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ハロー、シボラ!(第1回/全3回)

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ハロー、シボラ!(第1回/全3回)

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chapter.4 長い言葉を書け(2)・扉のタイプ 


「おめぇら、勢いが足りねーんだよ、勢いがッ!!」
 3人の失敗を見て、大声を上げながら扉の前に現れたのは五条 武(ごじょう・たける)である。その言葉を体現するかのように、彼はペンではなく、筆と硯を持っていた。筆の先には、これでもかと言わんばかりに墨が付着している。
「こういうのは、勢いが大事なんだよ! いいか、見てろこらァァァ!!」
 べちゃ、べちゃと筆を硯に浸らせる武。あまりに勢いが良すぎて、跳ねまくった墨汁が武の顔や体にかかっているが本人は微塵も気にしないようだ。
 満足いくまで筆先を真っ黒にした武は一転、一切の動作を止めると、すう、と大きく息を吸い込んだ。そして再び叫び出すと同時に、飛び上がってべしゃあっ、と壁に筆をつけた。
「うおあああああああああああああっ!!」
 雄叫びを上げながら彼が壁画に書いたのは、「言葉」という2文字だった。それもただの文字ではない。壁を埋めるように書かれた、長大な文字である。決して綺麗な文字とは言えないが、迫力に満ち溢れたそれはまさに、静と動の極致とでも言うべきものであった。
「おらァァァァァ! 俺が正解だぜェェェェェェ!! つーかこのままギネス載ろうぜギネス! ほらおめぇら、しっかり記録しやがれェェェ!!」
 葉の字の最後の一筆を思いきり伸ばしながら、武がなおも叫ぶ。興奮のあまり、趣旨すら履き違え出す始末である。
「どうしたおらァ! 俺はまだまだ書ける、まだまだ書けるんだぜ!!! ほら来いよ! おめぇらも悔しかったら、黙ってないでこっち来て、どっちがでけぇの書けるか勝負しようぜ!!」
 もちろん、一同が沈黙していたのは悔しさからではない。呆れていたのだ。
 床面に書かないと意味ないじゃん、と。
「ファック! こんなちっちぇえとこじゃ、俺の溢れるロック魂は表現しきれねぇぜ!!」
 もう完全に、彼は扉を開けるという目的を忘れていた。遺跡も、「もう充分好きにやったでしょ」と判断したのだろう。床面を赤く変色させ、ブーという音を鳴らした。
「新しい壁持ってこい! それと墨も持ってこ……ぶふぉっ!?」
 真下から噴出した水が、武を襲った。その水流は、不運にも彼のお尻に直撃し、武は筆を握ったままその場にばたりと倒れた。まあこれもある意味、筆下ろしと言えるだろう。そういう意味では、彼は最後まで筆にこだわり続けたのだから立派である。

