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ハロー、シボラ!(第1回/全3回)

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ハロー、シボラ!(第1回/全3回)

リアクション


chapter.13 壁画のトラをくくれ(2)・「トラ」の意味 


 思い悩んだ彼らの中には、次第に奇怪な行動に出始める者たちもいた。
「ひゃっはあっ! 無謀なる洞窟探検少女の異名を持つ黎明華が、こんな課題で困るわけがないのだ〜! ここはマカセテもらおうか〜なのだ!」
 屋良 黎明華(やら・れめか)は、かなりのハイテンションでパラ実のセーラー服をひらひらさせながらトラの壁画の前で腰に手を当てている。その名乗り向上からして早くもあまり期待できなさそうな感じが漂っているが、他に立候補者もいないので、一同は彼女に好きにやらせてみることにした。
「パラ実で鍛え上げられた頭脳の前では、朝飯前のひゃはあっ! なのだ〜!」
 何かにつけひゃっはあ、ひゃっはあと繰り返す黎明華だったが、やがて深く深呼吸をして静かになると、すっと両手を出し、決意の言葉を放った。
「……では、いくのだ!」
 これは、もしや何かとてつもないことをしでかすのではないか? メジャーらがそのただならぬ雰囲気に身を乗り出しかけた……が、次の瞬間、彼らは一気に脱力する。
「1かける1は1、1かける2は2、1かける3は3、1かける4は4……」
 なんと黎明華は、壁画の前でかけ算を始めたのだ。それも、相当遅い速度で。時折指を使って悩みながら、彼女は必死に計算を進める。
「4かける3は12、4かける4は……ええっと、16……! 4かける5は……」
 どうやら彼女は、トラの前で九九を唱えることで、「トラをくくった」としたいらしかった。が、恐らくそれは不正解な上、時間がかかるだおるということは誰の目にも明らかだった。
「このままではラチがあかない……こうなったら詩穂が!」
 見かねた騎沙良 詩穂(きさら・しほ)が、黎明華の横に移動した。
「次はあの子が何かを?」
 メジャーが見守る中、詩穂はトラの壁画に向かって、突然語り出した。
「トラ? 詩穂が東京にいた頃の、近所の野良ネコの、トラだよね……?」
「……?」
 まったく意味不明な彼女の言葉に、メジャーだけでなく、他の者たちも疑問符を浮かべた。しかし、そんなことお構いなしに詩穂は悲劇のヒロインのようなオーラを放ちながら、長ゼリフを口にした。
「トラだって言ってよ、子猫ちゃん……ずっと、ここで待っていたんだよね? ああ、詩穂も猫になりたいなあ。通り雨でずぶ濡れになった迷い猫のようなあたしを、誰かに真夜中の公園で、腕の中で抱きしめてほしいの……」
「……?」
 百歩譲って、黎明華はまだ何を成そうとしているのか理解が出来た。しかし、目の前の彼女は、何を成そうとしているのか、皆目見当もつかなかった。メジャーは、なんだかいたたまれない目で壁画に話し続ける詩穂を見つめた。
「7かける2は14、7かける3は21……!」
「トラちゃんで思い出したけど、虎ノ門って、なんだかいやらしい響きだなって、詩穂小学生の頃思ってたの……」
 宇宙だ。この空間は、宇宙だ。
 メジャーたちは、夢中で汗を流し続ける彼女たち以上に汗をかいていた。もうこんなの、正解とか不正解とかいうレベルを超えているじゃないか、と。頭を抱える一同は、この後さらに愕然とすることとなる。
「これは、お兄さんがなんとかするしかありませんね!」
 そう言って颯爽と現れたのは、クド・ストレイフ(くど・すとれいふ)だった。彼が最前列までやってきた時点で、メジャーたちは「こいつダメだ」と思った。なぜなら、クドがパンツ以外の衣服をまったく着用していなかったからだ。
「あー、なんだ、その……そんな装備で大丈夫か?」
 あまりに自分の契約者が白い目で見られているのを見かねたパートナーのハンニバル・バルカ(はんにばる・ばるか)が尋ねると、クドは「大丈夫です、問題ありません」と元気良く答えた。
「心配なんて一切ありませんよ。明日のパンツと少しの武器さえあれば冒険はできますから」
 確かに彼の言う通り、クドのパンツの中には三丁……もとい、二丁の銃のシルエットが浮かんでいた。だが、ハンニバルが心配していたのは武装のことではない。人としてである。
 そんな彼女の心配をよそに、クドはドンと胸を叩いて言ってみせた。
「何より、皆さんが注いでくれる視線がお兄さんにとって、何よりの力になるのです! さあ、張り切っていきますよ!」
 汚名を挽回するのです、と意気込む彼に、ハンニバルは「まあ、皮肉にも色々間違ってるおかげでその言葉が間違いにならずに済んだな」とだけ言い、以降、ひたすら他人の振りを続けた。
「さて、壁画に描かれたトラをくくれ、でしたね!」
 距離を置くハンニバル、そして未だ呪いのようにぶつぶつと呟き続けている黎明華と詩穂の後ろに立ち、クドはパンツに手をかける。先程緋雨が言っていた言葉を元に、彼はある閃きを浮かべていたのだ。
 ――くくるとは、首をつって命を絶つという意味もある。
 ならば、死にましょう、と。皆さんを先へ進めるためなら、すぐにでも死にましょう、と。
 格好に似合わず潔く、武士のような魂を持った男ではないか。それだけを聞けば、そう思うだろう。ただ彼は、「死ぬ」ということを若干履き違えていた。
「皆さんのためなら、この命……いや、このパンツ、惜しくはありません!」
 なんと、そう言ったクドはパンツを自らの手でずりおろし、一糸まとわぬ姿となったのだ。そう、彼は、肉体的な死ではなく、社会的に死ぬことを思い浮かべていたのだ。よく見ると、彼の体のある部分には、「壁画に描かれたトラ」と文字が書かれている。
 この男をこれ以上好きにさせてはいけない。そう誰もが感じた時、真っ先に動き出した生徒がいた。それは、前日メジャーと話をし、彼に憧れていた少女、光だった。彼女は待っていたのだ。謎解きに失敗した者に、罰を与える機会を。安易な勇み足で集団を危険な目に遭わせるくらいならば、信賞必罰を掲げ、統率と連帯感を。それが、彼女の考えだった。が、ここまでは水が噴射したり矢が放たれたりと、光が手を加えずとも失敗者には罰が与えられていた。
「やっと、俺様の出番だな!」
 しかし、今回の謎解きにそれがないことで、ついに光は自分の存在を知らしめるに至ったのである。
「これ以上危険な行為は許されないんだ! ジョリジョリの刑に処す!」
 光は持っていたヤスリで、露になっているクドの体の一部分をこすった。
「あ、ああぁあぁぁああぁっ」
 悲鳴にすらならない声を発し、クドはそのまま倒れた。この一連の行為により、クドはちゃんとした意味で死にそうになった。
「貴様の犠牲が、無駄にならないといいな、うむ」
 ハンニバルが合掌した時、既にクドの意識はなかった。



