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リアクション
第二章 霧の中
1.
――タシガン宮殿。タシガン市街にありながら、ひっそりと静まりかえった、その広大な屋敷の入り口に、二人の薔薇学生が立っていた。
「さて、会ってくださいますかね」
「そりゃ……わからないけど。行ってみなきゃわからないだろ」
レムテネル・オービス(れむてねる・おーびす)の呟きに、リア・レオニス(りあ・れおにす)が言い返す。確証はないとしても、レオニスはとてもじっとしていられる性質ではなかった。
ずんずんと歩き出すレオニスの後ろを、オービスがついて行く。門を抜け、屋敷の入り口に辿り着くと、二人は出迎えた執事にアーダルヴェルト卿への面会を申し込んだ。
「タシガンの平和のためにも、提案がある。会わせてくれ」
「……アーダルヴェルト様は、来客中でございます。今日のところはお引き取りください」
眼鏡の執事は、慇懃無礼にそう言い放つと、オールバックになでつけた銀色の頭を深々と下げてみせた。
「いいよ、待つから」
「しかし……」
そうごねている時だった。不意に庭から、一人の少年が姿を現した。
「なにか揉めてるの?」
「これは、ウゲン様!」
執事がそう声をあげ、それから、彼の服についた泥に困ったような顔をした。
(領主様?)
オービスも突然の登場にやや驚いた。
「ああ、この格好? 庭にいたからかな。今ね、おもしろい遊びをしてるんだよ」
ウゲンは無邪気にそう笑うと、レオニスを見上げた。
「よかったら君もやらない?」
「あ、いや。その」
レオニスははっとした。本来はアーダルヴェルト卿に頼むつもりのことではあったが、一足飛びに領主に直訴してもかまわないことだ。彼は背筋を伸ばすと、ウゲンにむかって口を開いた。
「俺は、吸血鬼の勢力と薔薇学等の地球人との間に定期的会談の場を設けることを、提案しにきたんだ。テロ要員緩和のために、協力してほしい!」
「テロ?」
なんのこと? と言わんばかりに、ウゲンはきょとんと目を丸くしている。
「だから、今、夏の館ってとこで、戦いがおこってる。でも、そんな争いを、俺はなくしたい。そのために、力を貸して欲しいんだ」
なるべく子供にもわかりやすいように気をつけて、レオニスは語りかけた。
「ふぅん。そうなんだ」
ウゲンは小首を傾げ、ぽんぽんと玄関先の階段を昇ると、レオニスと目の高さを同じにする。そして、振り返ると、微笑んだ。
「無駄だと思うなぁ」
「……え?」
あどけない声と表情とは、まるで裏腹の言葉をウゲンは口にする。
「それより、僕と遊ぼうよ。今ね、庭の蟻を戦わせてるんだ。知ってる? 二つの種類の蟻はね、お互いにテリトリーを護ろうとして、殺し合うんだよ。見てると、とーってもおもしろいんだ」
くすくすと、楽しげにウゲンは目を細める。
なぜだか、ひどく、ぞっとする。
(それじゃ、まるで……)
戸惑うレオニスに、ぐっとウゲンは顔を近づけた。そして、まっすぐに瞳を見据えて。
「蟻の話だよ、ただの。やだな、そんな怖い顔しないで?」
(…………)
何も言えずにいるレオニスから身を引くと、ウゲンはさらに言った。
「アーダルヴェルトには、一応伝えておいてあげるよ。話し合いによる解決、頑張ってね」
「……待て!」
立ち去りかけたウゲンの後ろ姿を、レオニスは引き留めた。まだ、もう一つ聞きたいことはある。
「なに?」
「先日、中村雪之丞氏と話し、彼は校長を思う故に事を起こしたように思えた。彼についてと、13人イエニチェリが揃う意味でご存知の事があったら、教えてくれ」
それに対する答えは、一言だけだった。
「イエニチェリになればわかるよ」
それきり、二人の前で、扉は閉ざされた。
ウゲンはそれから、汚れた服を取り替え、再びテラスへと現れた。
「なんだ、まだ帰ってなかったの」
うんざりした表情をむけられたのは、ブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)と、ステンノーラ・グライアイ(すてんのーら・ぐらいあい)。そして、タシガンではエメナ・マ’マァクを名乗っているキャンディス・ブルーバーグ(きゃんでぃす・ぶるーばーぐ)の三人だ。……ブルーバーグの契約者である茅ヶ崎 清音(ちがさき・きよね)は、今も百合園の校内に残っている。
ウゲンは、自分を訪ねてきた三人を歓迎したわけではなかったが、ちょうどお茶の時間でもある。ほっておいてぶらりと庭に遊びに出たものの、まだ諦めずにいた態度にそれなりに感服したのか、あるいは面倒になったのか、その席についた。
ブルーバーグが訪問した理由は、冬季ろくりんピックへ向けて協力の検討を頼むためだった。しかしそれには、自分が本当は「ろくりんくん」である事を打ち明ける必要もある。それはあくまでウゲンに対してのみにしたかったのだが。
(ミーと二人っきりでないと、言えないでしょうヨ!)
