた。
「どうかしましたか?」
 リュケイオンが尋ねると、ファルズフは手にしていたライトを、一枚の肖像画に当てた。代々の肖像画のうち、一際高いところに飾られた、それに。
 ――時を経て古びたその絵は、汚損がすすんでいたが、かろうじてその姿はわかる。そしてその人は、あきらかに、先日の学園祭にいたウゲンそのものだった。
「どういうことだ?」
 ラグランツが、眉を寄せて呟いた。


 廃屋を調査していた者は、他にもいた。
 清泉 北都(いずみ・ほくと)は、クナイ・アヤシ(くない・あやし)と共に、警戒をしつつ屋敷内を探索していた。本当に排斥運動の為に集まっているのかを、確認したかったのだ。
(ラドゥ様だって吸血鬼なのに、どうしてこれがイエニチェリの試練になるのかが判らない。それに、パートナーと同じ吸血鬼の仲間を生ける屍にするなんて…それがテストだなんて、おかしいよ)
 清泉はそう思いながら、彼を護るように傍らに佇むアヤシをちらりと見やった。
 こうやって、多種族であっても、互いに協力しあうことはできる。それなのに、こんな『種』を使えば、それこそ本当に絆は断たれてしまうだろうに……。
 そうしなければイエニチェリになれないというなら、むしろなりたくはない。清泉は強くそう思っていた。
 注意深く警戒を続けながら、清泉は意識を集中させる。埃と、微かに染みついた血の匂い。それから、さらにその奥に、ほんのわずかに感じられるのは……火薬だ。おそらくは、この屋敷の地下部分。
「こっちみたいだね」
 清泉の言葉に、アヤシは頷いた。
 崩れかけた壁に注意し、匂いを頼りに奥へと進む。そのうちに、一枚の鍵のかかった木戸の前へと辿り着いた。アヤシが扉の向こうの気配を探る。
「北都、見張りがいるようです」
 火薬庫の前ということで、数人の見張りの気配がした。音をたてないように注意しながら、清泉はピッキングで鍵を開くと、アヤシと視線でタイミングをあわせる。
 ギィ……。
 アヤシが扉を押し開くと同時に、清泉はヒプノシスでもって、見張りの吸血鬼たちを眠らせた。
 崩れ落ちていく吸血鬼を見やり、彼は密かにほっとする。傷つけることをしなくて済んだ。
「少し、眠っててね」
 それでも念のため、アヤシと二人で見張りの数人を縛りあげると、彼らはそこから続く螺旋階段を、地下へと向かって降りていった。どんどん、火薬の匂いは強くなる。一体どれほどの量を備蓄していたのだろう。そしてそれは彼らの抵抗の強さと根深さを感じさせるようでもあった。
「でも、こんなにどこから……?」
 もしかしたらば、鏖殺寺院が裏に関係しているのだろうか。不吉な予感を覚えながら、彼らは地下へとさらに降りていった。



 じゃり、と。足の裏で、小石が嫌な音をたてた。
 天井の一部が崩れ落ちたのか。すでに日は暮れつつあり、屋敷の内部の視界は悪い。
 久途 侘助(くず・わびすけ)は、迷いを胸に抱えつつ、夏の館の中庭へと足を踏み入れた。四方を棟に囲まれた庭は、どの石も壁も蔦に覆われ、木々はねじくれた枝を伸ばしていた。かつての美しさはすでにここにない。
 先ほどから、吸血鬼の気配は感じている。しかし目の前には現れない。ふぅ、と久途は息をついた。
 瀬島から、ここが確かに地球人排斥を願う吸血鬼たちの巣であるとの情報はもたらされていた。しかしそれでも、久途は自分自身でそれを彼らの口から確かめたかった。そしてなによりも、できれば彼らと戦いたくはない。
 種は、懐に忍ばせてはいる。しかしそれを意識するたびに、胸が痛んだ。
 パートナーの香住 火藍(かすみ・からん)は、館の外に待たせている。交渉する際に、一人きりのほうが信頼されるだろうと思ったからだ。
「あんたはいつも無茶しようとして…一人で大丈夫なんですか?」と、しきりに心配はしたものの、結局香住は久途を送り出してくれた。
 恋人が吸血鬼である久途にとって、吸血鬼と戦うことへの苦悩を、おそらくは誰よりも理解していたからだろう。
「……?」
 ふと、人の声がし、久途は顔をあげた。まだ年若い女性の声だ。
(薔薇学の生徒じゃねぇな)
 どういった思惑かはしらないが、この場に迂闊にいるのは危険すぎる。そう判断し、久途は中庭を突っ切り、声のする広間へと向かった。

「ですから……女王がエリュシオン帝国に囚われている今は、地球人と吸血鬼とで争っている場合ではないはずです……」
 鈴を転がすような声で、迦 陵(か・りょう)は対峙した吸血鬼にそう切々と訴える。しかし、地球人でもある彼女の言葉には、耳を貸す様子はない。それをみてとったマリーウェザー・ジブリール(まりーうぇざー・じぶりーる)が、おごそかにその場に割って入った。
「レディに対する態度がなっていませんね。それとも、言葉が理解できないのかしら?」
 挑発的なジブリールの言葉に、吸血鬼はあからさまな嘲りを浮かべた。
「小娘が。地球人風情の下僕になりさがったような輩が、なにを言う」
「待て!」
 久途が一同のもとに駆け寄る。廃墟と化した広間で、彼らは向かい合った。
「俺は戦いに来たんじゃない、話に来たんだ! ……薔薇の学舎では、排斥運動とみなされている…これは本当か?」
「排斥?」
 吸血鬼はせせら笑った。どこか調子の外れた、狂ったような声で。痛みにも似た音に、咄嗟に迦陵は両耳を押さえる。視覚ではなく、聴覚に多くの感覚を頼る彼女にとっては、つらいことだ。
「貴様らは所詮、この地へ現れた寄生動物だろう。それを排除するのは、我々の使命だ!」
「歩み寄ることはできない…か?」
 問いかけは、もはや受け取られすらしなかった。言葉の代わりに返されたのは、吸血鬼の持つ鞭の鋭い一閃。
「はは、今でも、きっと薔薇の学舎の生徒と吸血鬼は戦ってる…。俺も、覚悟を決めなきゃなんねぇな……」
 諦念混じりの、空しい笑いを浮かべ、久途は両の手に刀の柄を握った。
「俺は、お前らを倒す!火藍、来てくれ!」
 その声に、館の外にいた香住が顔をあげる。そして、久途のもとへと走った。
「あら、楽しませてくれるのかしら?」
 ジブリールの美しい唇には、微かな笑みが浮かぶ。
 迦陵を下がらせると、白い手をかざし、ジブリールは己の力を解放した。
「それならば……遊んであげるわ」
 炎と氷が、同時にはじけ飛ぶ。その光が、ちらちらと彼女の白い頬を照らしていた。
 戦いはもはや避けられはしない。そう、痛む胸を抱え、久途は思った。
 そして、この吸血鬼を倒し、……久途は、赤く咲く薔薇を手に入れることになる。痛みと覚悟の上に咲いた、血のような赤薔薇を。