 相変わらず、最後の謎は解けないままだった。
 黎明華と詩穂も一通りやり終え、「どう?」と反応を待ったが、遺跡に変化はない。一同は「これ、だんだん答えから遠ざかっていないだろうか」と不安を覚える。
「なあ、思ったんだけどよ、くくれってアレのことなんじゃねえのか」
 原点に返り、「くくる」という言葉から何かを連想した瀬島 壮太(せじま・そうた)がメジャーに話す。
「アレ? アレとはなんだい?」
「ほら、こういうのでそんなのがあったろ」
 メジャーの問いに壮太が差し出したのは、レトルトカレーのパッケージだった。それを見た何名かは、彼の言わんとしていること、そしてその欠点に気付く。
 確かに、それはある。あるけれど、アレは思いっきり商標登録されているじゃないか、と。
「僕はよく分からないけど、そういうのがあるのかい?」
 偶然メジャーはそれを知らないようなので周りの者はほっとしたが、壮太はその持論を続けようとした。
「つまり、この壁画に描かれたこいつに、カレーをぶっかければいいんだろ?」
「なら、君の持っているそれをかけてみてくれないかい?」
 メジャーが、壮太の持っているレトルトカレーを指差して言う。しかし壮太は、首を横に振った。
「こいつはダメだ。オレ、どっちかっつうとこっち派だからこれしか持ってきてねえんだ」
 よく見ると、壮太が手にしているそのパッケージに書かれた文字は二文字だったり、濁点が入っていたりしていた。これは彼が頭に描いているものではない。
 頼むから、それ以上危険な話を膨らませないでくれ。周囲の生徒たちがそう祈るが、それも空しく、壮太はあろうことか、その周囲に話を振った。
「なあ、ここにいる誰かで、持ってるヤツいねえか?」
「持ってるって、何をだい?」
「だから、く……」
「頼む! もういいだろう!」
「教授、あんた本当に危険だな!」
 壮太とメジャーの会話は、大慌てした周りの者たちによって強制的に止められた。誰も目的のものを持っていないと知った壮太は、せっかくだし、もしかしたら、と手持ちのレトルトカレーを壁にかけてみたが、壁がカレー臭くなっただけであった。