イライラとブルーバーグはバルチャを軽く睨むが、そんな視線に怯むようなバルチャでもない。
(まったく、これで冬季ろくりんピックが台無しになったら、ブルタのせいネ! ……けど、タシガンでは休養をとるはずだったのにおかしいわネ〜 ワーカーホリックというやつカシラ?)
スターは辛いワァ、と一人陶酔するブルーバーグだった。
「ウゲン、話をきいてくれるようで嬉しいよ」
バルチャは『ヒヒ』と形容されるような笑い声をもらし、ねっとりとなめ回すような視線をウゲンにむけた。
「まぁ、このお茶を飲み終わるまではね」
ウゲンは肩をすくめ、執事が用意した紅茶のカップを手にする。
「そういえば……これは、ご存じカシラ?」
ブルーバーグが手のひらにのせて見せたのは、件の『種』だ。それを目にしたウゲンは、「へぇ」と瞬きをする。
種は、事前に薔薇学に立ち寄り、手に入れたものだ。
「これは領主様にとっても毒になるのでしょうか?」
ストレートにそう尋ねると、ブルーバーグは自分で種は食べて、タシガンコーヒーで流し込んでしまった。
「美味しい?」
くすくすと笑いながら、ウゲンが尋ねる。
「いえ、味はあまりしませんネ」
「だろうね。他にはないの? 僕も味見してみたいな」
その言葉に、ブルタはやや驚いた。なぜならば、彼は密かに、ウゲンこそがナラカに5000年前に行ったとされる始まりの吸血鬼である【始祖】本人かそれに連なる者であると思っていたからだ。 しかし、そうであれば、吸血鬼にとって『毒』であるこの種を、自ら口にしようとするとは思えない。……最も、無いと高をくくっているのかもしれないが。それならば。
「どうぞ」
ブルタは、密かに用意していた種を、ウゲンへと差し出した。
「なんだ、君も疑ってるんだね」
ウゲンは給仕に目だけで種を受け取らせ、それを直接、口腔に放り込んだ。紅茶でそれを流し込み、たしかに嚥下する。
……変化は、ない。苦しむ様子すらだ。
「本当だね。味はしないや」
そう、ウゲンは微笑んだ。――つまり彼は、吸血鬼ではない。
彼自身の態度や、執事の反応なども注意深く伺っていたブルーバーグにしても、そう結論づける他にないようだ。
「なるほど、ね」
予想は外れたものの、バルチャは相変わらずにやにやと薄気味悪い笑みを浮かべたままでいる。
吸血鬼であろうとなかろうと、『ウゲンがアーダベルトに対し、絶対的なアドバンテージを有している』ということは事実だ。むしろ吸血鬼ではないウゲンが、この地の領主にすんなりとおさまるというのは、より不自然ではないか。なにしろそのことに、エリュシオンすら意義を唱えていないのだ。
ウゲンには、なにかがある。どちらかといえば、闇に近い、なにかが。
それを確信すると、バルチャは改めて口を開いた。
「……夏の館の吸血鬼たちは、今頃この種の犠牲なのかな」
「さぁ? なんのこと?」
知らないことはないだろうに、ウゲンはあくまでそうとぼけてみせる。
「薔薇の学舎の生徒たちが、この種を持って、彼らと争ってるんだよ。今頃ね。始祖の御心に従う忠臣達だね。彼らを説得できるのはウゲン。キミだけにしか出来ない事なんじゃないかな?」
「どうかなぁ。みんな、僕の言うことをきいてくれるかな」
あくまで子供らしい口調を装いながらも、ウゲンの瞳は、『調停にはいるつもりはない』と雄弁に語っていた。
やはり、彼は。
「……ねぇ、一つ提案があるんだよ。ボクは、キミに協力したい。どうかな?」
ビン底眼鏡の奥から、じっとりとウゲンを見つめ、バルチャはそう申し出た。
この若い領主の正体、そしてなにをしようとしているかに、興味があるからだ。
けれども。
「僕、キモいの嫌いなんだよね。……でも、そうだなあ。薔薇学に入ってイエニチェリになれたら、部下にしてあげてもいいよ」
それならば利用価値がある。
そうとでもいいたげに口にすると、ウゲンはカップを取り上げた。もうまもなく、飲みきろうとするところだ。
そこで、側に控えていたグライアイが尋ねた。
「あなたならザナドゥの封印を解く方法を知っているのではないのでしょうか? 二つの魔族が一つとなればこの世界を変えることも可能ではありませんか?」