 未だ開かない扉を前に、メジャーは難しい顔をした。
「ううん……他に、何か思いついた人はいるかい?」
 彼の呼びかけに応えたのは、椿 薫(つばき・かおる)だった。
「一休さんではないのでトンチはあまり得意ではござらんが……とりあえず答えてみるでござるよ」
 しかし皮肉にも、髪の毛が一本もない坊主頭の薫は、見た目的にはこの中で一番一休さんであった。必然的に、彼に注目が集まる。一休なら、一休ならなんとかしてくれるかもしれないと。
 まあ、本人が言うように一休ではないのだが。
「長い言葉でござるか……この場合、意味として語音が長い、言葉を書いている時間が長いなど色々考えられるでござるなぁ」
 ポクポクと一休……もとい、薫が座って頭の横で指を回す。やがて彼の頭は、ひとつの答えを導き出した。
「これは、どうでござるか?」
 そう言って薫が床に書いたのは、「○」であった。
「書き出し位置から始まった字が、また書き出し位置に戻る言葉でござる。つまり切れ目なしで永久に回り続けるという意味で、長いでござるよ」
 確かに、手応えのありそうな解答である。薫は、遺跡の反応を待った。今までで一番長い沈黙が訪れる。遺跡も、迷っているのだろうか。これが言葉として認められるか、それともただの記号として弾かれるのか。
 しかし、その数秒後、遺跡が出した答えは「不正解」であった。おなじみのあの音と共に床が赤くなり、斜め下の角度から水の束が薫を襲った。予想外の方向からの罰に避難することの出来なかった薫は、せめてもの防御にと友情の兜を瞬時に頭にかぶった。
「これも駄目でござったか……っ!」
 兜をめくるように吹き上がった水は薫の顔面にぶつかり、勢いのまま彼は吹っ飛ばされた。薄れゆく意識の中で彼の脳裏に浮かんだのは、友人たちとの懐かしい思い出であった。同じ部活の皆と女の子をのぞこうと馬鹿騒ぎした時の一場面。それはきっと、兜が見せてくれた幻なのだろう。
「わが友よ 君はいずこで エロパシー……」
 辞世の句みたいなものを残し、薫は目を閉じた。武に続き、この関門ふたり目の犠牲者が出た瞬間であった。
「うーん、みんな考えすぎじゃないかなあ?」
 彼らの惨状を見ていた湯島 茜(ゆしま・あかね)は、無邪気な口調でそう言った。
「おお、君も何かアイディアがあるのかい?」
「アイディアっていうか、円がどうとか文字がどうとかじゃなくて、普通に長い言葉を書けばいいんだと思うよ!」
 メジャーの問いに答えた茜が、床に書こうとした文字を口にした。
「きっと答えは、『パラミタニセコドモオオトゲナシトゲアリトゲトゲモドキ』じゃないかな!」
 おそらく昆虫か何かの名前であろうそれは、あまり聞き慣れない単語であった。もしかしたらこの世界のどこかに実在している虫なのかもしれない。今口にしたその名称を書きかけて、茜は待てよ、と手を止めた。
「あ、違う! よく考えたら『シャンバラニセコドモオトナトゲナシトゲアリトゲトゲモドキ』の方が長いよね!」
 一体それがどんな生物なのか、いや、はたしてそもそも生物なのかどうかも分からないが、彼女がいると言うのなら、いるのだろう。少なくとも、彼女の中では。
 シャンバラニセコドモオトナ……まで書き進めた茜だったが、そこで再び彼女のペンは止まった。
「あ、そういえばこんなのもいたかな……」
 思い出したように彼女は、途中から先程自分が言ったものとは別の文字を書く。そして最終的に床に書かれた文字は、「シャンバラニセコドモオトナトゲナシトゲアリトゲカブトムシモドキ」という、おそろしく長い何かの名称だった。これが昆虫名であれば、一度お目にかかってみたいものである。当然、即座にブーと音がなり、茜の頭上から大量の水が降り注ぐ。髪から靴までびしょ濡れになった彼女はそこで、何かに気付いたかのように目を見開いた。
「ああ、そっか、きっとこれだ!」
 頭から水に打たれたことで閃きが生まれたのか、茜は横たわった体を起き上がらせると、一心不乱にガリガリと文字を書き殴った。その驚異的な集中力と迫力に、周囲の者もごくりと唾を飲み、言葉を失う。やがて茜は、「できた!」と嬉しそうに自分の書き終えた文字列を眺めた。そこには、こんな言葉が書かれていた。
「そう、もっと丁寧にしたまえ……そこだ、私の計算通りのようだな、もう少し力加減に気をつけたまえ、ニュートン力学に逆らっては無駄だ、一切のリンゴは地上に落ちるのだからな……そう、そこに君のトリシューラを挿し入れるのだ、私の緻密な計算によれば侵入させる速度は毎秒1センチメートルでなければならないからな、まて早過ぎる、もっと、もっとゆっくりだ、そうそれでいい、いやまて今度は遅すぎる、よしそこでいいぞ」
 これに違いないよ! と何やらやり遂げた感たっぷりに言う茜。どうやらギャラリーが言葉を失っていたのは、別なところに理由があったようである。
「これは……な、なんだい?」
 恐る恐る、メジャーが尋ねると茜はさも当然のように答えた。
「前に、空京大学の学長室から聞こえてきたアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)教授の言葉だよ!」
 当然だが、アクリトが本当にそれを言っていた確率は、ほぼゼロだと思われる。要するに、これは茜が脳内で描いた妄言である。それゆえ、周囲の者は真剣にひいていた。
 しかし、何度水を浴びればこの子は気が済むんだろう、そう誰もが呆れた時、信じられないことが起こった。なんと、あのブーという音も鳴らず、床面が変色することもなく、目の前の扉がギギギ、と左右に開き始めたのだ。
「え……?」
 夢でも見ているかのようにその光景に唖然とする一行の中で、茜は「開いたよ!」と喜びながら扉をもっと開けようと力を加える。彼女がそのまま扉を両端へと押すと、ついに扉はすべて開かれた。
 一体なぜ扉がこの解答で開いたのか、それは、この扉が引き戸だったためであった。
 簡単に言うと、生徒たちだけでなく、扉自身も彼女のあまりに凄まじい妄想にひいていたのだ。
「ま、まあ何はともあれ、無事第一関門突破だね……」
 どこかやりきれない感じでメジャーと生徒たちは扉の先へと進む。もっとやりきれないのは、真面目にこの謎解きに挑んで不正解を食らった者たちであるのは、言うまでもない。



 扉を抜け、しばらく歩いた一行はさらに下へと続く階段がある部屋へと辿り着いた。さらにその部屋には、階段だけでなく、無造作に置かれた小さな箱がふたつあった。
「お、いかにも秘宝が眠っていそうだね!」
 罠であるかどうかも気にせず、メジャーがその箱を開ける。中に入っていたのは、かろうじて何かの野菜っぽい形状をしている白い固体と、手のひらサイズの小さな饅頭のようなものだった。
「みんな、秘宝だ! 秘宝があったよ!」
 あまり秘宝っぽくは見えない二品だったが、メジャーは大喜びで生徒たちにそれを見せた。彼のテンションとは逆に、生徒たちは色々な意味で疲れていたのでそこまでノることができなかった。
 もしこれがどこかの物語であったなら、冒険ものではなくコメディだったのではないか。
 ここにきて、大半の生徒がそう感じつつあったという。