 わいせつを働く者が出て騒ぎになるわ、辺りはカレー臭くなるわでメジャーたちはすっかり参っていた。諦めて、引き返すべきか。そんな考えを持つ者もちらほらと現れ始めた中、夜薙 綾香(やなぎ・あやか)が満を持して立ち上がった。
「メジャー教授、障害というのは、困難であればあるほど、得る対価の価値は上がると人は言うが、やはりそう思うか?」
「そうだね……少なくとも僕は、そうであってほしいと思ってるよ」
 メジャーの言葉を聞いた綾香は、にっと笑った後、「ならば私が、これを解いてみせよう」と壁画のトラではなく、薄い線が引かれた扉側へと近づいた。
「……?」
 メジャーを含め、一同が不思議に思う。
 トラをくくらなければいけないのに、どうしてそこに向かわないのだ、と。
 しかしその理由と意味を、綾香はすぐに行動で示した。
「この謎が先に進むための何かしかを示しているならば……答えはこちらにある!」
 綾香はそう言うと、光条兵器を取り出し、壁に走っている線の端を少しだけえぐった。もちろんそのような力技では扉が開くことはない。が、彼女の狙いはそうではなかった。えぐられて出来た凹凸部分、それを同じように反対側の線にもつくった綾香は、そこにロープを挟み込んだ。
「『トラ』とは、この虎の絵のことではないだろう。『トビラ』の両端こそが、トラの正体だ!」
 トビラの3文字、その始まりと終わりを見ると、確かにトラという文字が浮かび上がってくる。あえて壁画でも虎でもなく、別方向に視野を向けるというその発想を彼女のように持っていたのは、そう多くなかった。
「あとはこのロープを引けば……!」
 綾香が壁から外れぬよう、慎重にロープを引く。すると、微かにしか見えなかった線がくっきりと太さを増し、徐々に立体的なものへと変わっていった。
「おおっ……!!」
「ふふ、やった、やったぞ……!」
 思わずメジャーやヨサーク、他の生徒たちが声を漏らす。綾香本人も、いくらかは間違っている可能性を頭に入れていたのか、堪えきれず笑みをこぼす。彼らの前にはもう、はっきりと壁から浮かび上がった扉が現れていた。
「これでついに、遺跡の最奥へ行ける!」
 メジャーたちは興奮冷めやらぬ中、その扉をくぐった。