しかし、それについては短く「出来ないよ」とウゲンは答え、そのまま紅茶を飲み下した。
お茶の時間は終わった。
「ごちそうさま」
そう言うと、ウゲンは席を立ち、彼らのことはもう存在していないかのような態度で、屋敷へと戻っていった。
一方その頃、屋敷の応接室には、多くの薔薇学生がいた。
以前にアーダルヴェルトと見識があり、イエニチェリでもある黒崎 天音(くろさき・あまね)と、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)の二名。また、かつてアーダルヴェルトに神子として見いだされたフィルラント・アッシュワース(ふぃるらんと・あっしゅ)。そして、黒崎とともに訪れた早川 呼雪(はやかわ・こゆき)、ユニコルノ・ディセッテ(ゆにこるの・でぃせって)、ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)の三名である。
机の上には、フィルラントが手みやげに持ってきた青薔薇が飾られていた。それはかつて、卿が好きだと言っていたものだからだ。
アーダルヴェルトは、静かに彼らの前に座っていた。……以前とは違い、急激に成長したせいだろうか。その面差しも雰囲気も、かつてとは違う。まるで別人のようだ。そんな印象を抱かせる。
黒崎は、事前に一通の手紙を送っていた。その際には、本日尋ねることのみを記していたが、尋ねたいことは色々とあった。
夏の館のことも気にはなるが、他の生徒たちで、充分対処できるだろう。
(鬼院は頑張っているかな?)
黒崎はふと、そんなことを思った。
「夏の館は、とうに手放したものだ。今誰がいようと、私の知ったことではない」
「けど、どないな間取りなんかとか、どないな設備があるんかとか、元々はどないな土地やったかくらいは、教えてくれたってええやん!」
フィルラントが顔をしかめつつ、アーダルヴェルトに詰め寄る。
「……とくに謂われはない。あの方の気まぐれだ」
「あの方?」
誰やねん、というようにフィルラントが繰り返した。
「始祖……タシガン家の初代当主ということ?」
そう呟いたのは、黒崎だった。
「女王の力を得たアイシャという少女と出会ってから、余計に興味を持ってしまったのだけれど
吸血鬼の成り立ちや、貴方がウゲンを見た時に涙したという理由を知りたくて」
そう続け、黒崎の緑の瞳が、静かにアーダルヴェルトを見つめた。
「……下々の者に教える義理はない」
卿の言葉は、にべもなかった。
「それなら、答えなくてもいいけど。…………ウゲンは、タシガン家の初代当主である始祖の転生?」
「…………」
その問いかけについては、アーダルヴェルトはうつむき、わずかに冷笑を浮かべた。
(違うということなのか……?)
彼らの背後に控えていたブルーズは、内心でそう呟いた。
ここに来る道行き、黒崎と話していたことがある。ウゲンの正体についてだ。
「課題を放り出して、お前は何を知りたい?」
「色々あるけど……一番は、ウゲンの正体かな。アムリアナ女王以外に、自ら膝を折るアーダルヴェルト卿なんて有り得ないでしょ。ましてや周囲が納得するなんて事はね……それが有り得る事ならば、その存在は彼らの頂点に君臨する『何か』なんじゃないかな?魔王なんて発想も出たけれど、少し違う気がするよ」
そう語っていた彼の仮説の一つが、『始祖の転生』だったのだろう。しかし、アーダルヴェルトは答えるつもりはないようだ。
何を隠しているつもりなのかしらないが、あまり良い印象ではない。そう、ブルーズは思っていた。
ややあって、アーダルヴェルトが顔をあげる。しかし、その瞳の焦点は遠く、ここにいる誰もを見据えてはいない。そして。
「ウゲン様にお会いすることが、私の生まれた意味であった。……それだけだ」
どこか酔いしれたように口にしたアーダルヴェルトは、しかしそれ以上は、答える気はない様子だった。
早川は、そんな彼らの会話をじっと聞いていた。折りを見て、とある賭けをもちだすために。
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